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そのゲームは、切り離すことのできない序曲に過ぎない  作者: 珂珂


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第一卷 第五章 千年の追尋-2

わたし緹雅ティアあいだには、じつちいさな秘密ひみつかくされている。

過去かこ数年すうねんのゲームの旅路たびじなかで、緹雅ティア現実げんじつ世界せかいわたし唯一ゆいいつった仲間なかまだった。

この 秘密ひみつを っているのは、彼女かのじょ芙莉夏フリシャ二人ふたりだけだ。

私はいまでもはっきりとおぼえている。

ゲームの世界せかいはじめて緹雅ティア出会であったあの瞬間しゅんかんを。

あのときの彼女かのじょは、一筋ひとすじひかりのようだった。

ながあいだやみなかめられていた わたし孤独こどくを、そっとらしてくれた。

彼女かのじょあかるくあいらしく、わすれがたい魅力みりょくはなっていた。

その真摯しんし笑顔えがおあたたかい言葉ことばに、私は いつのにか かれていった。

だが、残念ざんねんなことに、私は彼女かのじょ開放的かいほうてきな 性格せいかくこたえることが できなかった。

自分じぶん過去かここころおくひそ劣等感れっとうかんについて、私はだれにも はなせなかった。

その感情かんじょうは、おもくさりのようにわたししばりつけ、こころざす原因げんいんとなっていた。

ゲームの世界せかいでは、私はそんな自分じぶんかくすことができた。

現実げんじつとは ちが自分じぶんえんじることで、いたくない現実げんじつからげることができた。

仮想かそう世界せかいは、わたし仮面かめんあたえた。

そこでは、わたしだれかになりきり、えない不安ふあんや 圧力あつりょくから一時いちじでも解放かいほうされることができた。

ときつにつれて、私はその 生活せいかつれ、現実げんじつ矛盾むじゅんこころいたみを、ゲームのキャラクターの笑顔えがお言葉ことばうらかくすようになっていった。

たとえ緹雅ティアせっするときでさえ、私はいつも平気へいきな ふりをしていた。

本当ほんとう自分じぶんせることはなかった。


では、わたしたちが最初さいしょにどうやってったのかというと――それは亞米アミ紹介しょうかいだった。かれはなしによると、かれ芙莉夏フリシャ、そして緹雅ティア長年ながねん友人ゆうじんらしい。

亞米アミは、このゲームのなかわたし最初さいしょ出会であった友人ゆうじんだ。

かれ料理人りょうりにんで、普段ふだん仕事しごともかなりいそがしいのに、新人しんじんたいしていつも忍耐強にんたいづよく、そしてとても親切しんせつせっしてくれる。そのあたたかさに、私は何度なんどすくわれたがした。

ギルドにはいってからは、緹雅ティアをはじめ、ほかのメンバーもみなとてもやさしくしてくれて、私はゲームのなか本当ほんとうしあわせをかんじていた。

すこしずつこの仲間なかまみ、ひさしぶりに「居場所いばしょ」というものを実感じっかんした――それは現実げんじつ生活せいかつでは一度いちどあじわったことのない感覚かんかくだった。


ある緹雅ティア雑談ざつだんしているとき、ふとしたきっかけでかれらの背景はいけいはなしになった。

そのときはじめてったのだが、亞米アミ芙莉夏フリシャ、そして緹雅ティアは、みんな日本人にほんじんだった。

ただ、かれらはそれぞれ海外かいがいはたらいているため、おな日本にほん出身しゅっしんとはいえ、実際じっさいかおわせる機会きかいはほとんどないらしい。


あるまで、緹雅ティア突然とつぜんわたしひとつのことはなしてきた。

彼女かのじょは、「ごと関係かんけい東京とうきょう出張しゅっちょうすることになったから、数日すうじつだけ滞在たいざいする」とい、そしてそのときいたいとげた。

突如とつじょさそいに、わたしむねはげしく高鳴たかなり、同時どうじ緊張きんちょうはしった。

彼女かのじょは、「これがおそらく唯一ゆいいつ機会きかいかもしれない。今回こんかい出張しゅっちょうで、現実げんじつのあなたにってみたい」とった。

興奮こうふん恐怖きょうふじりい、わたしこころしずまらなかった。

否定ひていできなかった――緹雅ティアは、もはやわたしにとって、ただのゲームのなか友達ともだちではなかったのだ。

彼女かのじょ一言ひとことひとこと、その微笑ほほえみのひとひとつが、わたしむねつよさぶった。

だが、彼女かのじょ真摯しんしに「いたい」とった瞬間しゅんかんわたしはこれまでかんじたことのない恐怖きょうふつつまれたのだった。



このゲームのAI人顔じんがお認識にんしきシステムは、たしかにわたしたちが仮想かそう世界せかいなか現実げんじつ世界せかいまったおな容貌ようぼうつことを可能かのうにしてくれた。

だが、それには整形せいけいシステムも用意よういされており、わたしたちは自分じぶん外見がいけん自由じゆうえることもできた。

ゲームのなかで、わたしたちはたがいの真実しんじつかおたことがある。

だがわたしにとって、その「真実しんじつ」はどこか不完全ふかんぜんおもえた。

仮想かそう現実げんじつへと変換へんかんしようとするとき、そのあいだよこたわるはあまりにもおおきくかんじられたのだ。

その瞬間しゅんかんわたし心配しんぱいになった。

緹雅ティア現実げんじつわたしたとき、失望しつぼうするのではないか?

ゲームのなかわたしえんじてきた姿すがたのせいで、彼女かのじょわたしたいして疎遠そえん違和感いわかんおぼえるのではないか?

