7話「鬼と蜘蛛」
「なっ……何が起こった!?」
命と相対していた5人。その内2人、最も前に出ていたその2人が左右の家の吹き飛ばされる。2人が元々立っていた場所には、両手を堅く握り、広げた命がいた。
底知れない、得体の知れない怪物を、黒い粘液の怪物を見る様な顔で、3人は命を見た。
「……さぁ、行きますよ?」
「やばいなぁ……」
「嘘で……しょ?」
「……っ!来るぞぉっ!」
ガァンッッッ!
間一髪。構えた鉄パイプで、なんとか十手の直撃は防いだ。けれど、その衝撃は殺せない。当然だ。蟻一匹に人の足は持ち上げられない。
「ぬぅぁぁぁぁぁ!!!」
路地裏の先へと吹き飛ぶ1人。鉄パイプを地面に叩きつけ、なんとかその身を止めた。
「あっぶねぇ……!バケモンがぁ……!」
「失礼なっ!これでもニンゲンですっ!!!」
命の前に残った2人。彼等は直ぐに行動した。自分達の前で呑気にも吹き飛ばされた1人と会話する気の緩まった。いや、元々気を引き締めてなどいないその怪物に全力の、渾身の一撃を振り下ろす。
「「はぁぁぁぁぁ!!!」」
命に迫る二本の鉄パイプ。
「んー。避けるのは無理……か……」
ガッ!ゴッ!
怪物の、命の頭を強く打つ二本の鉄パイプ。そこから鳴った音はとても重く、痛々しかった。
……にも関わらず、魅神 命の顔からは笑みが消えない。
頭に2撃、鉄パイプが振り下ろされたというのに、その額からは僅かながらに、されど顔に垂れる程の血が出ているというのに、笑みは消えていない。
「良い、です、ねっ!!!」
今尚、頭を強く押している二本の鉄パイプを握る。コン!コンコンコロン!と十手が転がる。2人が慌てて手を鉄パイプから離そうとした時にはもう遅かった。
高く上空へ飛ぶ体。鉄パイプを振り上げられて、その身を打ち上げられたのだ。
飛ぶ。
飛ぶ。
飛ぶ。
高く高く空へ体が向かって行く。
2人の体が高く上がる。
然し、体に体に掛かる重量が外れたわけではない。
「「うわぁぁぁぁぁ……!!!」」
高く空にいる2人は次第に運動エネルギーを手放していく。遂に空中で、一瞬止まったかと思えば……。
「「あっ……」」
ここからは位置エネルギーの出番である。2人はアスファルトの地面に引き戻される。アスファルトとの距離が近づく程に、更にアスファルトは2人を強く引き寄せる。
「……っ!」
落下と言う人には抗えないエネルギーに対して、残された1人は絶対に届くことはない手を伸ばすことしかできなかった。
「「…………」」
その状況への絶望からか、身に降りかかる落下の感覚への恐怖からか、2人は意識を失った。そしてそのまま落ち行く体。このまま落ちれば地面に鮮やかな紅い花が二輪咲くだろう。
まぁ……それを良しとする程、この怪物は、否、このニンゲンは、鬼ではない。
「よぉ………しょぉぉお!!!」
ダンッッッ!
