11話「私の名前を呼ぶならば……」
「勘違い……?」
「私が怖いのは鬼なんてちっぽけなモノじゃない!……僕自身ですよ。人を殺した感覚が、心地良いと……!あまつさえ!もう一度殺したいと!思ってしまった!僕が憎くて!嫌いで!恐ろしいっ!!!!!」
「なぁっ……!?」
咎 天子は驚愕した。
目の前に居るのはニンゲンではないオニだ。
角は無い。牙もない。筋骨隆々とした巨人でもない。だが、どうしようもなく伝わる殺意。心臓が、脳が、魂が、逃げろと告げる危険信号。
人の形をしているが、中身が違う。
笑っている。
その笑みが何を示しているのかは分からない。
だが、底無しに恐ろしい。
「鬼……」
今まで多くの依頼を受けてきた。
中には自分とはレベルが違う化け物を相手にする事も少なく無かった。
されど、これ程の圧は──目の前に居る、ただそれだけで、今から自分が、死ぬ事が、イメージ出来る圧は──生まれて一度も、長い傭兵経験で、たったの一度も感じたことは無かった。
「【玄骨】……!うぐぅ……!う……ァ゙ァ゙ァ゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ッッッ!!!!!」
右手を押さえる命。
笑みが消える。
悲痛な叫びが路地裏を駆ける。
「ぅ゙ア゙ぁ゙……っ!」
数十秒、フラリフラリとふらつくが、突然、ピタリと動きが止まる。声も止まる。突如の静寂に時が止まる。
三日月の口がやけに鮮明に見える。
命の足元には黒い沼があった。
ドロドロとしていて、まるで生きているかのように蠢く。アカシャの仔、奴らの体を形作る不定形の黒い粘液とまるで同じである。
バッ!と右手を横に払えば、黒い粘液は命の体を登り始める。
足、ふくらはぎ、太腿、腰、腹、右肩、右腕、右手。地面にあった筈の黒い沼が、命の右腕を包み込む。
すぅ〜……。
はぁ〜〜〜〜……。
長く短い一呼吸。
身体の緊張が緩和していく。
「掌握……完了。見せてあげますよ。これが、僕の……んんっ!私の魔の手!その名も……【玄骨】ッ!!!だァッッッ!!!!!」
バァーーーーン!
風船が破裂する音より少し鈍い音。
水面に大きな岩が落ちた時よりも少し重い音。
腕を包んでいた黒い塊が爆発する。
四方八方飛び散る。
そして、鬼が姿を見せた。
命の右肩から異様な腕が生えている。
何も変わっていない左腕よりも、一回り以上は巨大であるその右腕。パンプアップなんてものでは無い。明確に、確実に、異様な膨張だ。
その右腕は、色白の命の肌とは打って変わり、黒く染まっている。まるで、右腕だけ黒い鎧を纏っている様にすら見える。
肩や肘、腕の所々からは、荒々しく突起が現れている。更には、その突起の先端は白煙を立てていて、僅かに、光を放っている。その腕に集まった霊気と言うエネルギーが、熱として、風として、光として、漏れ出ているのだ。
変わった所は腕だけでは無い。
角。
額に角がある。
額の真ん中から、体を突き破るように1本角が現れた。腕同様に太く、力強い黒い角だ。それが、額にあった。
故に、命の白い肌を、顔を、数本の紅い曲線がダラリダラリと垂れていく。見ているだけで痛々しい。
目が笑っていない。
口が笑っていない。
顔が笑っていない。
だが、笑っている。
悪魔の様な威圧的な笑みを、強く強く気配が放っている。確かに其処に狂気がある。
「……っ!ひ……狒々ィィィッ!!!」
天子は本物の狂気を前に、ただそのアカシャの仔の名を叫ぶ事しか出来なかった。
◆ ◇ ◆
「何にせよ、取り敢えずは目の前の敵を倒すのが優先……だね」
黒い腕が既に元通りのゴリラ。
べたり……べたり……と地面に自らの身体を垂らし、紅鈴へ一歩一歩と近付いていた。
「さて……」
(思ったより威力が出なかった。……どういう事だ?命をあの勢いで飛ばしたんじゃ……無いのか?……まさか、天子の力技か?いや、そんな力が絞り出せるような体付きはしてない。とすると、条件付きの魔の手かな。何かに反応して、その反応が起きた場合にのみ超爆発的威力を放つ……って感じか。じゃあ特殊な力は使えないか。まっ……槌として使えるなら……問題ないけど!)