そんなかんがえがあたまはなれず、私は現実げんじつ勇気ゆうきうしなっていった。

自分じぶんがゲームのなかせてきた姿すがたうたがはじめ、緹雅ティア本当ほんとう自分じぶんせるべきかどうか、まよつづけていた。


この矛盾むじゅん不安ふあんは、わたしこころなかしずかにもりかさなっていき、

自分じぶん本当ほんとうもとめているものがなんなのかを、はっきりとえなくしていた。

彼女かのじょわたしいつわりを見抜みぬくのではないかとおそれ、

彼女かのじょわたしおもっているほど完璧かんぺきではないとづいてしまうのではないかとおびえた。

それでも、こころ恐怖きょうふちているにもかかわらず、

私は内側うちがわふかいところからがる期待きたいあらがうことができなかった。

わたしにとって、それはもしかしたら――変化へんかへの契機けいきでもあったのかもしれない。

そんなさそいを、どうしても私はかる手放てばなすことができなかったのだ。


あのわたし緹雅ティア東京とうきょう象徴しょうちょうひとつ、浅草寺せんそうじわせをしていた。

その平日へいじつだったため、まち人波ひとなみはそれほどおおくはなく、

散歩さんぽたのしむ観光客かんこうきゃくや、ふるとおりになら地元じもとちいさなみせたちが、

この古都こと街並まちなみにゆったりとした空気くうきしていた。

ざしがたかそらからやわらかくそそいでいた、微風そよかぜほおでる。

浅草寺せんそうじ一帯いったいあわ静寂せいじゃくやすらぎにつつまれ、

まるで時間じかんそのものがゆっくりとあゆみをゆるめたかのようだった。

私は石柱せきちゅう一本いっぽんりかかりながら、鼓動こどう自然しぜんはやまっていくのをかんじていた。

なにしろ、こののために私は二時間にじかんはやいえていたのだから。


わたししろ綿めんのシャツに、くろかるいジャケットを羽織はおり、

普通ふつうくろいジーンズとしろいスニーカーをいていた。

それが、わたしにとって唯一ゆいいつひとせられる」服装ふくそうだった。

ふくわせについて、私はほとんど知識ちしきがなかった。

だから、これが自分じぶん衣装棚いしょうだなからえらせる、もっとも“まし”な一着いっちゃくだったのだ。

うつむいてシャツのすそをそっとととのえながら、

むねおくちいさな緊張きんちょうはしった。


わたしなん自分じぶん身支度みじたくととのっているかたしかめていたそのとき

背後はいごからふとやわらかいごえこえてきた。

その馴染なじぶかこえに、私はおもわずはっといきんだ。

たせて、ごめんね。」

それは、わたしがよくるあのこえだった。

反射的はんしゃてきかえると、そこにっていたのは――緹雅ティア

その面影おもかげは、ゲームのなか彼女かのじょとまったくおなじでありながら、

どこか現実げんじつひかりらされた繊細せんさい奥行おくゆきをびていた。

金色きんいろかみ陽光ようこうのようにやわらかくかがやき、

片側かたがわたばねられたポニーテールがあるみとともにゆるやかにれた。

彼女かのじょあわ生成きなりいろのニットをけていた。

ほそやかで、れればたちまち季節きせつざしにんでしまいそうなぬくもりがあった。

したにはくろいAラインのスカートをわせ、

その姿すがた優雅ゆうがで、どこか自然体しぜんたいうつくしさを宿やどしていた。

足元あしもとにはしろいぺたんこのくつ

かるやかで心地ごこちく、

まるで彼女かのじょそのもののように、ひかえめでありながらあたたかい印象いんしょうはなっていた。


彼女かのじょくびには、ほそひかえめなネックレスがかっていた。

ちいさな円形えんけいのペンダントがあわ光沢こうたくはなち、

そのさりげないかがやきが、全体ぜんたい印象いんしょう一筋ひとすじ繊細せんさい気品きひんえていた。

みみにはちいさなハートがたのピアスがれ、

微笑ほほえむたびにそのおくでかすかにひかりをかえしていた。

ふとをやると、彼女かのじょにはくろいロングタイプのかわ手袋てぶくろがはめられていた。

それは――ゲームのなか彼女かのじょけていたものとまったくおなじだった。

化粧けしょうひかえめで、っぽさのないきよらかな仕上しあげ。

ほとんどかざがなく、ほんのりとファンデーションをかさねただけなのに、

彼女かのじょからはどこか清新せいしんぞくはなれたうつくしさがただよっていた。


わたし心臓しんぞう不意ふいはやはじめ、てのひらにはうっすらとあせにじんだ。

その瞬間しゅんかん、ふと自分じぶん服装ふくそうすこ場違ばちがいにおもえて、

彼女かのじょよそおいとくらべると、どこか地味じみかんじられた。

彼女かのじょうつくしさと気品きひん圧倒あっとうされ、むねおくちいさな劣等感れっとうかんした。

けれど、そのおく言葉ことばにできない興奮こうふん期待きたいしずかにがっていた。

「だいじょうぶ、わたしいまたところだから。」

私はできるだけいたこえこたえたが、そのこえはわずかにふるえていた。

ティ……緹雅ティア、あ、ちょっとって。こういう場所ばしょでそうぶの、なんだかへんかな?」

「いいの、にしないで! 緹雅ティアってんで。わたしも、凝里ギョウリってんでいい?」

その口調くちょうかるやかで自然しぜんだった。まるではじめて相手あいてとはおもえないほど、

その親近感しんきんかんはすでにこの出会であいの空気くうきなかんでいた。

「なんだか、ちょっとずかしいね。」

私はほおあからめてうつむき、ふたたむねなか緊張きんちょう不安ふあんせてきた。

どんなにこころととのえようとしても、彼女かのじょまえにすると、やはりこころれてしまう。

「はははっ!」

緹雅ティアは楽し(たの)そうにわらった。

そのみはあかるく、わかさの瑞々(みずみず)しさにちていて、わたし緊張きんちょうをやわらげた。

「そんなにらなくていいよ。