……と一身に2つの体を受け止める命。辺りに張り巡らされた電気すら流れていない電線よりも更に、高く打ち上げられた成人男性を地面に踏ん張るだけで受け止めてみせる。
そしてその場に優しく寝かせてやるのだった。
「ど……どうして助けた……?」
「えっ?」
「どうして助けたと聞いてるんだ!」
「別に殺しがしたくて便利屋やってるわけじゃないですから。私は便利屋、人を助けるのが仕事です。まっ……それはそうとして──戦うのは好きだけどねっ!」
変わらぬ笑み。だが、その笑顔に恐怖は微塵も感じない。むしろ、少しの寂しさや心苦しいさすら感じる。そんな不思議な感覚に陥った最後の1人。目の前に居るのは確かに討つべき敵である。だが、自分の体を心がまるで動かそうとさせない。
最早、彼は鉄パイプを手から落としていた。
「こ……降参だ!降参!無理だ!俺じゃ勝てねぇ!それに……もう、戦う気も無くなっちまった!大人しく捕まる……それでいいか?」
「……良いですけど、特務隊が嫌いなんじゃないんですか?」
「アンタらは特務隊じゃないんだろ?それに特務隊だとしても、少なくともお前は……悪い奴じゃない……気がする」
「ふふん!ありがとうございます!」
「はぁ……。良い笑顔しやがって……!んん!んじゃ、アンタが飛ばした2人、回収してくるわ……。アンタはそこで待っててい……ぃ……!ぁ……?ぁぁ……!……ぁ……!ぁぁ!?あぁぁぁぁ!!!な……なんでここに!?俺達に任せたんじゃねぇのかよ!」
飛ばされた2人を片手で持つ人物。そう片手だ。服2枚を強引に片手で捕まえている。見ていて、服が締まって痛そうに思えるほどだ。
背丈は中学生女子程。
中性的な整った顔立ちで、なで肩でやや弱々しく見えるが、もう一方の手には得物──背丈程はある槌。目立った装飾は何もなく、シックな茶色である事から恐らく木製である。──を握っている。
そんな彼……いや、彼女?は路地裏の上、建物の屋根に立ち、こちらを覗いて話していた。次の瞬間、屋根から2人の敗者を適当に投げ捨てた。ゴミのポイ捨てだ。
「おわわわ……!」と焦りながらもなんとか1人を抱き捕まえた男。てんで、遠くの方へ投げ捨てられたもう1人の方を振り向くと命が優しく受け止めていた。
安堵も束の間。冷たい声が再び聞こえる。
「……駄目じゃないか。君達の仕事はできるだけ惨めに倒される事なんだからさ。期待ハズレも良い所だよ。何ちょっと友情持っちゃってんのさ、気持ち悪い。そんな半端な事されちゃあさ……こっちとしてもいい迷惑なんだよねぇ。使えない手駒はいらない。それとも……約束忘れちゃった?潰しちゃうよ?スラム街……!」
「あ……あぐ……わ…かった……やる……やりゃあ良いんだろ!」
「ほら、まだ遅くないよ?その地面に落ちた得物を拾うんだ。そう。そうだ。いい子だよ。そして次にやる事は分かるね?うん。そう。思っている事は当たっているよ。さぁ!やろう!大きく振りかぶって〜〜〜!頭にドォーーーっ!?……んぐぅ!」
「ちょっと!危ないじゃないかっ!人に向かって十手なんて投げないでよ!ほら!こんなに綺麗なブラウンチェックのスーツに汚れが着いたよ!ほら!これ!ここ!……はぁ〜あ!大人しくそのゴミの事ふっ飛ばせばいいのにさ!ほんっとイライラしちゃうなぁ……!ほんっと……さぁ!!!」
二人の会話に割って、十手を投げ、武器を失った命。そんな彼に武器を返してやるなんて同情はその中性的な槌使いには当然なく、屋根から飛び降り、その身を捻って、渾身の一撃を命目掛けて振り下ろす!
「【罪科の重】ッッッ!!!」
咄嗟に腕を構え、防御の構えを取る命。彼に槌が当たるその瞬間、彼女?の持つ槌は大きく形を変える。グニョーーン!と粘土の如く伸びたかと思えば、グンッ!と引き締まり、元の大きさと大体同じぐらいになった。……が、その素材は明らかに黒く輝く重厚感。重く光を反射する鋼鉄へと変わっていた。
ゴッ!!!
鈍い音が辺りに響く。
狭い路地裏が、幾度も耳に入るのさえ嫌気のするその音を反響させた。
次の瞬間──。
バァァァァァンッッッ!!!!!
まるでビル1つ丸々壊せてしまう爆弾が爆発した様な音が響く。そして、元々命が立っていた場所には塵1つさえ残っていなかった。ただ、地面には二本何かが摩擦を持って引かれた様な轍があった。
「な……ぁ……?」
自身の横を何が通過したのかすら分からず、困惑する男に「お疲れ様。君は良いリーダーだ。誇ると良い」と言葉を投げて、路地裏の先、命が吹き飛んでいって闇の中に歩を進めるのだった。
◆ ◇ ◆
「んんんん〜〜〜!デカいくせに速いなっ!!!」
迫りくるゴリラ型のアカシャの仔。少年の手を引き路地裏を駆ける紅鈴。その通ってきた道に無数に空いたクレーター。巨大な拳の形に空いたそのクレーターは一体どうやってアスファルトに作られたかと言うと──。
グチュゥ……!
「まぁた来るのかよっ!?」
ゴリラが走りながらに身を捻り、一瞬で片腕を膨張させる。一回り、二回りと大きくなったかと思えば、スライムが蠢く気持ち悪い音が路地裏に響く。
「ヴゥゥゥゥゥヴゥア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ッッッ!!!」
気持ち悪い音を掻き消すように、爆発するゴリラの雄叫び。それが合図だ。ゴリラが、捻った身を元に直しながらに拳を突き出す。ボクシングで言うストレートである。
「少年っ!!!伏せろぉぉぉぉぉ!!!!!」
ボォォォンッ!!!
