八月二十五日 廃駅探検
町祭りの日なのに、僕達は一切参加せずに森へ入っている。いや、町祭りがあるから、とも言えるかもしれない。普段は暗く静かな森の中も、町祭りの騒がしさや遊びに来ているたくさんの人達の気配が届き、なんとなく安全な場所になっている気がする。だって、こんな日じゃなかったら僕はとてもじゃないけど踏み入ろうとは思えないし、他の二人にしたってそんな提案をしてきたのは今日が初めてなのだ。
でももうひとつ理由があるかもしれない。これはまだ知らない町人もいっぱいいると思うんだけど、昨日、日垣千鶴が行方不明になった。僕達のクラスメイトで中学二年生の日垣千鶴は、八月二十四日、家族が何も把握していない状況下で、自室からいなくなり、消えた。不思議な話だった。昨日は家族の誰も外出しておらず、日垣も二階の自室で夏休みの宿題だかなんだかをやっていたらしい。けれど、昼になっても下りてこない日垣を家族が呼びにいったら……だった。部屋の勉強机にはやりかけの宿題が広げられていて、床には漫画本、ベッドのタオルケットはくしゃくしゃで、まるでちょっとトイレへ行くために席を外しているだけみたいだったようだ。エアコンは止まっていて窓が開いていたそうだが、日垣は普段からエアコンを使わなかったようなので、これも日常的であり、不審な点じゃない。
家族が気付かなかっただけで、普通に一階の玄関から出ていった可能性も別になくはない。あ、でも靴は残っているんだった。いや、でもそんなの裸足で出ていくこともできるんだからたいした情報じゃない。けれど、どんなふうに出ていったにしても、じゃあなんで?って話になる。なぜいなくなったのか? 日垣は家族と揉めていたわけじゃないし、学校でも特に何かありそうって感じじゃなかった。出ていく、いなくなる理由がない。もちろん家族を含めた僕達が知らないだけで日垣には日垣なりのなんらかの問題があったって線はなくもないけど……。
今日、いっしょに森へ入った大久保太史は「日垣を捜そうさ」と意気込んで、僕と、それから上西実典を誘ってきた。森にはいないんじゃないかなと僕は思ったけど、まあこんなのは口実だろう。とりあえず遊びたかったに違いない。そして日垣が失踪したというショッキングな事態になんとなく背中を押される形で非日常の森へ向かうことにしたんだと思う。
信じられないのは日垣の失踪よりも、日垣の失踪がまだ警察に報告されていないことだった。日垣の捜索願いはまだ出されていない。まあプチ家出だったとしたら町祭りが終わる今夜にでも帰ってきそうだが、日垣はそういう反抗期的な挙動を取らないタイプの、どちらかというとおとなしい女子だ。それは日垣の家族の方がより知ってるんじゃないかな。だから日垣の失踪は僕からするとなかなかに致命的なものである気がするんだけど、家族は状況を静観している。理由にびっくりする。町祭りを台無しにするわけにはいかないから今日が終わるまでは警察に通報できない、らしい。すごい。栂下町のお祭りってそんなに由緒正しきものだったっけ?と思ってしまう。成功を妨げたら処刑されてしまうような厳かな祭事だったのか。日垣の家族は娘よりも町祭りを優先させたのだ。うへー。
「光汰」と太史が僕を呼ぶ。「日垣を見つけたらどうする? やっぱ抱きしめるんか?」
「そんなことせんよ」と僕は肩をすくめる。
僕と日垣は両思いってことになっている。たしかに親同士は仲がいいし、今回の話も親を通じてゲットできた情報だったのだが、僕が日垣を……ってことはない。親同士の繋がりを知っているから多少は気軽だけど、それだけだ。小学生のときは名前で読んでいたけれど、中学に上がってからは名字で呼ぶようにしている。その程度でしかない。
「日垣は桶崎が好きなんやろ?」と実典と爆弾を投下してくる。
僕よりも太史が驚愕する。「え、マジでか?」
「なんか聞いたことあるわ」
「そうなんか。……知っとったか?光汰」
「うーん……」
桶崎勇心かどうかは定かじゃなかったけど、日垣が誰かに片想いしているんだろうなあというのはなんとなくわかっていた。なんとなく。様子で。あとたぶん、太史は日垣のことが好きだ。
「そういや桶崎って今日お祭り行ったんか?」
「どうなんやろう。行かんって言っとったらしいけど」
「桶崎も今ごろ日垣のこと捜しとるかもしれんな」
「いや、桶崎は日垣のこと別に好きじゃないさけ。日垣が桶崎のことを好きなんやって」
「ああ、そうか。そうやな。桶崎にとっては別にどうでもいい話なんやな」
同級生が消えているわけだからどうでもよくはないだろうが、それ以前の話として、桶崎勇心はまだ日垣の失踪を知らないと思う。日垣家に近しかった僕がたまたま知っているだけで、ほとんどの人間はまだ何も知らない。町祭りを楽しんでいる。
ただ森を進んでいても退屈で疲れてしまうので、僕からも情報を提供する。
「桶崎は佐藤が好きらしいことを聞いたよ」
「佐藤ぅ?」
太史が眉をひそめる。太史の眉は太くて濃いので、毛虫がうねっているように見える。
「あんなののどこがいいんやろな」
「見た目は可愛いけど……」
実典がそうフォローするが、太史は「見た目もイマイチやろ」と酷評する。
僕も佐藤由姫は美人だと思うけど、そういう、美人を敢えて悪く言うスタンスっていうのは何を目的としているんだろう? いや、佐藤のことを本当にイマイチだと思うんだとしたら、それは美的感覚が常人離れしてると思うから。太史は佐藤から何か酷い目にでも遭わされたんだろうか?
