7話:戦闘訓練③
統一歴1120年12月15日
ジャックス覚醒から20日目――。
早朝。
見るも痛々しい様となった訓練場に一人、ジャックスは立つ。軽く体を動かして、体調に問題が無い事を確認する。
整う呼吸とは裏腹に、ジャックスの内心は焦りを見せていた。
この数日間、訓練の進み具合が明らかに滞り始めている。シーが残りの腕を使い始めてから、まだ一度も有効な一手を決められていない。常人離れした世界の戦闘に順応しろ、という事自体無茶な話であるが、現にそれを求められている。
そして、そのリミットも僅かしか残っていない。
(組織はひと月と言った。だがご丁寧にひと月待ってくれるとは思えねェ。話によると、即日俺を回収したがったらしいからな。もう痺れを切らしていてもおかしくねェ。)
ひと月というのは、あくまでもドクターが引渡しをゴネた結果譲歩された期間である。元々こちらが提示した期間でもなく、それに強制力も無い。
そんな状況だからこそ、早く自らを仕上げなくてはならないのに。しかし、自らの戦闘性能の限界が、その邪魔をする。
ジャックスは超人ではない。身体能力は、少し反射神経が鋭いだけの一般人という評価の域を出ない。
「鋼の身体を手に入れても、バケモノ相手じゃただのハリボテだ。」
義体を起動させ、この数日間で学んだ動きを反復する。にわか仕込みの格闘術。相手が人間でない時点で意味は無いかもしれないが、より効率的に拳へ、脚へ力を乗せる為には有効だ。
比較的様にはなってきた、と思う。実際、初日よりはイメージに身体の動きが追いついてきており、シーの動作への対応もマシになってきた。
しかし、完成には程遠い。今は四本の腕を回避するだけで精一杯で、とても受け流しやカウンターに繋げる事ができない。
これでは、対マルドックス戦闘において生き残る事など、不可能に近い。
「もっと、もっと鋭く…」
度重なる訓練の中で、反応速度だけは少しずつシーに追いつける程度にはなってきている。慣れもあるかもしれないが、相手の気配、意気、視線。攻撃の出始めに漏れるそれらのものから、次の手に反応する。その一点においては、マルドックスと渡り合える境地に最も近づいている、とドクターから評される程にはなった。
しかし、ただそれだけ。それだけでは勝てない。反応速度に追いつくだけの身体的な速さ。しかし、そこにまた、大きな課題が残されていた。
グラングライヴァ。速さ、というディスアドバンテージを埋めうる最大手。しかしジャックスはまだこれを御しきれていない。手の付けようがない赤いバケモノ。迂闊に使用すれば自分の身を滅ぼしかねない。
制御訓練中、タイミングを誤って全身が回転しながら天井に突っ込んでしまった事がある。あの時はさすがに刹那の中で走馬灯を垣間見た。
あの時は確か、回し蹴りを加速させる為に発動した。一瞬の動作のみを加速させるという限定的な発動ができるかどうか、という実験だった筈だ。結果は失敗であったが。
「蹴りの回転が過ぎると人は飛ぶと学んだな。はは。」
自嘲気味に思わず笑う。閉塞的な展開が続き、そして打開展望も見えないとこうも暗澹たる気持ちになるのか。
しかし、あの回転力には何か可能性があるように思えた。もしあれが技として成立すれば、また素晴らしい武器になるのだろう。例によって、制御できればの話だが。
「……回転、か……」
回転。グラングライヴァでは失敗したが、グラーヴァくらいであれば、今なら問題無く制御できる。
元々攻撃手段が限定されており、ほとんどは脚技になる。その中の一つとして回し蹴りがあったが、当然攻撃用、あるいはカウンター用に鍛えてきた。
加速された回し蹴りの回転力を別に転用できるとすればーー。
「物は試しだ、やってみるかーー。」
ー
ーー
ーーーー
「さて、目標はいつも通りだ。3時間後に一度休憩を入れる。それでは開始。」