「重い一撃出してみるかぁ!!!」
1本強く踏み込んだ。
ドンッ!と足音を立てて、右手を大きく後ろへ引いた。右手には紅い糸の絡まった槌。
体に力を溜める。筋肉が緊張し、骨が疼く。
体を流れる血。
それとは別にもう1つ。
温かく、熱く、勢い良く駆けるエネルギー。
霊気。
霊気が体を流れ、脚へ、腕へ、糸へ伝わる。
左手をゴリラの体の中心に向けた。
紅鈴の狙いが定まった。
ゴリラは強く自分の胸を叩く。
両足をしっかりと地面に落とし、腰を支える。
直後、両腕が膨れ上がる。
どんどんどんどん膨れ上がる両腕。
ついには、両腕はゴリラの巨躯よりも膨れ上がる。
(はっ!殺意増し増しって感じだ!)
ブゥンッ!
引いたその身を、貯めた力を、強い緊張を、解放する。槌を投げる。
空を裂き、黒い塊へと真っ直ぐ飛ぶ槌。
「グゥォォォォォ……!オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ォ゙ッッッ!!!」
ゴリラは両腕を前に突き出した。
膨張し、霊気の渦巻く、2つの豪腕。
あまりの膨張の末に、腕が触れ合う。
瞬間、ドボンッ!と音を立て、大きな1つの拳になる。指は十本、紅鈴から、完全にゴリラを隠す巨大さ、ゴツゴツとしてとても黒い粘液で作られたとは思えない強固な硬さと重さ、見ているだけでそれは伝わる。
ドォッッッン!!!!!
ゴリラの腕が爆発する。
拳が強く飛んでいく。
槌すらも呑み込むように、紅鈴目掛けて、飛んでいく。
「っ!しゃぁ……!」
拳と槌。
2つがぶつかるその刹那。
紅鈴が糸を引き戻した。
拳に当たることは無く、紅鈴に向かう黒い拳。
紅鈴は拳などには目もくれず、ゴリラを倒す為の行動をする。
紅鈴手元へ帰って来た槌。
彼はそれを掴む事はせず、器用に糸を引いて、黒い拳とは逆方向に飛ばす。
黒い拳が空を鳴らして飛んでくる。
地面を裂いて迫りくる。
紅鈴の頬に汗が伝った。
◆ ◇ ◆
凄い音だなぁ……!
だが、勝つ。
社長が珍しくガチになったんだ。邪魔させるわけにはいかないからね!
「はぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」
ビンッ!と強く張る紅い糸。伸ばした紅い糸の分、飛んでいった槌の重さが糸から右腕に伝わった。いける。できる。社長の為に……と前置詞が付いただけで、余りにも簡単に僕は、心に決意を抱けた。
先程まで、社長が来るまで待てばいいかと考えていたのは、全くどこの誰だろうか?
はぁ……。全く、仕方ないな!
僕と言う奴は!
「図体がデカくて急所がわかんないなら……その分重〜い一撃を与えれば良い……!ははっ!我ながら、素晴らしい程の力任せだな!どぉりゃぁっ!!!」
力任せに糸を引く。
腕が、強く締め付けられる。
狙うはゴリラ。倒すべきはゴリラ。
あの、狒々と呼ばれたアカシャの仔、奴に当てればそれで良い。
なんて簡単な事だろう!
僕に引かれた紅い糸は、槌を力一杯運んでいく。回りながら、周りのコンクリート性の壁や柱を壊しながら、黒い拳の横を通り越し、曲線を描く様に飛んでいく。
バシャァァァンッ!
そして、ついに、ゴリラに槌がぶち当たる!
さて……どうやって避けたものか。
黒い拳は僕に向かって飛んできている。
この距離、この勢い。
避ける事は無理だね。
……。
でも、このまま喰らうのも癪だよねっ!
「巻ぁきぃ取れぇぇぇ……!」
紅い糸が縮んでくる、僕の手元に戻ってくる。
だが、それだけじゃ足りない。
もう一度、もう一度だ。
もう一度、さっきみたいに……。
「糸ぉぉぉ引きぃぃぃ戻すっ!!!」
間に合う。
大丈夫、間に合う。
だから信じて、構えを取る。
来いっ!僕の手に!槌っ!
「一撃ッ!」
ドンッ!
よしっ!手元に来たぁ!
後は!……叩くっ!
「打破ァァァッ!」
ドォォォンッ!
「借り物でも、やれるものだね」
僕の前には黒い粘液が散らばっていた。
そうだ!ゴリラ!ちゃんととどめを刺せたか……?
散らばった黒の中にある一際大きな黒の塊。
粘性を失ったかのように、どんどんと形を崩していく。ただ、そこから現れたのは、掌サイズの球体の核では無かった。
5本の細い指。力無く伸びたそれは、間違いなく……人の──。
「──手……?」
「……っ!ひ……狒々ィィィッ!!!」
んっ!?
天子……傭兵の声だ。
だが、狒々は僕が……。
ベチャリ……。ベタリ……。
グチュジュチュ……!
その声に、助けを求めたその声に、反応するかのように、再生し始めた。アカシャの仔が。ゴリラが。
「んっ!?」
そして、今までの動きが遊びだったと言いたげな速度で、彼女の元へ、再生仕切っていないその体で、駆け出した。
「命っ!後ろだっ!!!」