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八月二十五日 カラスがいた

 町の外れで人を待っている。

 栂下町(つがしたまち)は一応『町』と称しているけれど、村だ。田んぼと畑と民家しかない。人口も少ない。かろうじて小さな工場がふたつあるものの、でもコンビニなどはない。スーパーは僕が小学生の頃まで営業していたが潰れてしまった。過疎化に伴う経営不振だ。買い物がしたいなら車で町へ出なければならない。町というなら栂下町も町だけど、繰り返しになるが、実質村だ。町じゃない。山の麓の小さな村。宇羽県の隅っこ。


 栂下町の祭りはだいたい八月下旬の日曜日に催されるが、今年は二十五日と定められ、今日、満を持していよいよ開催となる。各地の有名なお祭りと比較すると当然小規模だけれど、お神輿や獅子舞はあるし、夜になれば輪踊りや花火なんかもあって、町のスペックから考えると驚くほどに賑やかだ。屋台も少しだけ出る。食べ物の他、お面やらくじ引きやら、スーパーボール掬いやら、そういうよくある屋台が出店される。


 お祭りといえばカップルで行くもんじゃないだろうか。町外れで僕が待っているのは、婿鵜中学校のクラスメイト、佐藤由姫(さとうゆき)。ただし、僕と佐藤は付き合っていない。僕が片想いしているだけで、今回のお誘いも僕の方からさせてもらっている。しかも、待ち合わせに来てもらえるかは不確定。佐藤は一応「行けたら行くし、行けんかったら行かん」と返事してくれたが、胸中は全然読めない。来るわけなさそうにも感じられるが、まさか「待ってます」と言っているのに放置するなんてことしないよな?とも思う。


 佐藤はわりと冷たい子だ。体温ではなく性格が。婿鵜中学校の二年生の中でも取り分け目立つグループにいるけれど、わーきゃー騒いでいる他の女子の傍らでクールに構えている。あまり喋らないし、笑わない。ただ、たぶん、時折ぼそりと入れてくるツッコミが面白くて、そういうところが評価されてあのグループに在籍することができているんだろうと僕は分析している。佐藤のツッコミは容赦がない。ただの悪口にすら聞こえるときがある。もしかしたら佐藤はツッコんでいるつもりなど更々なくて、ただ毒づいているだけなのかもしれない。それくらい強烈なのだ。


 じゃあどうして僕はそんな佐藤が好きなのかというと、正直わからない。なんか可愛い。可愛く思える。僕は罵倒されるのが好きなドMとかではないが、でも佐藤からツッコんでもらいたいとは常々思っている。ツッコミこそが信頼の証で、佐藤にツッコんでもらえたときこそが心が通じ合った瞬間なんじゃないのかな?と勝手にそう信じている。普通に喋ったり笑ったりをあまりしない佐藤の心を僕が解きほぐしたい、とも思っている。佐藤はもしかすると極度の人見知りなのかもしれない。


 佐藤は綺麗な黒髪で、ばっちりストレート。肌は真っ白で、性格だけでなく体温もやっぱり冷たそう。僕は触れたことがないけれど、できれば今日、それを達成したい。佐藤の体温を実感してみたい。


 だけど、触れるかどうか以前に、来てくれるかがまずは運命の分かれ目。僕は朝の八時半から町外れで佐藤を待つが、いつの間にか九時を過ぎてしまっている。でも焦るには早すぎる。あきらめるには早すぎる。本日は待ち合わせ場所のみ伝えており、時間は敢えて伝えていないのだった。僕はいつまでも待つつもりでいるが、それで気を遣わせるのはズルい感じがするので、あらゆることを佐藤に委ねてしまうつもりだ。来るも自由、来ないも自由、時間帯も完全に自由。僕の方はリュックサックにお菓子や本も持参で、待ち時間の暇潰しには事欠かない。


 町の外れ。お祭りの会場とは意図的に反対の方角を指定させてもらったのは、人目につかない方がいいだろうと判断したためだ。あまり目立つ場所で待っていると佐藤も来づらいだろうし、そして、それとは別に、佐藤が来なかった場合、ずっとぼんやり待っている姿を知り合いに見られたくないってのもあった。


 来ない可能性は少なくない。来たくなかったら誘った時点で断ればいいだけだし、まあ来てくれると信じてはいるものの、あっさり来ない、来ませんでした!みたいな展開も普通にありそうで困る。読めない。佐藤の友達ですら佐藤の内心を理解していなさそうなのに、クラスメイトでしかない僕がそれを読みきることなど不可能だ。


 とりあえず石段に腰掛け、本を読む。漫画だとすぐに終わってしまうので、小説を持ってきた。これなら一冊でかなりの時間を持たせることができる。


 背後は森、そしてその奥には山。土砂崩れを防ぐためなのか、でこぼこしたコンクリートが埋め込まれて壁のようになっている。


 小説はいい。漫画よりも一冊辺りの密度が高くて、長い間世界観に浸っていられる。集中力が途切れにくい。時間を早く経過させられるような気がする。佐藤はまだ来ない。九時半くらいになっただろうか?