淡泊な合図と共に20日目の訓練が始まる。内容は非常にシンプル。あらゆる攻撃パターンで攻めてくるシーに、受け流し、または回避を行い、カウンターを決める事が目標である。
当初からの変更点としては、カウンターに対してシーも抵抗をする、というものがある。故に、抵抗の隙を与えない程の速さで攻撃を加えなくてはならない。
相も変わらず一瞬も気を抜けない攻防。いつも通りシーの拳を去なそうと試みるが、四本に増えた腕から繰り出される攻撃に対し、まともに対処できない。結果、中途半端に受け止め、対処できないものを回避する形になってしまっている。
(それじゃあいつもと変わらねェ。上手くいくかは賭けだが…)
迫る四本の腕。
「やってみるしかねェだろ!!」
跳躍し、伸びた腕にめがけて回転蹴りを打つ。加速された脚に遠心力がさらに加わり、その威力はシーの腕を弾くに至った。
まずは一本目。尚も迫る残りの腕を、回転の勢いそのままに薙ぎ払う。
薙ぎ払おうと、したーー。
回転が止まる。シーは、腕の一本を防御に徹させ、無理矢理回転をせき止めたのだ。遠心力を加えても尚止められない強靭な肉体。圧倒的なパワー。
凌ぐにはーー。
「グラングライヴァ。」
瞬間、シーの強靭な体躯が地に沈む。防御していた腕も、攻撃せんと伸びていた腕も、圧倒的なパワーを持つ肉体も、その一切合切を叩き伏せる。
赤い稲妻が弧を描き、瓦礫が舞う。
ほんの刹那に広がる光景を、ジャックスは確かに見ていた。
轟音と共にジャックスの身体が弾け飛ぶ。しかし今回は、天井に届く程の勢いは無く、無傷で着地する事が叶った。
回転の勢いを殺されかけていた状態からのグラングライヴァ。それが逆に、偶然とは言え制御可能な反作用に抑える事ができた。
狙った訳では無い。ただただ、反射的に発動してしまっただけ。もしタイミングを誤っていれば、どうなっていたか分からない。
しかし、間違い無いのはその威力。確かに回転蹴りの威力は死にかけていた。それでも尚、その蹴りはシーの肉体に打ち勝った。
この呪文は、この技は、そこまで制限しなくては扱いきれない代物なのだ。少なくとも、現段階では。
「そこまでだ。シー君、起きれるかい。」
呆然とした頭が現実に引き戻される。十数メートル先で、シーがゆっくりと動き出している。あの一瞬で、ここまで飛んで来たのか、自分は。
「う、ぐ……は、はい…なんとか…」
ふらふらと覚束無い足取り立ち上がるシーを見るに、相当な威力であった事が伺える。戦闘訓練で、意図的ではなかったとはいえ一抹の申し訳なさを感じる。
「大丈夫か?」
「ええ、まあ、それより、さすがに驚きましたよ。カウンター、と言えるかは分かりませんが、見事な一撃でした。」
「狙ってできた訳じゃない。もう一度できるかは、正直分からん。」
「……再現性を上げる為に付き合えと言われても、さすがに僕でも厳しいですよ…この威力を毎回受けるのは。」
再現性は無い。アイデアは悪くなかった。何も、相手の攻撃を守りの姿勢で受け流す必要はない。攻撃は最大の防御、という考えがあるように、懐に飛び込んでのカウンターが今回の狙いだった。
しかし、それも呆気なく止められた。しかも腕一本で。本来の目的は達成できなかったに等しい。
グラングライヴァの制御が上手くいったのは、思わぬ副産物であった。
1から100にかけて増幅する力にグラングライヴァを使うと、当然その威力は何倍にも跳ね上がり、制御不能になる。
逆に、100から1に減衰する力にグラングライヴァを使うと、減衰した分の力+αの威力に抑える事ができる。
理論だてればシンプルではあるが、問題はタイミングだ。今回100から1の内、どのタイミングで発動したかも分からない。1くらいまで減衰していた気もするし、10くらい残っていたかもしれない。
