1話「拝啓、この世界を壊した貴方へ」
貴方が世界を壊した。
私が世界を壊した。
何もしないから世界が壊れた。
世界は崩壊へ向かっている。
世界は終わりを感じている。
世界は終幕を望んでいる。
それなのに何故、何もしない?
◆ ◇ ◆
地面へ頭を垂れる摩天楼──ビルが倒れに倒れた街とも呼びたくない街の光景──は今日も変わらない。残酷な程に、悲しい程に、現実は明々と、そこに現状を示す。
冷たい風浴びる窓ガラスを失ったビルの5階。なにもない灰色の卓上に寝かせていた体を起こす。
「……終わってんなぁ」
つい自分の口から漏れた言葉に嫌気が差した。
いっそ今にこの世界が終幕を迎えたら……どれだけ良いことか。既に終わったこの世界を生きていかなければならない、息をしなくてはならない、その現実を歩み続ける事が……どれだけ辛いか。今となっては文句をぶつける矛先の人間すらも亡くなっていると言うのに……。
人々が文明と文化を掲げて生活していたのは、今から400年も昔の事。スマートフォンやらネットワークやら夢物語だけを残して、世界は綺麗さっぱりもぬけの殻。
この世界を満たすものなんて──。
「……はぁっ!た……たすっ……けっ!」
路地裏から必死に走って出てくる少女。元は美しいのであろう薄紫色の髪はボサボサで、その形相は見ているだけで呼吸が苦しくなる。
その後ろから迫る、彼女の倍はあるヒト型のオオカミは、体の所々をまるでスライムの様に、不規則に、不気味に流動させていた。
「く……そぉ……!だ、誰か……たす……」
「はい。お助けいたしますよ……!」
この世界を満たすものなんて──精々誰かに救いを求める声ぐらいだろう。……この世界は終わっている
◆ ◇ ◆
その青年は突如として上から舞い降りた。白いポニーテールを揺らして、片手に自分の背丈半分程はある白銀の十手を持って、ダンッと地面に膝と十手を構えて降り立った。まるで、幼い頃読んだ物語のヒーローみたいに。
不定形の人狼は、突如として現れた救世主に驚き、体を跳ねて後退する。路地裏の闇が、グチャグチャと溶けている全身が、路地裏の影と混ざった。
ただ小さく「グゥルゥゥゥ……!」と唸り、敵意と悪意を青年へ向けた。近くにいるだけで手が、指が震える。……怖い。逃げ出したくとも体が動かない。声が出ない。抗えない。そこにある恐怖にただ身を晒すことしか私にはできなかった。
対する青年は違った。ケロッとしている。平然としている。腰を落として、腕を引いて、十手を構える。その表情は、白い歯をニヤリと見せる。
まるで楽しんでいるみたいに。
「グゥルゥウウウウウッッッ!!!」
先に動いたのは不定形の人狼だった。突如、雄叫びを上げたと同時に、そのどこまでも黒い爪を、青年目掛けて振り下ろした。まるで、死神の鎌だった。
爪が青年の頭を切り裂く刹那、一層深く腰を落とし、体を重く地に沈めた青年が十手を構えていない左手を伸ばした。
バジンッ!
肉と肉のぶつかり合う音が響く。不定形の人狼の掌を裏拳で弾く。そこに生まれたほんの僅かの隙を青年は見逃さなかった。
深く沈められた体が、二本の健脚によって跳ね上げられる。不定形の人狼の腹の目前まで詰めた青年が、地面をダンッ!と一つ強く蹴って、その十手を、黒くうねる腹を目掛けて、突き上げる。
バジンッッッ!
先程よりも鈍い音が鳴る。自分のお腹すらも痛いと感じる程に目前の光景は、衝撃は、凄まじかった。まるで鬼が金棒を振るったように。その一撃は不定形の人狼を大きく歪ませて、摩天楼へと吹き飛ばした。
ダンッ!ダンッ!ダンッ!と幾重にも鳴るビルの壁や天井を突き破っていく騒音。ついに屋上の床すらも貫いた。斜めにポッカリと、真っ直ぐ穴を開けられたビルは、まるでスポットライトだった。
黒い粘液の残骸を付着させた白銀を、ビル風に揺れる純白を、不定形の人狼を吹き飛ばした青年を、金色の光が包み込む。月光が、開かれた穴を通って温かく彼を照らした。どこまでも丸い白が、大黒幕を降ろした空から、ただ、彼を、見守っていた。
「綺麗ぃ……」
小さく漏れた三文字に彼は微笑んで振り返る。
「大丈夫ですか?お嬢さん……お手を……」
先程、不定形の人狼に見せた荒々しい笑顔が思い出せない程に純粋で、温かくて、朗らかな顔。迷わず私はその手を取った。
「青年、君は……」
真っ直ぐ見つめてくる瞳が黄金の色に輝く。
「私は──」
くしゃりとひしゃげた笑顔が、無邪気に言葉を繋いだ。
「──魅神 命。便利屋ですっ!」
◆ ◇ ◆
世界は崩壊へ向かっている。
世界は終わりを感じている。
世界は終幕を望んでいる。
だから私は、この世界を救いたい。