だって、わたしたち、ゲームのなかではもうながい付きつきあいの友達ともだちでしょ?」

彼女かのじょ笑顔えがおが、わたしなか不安ふあんすこしずつかしていった。

その瞬間しゅんかん、まるでえないかべくずれたように、

この見知みしらぬようでなつかしい風景ふうけいなかで、わたしたちの距離きょり一気いっきちぢまったがした。

緹雅ティアかがや笑顔えがおが、あのわたしたちの約束やくそくを、そっとはじまりのひかりつつんでいった。


わたしたちは寺院じいんまえひろがるにぎやかな仲見世通なかみせどおりへとあしれた。

とおりの両側りょうがわにはいろとりどりのみせのきつらね、

土産物みやげもの軽食けいしょく所狭ところせましとならび、東京とうきょう特有とくゆう風情ふぜいただよわせていた。

人々(ひとびと)はいながらもうことなく、

にぎやかさのなかおだやかさがじる、心地ここちよい喧騒けんそうひろがっていた。

どこからともなくこえてくる商人しょうにんごえ

観光客かんこうきゃくたちのわらごえ

そして店先みせさきからただよってくるこうばしいにおいが、

この街並まちな全体ぜんたいをやわらかくつつみ、あるく人々(ひとびと)のかおをほころばせていた。

て、あれ! アイスサンドだよ! すっごく美味おいしいっていたの!」

緹雅ティアゆびさしながら笑顔えがおった。

太陽たいようひかりけた彼女かのじょひとみはきらきらとかがやき、

好奇心こうきしんちいさな興奮こうふんたたえていた。

屋台やたいうえには、さまざまなあじのアイスクリームがあつみのあるクッキーにはさまれ、

るからにあまいざなうような姿すがたならんでいた。


わたしちいさくうなずいてった。

「じゃあ、わたしたちもべてみようか?」

そうして二人ふたりならんで屋台やたいかい、

それぞれちがあじのアイスサンドをえらんだ。

一口ひとくちかじると、アイスクリームのあまかぐわしい風味ふうみしたうえにすっとひろがり、

サクッとしたクッキーの食感しょっかんがそのつめたさとう。

あまさとややかさ、やわらかさと歯応はごたえ――

その対比たいひみょうくちなかおどるようにじりい、

おもわずわたし微笑ほほえみをこぼしていた。

緹雅ティアおなじようにアイスをべながら、しあわせそうなかおをしていた。

「これ、本当ほんとう美味おいしいね!」

そういながらわら彼女かのじょ口元くちもとには、

すこしだけアイスがいていた。

それを指先ゆびさきでそっとぬぐ仕草しぐさが、

みょう自然しぜんで、そして――いとおしくおもえてしまった。


わたしたちは人波ひとなみ沿ってまちあるつづけた。

時々(ときどき)まりながら、とおりにならちいさなみせの品々(しなじな)をながめ、

その奇妙きみょうさや独特どくとく魅力みりょくについてかたった。

すこあるいてふるみせなみけると、

わたしたちは一軒いっけん手工芸品店しゅこうげいひんてんはいった。

店内てんないには精緻せいち陶器とうき木製もくせいかざもの

それに日本にほんらしいおもむき宿やどした小物こものたちがしずかにならべられていた。

緹雅ティアたなうえからちいさな風鈴ふうりんり、

そっとらすと、んだ音色ねいろ店内てんないひろがった。

「こういうの、好きなの。」

そうって微笑ほほえ彼女かのじょこえは、

まるでその風鈴ふうりんおとおなじようにきよらかで、しずかなやすらぎをふくんでいた。

いていると、こころくの。」

彼女かのじょはそういながら、

そのちいさなおとみみかたむけていた。

その横顔よこがおは、まるでかぜそのものとっているようにえた。


みせたあと、緹雅ティア突然とつぜんかがやかせて、とおりの一角いっかくゆびさした。

て、“雷おこし”だ! これ、いたことあるの。有名ゆうめいなんでしょ?」

そのひとみ興奮こうふんひかりちていて、まるで宝物たからものつけた子供こどものようだった。

わたし彼女かのじょつづいて屋台やたいへとあるった。

屋台やたい主人しゅじん中年ちゅうねん男性だんせいで、

ほほえみながら出来立できたての雷おこしを紙袋かみぶくろめ、わたしたちに手渡てわたしてくれた。

それはこめ砂糖さとうつくられたちいさなお菓子かしで、

外側そとがわにはうすあめころもがまとわれていた。

くちれると、ほろりとくずれ、

やさしいあまさのなかにほんのりとこうばしいあじひろがった。


そのあと、わたしたちは隅田川すみだがわへとあるみをすすめた。

水面みなもにはとおくの高層こうそうビルの姿すがたうつり、

微風そよかぜけるたびに、そのかげはやわらかくれた。

かぜはひんやりとはだで、空気くうきにはあわ水気すいきじっていた。

すがすがしくて、どこかむねおくかるくなるような心地ここちだった。

隅田川すみだがわ沿いの遊歩道ゆうほどうしずかでひろく、

まるで都会とかい喧騒けんそうからはなされたべつ世界せかいのようだった。

そこは、散歩さんぽをするにはまさに理想的りそうてき場所ばしょだった。

わたしたちはならんで川辺かわべあるき、

時々(ときどき)あしめて対岸たいがん風景ふうけいながめたり、

ちいさなこえ言葉ことばわしたりした。

この場所ばしょうつくしさには、説明せつめいなどいらなかった。

どの一角いっかくっても、まるで一枚いちまい静寂せいじゃく絵画かいがのようだった。

木々(きぎ)のかぜれ、陽光ようこうがその隙間すきまから水面みなもそそぐ。

金色きんいろひかりなみのきらめきがかさなりい、

ひとつのうつくしい情景じょうけいえがしていた。

とおくには東京塔とうきょうタワーがそびえち、

雲間くもま姿すがたかくしたり、またあらわれたりしていた。

まるでこのまち見守みまも守護者しゅごしゃのように、

その存在そんざい風景ふうけいにほんのすこしの浪漫ろまんえていた。