まあ僕達は目立たないしモテないし、暗い三人組だ。女子からの評判も厳しい感じだろう。太史も僕達とつるんでいるときは態度がでかいけれど、そうでない場面だと肩身が狭そうで自分自身を上手く発揮できていなさそう。そういう抑圧が、華やかな佐藤なんかに向かって攻撃性として発散されるのかもしれない。
で、そのあとも誰が可愛いだとか誰が可愛くないだとかいう個人的なランキングの話が続き、それを聞くともなく聞いていると、開けた場所に出る。いや、開けたというと大袈裟で、強烈な日差しを遮ってくれていた木々が少しだけ減ったと表現した方がまだ適当かもしれないんだけど、とにかく、進む先の風景に変化が表れた。
大きな石を組み合わせて造ったような小高い台……それも今は蔓植物や枯れ葉、枯れ枝などに覆われて全容を窺うことはできないんだけれど、奥行きの長さは三十メートルくらいだろうか。五十メートルはあるだろうか。とにかくそれは、予備知識のない中学生だったら何かわからないような遺跡だったが、じいちゃんばあちゃんから話には聞いていたのでなんとなく当たりはついた。栂下町にもかつては線路が通っていて列車が行き来していたらしいのだ。ここは駅の跡地だ。こんな山にも程近い森の奥に駅を設けた理由は想像もつかないが、かつては付近にも民家などがあり、町人も比較的気楽にここまで足を運べたのかもしれない。
いつかの昔に大勢の人達から利用されていたものが打ち捨てられて自然に呑み込まれていこうとしている様は、なんか、子供の僕にとってすら言いようのない感情を滲み出させられてしまうような、そんな光景だった。
「すげえ」と太史もため息をつく。「これが噂の廃駅ってヤツか。運よく辿り着けたんやな。ラッキーや」
「もう場所だけが残っとるって感じやね」と実典。「物品とかはなさそうや」
「うん。場所だけや」と僕も頷く。
足元には石畳の道があった形跡がかすかに窺える。もうほとんどが土や枯れ葉の下になってしまっているけど、大雨か何かでズレて浮かび上がってきた石板が数枚、不規則な感じで点在している。
「うわー、スマホ持ってくればよかったわ、こんなことなら。写真撮りたかったわ。どうせ電波届かんやろうさけ、家に置いてきてもうた」
「うん」
僕は持ってきていたけど、面倒そうだったので話を合わせる。写真は別に必要ない。目で見るだけで充分だった。写真なんか撮って、あとでフォルダを見返しているときに廃駅の写真なんかが出てきたら不気味だ。
「いかにもこういうところに日垣が隠れとりそうじゃね?」と太史が言い出す。まだ日垣捜索に絡めてくるのか。僕は森を突き進んでいく内に日垣のことなんて意識から外れつつあったのに。
「物語的にはありそうやけど……」と実典が応じたが、すぐに「ん?」と台詞を止める。「なんか聞こえん?」
口を閉ざし息を潜めると、たしかにざわざわざわぼつぼつぼつと何か聞こえてくる。風に木々が揺れて葉を擦り合わせる音に紛れてしまい聞こえづらいが、注意深く聞き耳を立てると、明らかに別種の音がかろうじて届いてくる。
「ラジオか?」
「こんなところに?」
「昔置き去りにされたラジオがまだ鳴っとるんやったりして」
「そんなはずは」
「ほら、あそこに待合室みたいなのがあるやろ? あそことかにあるかも」
見ると、駅のホームだった場所の端っこに、待合室とは言えないけれど、石の壁が立っている。かつては雨風をしのげるよう、取り囲むような形でああいう壁が何枚も立っていて待合室ふうになっていたのかもしれないが、今現在はかつての状態すらも想像させない石壁が一枚だけぽつりと立っているのみだ。
行ってみる。太史を先頭に、実典、僕の順でホーム跡地に上り、石壁目指して小走りに進む。
まるで、今の今までいなかったのに、僕達が覗いたから出現したかのように、不意に人が現れた。僕達は当たり前だけど驚いてしまう。太史は野太い悲鳴を上げ、実典は尻餅をつく。僕はびっくりしすぎて声も出せず、硬直してしまう。