 黙読しているとだんだん暑くなってくる。自分の吐く暑い息が鬱陶しくて、僕は空を仰ぐ。お祭り日和の青い空だ。だけど、夏の青空は爽やかさよりも果てしなさを感じさせる。深い。遠くに、いかにも夏という風情のモコモコした大きな雲が見えるけれど、あれも晴天を覆すようなものではなさそうだ。今日はずっと晴れだろう。花火も躊躇いなく決行されるだろう。


 よくある話かもしれないが、カップルで花火を見ると願いが叶うそうだ。僕は詳しくは知らない。聞くところによると、いろいろと条件があり、栂下の花火で願いを叶えるためにはそれらをクリアしなければいけないようだった。できれば僕も挑戦したいんだけど、僕の場合はまず、佐藤をきちんとエスコートできるかどうかってところなので、花火の噂まではカバーできそうにない。そこまで余裕のある男じゃない。


 実はデートのスケジュールなんてものも一切立てていない。佐藤が来たらとりあえず順々にお祭りを見学して、そんで成りゆき任せだ、って感じでしかない。ずぼらだ。どうせ来ないだろうという逆張り的な態度の表れでもある。逆張り? まあいい。


 喉が渇く。持参している水筒で水分補給をおこなう。デート中に飲む分をできるだけ残しておきたいが……いやこれもうダメかもしれない。十時だ。お祭りは夕方からが本番だし、昼前で音を上げていてはいけないか? しかしツラい。いつ来るかわからないってのが想像以上にツラいぞ。やっぱり時間帯だけでもしぼっておけばよかった。


 読書もいったん休憩とし、ぼーっとする。気力の回復だ。お祭りの喧騒を聞きながら、再び空を眺める。鳥が飛んでいる。カラスだ。カラスはあんなに日差しを一身に受けて暑くないんだろうか。


 見ていると、カラスはこちらへ飛来してくる。お祭りの熱気から避難するかのように、僕と同様に町外れへとやって来る。


 僕のわりとすぐ前に降り立つ。わざわざ人に近寄ってくるカラスってあんまり見かけないが、何か目ぼしいものでも落ちていたんだろうか? 微動だにせず見ていると、カラスはちょんちょんちょんと跳ねるように歩き、転ぶ。マジか。ちょっと驚いた。カラスが転ぶところを初めて見た。カラスって転ぶのか。カラス自身も転んだのは初めてだったのか、立ち上がり方もイマイチわかっていないふうで、しばらくもがき、やがて羽を広げて少し羽ばたくようにし、なんとか体勢を整えなおした。へえ。面白。転んでいたときなら捕まえることができたかもしれない。それくらいカラスは無防備だった。立ち上がってしまった今となっては無理だろうが。


 黙って観察を続けていると、カラスがこちらを向き、「あわっあわっあわ」と鳴く。


 カアッじゃないのか。僕は少し笑い「鳴くの下手くそやな」とつぶやく。


 聞こえていたのか、理解こそしていないだろうけれど、カラスは僕をじっと見つめてくる。


「子供なのかな? それとも、そういう声帯の個体なのか」


「あわっあわっ」


「…………」

 全然どこへも行こうとしない。かといって地面に落ちている何かを食べる素振りもない。僕は手持ちのスナック菓子を開封し「食べるか?」と尋ねてみる。


 カラスが警戒しつつ、ちょんちょんちょんと跳ねて近寄ってくる。賢い。袋を開けたから何かもらえると思ったのか? 言葉に反応したわけじゃないよな?


 カラスが一メートルぐらいの距離まで来る。こんなに近くで余裕を持ってカラスを眺めるのは初めてかもしれない。普段は遠目に見ているからわからないが、けっこうしっかりとした体つきをしている。インコとかとは違って、大きいし、なんだか重量感もある。そして意外と顔が可愛らしい。


 スナック菓子を地面に投げるも、食べない。カラスはスナック菓子を見つめるが、拾おうとはしない。なんだ、食べないのか。好みじゃなかったのかもしれない。だったらもったいないことをしてしまった。僕は袋に手を入れ、自分の分を取り出す。と、カラスが近づいてきてそれを食べようとする。


「うおっ!?」

 びっくりしてのけぞってしまう。


 カラスも驚いたようで少し飛び、後退する。でも逃げ去るわけじゃない。


 地面に落ちたスナックは食べない。僕の手に乗っているものだけを食べようとする。マジで? 綺麗好きか? 普段の食事はどうしているんだろう?