少年と紅鈴の少し先。二人の頭上を通り、地面に当たる黒い拳。飛ばしたのだ。膨張させた拳を。酷い振動と轟音、思わず目を瞑る程の吹き飛んでくる塵に2人は顔を腕で守った。
地面には美しい拳のクレーターができている。
──こんな感じで幾つもクレーターが作られていたのだ。
「大丈夫かい……少年……」
「う、うん!なんともないよ!」
「しっ!逃げるぞぉ……!」
2人は後方から迫りくる足音には目も向けず、ただ路地裏の先へと走っていく。
そして、遂に2人は路地裏を抜け切った。
真っ直ぐに走り切った。
それでもゴリラは振り切れなかった。
「……少年!そこの店に隠れてて」
「えっ?お兄さんは!?」
「そりゃぁ……戦うしかないでしょ〜!」
「えっ……でもさっき!」
「強くはない!それは嘘じゃない!残念な事に!でもね、少年!強くないのは戦わない言い訳にならないからね!まっ……取り敢えず任せてよ。便利屋、絡繰良 紅鈴にねっ!」
背後のガラス張りのカフェの跡地に少年が入って行く。それとほとんど同じタイミングで、路地裏から巨大な手が現れた。
◆ ◇ ◆
「君……凄いね!でっかい割には、動き早いし、ロケットパンチみたいに拳も飛ばす頭の良さもある!それになんといってもその威力!アスファルトに何個装飾したのさ?……猫の足跡じゃないんだから」
ボォォォンッ!!!
「あはははっ!やる気満々だねぇ……!良いよ、相手をしてあげよう!」
大丈夫。やれる。後から命が追ってくるはずだ。それまでの耐久戦。あんな5人にやられる社長じゃない。掛かって精々15分ぐらいかな?それまでノックアウトされなきゃ良いんだ……うん!そうだ!勝たなくても良い!少年は隠した!問題無し!死なないように、頑張るだけで良い!
……うん。やる!やり切る!
僕の右手に熱が集まる。じんわりと熱さを増していく。熱く、熱く、熱く!エネルギーが、霊気が集まっている。この右手に強く、強く集まっている。
そして!
僕の魂を!
解き放つッッッ!!!
「【傀儡傀儡】ィ……!」
僕の右手から垂れる無数の糸。血のように紅く、一つ一つが自身の指の様に自在に動く。手をばっ!と開けば、その手を紅い糸が覆っていく。無数の糸が覆っていく。まるで手が糸に置き換わっていくかのように覆っていく。
僕が、小さく構えを取れば、右手は丸々紅く染まっていた。
「さ、来いよ!デカゴリッッッ!!!」
「グゥゥゥア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙!!!」
◆ ◇ ◆
「さ、来いよ!デカゴリッッッ!!!」
ヒュュュュュ……。
紅く糸に支配された右手を握り締めた紅鈴が構えを取る。そして、ゴリラに対して挑発的に手招きをする。
不動。
お互いに腰を落として、いつでも動けるように構えを取る。かたやケモノの雄々しい構え、かたやニンゲンの勇ましい構えと言う違いこそあれど、両者ともに隙や油断はない。ただ相手が動くのを待った。
ヒュュュュュ。
一人と一匹が構えを取って一分程が過ぎた。
ゴリラがジリジリと体を動かし始めた。
ヒュュュュュ!
更にもう一分程。ゴリラの息が荒くなり、不定形の体に緊張があるのが分かる。対する紅鈴は未だ不動である。
ヒュュュュュッ!
その30秒後。遂にケモノは痺れを切らした。ゴリラは大きく拳を振りかぶり──。
ビュゥゥゥッッッ!!!
紅鈴はそこで初めてその音に気が付いた。ただのビルの隙間風じゃない。そこそこの質量を持ったものが、空を切り裂き、迫る音。確実に大きくなって行くその音。それに、この時、気が付いた。
思わずゴリラから目を離す。
自分たちが今出てきた路地裏。
空を切り裂く音の場所を見た。
「な……なんだ?」
目に入ったのは白い1つの線。白くはためく曲線。それが、命の白いポニーテールであると気づけたのは、流石唯一の便利屋社員だと言う他無かった。
それはそうとして、突如として現れ、急激に迫る物体を止められるかは、また、別の話だが……。
バシーーーーーンッッッ!!!!!
紅鈴の目前にいたゴリラは……。
──吹き飛んできた命によって潰された。