女の人だった。石壁を背もたれにして、ノートパソコンを抱えるような形であぐらを掻いている。背が高そうだ。座っていてもすぐに長身だとわかるくらい、女の人はすらりとしていた。髪も薄い赤色で、漫画の世界から抜け出てきたみたいな存在感だった。パソコンからは単調な音楽のようなものが流れており、これが僕達の耳をさっきから撫で擦るようにしていたのだ。
「おや」と女の人は言う。「何をしているんだい。こんなところで」
「それはこっちの台詞じゃ」驚きをバネに太史が問う。「何しとるんじゃ。びっくりさせんなや」
「びっくりさせたつもりはないよ。それより、君達は栂下町の人じゃないのかな。お祭りの日に森なんかで遊んでいてもいいのかい?」
「別に祭りなんて俺らには関係ないんじゃ。俺らは俺ら。他の奴らが行くからって俺らも行かないかんてことにはならんのじゃ」
「そういうのには参加しておいた方がいいよ。お祭りに浮かれるなんて、ありきたりだから御免かな? しかし、そうやって人間の輪から乖離していこうとする意志も、案外ありきたりかもしれないよ?」
「何を言っとるんじゃ……」
「本筋から外れようとする人間は、やがて必要とされなくなる。ありきたりな舞台でありきたりでないことをする人間こそが、面白いと思うよ。私はね」
「…………」
何について話しているのか、僕にもよくわからない。町祭りに行こうとしない僕達を叱っているのでは、少なくともなさそうな気がする。女の人に敵意とか害意はなさそうだけど、でもなんだか軽んじられている感覚がある。
負けず嫌いな太史は質問を繰り返す。
「なんでもいいわ。お前はこんなところで何しとるんじゃ。わけわからんこと言って誤魔化すなや」
「あっはっは。誤魔化してはいないよ。ただ、君達にワンポイントレッスンしただけさ」
女の人は笑い、パソコンの画面を余分に少しだけ開き、僕達にも見えるようにしてくれる。
「音楽を作っている」
「作曲家……」と僕はつぶやく。
が、「いや」と否定される。「作詞家でもある。さらに編曲もやるから、全部だね。私は全部を作っている」
「編曲ってなんじゃいや」と言ったのは太史。「全部をパソコンで作れるわけないやろ」
「編曲というのは、その曲にとって適切な楽器を選定し、それらの音を足す作業を言う。それから、曲調や音自体の雰囲気を調整することもしなければならない。作った曲に深みと味わいを出すための作業だと思ってもらえればいい。もちろんすべてパソコンでできてしまう。いろいろな楽器のデータが入っているからね」
「こんな森ん中、電波が届かんやろうが」
「あっはっは」とまた笑われる。「たしかに、最近は電波がないと何もできないからね。何もチェックできないし、どんな遊びもできない。不便な世界だ」
女の人はパソコンの画面をもとに戻し、作業を再開する。音楽作りにはネット環境が必要じゃないんだろう。そりゃそうか。データが既にあるんだったら、あとは自分自身がやるかやらないかだ。他者と繋がる必要はない。
不思議な人だ。発言からも察しがつくし、訛りもないから、栂下町の人間じゃないんだ。都会の人だ、きっと。でも、どうしてこんな田舎の森の中で音楽を作っているんだろう? 落ち着くとか、インスピレーションが湧いてくるとか、そういう理由かもしれない。アーティストは山にこもって活動したりするとも聞くし。
僕は口を開いている。
「クラスメイトが行方不明になって、捜しに来たんです」
「そうじゃ」と太史も口を揃える。「俺らは日垣を捜しとるんじゃ。のんきに祭りなんかに行っとる場合かいや」
「へえ、勇敢だね」と女の人は画面に顔を向けたまま応じる。「そのクラスメイトを見つけられたら、間違いなく主役になれるね。でも、こんな森の中にはいないんじゃないかな。もしかしたらお祭りに行っているだけかも」
「昨日からおらんのやぞ。祭りは関係ねえやろ」
「それで森に来たのかい」
「…………」
