8話:仕事内容
ボスベニア企業国連邦、ベルベッドシティ。首都カザリアから南西約150km程に位置する近郊都市である。カザリアから鉄道で直通しているという事もあり、ヒトモノの流通が豊かな研究産業都市でもある。
沿岸部のラゴス区には魔工発電所があり、それを中心に魔工技術研究所が建ち並んでいる。そのため、魔工技術関連の企業も数多くベルベッドシティを拠点としており、ボスベニア第二首都と呼ばれて久しい。
過去の大戦時には軍需産業の中心地としても栄えていたが、殆どの機関が首都に集中したため、現在はその残骸だけが残っている。
ジャックスが目覚めた研究所は、そのベルベッドシティ産業エリアの隅にポツンと建っていた。外観は研究所と言われなければ判別つかないくらい貧相で、ドクターの資金難を伺わせる。
そこから出発し約1時間。現在車は組織の拠点があるという、ベルベッドシティの中心街オドロット区にさしかかろうとしている。
「…気分悪ィ……。」
後部座席で窓を眺めるジャックスが、ぽつりと声を漏らす。外装を整えただけの古い車の振動に酔った、という訳ではない。約一月前の出来事を嫌でも思い起こさせられた為である。
「アレクシーの野郎…」
組織の集会。あの日二人が集められた街が、ここオドロット区であった。ジャックスにとっては、忌々しい思い出の地である。
「アンタがどんな立場か知らないが、俺と行動してたアレクシーってヤツのその後って知ってるか?」
「悪いが伝えられない。」
「…はァ?アイツは組織の離反者だぞ。スパイかもしれねェ。まぁもう処分されてるだろうが、その顛末すら知れねェのか。」
別段組織に対する強い忠誠心がある訳ではないが、自分をコケにした男がそのままのうのうと生きているのは気に食わないし、生きていようものならこの手で葬るつもりである。
しかし、この一件にはどうしても腑に落ちない点がある。それはアレクシー自体の動きだ。あまりにも回りくどい方法での攻撃。離反するにせよ、スパイだったにせよ、もう少しマシな方法があった筈だ。狙撃手に一発打たせて、ジャックスの死体を担ぎ、「敵でした」と突き出せば良い。
そもそも、ジャックスが思うに、アレクシーがただの離反者である線は薄い。黙って消えるのであれば、もう少し静かにジャックスを消すべきだ。
とはいえ、スパイであればジャックスを殺すメリット自体が無い。組織の情報を引き出したいのであれば、そのまま大人しく潜っていることが正解だろう。
何もかもが不自然で、気味が悪い。その気味の悪さが、アレクシーの生存を予感させてならない。
(ああいうヤツはそう簡単に死なねェ。だが正体は何だ?国の人間にしちゃ、やり方がおざなりだが……。別勢力、って所か?)
存在の危うさに反して、情報が少ない。いつかまた違う形で、自らに牙を剥く気がしてならない。そんな歯痒さが、ジャックスを苛立たせる。
「さあ、降りるんだ。」
思案している間に、どうやら目的地に着いたらしい。見たところ廃ビルやアパートが並ぶ裏町であるが、これといって目を引くものは無い。
男について行くように車を降りる。厚手のコートを羽織り、オーバーサイズのパンツとブーツで義体を隠すその格好は、さながら寒冷地仕様。または不審者。冬季真っ只中の現在だから良いが、涼しい気候の国とはいえ夏期は相当厳しいと愚痴を漏らす。
何よりーー。
「このサングラスだけはどうにかならねェもんか。」
ジャックスの義眼は、常に青緑色の虚ろな光を灯している。こればかりは、サングラス等で隠すしかなかった。
「我慢しろ。ここだ、入るぞ。」
淡白な返答に唾を吐き、ビルの入口階段を降りる。地下に向かう階段の先には、「本日休業中」の札が貼られた扉があった。見たところの雰囲気としては喫茶店だろうか。
男が数回ドアをノックする。すると、おもむろにドアが開き、中から中年の男が顔を出した。
「今日は休業中だよ。」
「エンバーさんに要件が。」
「…入んな。」
男について行く。中年の男に奇異の目で見られるが、特に気にせず歩みを進める。店内は一応喫茶店の風体をしているようではあるが、どうせ形だけのダミーだろう。ここはただの拠点への入口に過ぎない。
