24話「兎、兎、何見て跳ねる?」
「お二人共!起きてください!朝で御座いますッ!」
シャァーーー!
やけに耳に響くカーテンレールの音。
うざったらしい日光が、スラム街に似合わない眩しさで目を焼く。
「ご飯は私が作っておきましたっ!ほらほらっ!早くお食べくださいませっ!」
……朝から元気だな、この人。
溌剌とした声の主、狒々丸さんは、淡々とけれども生き生きと朝食の準備をしてくれた。
部屋の中央には今作られたばっかりなのであろう。
湯気の立った白米、味噌汁、生姜焼きが並ぶ……美味しそうな匂いに思わず、激しい空腹感が襲ってくる。
「ンァ……!あー……!」
対して、28には見えないオッサンことスラム街自衛団のリーダー、一角さんは子供のように布団といちゃついている。
……酷い絵面だ。
「おはよう!狒々丸さん!わざわざ朝ご飯ありがとうございます!……狒々丸さんはもう食べたんですか?」
「えぇ……!お二人が朝ご飯を食べている内に、昨日お聞きした事をまとめたのでそちらをお話できればと……」
「ァ〜……」
「えっ!ありがとうございます!そんな面倒な事を……」
「くぁ……」
「いえ、私……こういった事は得意でして!」
「ふぅ……ぁ……!」
「うるさいっ!!!」
ボゴンッ!
……つい、枕を投げつけてしまった。
ドシンッ!
「……ァァァ!ァァ!」
その強い衝撃で、ベッドから落ちた一角さんから余りにも情けない呻き声が上がった。
……リーダー、なんだよね?
「それでは!我々、守り隊の朝のミーティングを始めます!ご飯を食べながらでいいので、聞いていてください!」
「はいっ♪」
「ふぉふぁ……!」
「まずはアカシャのこれまでの行動が見えてきましたね。一月前から異常に湧き始めたアカシャの仔、一月前から突如として幾重不明者が出始めたスラム街。余り……偶然とは思えませんね。アカシャの仔がどの様にして生まれているかはわかりませんが……何かしらあると見ていいでしょう」
「そして、我々の出来ることです。戦闘面で見れば、三人とも霊気こそ扱えますが、私と一角様では今のままではできたとしても……普通のアカシャの仔を倒せるぐらいでしょう。私の魔の手……【猿(見×言×聞)】はお伝えした通り、視覚、発声能力、聴覚を奪う事が出来る力。命様の魔の手……【玄骨】は機動力を犠牲に身体能力、主に攻撃力を上げる力。……ですね」
「武器は私が霊気銃と体術、一角様が鉄パイプ、命様が十手と体術……ですね。これらを踏まえて、命様には修行の先生をお願いします」
「さて……今後の目標ですが、最終目的は絡繰良 紅鈴、咎 天子の奪還です。その為に、我々が今すべき事は運び屋・WILD ROADからアカシャの情報を得る事……その為に、今日は彼等と接触致しましょう!」
「終わった〜?」
既に卓上の皿から食べ物を綺麗サッパリと消し去った鬼頭 一角が、気怠げに話す。
「あんまり乗り気じゃない……?一角さん……?」
「いや……まぁ、やる事はちゃんとやるよ。スラム街を守る為にな。今はそうじゃなくて、疑問があってさ……人を攫う必要があって、スラム街から人を攫うってのはまだ分かるんだが、なんでそんな事しながら、格安で売買しに来てくれるのかなぁ……ってな」
「確かに仰る通りですね……」
「まっ……!取り敢えず会ってみましょ♪」
◆ ◇ ◆
「おぉ〜!全然……想像してよりは綺麗……!便利屋の仕事で、ときたまスラム街には来た事はあったんですけど……こんな商店街あったんですね」
「そもそもここにゃスラム街の関係者しか入れねぇからな。知らなくて当然だ。ほら、あっちの建物の2階にこっち見てる奴等が居るだろ?アイツ等が守衛をしてる。変な奴が来たらアイツ等が追い返す。……だからまぁ、スラム街の住民からしたら安全なんだよ。質も外で売ってるのよりうんと良くて安いしなっ!」
守り隊を見続ける守衛に手を振りながらに一角は語る。流石、スラム街自衛団のリーダーである。ここ、スラム街の商店街に来るまでに様々な人物から挨拶をされては果物を貰ったり、また店に来いよっ!と和気藹々と話している。
何より凄いのは、あれだけ様々な人と入れ替わり立ち替わりで話す事になったら普通……疲れをみせるものだろうが、決してスラム街の者達にその顔は見せなかった。
それがまた、スラム街の人々に愛される理由の一つなのだろうと狒々丸と命は彼の社交術に驚いたのだった。
一方で、命は狒々丸にも驚いていた。昨日、医療所でベッドに座る狒々丸を見た時から感じていたのだが……デカいのだ。今こうして横に並んで歩くとより強く命は感じている……狒々丸の身長の高さを。強い存在感と圧迫感があり、周囲の目も惹くため、一人心の中で、「大変だなぁ……狒々丸さん」と思っていた。
それもそうである。実に192センチの身長。命と比べ、頭一つ分高いのだ。感じるものがあって当然だった。
そんな感じで、やや賑やかに三人は歩いてきていたのだった。
「さてと、おいっ!2人共!こっち来なっ!そろそろ来るぜ!お目当ての奴等がな……」
いつの間にか露店街の隅に移動していた一角が2人を手招きする。トコトコと素直に従って2人が移動したその時だった。
ゴォーーーンッ!