「なぜそのクラスメイトが森にいるかもしれないと思ったのか。クラスメイトは自分の意思で失踪したのか、誰かに連れ去られたのか、それとも……」
女の人が僕を見てくる。
僕達はそこまで深く考えて日垣を捜しているわけじゃない。なんの推理もしていないし、ただ言葉として『日垣を捜している』だけに過ぎない。森にいようが町祭りの会場にいようが別の場所にいようが、同じように僕達は『日垣を捜している』と言い張っただろう。
それでも僕は「自分の意思で失踪したと思います」と答える。
「なぜだい」
「……部屋に争ったような形跡がなかったからです。宿題も机の上に開かれたままでした」
「連れ去り現場は屋外かもしれない。それに、自分の意思で失踪するなら、宿題ぐらい片付けていかないかな」
「…………」
たしかに。なんとでも言える。
女の人が音楽を流す。作りかけの曲を確認している。
「私は、人と人が別れるような曲が好きなんだ。物悲しい、別離の曲だよ。どうにもならない状況で別れる、希望を抱いて旅立つ相手を見送り別れる、最愛のパートナーが死んでしまうことによって別れざるを得なくなる……いろんな形で人は人を失い、別れる。その取り戻しようのない悲しみが私は好きなんだ」
「…………」
この人は大人だし、多くの人と出会い、別れてきたのかもしれない。その悲しみを音楽作りに活かしているのか。いや、でもそんな悲しみが『好き』だと言ったか。別れの曲が好きだと。それはなんというか、本当の別れというものを体験していない者の台詞って感じがする。推測でしかないけど、ツラい別れを経験した人だったら、そんな積極的な感情にはならないと思う。
しかし、女の人は僕の思考を読んだかのように言う。
「私が作る『別れ』は、私の体験そのものの場合もあるし、私の体験から派生したものだったりもする。私の体験とは無関係だけど、私が私の体験を通して勝手に想像して作り出したものもある。ただし、その『別れ』の中で被害に遭うのはいつだって私じゃない、架空の誰かだ。私が音楽を作るたびに架空の誰かが悲しい別れを強要される。そう考えると、私はなかなか罪深いかもしれないね」
「架空なんやから、別にいいんじゃねえの」と太史が口を挟む。
「そうかもしれない。しかし、私が音楽としてその『別れ』を作り上げた瞬間に、同時にその誰かも存在し始めるのだと考えることもできる。どこか別の世界で。私の知らない『私が作ったものの世界』とかでね」
「考えすぎやろ」
「そうだね。そして、仮にそんなことが起こっていたとしても私は知らないしどうすることもできない。引き続き音楽を作っていくだけさ」
「…………」
「さて。そんなところで、君達にはこれからお祭りへ行くよう進言させてもらうよ。行方不明のクラスメイトを捜すってのは、君達には荷が重い。君達が背負いきれる課題じゃない。君達はお祭り会場で何か面白い出会いに期待するぐらいの方がふさわしい」
まあそうだ。口ではそう言っているけれど、僕達の誰が日垣を本気で捜しているだろうか。見つけられるはずがないし、見つけてしまったら逆に困るかもしれないくらいだった。どんな形であれ僕達が日垣を発見するというのは、それこそ女の人が言うように、背負いきれない状況なんだろうと推測できる。それに僕は日垣がいなくなってくれて少しホッとしている部分もある。僕と日垣はなんだかんだで、なんとなくセットにされて、さっきの太史じゃないけれど、両思いなどとからかわれてしまうのだ。そんなふうにひとまとめにされていると、なんだか本当に日垣のことが好きなような気がしてくる。いや、実際のところは別に好きではないはずだ。でも錯覚してしまうというか、妙な気分になってしまうのだ。そう、変に意識してしまうのだ。だから、いなくなるならなるで、僕にとってはそう悪い展開でもないのだった。日垣が桶崎に片想いをしているというのなら、なおさらだ。
どうせ、僕と日垣は現実的に仲良しなんかではないし、この先もずっと、確定的に他人同士だ。