「ここ、本当ほんとう綺麗きれい……。なんだか、こころくね。」

緹雅ティアちいさなこえでそうい、

そのひとみには、風景ふうけいむような陶酔とうすいひかり宿やどっていた。

彼女かのじょ表情ひょうじょうには、普段ふだんられないしずかなやすらぎがながれ、

その姿すがたはまるで、この景色けしき一部いちぶであるかのようだった。

「うん……本当ほんとうに、ここは散歩さんぽするには理想的りそうてき場所ばしょだね。

時間じかんわすれてしまいそうだ。」

わたしはそうこたえながら、そっと彼女かのじょ横顔よこがおつめた。

ざしが彼女かのじょかみにやわらかくそそぎ、

微風そよかぜほおをかすめる。

笑顔えがおも、眼差まなざし)も、そのすべてがひかりかぜなかかがやいていて、

その瞬間しゅんかん景色けしきまでもが彼女かのじょいろどられているようにおもえた。


わたしたちは川辺かわべあるきながら、

やがて隅田川すみだがわ沿いにたたず一軒いっけんのカフェへとたどりいた。

そのみせいた雰囲気ふんいきつつまれていて、

おおきなガラスまどからは隅田川すみだがわながれと、

とおくにそびえる東京塔とうきょうタワー姿すがた一望いちぼうできた。

店内てんないぬくもりを基調きちょうとしたシンプルでモダンなつくり。

テーブルや椅子いす整然せいぜんならび、

窓際まどぎわせきとく人気にんきがあるようだった。

わたしたちはまよわず、その窓辺まどべせきこしろした。

ガラスしにえる川面かわもは、

昼下ひるさがりのひかりけてゆるやかにかがやいていた。


あつ々(あつ)の料理りょうりはこばれてくると、

ふわりとちのぼるかおりがテーブル全体ぜんたいつつみ、

おもわず指先ゆびさきうごきそうになるほどだった。

さらうえには、黄金色おうごんいろげられたフレンチトースト。

外側そとがわはこんがりとこうばしく、

内側うちがわはふんわりとしたやわらかさをたもっている。

トーストの生地きじは、香草こうそうかおりがただよ卵液らんえきひたされ、

両面りょうめん均一きんいつ黄金色おうごんいろになるまで丁寧ていねいかれていた。

かるげた外側そとがわのサクサクかんと、

内側うちがわのしっとりとしたやわらかさがかさなりい、

絶妙ぜつみょう口当くちあたりをしていた。

ひとくちかじると、外側そとがわこうばしさと内側うちがわやさしいあまさがしたうえい、

まるで幸福こうふくそのものをあじわっているようだった。

トースト本来ほんらいのほのかな甘香あまかおりに、

そっとかけられたメープルシロップの濃厚のうこうあまさがくわわり、

そのみつ一層いっそうずつ生地きじおくまでんでいく。

ひとくちごとに、むねおくがじんわりとあたたかくなるような幸福感こうふくかんひろがっていった。

仕上しあげにりばめられた新鮮しんせん果実かじつくだかれたナッツのかおりが、

あじわいにさらなるふかみをえ、

ひとくちごとにあたらしい美味おいしさがかさなっていく――

そんな一皿ひとさらだった。



プレートのうえには、こうばしいベーコンが二枚にまいと、ハムが一枚いちまいえられていた。

どちらもこんがりといろき、

はなをくすぐるこうばしさと、ほのかなくんせいかおりがただよっていた。

ベーコンは丁寧ていねいかれ、表面ひょうめんはほどよくカリッと仕上しあがっている。

ひとくちかじると、にくあぶらがじんわりとしたうえひろがり、

くんされたかおりとからって、

ゆたかな奥行おくゆきのあるあじわいをしていた。


そのほか、料理りょうりにはいろどゆたかなフルーツと野菜やさいのサラダがえられていた。

丁寧ていねいけられた一皿ひとさらは、まるで大自然だいしぜんえがいた絵画かいがのようにあざやかだった。

ロメインレタス、ルッコラ、むらさきキャベツ、リーフレタスがサラダの土台どだいかたちづくり、

それぞれのみどり微妙びみょうじりって、

くちなかすがすがしく、しゃきっとした食感しょっかんかなでていた。

そこにブルーベリーやぶどう、オレンジのスライス、

さらにしゅん果実かじつくわわり、

うつわなか自然しぜんかおりと生命いのちいろたされていた。

ひとつぶひとつぶ果実かじつ丹念たんねんえらばれ、

みずみずしくてあまやかにはずむ。

ブルーベリーのほのかな酸味さんみとぶどうのさわやかなあまさがかさなり、

ひとくちごとにちが表情ひょうじょうせるようだった。

オレンジのやさしい甘味あまみ酸味さんみ調和ちょうわ全体ぜんたいめ、

サラダ全体ぜんたい風味ふうみをいっそう爽快そうかいにしていた。

そのうえからは、ギリシャヨーグルトと蜂蜜はちみつうすくかけられていた。

ヨーグルトの濃厚のうこう乳香にゅうこう蜂蜜はちみつあまさがしずかにじりい、

口当くちあたりはなめらかで、どこかやさしい余韻よいんのこした。

さらに、ところどころにらされたちいさなナッツの欠片かけらが、

あじわいにあらたなそうえていた。

むたびにナッツのかおりがほのかにのぼり、

そのかおばしさとサラダのやわらかさがたがいをい、

まるで一枚いちまい絵画かいがあじわうように、

視覚しかく味覚みかく両方りょうほうで楽し(たの)ませてくれた。



そして、このプレートのなかもっとくのは――完璧かんぺきなオムレツだった。

ナイフとフォークをそっとれると、

とろりと濃厚のうこう卵液らんえきがあふれし、

まるで金色こんじきちいさなかわながるように、

さらうえをゆるやかにひろがっていった。

外側そとがわかるかれてこうばしい黄金色おうごんいろ

内側うちがわはとろけるようにやわらかく、

そのわずかなぬくもりとなめらかさが、ほかの食材しょくざいかさなりうことで、

一皿ひとさら全体ぜんたいいのちんでいるかのようだった。

ひとくちべるたびに、