商店街の時計屋の上についた鐘が鳴る。
深く心地の良い音が商店街を走る。
そしてそれが現れた。
ベチャ!ベチャ!ベチャ!ベチャ!……と馬が走るリズムで近付いてくる粘着質な音が、次第にガダンガダガダンッ!と鳴る重い音と混ざり合った。
ベチャンッ!
黒い粘液質のソレが商店街の入口から姿を見せた。
「あ……アカシャの仔ッ!?」
慌てて腰から十手を引き抜いた命。駆け出そうとした命を一角の筋肉質な腕が静止した。
「え……?」と命が一角を見たその横を、駆け抜ける黒い狼。凄まじい速さである。強い風が命の美しい白のポニーテールを揺らし、狒々丸の整ったオールバックを乱した。
ブォンッ!
一層強く風が吹けば、商店街の最奥、広い円形の広場の中央にそれは止まった。高さは無いが、大きさはそこらにある商店かそれ以上に広い四角形。金属で構成されていて、一目見ただけで丈夫だと言うことが分かる。だが、その四角形の側面には様々なペイントが施されている。兎、狼、蛇、梟……他にも色々な動物だ。その中央には、蛍光色で書かれた目立つ文字……運び屋・WILD ROADとそこに書かれていた
そんな派手な四角形が馬車に取り付けられて、2両編成でそこに現れた。
ごわんっ!!!!!
突如として四角形に取り付けられているスピーカーから放たれた爆音が商店街を攻撃した。
「わっは!ごめん!ミスっちった!んん……は〜い!スラム街の皆〜!元気してた〜?運び屋・WILD ROADが来たぜ〜〜〜ぃ!おいで〜〜〜!ふへん!」
桃色髪の美少女が、大胆にもその四角形の上に飛び乗り、マイクで商店街の人々に話し掛ける。すると……「うぉぉぉぉ……!!!!!」と一直線に皆がそこに走り出す。
「……は?」
命はそのただただ放心していた。
そして三人は、近くの建物の屋上に来ていた。
先程までの、人の声でわいわいとしていた商店街の光景とは打って変わってまるで祭り会場だ。桃色髪の少女のお喋りと妙に気の抜ける変な音楽がこの空間を支配している。
スラム街の人々は列を守って順々に買い物をしている。他の商店街の店の店主もほとんどが店を放って買い物をしている。
「あれが運び屋・WILD ROADだ!」
「いや……なんていうか……凄い……ね?」
「ハハハッ!愉快な奴等だろ?スラム街の皆の元気の源って言っても過言じゃねぇよ」
「えぇ……本当に夢を見ているのではと疑う様な光景です。見ているだけで、楽しくなりますねぇ……」
「だろ〜……聞きたい事があれば答えるぜ?」
「人数は……4人ですか?」
「……いや……まぁ……最近はそうだな」
「最近というと……?」
「前はもっと居た。ここに来てたのは6人かな……?総勢26人だって聞いた事があるなぁ……。不幸があって4人になっちまったんだとよ」
「あっ……鉄パイプも売ってますね!一角さん達の使ってるのものと同じ……ですね?」
「おぉ〜良く分かったな。そうだよ。俺達、自衛団の使ってる鉄パイプは運び屋から買ったもんだ。食べ物にしても、服にしても、その他にしても扱ってる物は随分と質が良いんだ。仕入れルートは秘密らしい」
「……で、さっきのアカシャの仔はいったいなんですか?」
そう、魅神 命が最も気になる所はそこだった。凄まじい速さで自身の横を駆け抜けたアカシャの仔。四足歩行していたが、その見た目は紛れも無く──数日前に、言観 霊架を助けた時に見た──狼型のアカシャの仔であった。
今は溶けて消えたが、それすらも不思議と感じていた。そこそこ便利屋をやってきて、一月前から異常に発生してはいるが、それ以前からアカシャの仔討伐は良くしていた。
だが、鮫のアカシャの仔の様に形を自在に変化させるものは居ても、完全に溶けて居なくなるアカシャの仔など見たことがなかった。ましてや、馬車を引いて人に協力するアカシャの仔など……。
「ふふん!ヤバヤバでしょ〜?あっ……そのジュースちょ〜だい♪」
「……あぁ……はい。……。……。……ん?」
自然に会話をした命が違和感に気付く。
自分の右側に狒々丸と一角が居るというのに、聞こえた声は自分の左側。
見れば、馬車の上にはマイクが置かれているだけで、桃色髮の少女は居ない。耳を澄まさずとも聞こえて来ていた跳ねた声が聞こえない。
代わりに、命の視界の端には桃色髮が見える。
「へいっ!おにいさん〜なかなか戦えそ〜だねぇ〜!ど〜う〜?私と戦ってかな〜い?優しくするからさっ!ふふん♪」
桃色髮の少女・美玉 珠々がそこで笑っていた。……悪戯に笑っていた。