13話「魅神 命のプロローグ」
今でも鮮明に覚えている。
私の体に、腕に、手にベッタリと染み付いた紅色を。町が鉄の臭いに包まれて、全てが全て崩壊してしまった光景を。私を育てた彼と私を狂わせた奴との1年間を。長く、短く、辛く、幸せな思い出を。
鮮明に覚えている。
「それでは……アカシャ様に捧ぐ、儀式を行う。神子よ。祭壇へと上がりなさい」
僕は今から死ぬ。
アカシャ様と言う、よく分からない神様の為に死ぬ。悲しくはない。だって僕は、神に選ばれた神子だから。
「はい」
一歩、踏み出す。
僕の目の前にある階段へ足を踏み入れる。
足に石材の冷たさが伝わる。
怖くは無い。それが当たり前だから。
周囲の大人達は皆同様に、修道服に身を包んでいる。大人だけじゃない。子供もいる。見知った顔の子もいる。同じ部屋で、同じ先生に、同じ教えを教わったあの子達ともお別れ。苦しくは無い。だって……それが僕に出来るせめてもの償いだから。
天井の無いこの教会。
不意に吹いた通り風が、僕の長い髪を暴れさせる。
そして、元の通りに地面に垂れる。
この白い髪は嫌いだ。
みんなと違うから。
だから仲間外れにされた。呪われた子だって言われた。母さんは呪われた子を産んだ化物だって焼かれた。父さんは呪われた血を持つ悪魔だって磔にされた。僕のせいでみんな死んだ。毎日牢屋まで来て、話しかけてくれたいつも笑顔だった女の子も。毎日牢屋まで来て、僕に大人達から貰った水の他に、自分の分のお肉を分けてくれた男の子も。
みんな死んだ。
みんな僕を忌み嫌った。
みんな僕の事を憎んだ。
僕の命は価値がない。
僕は生まれてはいけなかった。
だから今日死ぬのは、こうやって、神様の為に死ぬのは、とても幸福なんだ。きっと……そうなんだ。
……祭壇についた。
両手両足を身に着けて、額を地面に押し付ける。
「アカシャ様に、僕の全てを、捧げます」
祭壇にある短刀を手に取る。
鞘から抜く。
そして、後は自分の胸に……。
ドォーーーーーンッッッ!
「失礼するぜ〜〜〜!お〜お〜!こりゃ〜また随分と酷い事してんなぁ?村長さんよぉ〜……」
「……反吐が出る」
教会の入口に二人。
その内の1人に目が止まる。
白髪。僕と同じ白髪だ。
「きれ……い……」と、思わず口から言葉が出た。
片手に十手。
荒々しい笑顔だけど、とても綺麗で、なんというか……強い人と感じた。いろんな意味で。
「何者だぁっ!貴様ら!今は神聖な儀式を始めるところだ!邪魔するなっ!……何をしている!神子よ!さっさとその命を自らの手で絶たぬかっ!!!」
……っ!
そうだ死ななきゃ。
慌てて、手に力を込め直して、刃を胸の前に構える。そして……刺した。
手を。
人の手を。
綺麗な白髪の人の手を。
「止めとけ止めとけ。あんな馬鹿の言いなりになって……わざわざ死ぬ必要ねぇよ。ほら、手ぇ離しな?」
「あっ……」
大きな手から血が垂れる。
僕は。人を刺し……た……?
「あぁ……わ……ぁ……ごめ……ん……な……ぁぃ……」
そこで意識を失った。
目覚めた時は、あの綺麗な人の腕の中だった。
頭に手を置かれ、腹に腕を回されて、両足の間にいる。座り心地の良いソファ、背もたれはやけに硬い筋肉で、苦しい。けど、心地良い。思わず、天井を見上げるように、頭をコテン……と後ろに振り下ろしてしまう。
ガツンッ!