ふか黄身きみあじわいと、

白身しろみのなめらかな舌触したざわりがい、

言葉ことばではあらわせない幸福こうふくが、

そっとむねおくひろがっていった。


コーヒーのかおりとブランチのゆたかなあじわいが、

ゆるやかにじりいながらテーブルのうえつつんでいた。

緹雅ティア両手りょうてでカップをつつみ、

そっとひとくちふくむと、

そのひとみにかすかな陶酔とうすいいろかんだ。

「このコーヒー、本当ほんとうにいいかおりね。」

わたしもカップをり、

「うん、おもった以上いじょう美味おいしいね。」

わらいながらかえした。

わたしたちはあたたかなあじくちはこびながら、

まどそと風景ふうけいけた。

とおくには東京塔とうきょうタワー輪郭りんかくがはっきりとえ、

塔身とうしん陽光ようこうけてあわ金色きんいろかがやきをはなっていた。

そのひかりはまるで、

このまち全体ぜんたいにほんのすこしの浪漫ろまんりまくように、

しずかに空気くうきなかんでいった。


食事しょくじえたあと、わたしたちはくるまって上野公園うえのこうえんかった。

東京とうきょうでも指折ゆびおりの名所めいしょであるこの公園こうえんは、

ひろ々(びろ)とした芝生しばふみずうみようし、

都会とかい喧騒けんそうなかで人々(ひとびと)がひとときのしずけさをもとめる理想りそう場所ばしょだった。

午後ごご空気くうき格別かくべつ心地ここちよく、

さくら季節きせつではなかったものの、

陽光ようこうはやわらかくりそそぎ、

空気くうきわたり、

公園こうえんはどこかきとした息吹いぶきちていた。

公園こうえんのあらゆる風景ふうけいが、

まるでわたしたちの会話かいわ呼応こおうするように、

一歩いっぽごとにこころかるくしてくれる。

わたしたちは湖畔こはん小径こみちならんであるき、

足取あしどりは自然しぜんかるやかになっていった。

湖面こめん微風そよかぜにそっとでられ、

しずかに波紋はもんえがいていた。

陽光ようこうがそのうえ反射はんしゃし、

無数むすう光点こうてんがきらめきながらおどる。

とおくの芝生しばふでは、老夫婦ろうふうおだやかにいぬ散歩さんぽさせ、

子供こどもたちはわらごえをあげてまわっていた。

その日常にちじょう光景こうけいはどこかなつかしく、

むねおくひさしくわすれていたやすらぎをますようだった。


「ここ、本当ほんとう場所ばしょだね。」

緹雅ティアちいさくつぶやき、

そのこえにはどこかなつかしさとやすらぎがにじんでいた。

彼女かのじょ視線しせん湖面こめんうつひかりらめきをいながら、

まるでなにとお記憶きおくをそっとでているかのようだった。

わたしはうなずきながらこたえた。

「うん、さくら季節きせつじゃなくても、やっぱりここは綺麗きれいだよね。

散歩さんぽしてると、すこしだけなやみをわすれられるがする。」

わたしたちは湖畔こはん小径こみちをゆっくりとあるつづけた。

時々(ときどき)あしめては、まわりの景色けしき見渡みわたす。

みち沿いの木々(きぎ)はあお々(あお)としげり、

枝葉えだはかぜにそよいでやさしくれていた。

木陰こかげのベンチには何人なんにんかの人々(ひとびと)がこしろし、

午後ごござしをびながらしずかなひとときをたのしんでいた。

その光景こうけいは、まるで時間じかんまでもがおだやかにいきをしているかのようで、

わたしこころもまた、ゆるやかにけていくのをかんじていた。


わたしたちはならんであるいていた。

この時間じかんには、ゲームのなか任務にんむも、

仕事しごとおも責任せきにんもなく、

ただたがいの存在そんざいと、このおだやかなひとときだけがあった。

「ティア、普段ふだんはどんなことが好き(すき)なの?」

彼女かのじょはふとあしめてこちらをやり、

それからやわらかくわらった。

「そうね……小説しょうせつとか漫画まんが、アニメを見るのが好き(すき)かな。」

そのひとみには一瞬いっしゅんちいさなひかりがきらめいた。

「そういう世界せかいはいると、現実げんじつなやみをわすれられるの。

まったくちが世界せかい自分じぶん存在そんざいしているみたいで……。」

すこをおいて、彼女かのじょつづけた。

「それから……写真しゃしんるのも好き(すき)。

瞬間しゅんかんっておくと、

そのとき気持きもちや景色けしきを、あとでちゃんとおもせるがするの。」

そううと、緹雅ティアっていたスマートフォンをそっとかまえ、

わたしほうけてシャッターをした。

カメラのおとしずかな午後ごご空気くうきにやさしくひびき、

その瞬間しゅんかん彼女かのじょ笑顔えがおがレンズしにはなのようにいた。


私はおもわず微笑ほほえんでった。

「へえ、きみも漫画まんがとかアニメが好き(すき)なんだね。

じつは、ぼくもそうなんだ。とくにすこかんがえさせられるような小説しょうせつとか漫画まんが

あとはむかし名作めいさくアニメが好き(すき)でね。」

そういながら、こころなかでは

これまでんできた数々(かずかず)の物語ものがたりしずかにかびがっていた。

「それに、ぼく料理りょうりつくるのも好き(すき)なんだ。

料理りょうりって、ぼくにとっては芸術げいじゅつみたいなものでさ。

あたらしい料理りょうりがうまく出来できときとか、

自分じぶんつくったものをてるだけで、なんか満足まんぞくするんだ。」

緹雅ティア興味きょうみありげにかがやかせた。

本当ほんとう? わたしも美味おいしいものが大好だいすき!

むかし台湾たいわんったことがあるんだけど、

あそこの料理りょうりって本当ほんとう美味おいしいよね。

あなたの得意とくい料理りょうりってなに?」

私はわらいながらこたえた。

「えっ、台湾たいわんったことあるの? それはすごいね!