 僕は再度スナックを取り出し、手に乗せたままカラスに差し出す。またカラスが近づいてくる。でもカラスってけっこうクチバシが鋭い。本気で突かれたら手の平に穴が開くかもしれない……と考えている間に、カラスは僕の手のスナックを取って、食べにくそうに食べる。僕の不安を察したかのようにソフトなクチバシ使いだった。けど、食べて咀嚼する動作自体はやっぱり下手くそだな。


「スナック菓子は初めてだったかな」


 笑っていると、またカラスが見てくる。

「あわっあわっあわっ」


 誰かのペットなのかもしれない。それくらい人に馴れている。あ、誰かのペットだったら勝手にスナック菓子をあげたらダメだな。スナック菓子は体に悪そうだ。ひとつくらいなら平気かな?


「手に乗ったりして」

 おもむろに腕を差し出すと、すぐさま、カラスが肘と手首の間くらいの箇所に飛び乗ってくる。

「うおー、賢いな。しつけられてるのかな」


 触ろうとしても逃げない。どこを触ればいいのか迷ったが、とりあえず頭を、人差し指でそっと撫でてみる。気持ちがよかったのか、カラスが僕の腕に座ってしまう。


「重い重い。重たくなってきた」


 カラスは大きい分、重たさもある。あまり長居されると腕が疲れてしまう。しかし、僕がそう言うと、カラスはすぐに僕の肩へと飛び移る。天才。天才じゃないか?このカラス。


 天才な上、可愛い。カラスは僕の顔に体を擦りつけてくる。なんか汚れとかばい菌も付いていそうだけど、それよりもまず可愛さが来る。だって、普通のカラスはこんなことしない。飼ってる鳥だってなかなかこんなことまでしないよ。汚れもばい菌も気にならないほどの驚嘆と愛嬌がある。

「可愛いなあ」


 しかし、カラスに夢中になっていると昼を回ってしまう。とうとうこんな時間まで……。僕は仕方なくリュックサックからおにぎりを出して食べ始める。カラスもまだいるので手の平から米粒を与えてやる。


 ずっと肩に乗られているので、重いとまでは言わないが、肩が凝ってくる。いると思うと意識してしまい、力が入る。たぶん「どいて」と言えばまた移動してくれると思うんだけど、言葉がわかるほどに賢いと逆に気を遣ってしまって言いづらい。傷つけてしまうかもしれない……ってカラスに対して何を言ってるんだという感じなんだけれども。


 佐藤は自宅にいるんだろうか? それとも家族の用事でどこかへ出掛けているんだろうか? それとも友達とお祭りへ行ったんだろうか? もう来ないことはほぼほぼ確定しているけど、佐藤が来ない理由までは確認したくないよな……。まあともかく僕はフラれたようだった。佐藤がどんな理由でここに来られなかったにせよ、僕はその理由に負けたのだ。あーあ。最初から来るつもりがないなら約束しなければいいのに……とも思うけど、いや、ギリギリまで悩んでくれたのかも、とまだ明日以降への希望を残したい浅はかな自分もいる。ひょっとしたら恥ずかしくて来れなかったのかも!は、さすがにポジティブすぎるか。


 こんなもんだよな、と思う。そんな、日常的な交流があったわけでもないのに、いきなりお祭りに誘って、「遅くなってごめん、楽しみにしとったんやー、行こうさー」「行こう行こう。佐藤、好きやよ」「私も好きやー」とはならないよな、そりゃ。


 陽が山の裏に落ち、空が暗くなる。夜。お祭りの喧騒は止まず、それどころか輪踊りや花火の音も加わってよりいっそう賑やかになる。町の外れからは打ち上がる花火も見えず、ただ開花の音だけが僕の胸を震わせている。


「帰るか」と僕はつぶやく。「お前は帰らないの?」


 カラスはまだ僕のもとに残っていて、どこへ行く素振りも見せない。夜になったから飛べなくなってしまったのかもしれない。あるいは花火に驚いている?


 リュックサックを抱えたまま石段から立ち上がる。長時間座り込んでいたもんだから体が固まっていて、またすぐ尻餅をつきそうになる。なんとかこらえる。


「ウチに連れて帰ると、親怒るだろうしな」と僕はカラスに言うともなく言う。「お前が僕の部屋でおとなしくしていられるなら大丈夫だと思うけど。窓は開けとくから、帰りたくなったら帰ればいい」


 僕は普段、宇羽の訛り満載で喋るのだけど、この、動物に話しかけるときは標準語みたいになるのってあるあるなんだろうか。気付けば標準語で、自分が自分じゃないみたい。


 カラスが「あわっあわっ」と鳴く。


 依然として肩に留まっており、鳴き声が鼓膜にぶつかってくる。

 思わず「うるさっ」と顔をしかめてしまう。


 するとカラスの声が小さくなる。「あわっあわっ」


「音量を下げられるのか」

 でも僕は感動するポイントを間違えていて、ここは、カラスが僕の反応から僕の心情を察したことに驚くべきなのだ。ちょっと疲れてしまって思考力が落ちている。

「……帰ろうか」


 カラスに名前をつけた方がいいんだろうか? でも、飼い主が既にいるかもしれないし、それを確認するのが先か。賢いカラスなので、五十音表を見せたら自分の言いたいことを足で指し示したりしてくれるかもしれない。こっくりさんみたいに。

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