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06_図書室にて。

教室はいつものように賑やかだった。

昼休みになると、席を離れて友達と集まり、おしゃべりに興じる生徒たちの声が飛び交う。


俺も、その喧騒の中で静かに弁当を広げていた。

特別親しい友人がいるわけでもなく、無理に誰かと話すつもりもない。


そうやっていつも通り過ごしていると、ふと視界の端に天崎さんの姿が入ってきた。



彼女はクラスの中でも注目される存在だ。

転校してきたばかりなのに、すぐに皆と打ち解けて、いつも笑顔で話しかけている。


それなのに、俺にはどこか無理をしているように見えた。


天崎さんは、今日も何人かの生徒に囲まれて楽しそうに話していた。

けれど、その笑顔の裏にはどこか張り詰めたようなものが感じられた。


クラスの輪の中にいるけれど、本当にその中に溶け込んでいるわけではない。

むしろ、彼女が無理に自分を押し込んでいるような、そんな印象を受けた。





「なあ、朝霧。お前、天崎さんのこと気になってるの?」


不意に隣から声をかけられて振り向くと、新田が笑いながら俺を見ていた。


「いや、別に。」


「嘘つけ。今結奈ちゃんのこと見てただろ。あんなに明るくて可愛い子、そうそういないぞ。ちょっと気になるだろ?」


新田の軽い調子に、俺は曖昧に笑ってみせた。


確かに天崎さんは誰に対してもフレンドリーで、自然と周囲に人が集まる魅力を持っている。

だけど、その明るさの裏にあるものに気づいているのは、俺だけなのかもしれない。







午後の授業が終わると、俺は早々に教室を出て図書室に向かった。

ここは静かで、放課後の喧騒から逃れるにはうってつけの場所だった。



図書室の窓から差し込む夕陽が、机に柔らかい影を落としていた。

俺は何の気なしに一冊の小説を手に取り、ゆっくりとページをめくった。


最近、らしくもないことばかりしていたせいで落ち着かなかったが、

久しぶりに本を読むと心が少しだけ落ち着いた。


そんな時だった。


「…朝霧くん。」


ふと、聞き慣れた声が背後から聞こえた。

振り返ると、天崎さんが立っていた。彼女は微笑みながら、ゆっくりと俺の方に歩いてきた。


「奇遇だね。朝霧くんも図書室にいたんだ。」



「まあ、ね。」


俺が返事をすると、天崎さんは何も言わずに俺の隣の席に座った。

どうやら、特に理由があって来たわけではなさそうだった。


俺は少しだけ戸惑いながらも、彼女が何をしに来たのかは尋ねなかった。


二人で無言のまま座り続ける時間が、図書室の静寂の中に流れていた。

天崎さんは、自分の鞄から小さなノートを取り出し、何かを書き込んでいるようだった。


時折、視線を窓の外に向けて、何かを考えるように遠くを見つめる。


その表情が、どこか寂しげに見えた。



「…ここ、好きなの?」


天崎さんが不意に口を開いた。


「まあ、静かでいい場所だから。」


「そうなんだ。私、図書室ってあんまり来たことなかったんだけど、こんなに落ち着く場所なんだね。」



「うん。」


とだけ返事して、俺は手元のページを進める。




「…ねえ、朝霧くん。私、ここにいてもいい?」




彼女の声が、少しだけ震えていた。

思わず顔を上げると、天崎さんは俺を真っ直ぐに見ていた。



「別に、構わないよ。」



そう答えると、彼女はほっとしたように微笑んだ。

その笑顔は、先ほどの作り笑いではなく、自然なものだった。



俺は彼女のその横顔をちらりと見て、また視線を本に戻した。





「あのさ、なんでいつも無理して笑ってるの?」


自分でも驚くくらい唐突な言葉が口をついて出た。

彼女が少し驚いたように目を見開くのが見えた。


しばらくの沈黙の後、天崎さんは静かに言葉を返した。


「…初めて私に質問してくれたね」


と少し困った笑顔を見せて続けた。


「私、無理してるように見えた?」



「少しだけ。」


「そっか。私、そんなに上手に笑えてないんだね。」


彼女はそう言って、肩を落とした。


彼女が一体何を抱えているのか、わかるはずもない。

ただ、俺の目の前で無理に明るく振る舞う彼女の姿に、少しだけ心が痛んだ。



「…私、今日ね、本当は朝霧くんを探してここに来たの。

だって、朝霧くんがいると、ちょっとだけ安心できるから。」


その言葉に、俺は戸惑った。

俺が彼女にとって、そんな存在だなんて思いもしなかったからだ。


「…なんで、俺なんだ?」


「朝霧くんはちょっと不器用だけど、ちゃんと"私"を見てくれてる気がするから。」


俺は何を言えばいいのか分からず、ただ視線を落とした。



図書室の静寂が、再び二人を包み込んだ。

お互いの存在を感じながら、ただ静かな時間が流れていく。




「ねえ、朝霧くん。私は、"私"でいてもいいのかな?」




彼女がどんな気持ちでそんなことを言ったのか、全てを理解できるわけじゃない。


でも、その声が少し震えているのははっきりとわかった。

彼女の顔を見上げると、瞳からはひとしずくの涙がこぼれ落ちていた。


「天崎さんが…天崎さんでいるのが、どういう意味なのかは、俺には分からないけど…」


少し言葉を選びながら、俺は続けた。



「無理して誰かになろうとしなくてもいいんじゃないか?

天崎さんが思う"私"っていうのが…たぶん、俺に見えてる天崎さんだと思うから。」




それを聞くと彼女はほっとしたような顔をした。

彼女は深く息を吸って、話始めた。



「昔から、周りと上手く関わろうと…意識してたんだ。

だけど、そんなふうにしてると、いつの間にか自分がどこにいるのか分からなくなっちゃう。だから…」


一瞬だけ彼女の声が途切れる。

彼女の視線が俺から外れ、図書室の窓の外へと漂っていく。


夕日が差し込んで、彼女の横顔を少し赤く染めていた。その光景が妙に美しくて、俺は思わず目を奪われた。



「だから、私は朝霧くんに聞きたかったの。…もし、朝霧くんが"私"を見てくれてるなら、それが私が”私”でいてもいいっていう証拠になるんじゃないかって。」



その不安をどうやって消してやればいいのか、俺には分からず何も言えなかった。



言い終わると、天崎さんは、ほんの少しだけ笑った。

それは、これまで見た中で一番自然な笑顔だった気がする。




彼女が小さく「ありがとう」と呟いたのが聞こえた時、

俺の心の中にあった重たい何かが、少しだけ軽くなった気がした。


赤い夕日が彼女の背中を照らして、まるで彼女のシルエットだけが浮かび上がっているように見えた。




「もう少しだけ、ここにいてもいい?」



「別に構わないけど。」


図書室の静けさが、再び二人を包み込む。

天崎さんがそっと俺の隣に座り直し、何も言わずに本を開いた。


俺も何も言わずに、また本を読み始めた。


それだけで、今は十分な気がした。


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