ぼくはいろいろためしたけど、やっぱり台式たいしき料理りょうり一番いちばん得意とくいかな。

とくルー豚足とんそく最高さいこうだよ。

あのかおりとあじは、本当ほんとう無敵むてきでさ。

はん何杯なんばいでもいけるんだ。

あと、三杯鶏さんばいどりとか、鳳梨蝦球ほうりえびだまルー肉飯ろうふぁんとかもね。」

自分じぶんいえでの料理りょうり時間じかんおもすと、

なんだかむねおくあたたかくなってきた。

料理りょうりつくってるときって、ちょっとした実験じっけんみたいなんだ。

どうやったらもっと美味おいしくできるかかんがえて、

うまくいったとき本当ほんとううれしくなる。

それに、料理りょうりしてると、いろんなことをおもしたりして、

すごくたのしいんだ。」

緹雅ティアはくすっとわらいながらった。

「いいね、それ。今度こんどチャンスがあったら、あなたの料理りょうり、ぜひべてみたいな。」

「もちろん! そのときってつくるよ。」

わたしわらかえしながらそうこたえた。


湖畔こはんあるきながら、

わたしたちの会話かいわはいつのまにかかるく、

そしてどこかやわらかいものへとわっていった。

最近さいきんんだ漫画まんがはなしをしたり、

物語ものがたりへの感想かんそうかたったり。

たがいの好き(すき)なアニメのキャラクターや、

あのたのしかった名場面めいばめんについてもはなはずんだ。

共通きょうつう作品さくひんくちにするたび、

自然しぜん笑顔えがおがこぼれ、

そのわらごえしずかな湖面こめんにやさしくけていった。

その瞬間しゅんかんごとに、

わたしたちの時間じかんすこしずつぬくもりをしていき、

このひとときが、何気なにげない会話かいわでありながら、

かけがえのない記憶きおくになっていく――そんながした。


夕食ゆうしょくまえわたしたちは東京塔とうきょうタワーかうことにした。

緹雅ティア以前いぜん、ゲームのなか会話かいわ何度なんども「いつかってみたい」とっていた。

そしていま、そのねがいがようやく現実げんじつになろうとしていた。

ちいさなゆめかたちになっていく瞬間しゅんかんに、

わたし自身じしんすこむね高鳴たかなっていた。

東京塔とうきょうタワー入口いりぐちあしれると、

空気くうき一気いっきはなやかさをした。

観光客かんこうきゃくたちがい、

エレベーターの稼働音かどうおん途切とぎれなくひびいている。

人々(ひとびと)の表情ひょうじょうには、

どこか共通きょうつうした興奮こうふん期待きたいかんでいた。

「わあ……ちかくでると、本当ほんとうにすごいね!」

緹雅ティアかがやかせながら、

たかくそびえ塔身とうしん見上みあげた。

その姿すがたはまるで子供こどものように純粋じゅんすいで、

わたしむねにもおもわずぬくもりがひろがった。

「そうだね。東京塔とうきょうタワーはこのまち象徴しょうちょうみたいなものだから。

うえから景色けしきは、きっといきをのむほど綺麗きれいだよ。」

そういながら、わたしたちはならんで展望台てんぼうだいへの入口いりぐちへとあるした。

とうなかひびく人々(ひとびと)のこえと、

どこかとおくからながれてくる音楽おんがくが、

これからはじまるよる予感よかんをやさしくつつんでいた。


わたしたちはエレベーターにり、展望台てんぼうだいへとのぼっていった。

数分後すうふんごとびらひらき、

ガラスりのかべまえった瞬間しゅんかん

まえひろがった光景こうけいいきんだ。

東京塔とうきょうタワー展望台てんぼうだい数十階すうじゅっかいたかさにあり、

そこから見渡みわた東京とうきょう街並まちなみは、

まるで時間じかんとともにいろえる巨大きょだい絵巻えまきのようだった。

とおくにそびえる高層こうそうビル、

くるまひかり

そしてまちつつ無数むすうあかりが、

星空ほしぞらのようにまたたきながら、

一枚いちまいよる景色けしきえがしていた。

「わあ……本当ほんとう綺麗きれい……」

緹雅ティアちいさくいきつぶやき、

そのひとみおどろきと感動かんどうちていた。

彼女かのじょはガラスのすぐそばにち、

まるでそのひかりうみ一部いちぶになったかのように、

しずかにその景色けしきつめていた。


私は緹雅ティアとなりち、

彼女かのじょならんでまどそとつめた。

よる東京とうきょうは、

無数むすうあかりがほしのようにまちの隅々(すみずみ)までりばめられ、

建物たてもの輪郭りんかくがやわらかくかびがっていた。

いつもはうごつづけているはずの都市とし鼓動こどうが、

この瞬間しゅんかんだけはしずかにいきひそめ、