店の奥の階段からさらに地下に降りる。この辺りは、過去の大戦時激戦区であった事もあり、防空壕として地下がある建物が多い。そういった建物は、組織の拠点としては都合が良い。
無骨なドアを開けると、小さな地下室があった。埃が溜まっている所を見るに、最近あまり使用されていなかった拠点なのだろう。
テーブルを挟んで散らばっていた椅子に座る。鉄パイプの軋む音が狭い部屋に響く。
「さて、単刀直入に言おう、ジャックス。聞いているだろうが、君にはウルド病重篤患者、マルドックスを狩ってもらう。」
「あぁ、聞いてる。だが目的はなんだ?バケモノを狩って世直しか?」
「そういう仕事を任せる事もあるかもしれないが、メインは違う。」
男が鞄から資料を取り出す。そこにはいくつかの企業情報、そして不明瞭だが、マルドックスを写したと思われる写真が数枚あった。
企業は国の5企業やその他力を持つ企業。それらが事細かに記載してある。主生産、遍歴、規模、裏事業や国との繋がりまで。組織の諜報班はそれなりに優秀らしい。
しかし、その項目の中に見慣れないものがあった。
「マルドックス保有リスト…?」
「そうだ。君が主に狩るのは企業が有するマルドックスだ。そのリストに載っている者で全てではないが、大まかな特徴は覚えておけ。」
資料にはそれぞれの身体的特徴が記されていた。これらの情報は、企業にとっても相当機密レベルの高い事項なのだろう。データは全てではないし、特徴も挙げられている数は少ない。写真付きとなると余程このマルドックスはヘマをしたのだろう。
しかし、これだけでも色々分かる所がある。ジャックスが知るマルドックスはシーのみである。彼の特徴としてはやはり四本の腕であったが、これらの資料を見る限りでは、そういった個体はいない。あの四本腕は、他のマルドックスに比べても特徴的であったという事だ。
ジャックスにとっては朗報だった。訓練中は四本の腕に苦戦を強いられた。だが、実際に相手にするマルドックスがその限りでないと言うのであれば、渡り合えるかもしれない。
思わぬ苦戦要素が無いとは言いきれないが。
「彼らは企業から仕事を受け持ち、日々殺しを行っている。そのターゲットは主に企業の重役やその関係者だ。時折、マルドックス同士での戦闘もあると聞く。」
「解せねェな。『バリスタ』の相手はあくまで軍部だった筈だ。それがどうして企業間抗争に首を突っ込む?」
「この国は最早軍部と企業で成り立っている。我々の長きに渡る活動の中で、軍部の肥大化には、各企業からの支援が大きく関わっている、という事が判明した。国の癌を取り除く為には、軍部と企業。この二つを瓦解させる必要がある。」
「だからまずは企業をって事か。」
「そうだ。企業解体は我々バリスタが実行する。君には、我々に噛み付きかねないその牙を、折ってもらう。」
何とも御大層な思想をお持ちなこって、とジャックスは心中で息を吐く。不況に流されて加入した組織が、ここまで明確に国の転覆を画策しているとは。
ジャックスは大きな志を持って加入した訳ではない。生きる為に、というよりも弱い、半ば若気の至りのようなものだった。
そんな気持ちで乗り掛かった船は、もう降りられない領域にまで進んでしまっていた。
「あぁ、大体の事は分かった。どうせ拒否権無ェからな。大人しく受けてやるよ。実際の指示は誰から受ければ良い。アンタか?」
「いや、別の者が伝える。この無線機を常に着けておくんだ。仕事の時に通信が入る。」
渡されたのは耳にはめるタイプの小型無線機。無線範囲は見るからに狭い。
「…ソイツは俺の近くにずっと張ってるってのか?」
「その無線機は魔工技術によって共鳴能力が付与されている。二端末間でしか効果は無いが、その範囲は半径約1000kmに及ぶ。」
「へェ……そりゃ便利なこって。」
魔工技術サマサマだ。どうやら最低限のプライバシーは守られるらしい。
しかし、ここまで自分の身体が魔工技術にまみれる事になろうとは思いもしなかった。元々、ジャックスは魔工技術に対して少しばかりの抵抗を覚えていた。
ジャックスは両親をウルド病により喪っている。ジャックスが在学中に感染し、程なく息を引き取った。
