30話「玄い拳」
「ァ……ガァ!?」
そうだ……こっちだと心臓刺されてるだった。
「……イタイダ、ロ?オレモ……イタカッタ……ダカラ、マダ、シナナイ、モット……オマエ、キルッ!!!」
「……貴方には感謝をしないといけないですね。ガハッ……!はぁ……はぁ……きっと貴方が私を今際の際にしてくれたから、大切な人と会えました」
「ナニヲ……イッテル……?」
「貴方を倒すと言っているッ……!魔の手ッ!──」
あぁ……なんでこんなに簡単な事を思い出せなかったんだ……。いや、私がうじうじとしていたからか……。お待たせ、鬼。力を貸してッ!!!
「──【玄骨】ッッッッ!!!!!」
吹き飛ぶ紙魚のアカシャの仔。胸に刺さっていた触手すらも吹き飛んで、そこにぽっかりと穴が残った。
「オマエ……ナンデ、ナマエッ!」
「自分の魂についた名前を忘れたままでいれませんからッ!」
どこからともなく現れた黒い粘液が、右手にベタリと絡みつく。凄い不快感……だったんだろうな、いつもなら。
当然、鬼の事を許す事は出来ない。鬼はいったいどれくらいの人を殺したと思ってるんだ。その事実はこれからと絶対に消える事は無いし、絶対に忘れるつもりも無い。
でも、私は受け入れるよッ!
私の中にある戦う事への血湧き肉躍る感覚を。
どうしようもない戦闘渇望を。
私自身を。
来いッ!どんな痛みでも……!
受け止めてみせるッッッ!
胸に空いた穴に右手の黒い粘液が入り込んで元の白い肌に治していく。それと同時に変化した鬼の右手が熱によって伝えてくる。
目の前の敵を倒せ……と。
「全力で行くッ!」
「ナ……アァ……!」
まるで1つの大きな盾を作るように6本の触手と2本の腕を前に、完全なる防御の構えを取る紙魚のアカシャの仔。
怯えている。
もう目の前の黒い塊にはその手を、その触手を黒い刃に変える事すらの戦意もなかった。
「破壊的な一撃ッ!」
バァンッ!
弾け飛ぶ黒色。
花火のように、水面に落ちた雫のように弾けて、もうそこには、折れた黒の刃先と言観さんの玄札しか無かった。
「ふぅ……終わったぁ……」
溶けて、液体になって、地面に落ちてただの霊気として消失する鬼の右手。今、ゆっくりと軽くなり続けているそれを見て、ありがとう……と伝える。初めてだった。自分にお礼を言うなんて。
でも、なんだか体が、心がポカポカとした……気がした。
軽い右手で札を取る。
「墨さん。取り返したよ……」
ボクはただ、その黒い札を見つめた。
◆ ◇ ◆
結局、魅神 命は最大の目的であった玄札を手に入れた。
紙魚のアカシャの仔を倒し、手に入れた言観 霊架の玄札を守都 四方画に渡し、その対価として2つの情報を得たのだった。
1つは、アカシャの居場所。崩壊街にある遊園地の跡地。今では施設の1つも動く事のない夢だけが残された廃墟の遊園地。そこを根城にしている事。どうせ止めても無駄だと判断した守都 四方画は、せめて死なないようにと、アカシャと戦う事になるのなら間違いなく運び屋とも打つかる事になると告げた。
もう1つは、運び屋が先日、引金薬を手に入れた事。それが意味するのは、間違いなくアカシャと戦う事自体もまた簡単な訳では無いということだった。
「……あまりにも敵は強大。だけど、もし倒せたら……スラム街の行方不明事件も紅鈴と天子の奪還もなんとかなる。焦らず進めよう。出来だけ速く、出来るだけ2人を強く、そして……私も……!」
命は足早にスラム街に戻るのだった。
一方で、守都 四方画は未だボロボロに壊れた地下の部屋で1人静かにそこにいるのだった。
「アカシャ……いるか……?」
「あぁ……!勿論いるよ!いつ呼ばれるのかなぁ〜って静かにしていたよ〜。それで〜……随分な大嘘をつくんだね、君って、嫌われる理由がよくわかるよ。そんなんだからボクに運び屋とか言う扱いやすい駒をゲットさせるんだよ。……っていうか、あんな面白くない場所にボクが住むわけないじゃん。ステージ性のゲームの6面ボスじゃないんだからさ。まぁ、良いけど……」
ニタリ顔で重力に逆らいながら、四方画の顔を覗き込むアカシャ。四方画は変わらず無表情だった。
「紅鈴と霊架の安否は?さっきのアカシャの仔は?」
「相変わらず君って人の話聞いてくれないのね。聖徳太子を見習ってほしいね。んんっ!……紅鈴と霊架ね。心配しなくてもここにいるさ……2人共」
グチャリ……ベチャリ……と音を鳴らし、自身の身体から2人の体を生やしてみせるアカシャ。腹から生える紅鈴の首上、背中から生える霊架の左半身。
常人なら嘔吐してもおかしくない光景。流石の四方画も「……ッ!」と音にならない声を漏らして、眉間に皺を作った。
ベタンッ!
コンクリートに落ちた黒い粘液でベトベトの紫髪の少女。その、小さく美しい命を指さして、アカシャは再び口を開き始めた。
「この子、面白いね。強くなるよ。ちゃんと育ててあげるんだね。あ、紅鈴は返さないよ?これは……ステージクリアの報酬だから。生きてはいるよ。安心するといいよ」
四方画が急いで霊架に駆け寄る。ふわりふわりと浮くアカシャはゆっくりとその場を退いた。
「あぁ……いい忘れてたけど、その子、結構衰弱してるからさ。速く栄養取らせて、霊気もしっかりと安定させたほうが良いよ?」
「……」
「で、なんだっけ?あー……。さっきの仔だっけ?最近色々と試しているだけどね。なんか再現性のない仔が作れてね。あれはその仔に無理矢理その札を取り込ませただけだよ。知能も何もかも下の下も良いところだね。本当はさ、もっと強く墨に似るかなぁって思ったんだけど、形だけだった。ザンネンだよ……見当違いだったなぁ……」
「良かったのか?」
「……ん〜?あ〜、群道 浪歩?勿論、殺し合って貰うよ。やり方なんて万とあるしね。そんな事よりも、ボクとしては、命に殺意があるのが分かって嬉しかったよ……。楽しみだよぉ〜〜〜ッッッ!!!……それじゃあ、またね。ボクは約束を守りにきただけだからさ。正直、こういう埃っぽい場所嫌いだからさ、サッサと帰ることにするよ」
ベチャリ……と。
姿を消したアカシャの仔。
暗い地下室に静けさが戻る。
そして、四方画は気付いた。
台座にあるはずの紅い箱が消えた事に。