ひとつのうつくしい絵画かいがのようにこおりついてえた。

この景色けしきは、たんなる都市とし描写びょうしゃではなく――

まるでこのまちたましいそのものへの賛歌さんかのようだった。

「いつもている景色けしきとは、まるでべつ世界せかいみたいだね。」

私はおもわずそうつぶやいた。

わたし自身じしんもこの場所ばしょたのははじめてで、

まえひろがるうつくしさにいきんでいた。

「こうしてうえからると、

このまち全体ぜんたいがひとつのながれる芸術げいじゅつ作品さくひんみたいだね。」


緹雅ティアちいさくうなずいた。

「そうだね。いつもは地上ちじょうからこのあかりをていたけど、

こうしてうえからながめると、まるでべつ世界せかいたみたい。」

わたしたちは展望台てんぼうだいうえち、

ほかの観光客かんこうきゃくたちとおなじように、

このうつくしい夜景やけいこころうばわれていた。

だれもが言葉ことばうしない、

ただしずかにこのまちかがやきをつめていた。

時間じかんつにつれて、そらはさらにふかよるいろへとわり、

東京塔とうきょうタワーあかりが一斉いっせいともされた。

金色きんいろひかり塔身とうしんつつみ、

その姿すがた夜空よぞらかぶひとつのほしのようにかがやいていた。

展望台てんぼうだいから見下みおろす東京とうきょうは、

どこまでもひろがり、きることのない生命せいめい脈動みゃくどうかんじさせた。

このまちねむらない――

それでも、その喧騒けんそうなかには、たしかにうつくしい呼吸こきゅうがあった。

よる東京とうきょうは、まるでわりのないゆめのようだった。

あかり、とおり、建物たてもの――

そのすべてが夜空よぞらもとい、

一枚いちまい幻想げんそうえがしていた。


夕食ゆうしょく時刻じこくわたしたちは新宿しんじゅくにあるちいさなラーメンった。

店構みせがまえはひかえめだが、そとからでも日本にほんらしい情緒じょうちょただよっていた。

店内てんないぬくもりにつつまれ、

素朴そぼくでどこかなつかしい雰囲気ふんいきながれていた。

木製もくせいのテーブルと椅子いすかべけられた和風わふうかざもの

そして鼻先はなさきをくすぐるラーメンのスープのかおり――

あつ々(あつ)の一杯いっぱいはこばれてくるたびに、

そのかおりが店中みせじゅうひろがり、

こころおくまでたされるようながした。

わたしたちは窓際まどぎわせきこしろした。

店内てんない活気かっきちているのに、

不思議ふしぎ居心地いごこちがよく、どこかしたしみを感じさせた。

緹雅ティアは興味津々(きょうみしんしん)といった様子ようす店内てんない見回みまわしていた。

「このおみせ雰囲気ふんいきがすごくいいね。伝統的でんとうてきな感じ(かんじ)がしてく。」

「うん、そうだね。」

私はわらいながらうなずいた。

「このみせおおきくはないけど、本格的ほんかくてきあじがするんだ。

スープがとく絶品ぜっぴんでね、何度なんどべてもきないんだよ。」

じつはここが、わたしがいちばんっているラーメンだった。

独特どくとくなスープのかおり、

そのふかみのあるあじは、くちにするたびに

むねおくちいさな幸福こうふくともしてくれる。


店員てんいんわたしたちのたのんだラーメンをはこんできた瞬間しゅんかん

湯気ゆげとともにちのぼるかおりが、ふわりとはなをくすぐった。

わたしはそっと両手りょうてうつわげた。

湯面ゆめんにはこまやかな油膜ゆまくかがやき、

熱気ねっきなかただよかおりが、

まるでこころあたためるようだった。

スープのなかには、うすられた叉焼チャーシュー

絶妙ぜつみょう火加減ひかげんえた半熟はんじゅくたまご

そして、一見いっけん素朴そぼくでありながら、

はしげるとほのかにかがやめん

そのすべてが、一瞬いっしゅん食欲しょくよく刺激しげきした。

「いただきます!」

緹雅ティアひとみはすでに期待きたいかがやいていた。

「わあ……これ、本当ほんとう美味おいしい!」

そういながら、彼女かのじょ夢中むちゅうめんをすすった。

「スープが濃厚のうこうで、めんもすごくコシがある。最高さいこうだね!」

そのかおには、満足まんぞくそうな笑顔えがおかんでいた。

その表情ひょうじょうているだけで、

わたしむねにもしずかなよろこびがひろがっていく。

おなあじともかちえる――

それだけで、こころ不思議ふしぎなくらいあたたかくなった。



わたし自分じぶんのラーメンをくちはこんだ。

ひとくちすするたびに、濃厚のうこうふかみのある旨味うまみしたひろがっていく。

めんはスープのうまみをしっかりとい込み、ほどよい弾力だんりょくがあった。