そこから路頭に迷ったのは、どちらかといえば不況の影響が殆どであるが、それでも、マギニックを利用する魔工技術に対して、半ば八つ当たりのような感情を持ってしまう事は自然だった。
「俺の身体はマギニックでまみれちゃあいるが、俺自身、マルド病に感染しちまうんじゃねェのか。」
だからこそ、聞かずにはいられなかった。
「可能性はある。最悪、君自身がマルドックスになる可能性もな。」
だからこそ、聞きたくなかった。この身体の説明を最初に受けた時から、そんな気はしていた。こんな身体とは無縁な日常生活を送っている一般市民ですら感染している。身体中にマギニックが巡っている人間が、感染しない訳がない。
どれだけ生き残る為に戦っても、いつかは病で死ぬ。または、人でなくなる。あんまりな運命じゃないか。
「だが、その可能性をできるだけ低くすることはできる。」
そう言って男は再び鞄から次は小包を取り出す。開けると、小箱に数十錠の錠剤が入っていた。
「……胡散臭ェな。」
「疑うのなら別に使わなくても良い。ワクチンだ。用法は3日に1錠だそうだ。」
分かりきった毒より、正体不明の薬の方が怖い。特効薬が見つかっていないマルド病のワクチンが、こう易々と出てくるものだろうか。疑問は尽きない。
尽きないが、延命できる可能性があるのであれば、全力で手を伸ばそう。少なくとも、今組織にジャックスに毒を盛るメリットは無い筈だ。
「ありがたく頂戴しておく。」
「そうか。こちらから伝える事はこれで以上だ。後は連絡を待て。次の指示があるまでは、ここが拠点だ。不用意に外には出るな。必要なものは上の男が用意する。」
「知らねえおっさんと二人暮しかよ。寂しいモンだな。」
軽口に耳を貸さず、資料を回収し、男はさっさと出ていってしまった。残ったものは殺風景な風景と薬と無線機。重要な役割を与えられている割にはぞんざいな扱いだとため息をこぼす。
とりあえず、言われたように無線機を付ける。正直これを四六時中付けているのは邪魔で仕方がない。これこそ、身体に埋め込んでおいて欲しかった。今からあのドクターの所へ持ち込んでも間に合うだろうか。いや、余計な改造もされそうだからやめておこう。
すると、早速無線機にノイズが走る。
『ザザ…、…ザ…、…し………も………!…ザ…』
「…あー、こちらジャックス。回線が悪い、もう一度頼む。」
『……!ザ、ザザ……もし……き……!』
ノイズが酷い。ここが地下室だからか?地下に通信が届かないとなると不便な場面はいくらか想定されるぞ。不良品か?
「しゃあねェ、出るか。あー、先が思い」
『あ、繋がったもしもーし!!!聞こえるー!!?』
「があッ!」
突如耳を劈く爆音に、思わず耳から無線機を外す。耳まで義体化させる気か。
『もしもしー!!?あれ、やっぱり聞こえてないのかなあー、もーしも』
「うるせェ程聞こえてるよ馬鹿野郎!!」
『あ、よかったー!上手くいったみたいだね!はじめまして!私はウィスパーピーク!!あなたの指示担当だから、これからよろしくね!ウィスパーちゃん、って呼んでいいよ!』
「おーおーどこがウィスパーだ。スクリームの間違いじゃねェのか。」
この女が先程言っていた指示担当であるなら、毎度この声量を味わう事になる。勘弁して欲しい。本格的に耳の改造を検討するところだ。
『ひどーい。まあいいや!とにかく、今回は通信接続のチェックで連絡しただけだからね。次は仕事の時だから、無線機はしっかり付けておいてねー!それじゃ!!』
ぶつんと一方的に無線が切れる。もう少し適任の人間がいるはずだろう。何故この女を割り当てた?ドクターと言い、この指示担当と言い、もう少しまともな人選をして頂きたいと切に願う。
しばらくの間は、いつ入るか分からない仕事に構えながら、見知らぬ中年とここで生活する事になる。そんな事ならまだ一人で暮らしていた方がマシではあるが、迂闊に外に出られない為そうもいかない。
「とりあえず、掃除でもするか…」
まずは自分の生活圏の質を上げよう。クソッタレな人生のクオリティ・オブ・ライフを上げる第一歩だ。
虚しい抵抗とも言えるかもしれないが。