35話「破壊とは、ナイフや言葉と良く似ている」
「この箱の中には、私の中にある……いや、少し違いますか……。私の中にあった、アカシャの力を封じ込めた白札……玄札を入れています。そして、私は、この2日間、日中は2人が霊気を扱う感覚に慣れるのと同じく、私はこの玄札を使って私自身の力の感覚に慣らしてました。そして、帰ってきて、お風呂に入り、皆とご飯を食べて、そして……そして……この玄札自信と修行とは名ばかりの殴り合いをしてました、……そこで、よぉ〜〜〜く見ていてください……これが……こいつが……こいつこそが……2日間、私と殴り合っていた……!」
再び2人に背を向けて、何も無い、誰も居ない、閑古鳥が鳴くどころか、そもそも閑古鳥すら来ないこの場所の……ただ、ひらけているだけの、そのいつもの場所、真っ暗闇のその奥を睨みつける。
白髪のポニーテールが風によって揺らされて、2人の視界から消えては現れる腰の黒い箱に霊気を流れ込む。それに呼応して、月の隠れた室内と言うこの場が、静かに明るくなっていく。……命の腰の箱が、黒く、鈍く光ることで。
(ここ数日で嫌になるほど自分の無力を知った。サメのアカシャの仔と相対した時には、一角が覚悟の一撃を叩き込んでくれなかったら一生倒せなかった。図書館地下に急に現れたあの異様なアカシャの仔、墨があの言葉を掛けてくれなかったら、私は間違いなく死んでいた。そして、何よりアカシャと対面したあの日、少年を守れなかった……天子さんを守れなかった……紅鈴を守れなかった……私は……無力だった。だからさ、こうして……向き合う必要があるんだ。まだ、私は成長できる。まだ、僕は強く成れる。まだ僕は……!自分の事を受け入れられるっ!そうだろ?なぁ……!)
「鬼ッッッ!!!!!」
闇の中にあるドロドロとした、その空間と同色の黒い人間。額は強く伸びた一本の鋭い剛角。肩や肘、背中には無数の荒々しい突起。闇と溶けた黒い体は、不定形で、気味悪く蠢き、脈打ち、形を崩しながらに形を成り立たせている……が、そんな醜く見にくい体でも分かるほどの豪勇な筋肉と呼ぶに相応しいナニカを持っていた。
おどろおどろしい黒いヘドロ的なナニカが作り上げた屈強な肉体。闘志と戦意と殺気を伸ばす角。ケタケタと不愉快にも溶けた口で笑う……まさに、鬼。
見てるだけでも分かる。目を合わせて無くても分かってしまう。圧倒的な存在感に、一角は迷うこと無く背中から鉄パイプを引き抜いて腰を落とす。狒々丸は自分の持つ限りある白札を手に握る。2人共、柱の裏に隠れているにも関わらず……である。
「話にゃ聞いていたけどよ……アレが……命ん中のバケモンか……。今までいろんな相手と戦ってきたけどよ……こんなに体が危険信号を叫んでるのは、初めてだ……」
「霊気量で言えば間違いなく、命様が注ぎ込んだ分しか持っていません。ですから当然、霊気量も魂としての力もかなり大きい命様の方が基本的には強い……はずですのに……まるで……勝てるようには……思えない」
「あいつ……あんなのと2日連続でやりあったのか……?冗談じゃねぇ……俺でも分かる。明確に分かる。死ぬぞ……1つ対処を間違えれば、行動を1つでも誤れば、死ぬ。ミスは許されない。アレは……そういう奴だ……」
「我々の事を見向きもするようがない……ですが、常に心臓を握りしめられている感覚が……消えない……」
「アレが……あのバケモンが……命自身……だったものなのか……」
「私が2人に、隠してた理由がコレです。この……あまりにも狂気的な自分の事を2人に知って欲しくなかったっ!だから……はぐらかしていたんです。それでも、2人が知ろうとした、私の手を取ろうとした……なら、私が手を引っ込める事なんてしたくない!そこで見てて下さい、これが……私の……自分との向き合い方ですッ!」
首をグルグル……と回していた鬼は、「ようやくかぁ!」とでも言うように、頭が上下逆様になるほど捻り声を上げる。
「殺す殺す殺す殺す!壊す!殺す!壊す!壊す壊す壊す!殺す!ぶっ殺すッッッ!!!!!」
十手を持った純白無垢の青年と同じ声で、ただただ本能のままに感情を乗せた雄叫びが、黒い空間の中で反響する。そこに存在する闇そのものの両腕が突如として膨張し、形を作り上げる。命の良く知る形……魔の手の腕である。
鬼はその腕を堂々と高く振り上げる。両方共を、高く。
一方で、命は落ち着いていた。動……というよりも暴の鬼の行動に対し、命は静そのものである。
十手を強く握りしめ、仁王立ちしているだけの命。まっすぐに──敵として、倒すべき相手として、受け止めるべき存在として、受け入れがたい本質として──鬼を見据えるだけ。鬼から溢れ出るエネルギーが、生み出す傍若無人な暴風に、服とポニーテールを揺らし、ただ、そこに、立っている。
「一日目、私は完全に勝利した。当たり前だ。私の持つ霊気を極端に少なく渡したからだ。鬼、君は私に何を伝えるでもなく溶けて消えた。そこから一晩中、どのくらいの霊気で君を作れば、今の私でも君と対等に向き合えるのかを調べた。君が声を上げることは無かった……」
「二日目、君に私の持つ霊気の1割程を渡した。強かった。死ぬかと思った。命からがら何とか勝った。けれども君は雄叫びをあげるだけで、意味のある言葉を話すことは無かった……」
「そして今、私は君に、3割の霊気を渡した。まともな状態で話をさせて上げられなくてごめん……。だけど分かるよ。理解できたよ……間違いない。サメのアカシャの仔を倒した時に感じた高揚感は、決して……ポジティブなものじゃなかった。そうでしょう?強敵と戦えた事へ楽しいと感じた。壊した事に、殺した事に、快感があったんだ──」
バンッッッッッ!
巨大な腕が地面に叩きつけられる。
その衝撃で鬼は瞬く間に、命の前へと移動した。そのドロドロした体を人では考えられない構造で、捻り、巨大な鬼の腕で、白の青年を狙い定めて。
「──だから分かった。私の魔の手が、その破壊力を増すだけの巨大な腕なんて事はあり得ないんだ。その力は、あまりにも──」
「殺す!殺す!殺す殺す殺す殺す殺す……ご!ろ゛ォォォォォォォズゥ゙ッッッッ!!!!!」
「──優しすぎる」
ドォォォォォンッ!!!
激しく揺れる立体駐車場。
鬼が放った全力の一撃で、死ぬ人間は居なかった。だが、避けてはいない。
鬼の腕が叩き付けられたその場所に、立っている命。十手の先端で腕を受け止めて、ただその場に立っていた。
「ありがとう。君の力は……私のどうしようもない本質は、誰かを護る力に成れる。君が、ボク自身が教えてくれたことだよ……破壊する一撃……お休みなさい。また明日っ!」
パァンっ!
風船が針で貫かれて割れるように、その巨大な腕の欠片一つさえ残さず破裂する。まるで初めから鬼なんてそこにはいなかったかのように。
命に変化は無かった。ただ一つ、右腕が肩から黒く染められて、十手すらも黒くその身を侵されている事以外は……。
「帰りましょうか……一角さん!狒々丸さん!」
振り返った無垢の青年は、美しい白の髪も、その身に纏う服も……一切汚れていなかった。