「うぐぅ……!あ〜〜〜!クリーンヒットぉ……!いっ……てぇ……!あ〜〜〜。あっ?あ……起きたのか……。おはよう。少年♪」
「……ぇ……えっと」
「俺は──」
くしゃりと顔を笑わせて、真っ直ぐ僕を見つめて、彼は名乗った。その名前を、誇らしく。大胆に。
「──魅神 手綱!便利屋だっ!」
「……食え。美味だ」
テーブルの上に、温かな食事が並べられる。
知らない場所。知らない人達。
分からないことだらけに頭が回らず、体が動かない。ぼー……っと卓上を眺めていると、横に座った手綱と言う男が口を開いた。
「ははっ!無口で不気味な奴の飯は食えねぇとよ!傑作だな……!はははははっ!」
「あ……いや、そういうわけじゃ……」
ずずず〜。スープを飲んで、「うっま♪」と口から漏らした男は、「ほら、うめぇぞ」と自分の飲んだスープを差し出した。
「あ……えっ……え?」
「ん?毒はなかったぞ?」
「……そんなもん作らねぇよ」
「あ……えぇと……飲んで……良いんですか?」
彼はにやりと笑う。
顎で「ほれ!」と仕草を取る。
飲んで良いみたいだ。
……。
「頂き……ます」
温かな皿を手にとって、恐る恐る口に当てる。
ゴクッ。
「……お」
「「お?」」
「美味しいッッッ!僕っ!こんなに美味しいの食べたこと無いです!凄いっ!……凄い美味しいです!」
「……そ……それは良かったな」
「……さて、改めて自己紹介だ。私は墨。そっちの馬鹿、魅神 手綱と一緒に世界を救う為に日々戦っている。便利屋として、な。そして、お前についてだが……。あぁ……。その……。急な話になるんが……お前は今日から私達と寝食を共にする事になった。よろしくな」
墨という男は、うねった自身の黒髪を気まずそうに手でいじりながら、僕に端的に答えだけを教えてくれた。
「分かりました」
どうでも良かった。
どうせ僕は、また嫌われて、苦しい道を歩んでいくのだろうと思っていたから。
でも。
それでも。
ほんの少しだけ、嬉しかった。
「……そうだよなぁ。急なことで嫌だよなぁ。ほんっとうに……すま……ん?は?あーーー。今、分かったって……言ったか?」
「はい、私は何をすればいいですか?」
「あーーー……ん?何がだ?」
「あっ……すいません。できる事をお伝えしますね。力仕事、計算、掃除、料理……あっ、必要ならば……身代わりも……」
「まーーーて、まてまてまてっ!お前……それ、やれっていったら何でもやるつもりかよ?」
「……?はい。何でもやります」
2人は、頭を抱えた。
当然だ。今の私が、当時の私を見てもそう思うだろう。余りにも、酷い。私の……いや、僕の口から放たれた言葉はまさ、まるで、奴隷の台詞だ。あの村でどんな生活をしていたのか、想像するのは簡単だっただろう。
「わかった……じゃあ……一つやってほしいことを言うぜ?良いなぁ?」
「はい!」
「おいっ!手綱っ!」
スっ!と手を出し、墨の言葉を止める。
そして僕の目を真っ直ぐ見つめてこう言った。
「全力で楽しんで生きていけ。……いいな?」
「楽しむ……?」
「あぁ……。俺たちはお前をあの村の奴らのようにゃ扱わねぇ。良いか?俺たちは対等だ。俺たちは友達だ。分かったか?」
「……ぁ」
「分かったかっ?」
「あっ……はい」
「そんじゃぁ……お前の名前も教えてくれ!」
「……無い」
「ない?どういう字を書くんだ?」
「そうじゃなくて……名前が無くて……」
「「……」」
「……」
「よし、ならお前は……今日から命だ。その命を尊び生きていけ……!……な!」
「おい……そんな簡単に……」
「命……」
「お前も、なんか言ってやれ。この馬鹿に」
「うん!僕!命っ!よろしくお願いします!」
「……はぁっ!?」
「にひぃ……。よ〜し、んじゃ早速だ!俺のお気に入りの絵本読んでやるよぉ〜!」
「……はぁ。馬鹿が一人増えた……。おい、待て、読ませる本は私が決める。どうせ碌な本選ばないだろう?お前は」
これがあの人達との出会い。
僕の中にある記憶で、最も人生が変わった日。
思い出すだけで、心が温かくなる景色。
幸せな思い出だ。
そして、それと共に滲み出す。
最悪で、最低な、あの日。
心の底に沈めておきたい悪夢。
その一端が、記憶の中からこちらを見つめてくる。
