人形の見た夢
楽しんで頂けたら、幸いです。
「はじめまして、おひめちゃま」
はにかむようにして、私を抱きしめる貴女。
―――まぁ、貴女が次の、姫様なのね。
踏みつけられた花みたいに、薄汚れたお顔で。
シーツよりも薄っぺらな服を着て。
秋の寒さに震えながら私を抱きしめる、そんな貴女。
きっと以前のご主人様なら、「汚らしい」と言うでしょう。
―――けれど、キレイなお姫様に八つ当たりされて。
ボロ雑巾のように捨てられた私には、きっと相応しいご主人様だと思うのです。
………あぁ、今日は寒いでしょう?
私の体に残った綿がほんの少しでも、貴女を温められたなら良いのだけど。
―――ほつれた手足を縫い合わせれば、きっと貴女が着ている服の、穴を埋めるくらいは出来るでしょう。
―――体に残った綿を使えば、ほんの少しだけ、貴女を温める事だって出来るでしょう。
だから、どうかお使いくださいな、お姫様?
◇
人形がそんな事を願っているとも知らずに、少女はとことこと貧民街を駆けていきます。
危なっかしい足取りで。
子犬のように軽やかに。
「おかあしゃん!みて!!おひめさま!!」
「まぁ、本当ね。どこで拾ったの?アリー」
今にも崩れそうな家の中。懐に飛び込んで来た少女を抱きしめて、お母さんは尋ねました。
泥だらけでボロボロとは言え、こんな綺麗な刺繍の入ったお人形を持っているのなんて、貴族ぐらいしかあり得ません。いったい何処まで冒険に行っているのかしらと、お母さんは心配そうです。
「えーと………あっち!」
「そう……。アリー、あまり遠くには行っちゃダメよ?」
そう心配そうに言いながら、お母さんは尋ねます。
「それで、そのお人形さんはどうするの?」
貧しい生活には、きっと不釣り合いなお人形。
バラして使えば少しだけ温かい冬を過ごす事が出来ますし、売れば少し美味しいものだって食べれるでしょう。
少女は無邪気に答えます。
「なおして!おかあしゃん!」
小さな小さなお姫様が、偶然見つけた宝物。
きれいなきれいなお人形。
直したいと思うのは、自然なことかもしれません。
けれど……
「うーん、そうよね…………。どうしましょう」
お母さんは困ってしまいました。私を治したって、一銭の徳にもなりません。第一、人形を直す糸や布が無いのです。あれば、自分たちの服に使っているでしょうし。
お姫様が、言っている事も分かります。せっかく見つけてきたと言うのに、売ってしまったりバラバラにしてしまったりすれば、きっと彼女は悲しむでしょう。お母さんは可愛い娘の言葉に随分と悩んだようでしたが、最後には出来るだけ頑張ってみるわね、とそう言ったのでした。
―――その夜。
アリーちゃんがグッスリと寝静まった頃。
お母さんは一人、針を片手に月明かりの下で私を膝に抱えていました。
「ごめんなさいね。本当なら、あなたを綺麗に直してあげたかったんだけど………」
申し訳なさそうにそう告げながら、お母さんはお人形から綿を抜き取っていきます。
何度も、何度も、「ごめんなさい」と言いながら、私の手足をほぐしていきます。
………今年の冬は寒くなると、そう貴族様も言っていました。
だから、別に良いのです。
捨てられちゃった小さなお人形の綿なんて、大した量でも無いけれど………それでも、あなた達が生きる助けになれるなら。
私は、それで良いのです。
縫い糸の代わりに、刺繍糸を抜き取って、
綿の代わりに、枯れ葉を詰めて、
傷が無くなりますようにと、自分のシャツを切りとって、
「ごめんなさい」と、何度も何度も謝りながら、
お母さんは縫い続けます。
お姫様の服に、綿を詰めて。
裾が欠けてしまった自分の服を、気付かれないように繕って。
―――そうして、夜もふけた頃。
つぎはぎになった私の体と、裾が短くなった、お母さんの服。
そして少しだけ分厚くなった、お姫様の服が出来ていました。
「おかあしゃん、ありがとう!」
翌朝、目を覚ましたお姫様は喜びます。宝物を、大事に大事に抱きしめて。
「はい。大切にするのよ?」
少し後ろめたそうに笑いながら、お母さんはそう言いました。
◇
―――そして、冬が始まりました。
ツンと透き通った冷たい風が、壊れかけの家を吹き抜けていきます。
「眠ってはダメよ、アリー」
少ないご飯を分け合いながら、お母さんがそう告げます。
小さなお姫様はカタカタ震えて、それでもウンと頷きます。
「眠ってはダメよ、アリー」
小さな焚き火を二人で囲み、お母さんはそう告げます。
母に抱き抱えられたお姫様はぎゅっとお人形を抱きしめました。
「眠ってはダメよ、アリー」
うわごとのように何度も何度も、お母さんは言い続けます。
「眠ってはダメよ」
「眠ってはダメよ」
長い夜を超えるまで。
優しい朝日を迎えるまで。
「眠ってはダメよ」
「眠ってはダメよ」
何度夜を越えたとしても、
いつか、春の一夜に届くまで。
「眠ってはダメよ」
「眠ってはダメよ」
何度でも、何度でも、お母さんは言い続けます。
そんなある日、
長く……冷たい……冬の夜。
ふと、ゴウッと強く吹いた風が、焚き火を大きく揺らしました。
お母さんもお姫様も、うとうとしていて、火が消え掛かっている事には気づいていません。
この火が消えたら、きっと二人は死んでしまうでしょう。
―――その時、わたしは悟ったのです。
あぁきっと、この時のために……私は生まれてきたのだと。
要らないものと捨てられて、
優しいお姫様に拾われて、
何度も長い、夜を過ごして、
きっと、今日………この日のために、私には心があったのだと。
―――ありがとう、お母さん。
私に、枯れ葉を詰めてくれて。
―――ありがとう、お嬢様。
私を、要らないものだと捨ててくれて。
動かない筈の体にえいやっ!と力を込めて、お人形はお姫様の腕から滑り落ちます。
消えかかった炎の中に、小さなお人形は転がり落ちます。
―――さようなら、私の大事なお姫様。
見つけてくれて、ありがとう。
愛してくれて……ありがとう。
翌朝、太陽がゆっくりと目覚めた朝に。
泣きじゃくる少女の手には、真っ黒に焦げた………小さな布切れが落ちていました。
※誤字報告、ありがとうございます!