この加減を誤ると、たちまちこの脚は暴走する。だから、その力加減を推測する為の勘を培わなくてはならない。
それまでの間、どれ程の自滅と、シーへの深刻なダメージを繰り返さなくてはならないのか。
「今回のは…まだ不安定な技だ。できれば使わずに行きたい。」
「そう、ですね。でも、回転のアイデアは悪くなかった思います。そこを突き詰めて行けば…」
代替案を模索するが、残り少ない時間の中でできることは限られる。特に、最善手が見つかった上でとなると、思考がどうしてもそちらへ向く。グラングライヴァを使えるようになった方が、明らかに効率的であると。しかし、それまでの犠牲考えると手が出せない。かえって、八方塞がりになってしまったのではないか。
二人の間に重い沈黙が続く。そこにーー。
「今日はここまでだ。二人とも戻ってきたまえ。」
遮るように、ドクターの声が響く。
「?…何故ですか、ドクター。まだ始まったばかりですよ?」
朝感じた焦燥感を、再び感じる。嫌な予感がする。
「私が思っていたより少々せっかちだったようだ。ジャックス君。お迎えだよ。」
嫌な予感は、往々にして当たるからタチが悪い。
ー
ーー
ーーーー
「どうも、久しぶりだね。まだひと月は経っていないが一体どうしたと言うんだい?戦えない訳ではないが、まだ彼は完全な状態とは言えないよ。そんな状態で送り出すとなると、折角の秘密兵器が早々に壊れてしまうよ。キミ達はそれでも良いのかい?言ったはずだよ、私はーー。」
「ドクター。状況は日々変動している。もう一刻の猶予も無いのです。それに、彼の管理権限は貴女にはありません。それをご承知下さい。」
いつか聞いた堅苦しい声の男とドクターが向かい合う。声の印象通り神妙な面持ちが特徴的な男だ。身なりがだらしないドクターとは対照的にシワひとつないスーツに身を包み、不遜な態度とは裏腹にご丁寧にコートを腕に掛けている。気は合いそうだ。
「どうせ拒否した所で無意味なんだろ?大人しくついて行くしかねーじゃねェか。まぁ、元鞘に戻るだけだけどな。」
「で、でも、まだーー。」
「なぁアンタ。俺がもし何の役にも立たないまま死んだら、こいつらはどうなる?」
「それを知る権限は君には無い。」
あぁ、そうかよ。秘密主義者は嫌いだ。前言撤回、気は合わねえ。
「それではそろそろ失礼致します。ついてくるんだ。車を用意してある。」
「あぁ、最後に一つ。キミ達に伝えておくよ。」
踵を返そうとした男の背にドクターが投げかける。
「彼には特別な何かがある。私でも観測し得なかった何かがね。キミ達がそれを見出し、最大限活用してくれる事を祈っているよ。」
「……善処しましょう。」
何か?何かってなんだ。ジャックス自身、心当たりが無い。まだドクターは何か俺に隠しているのか?それとも、想定より早く自分の研究成果を持っていかれる事への負け惜しみか。どちらも有り得る。
いつもいつも大事な事をすぐ言わないから土壇場で伝えるしかなくなるんだ。秘密主義者達はそれ分かっちゃいない。
結局、この数日間共に過ごしてもドクターの事はよく分からなかった。元々、誰かに推し量れるような人間ではないのかもしれない。
シーも、訓練相手という事もあり比較的よく話していたが、肝心な部分は何も分からない。ジャックスにとっては、15歳の理性あるマルドックスでしかない。
ただ、別に居心地が悪かった訳ではない。生活環境は最悪だし、訓練にまみれた日々は過酷そのものであったが。だからせめて、別れの言葉くらいはかけておこう。
「じゃあな、とりあえず世話になった。また世話になるかもしれねェけどな。」
ひらひらと手を振り、前を行く男についていく。どうせ、地獄から地獄へ生き場所が変わるだけだ。少しばかり、命を落とす可能性が高いだけで。
ただ、ふと振り返った時に見たドクターの今まで見た事のない表情だけが、心のつっかかりとなって残っている。