「ほう……。君は……中々素晴らしい魂を持っているようだ。……それだけに、惜しい。ここで殺すには、とても惜しい。そうだ!ボクの力を分けてあげよう!強くなって、いつか必ず……ボクを殺しに来てくれよ。いつかきっと、立派な──」
そう言って黒い塊は動けなくなった僕を掴む。
「やめろォォォォォ!」と響く2人の声が、黒い塊に吸い込まれる。僕の中にナニカが入り込んでくる。ドス黒く……恐ろしいナニカだ。
ナニカは僕に溶けていく。じんわりじわりと溶け込んで、僕の中に黒い塊を捩じ込んでくる。苦しい。息ができない。辛い。助けて。体が動かない。怖い。嫌だ。
僕は助けを求めた。
しかし何も起こらない。
僕は必死に抗った。
しかし何も起こらない。
僕は……。
深く深く意識は底に落ちていく。
遠く遠く自分を何処かへ流していく。
それと共に、引っ張り出されるナニカ。
僕はそれを知っている。
僕はそれを知っている。
僕はそれを。
知っている。
僕の中から黒い意識が溢れ出す。
駄目だ。そんな事を考えては駄目だ。否定したい感情が、心の奥底に沈んでいたナニカが、僕の意識と共に引き上げられる。記憶と共に引き上げられる。
駄目。駄目だ。
思い出しちゃ駄目だ。
「貴様ら……!よくも!よくもあんな仔を産んだなっ!生まれ持っての白髪っ!悪魔だ……!奴はきっと悪魔の仔だっ!そうに違いない!そのはずだ!貴様らいったい……どう責任を取るつもりだ!」
なにがダメだ……?
「い……いやぁぁぁっ!!!先生っ!せんせぇ……っ!|あの子の頭から角がっ!角がぁぁぁ!!!何……あれ?お……鬼……?鬼っ!!!!!こっちにくるなぁ!!!!!化物ぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
ボくのナにがダメなンだ……?
「……お前。良くのうのうと生きてられるな?なぁ?なぁっ?なぁぁぁぁ!?お前のせいで……!お前のせいでっ!!!お前のせいでぇぇぇ!!!俺の娘が殺されたんだぞ!?おい。なぁ!なぁ……!!!返せよ!返してくれよ!!!!!俺の……俺の娘を返せよぉぉぉ!!!!!あいつは優しいんだ!だからお前の事を放っておけなかった!それで……それで……なんで俺の娘が死なないといけない!!!なぁ!なんでお前は牢屋の中で生きてんだよ!!!!!速く死ねよ!苦しんで死ねよ……!クソ!クソクソクソ!クソぉぉぉぉぉ!!!!!……この……人でなしの鬼めっ!」
チガぅ、ボく……ハ……。
「明日、貴様を儀式の贄とする。精々……この村を思って死んでいくことだ。形上だけでも神子になれる事を喜ぶんだな。貴様のせいで多くの者が死ぬこととなった。この村に災いを起こした償い……きっちりとその命を持って償えよ……!それが貴様が殺した母、父、村の子供、いや……村の人間全員にできる……せめてもの償いだ……!残り僅かの時間を生まれてきたことへの反省にでも使うのだな……!……穢れが」
ボクハ……。
「──怪物になってね♪」
ボクハ……鬼ダ。
意識はあった。感覚もあった。理性も。心も。魂も。私にはちゃんと残っていた。必死に抗って。必死に止めようとした。でも、どうしようも無かった。膨れ上がった憎悪と怒りは止まることを知らなかった。
何人殺したんだろう。
両手にある指の数は超えている。
明確な数は覚えていない。
ただ殺した。
たくさん殺した。
手が汚れていくことが、体に鮮血がついて、ヌメヌメとした不快感を強く感じて、それ以上に、手の中で静かになっていく鼓動や、肉を裂いて、骨を砕いた音が心地よかった。
起きた時には自分も村も大切な人達もなくなっていた。ただ、
何度も死のうと思った。首に刃物を当てたことも、胸に刃物を構えたことも、壁に額から血が出る程打ち付けたすらもあった。
でも、出来なかった。
生きる事を諦められなかった。
あの2人が教えてくれた私の命の価値を知っておきながら、絶望したからって簡単に、手放すなんて事は出来るはずもなかった。
だから、私は決めたんだ。自分が握り潰した命の分まで……この手で、命を拾い上げると。本の中の主人公みたいに人に好かれる事など無いけれど、主人公の様に誰かを救うことはできる。
そうやって私は、真似事を始めた。