叉焼チャーシュー絶妙ぜつみょう加減かげんで、外側そとがわこうばしく、

内側うちがわはやわらかくとろける。

そこにわずかなあまげのかおりがかさなり、

一杯いっぱいのラーメンにゆたかなふかみをえていた。

わたしたちはそのあじを楽し(たの)みながら、

自然しぜん会話かいわわしていた。

わらごえ湯気ゆげなかじりい、

そのひとときの空気くうきはやわらかくちていた。

「こうして一緒いっしょべると、

いつものラーメンまで特別とくべつあじになるね。」

それは、だれかとよろこびをかちえるしあわせ。

なにげないよる食事しょくじが、

まるでちいさな奇跡きせきのようにおもえた。


正直しょうじきうとね、東京とうきょうてこんなにたのしいなんておもわなかったよ。」

緹雅ティアはしき、椅子いすにもたれながら、

やわらかく微笑ほほえんでわたしつめた。

「このまちはね、どこをあるいても魅力みりょくにあふれてる。

このラーメンもそうだし、今日きょうあるいたとおりのひとつひとつも、

全部ぜんぶ特別とくべつ体験たいけんみたいで。」

私はその言葉ことば微笑ほほえみをかえした。

「うん、わかるよ。

こういう場所ばしょには時々(ときどき)るけど、

きみ一緒いっしょべたりあるいたりすると、

すべてがちがってえるんだ。」


ラーメンをえたあと、

わたしたちはちかくの歌舞伎町かぶきちょうあるいてみることにした。

よるまち昼間ひるまとはまったくちがかおせていた。

無数むすうのネオンがまたたき、

人々(ひとびと)がなくい、

よる気配けはい一気いっきくなる。

新宿しんじゅく歌舞伎町かぶきちょうとおりは活気かっきち、

屋台やたい喧騒けんそうや、五色ごしきひかりまじって、

まるでまち全体ぜんたいがひとつのおおきななかうごいているようだった。

ねむらない都市としは、この瞬間しゅんかんいきかえしたかのように、

どこまでもあざやかで、きとしていた。

「このあかり、すごくあかるいね!」

緹雅ティアかおげ、

ネオンのひかり見上みあげながらちいさくわらった。

そのひとみいろとりどりのひかりうつし、

まるで夜空よぞら一部いちぶになったかのようにきらめいていた。

私はその表情ひょうじょうて、おもわず微笑ほほえんだ。

「そうだね。歌舞伎町かぶきちょうよるは、まるでわらないパーティーみたいだ。

どのかどがっても、どこかにわらごえ音楽おんがくがあって。」

わたしたちは人混ひとごみのなかをゆっくりとあるいた。

両側りょうがわにはみせやバーの看板かんばんかがやき、

ときおり観光客かんこうきゃく地元じもとひとがすれちがっていく。

まちにはわらごえはなごええずながれ、

そのざわめきが、不思議ふしぎなほど心地ここちよくみみのこった。


わたしたちは歌舞伎町かぶきちょうとおりを、ゆっくりとあるつづけた。

よるふかまるにつれて、周囲しゅういあかりはいっそうあざやかにかがやはじめる。

街頭がいとうまたたくネオン、

みせからながれる音楽おんがく

う人々(ひとびと)の足音あしおと――

そのすべてがかさなりって、

ひとつの壮麗そうれいよる絵巻えまきえがいていた。

夜風よかぜがそっとほほをなで、かすかなやりをはこんでくる。

けれど、無数むすうあかりにつつまれたこのまちなかでは、

そのすずしささえも、不思議ふしぎあたたかくかんじられた。

まるで、ひかりおとかぜそのものが、

このよるやさしくきしめているようだった。


緹雅ティアはそっとわたしふくすそをつまみ、

かすかなこえいかけた。

「ねえ……つぎも、一緒いっしょかけてもいい?」

私はあしめ、彼女かのじょひとみつめかえした。

「もちろん。また一緒いっしょこう。

ほかにも、きみあるいてみたい場所ばしょがたくさんあるから。」

彼女かのじょはふっとわらった。

けれどその笑顔えがおおくに、一瞬いっしゅんだけ名残惜なごりおしそうなかげした。

それでもすぐに、いつものあかるい笑顔えがおもどり、

今日きょう本当ほんとうたのしかった。

あなたと一緒いっしょあるいた時間じかんは、

まるであたらしいおもつくったみたい。」と、

おだやかにった。

私はそのかすかな表情ひょうじょう変化へんかづくことなく、

ただまっすぐに彼女かのじょつめてこたえた。

ぼくもだよ。

今日きょうというは、ぼくにとっても特別とくべつ一日いちにちだった。」

夜風よかぜ二人ふたりあいだしずかにとおけ、

まちあかりがその言葉ことばをやわらかくつつんでいった。



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