5話:戦闘訓練①
統一歴1120年12月2日
ジャックス覚醒から7日目――。
訓練場から地響きが続く。それに合わせて、壁や天井からパラパラとゴミや細かな破片が降る。心做しか、所々ヒビも増えている。
「ふぅむ、元々訓練場として作った訳では無いとは言え、頑丈な部屋のはずなんだけどね。この施設も限界かねえ。安く借入れられて気に入っていたんだが。このままでは敷金だけで破綻してしまいそうだよ。もう少し手加減して貰わないと切実に厳しいよ、ジャックス君、シー君。」
「今の防御は良い感じですよ!ただやっぱりカウンターが甘いですね。僕みたいに待ってくれる程、優しくはないですよ!」
「重いんだよ一撃が!クッソ、思うようにいかねェ…」
鋼の右腕で攻撃を受け止め、足蹴りで返す。または、脚で攻撃を受け止め、右腕で殴る。対マルドックスの攻撃方法が限られているジャックスにとって、この動きを完璧にする事が第一目標である。
義体以外が生身のジャックスがまともに攻撃を喰らえば、ひとたまりもない。あくまで防御中心のカウンター狙いの型。しかしそれは、尋常ならざる反射神経と、集中力を必要とされる。
(見てからじゃ遅い。行動の出始めを読まねぇとまともに守れねぇ。それに馬鹿正直に正面から防御しても、衝撃で硬直しちまう……。去なす防御が理想だが、それが出来りゃ苦労はしねェ。)
頭で理解はしていても、それをそのまま実行に移す事は至難の業である。特に、自身の身体スペックを越える技術を要するとなると尚更である。
しかし、そうでもしないとジャックスに待ち受けるのは死。必要に駆られて限界を越えなくてはならない。
ほとほと、自分の運命を呪う。
「よし、もう一本来い。完璧にカウンター食らわしてやるよ。」
「言いましたね?これでまた失敗だったら格好悪いですよ、っと!」
迫る脅威の体躯。見るべきは攻撃の出どころではなく、身体の傾き。どこに力を込めているのか。どこを狙っているのか。どのタイミングで動かすのか。その瞬間を見極めろ。そして読め。
やや右。傾きが少ない。大振りではない。突きか。右の突き、左脚――。
刹那、繰り出されるシーの右腕。左脚を使い、軽く蹴り除ける要領でインパクトをずらす。それでも残る圧倒的な衝撃。今回はそれを利用する。浮いた身体を勢いに任せ回転させる。そしてそのままーー。
シーの左顔面を、回転の勢いそのままに蹴り抜ける。
ごん、という確かな手応え。加速された鋼の脚は鋭く、的確に目標を撃ち抜いた。一本取った、ざまあみやがれ。
「甘いですって。」
回転の余韻が残る身体が突如固定される。伸びたシーの左腕が、ジャックスの右腕を掴む。今の一瞬で、気取られもせず。
ぐん、と異常な力で引っ張られ、ジャックスの身体が地面に叩きつけられる。
「がッッぁあっ!!!」
「一発打ったら、次、その次と打ち込まなくては。でも、口約通りカウンターは完璧でしたね。今のは見事でしたよ。」
背中から叩きつけられたことで上手く呼吸ができない。クソッタレめ、そんな反撃してくるなんて聞いていない。
そんな恨めしい視線を感じ取ってか、シーが溜め息を吐きつつバツが悪そうに視線を逸らす。
「…すみません、今のは僕も少しムキになってしまいました。今日はもうこの辺りにしておきましょう。結構限界みたいですからね、あなたも、この部屋も。」
「はァっ、はァ、ぁあ、クソ……、いや、感覚は掴めて、きたな…。もう少し、もう少しだ…」
「そのストイックな所は尊敬しますよ。まだ7日しか経っていないのに、もうそこまで動けるんですから。でも今日は休んでください。」
そう言うとそそくさとシーが帰っていく。疲労の様子は見えない。対等にやりあえるようになるまで、一体どれほどの月日が必要になるのだろうか。
まだ先程のダメージと疲れが残っているため、ジャックスは暫くそのままでいることにした。動きの感覚を忘れない為にも、イメージを繰り返しながら。
「…さっきのアレだ、あの感覚だ。アレをもっと磨けば、武器になる。それにはもっと場数を踏まねェと、クソ、一月じゃ足りやしねえ…。」
組織が用意した一月というリミット。余りにも短すぎる。テクノロジーによって補助されているからといって、義手義足のリハビリに与える時間ではない。その上対マルドックス用に仕上げろとは最早笑えてくる。
「あーあ、笑えねェ。何もかも滅茶苦茶だ。嫌ンなるぜ。逃げられるモンなら逃げ出したい。」
どうせそれは叶わない。裏切りは死だ。こんな事になるなら、あんな軽い気持ちで組織に加入するんじゃなかった。でなけりゃ、まだ人間らしい暮らしを送れていたはずだ。
しかし、そんな事を憂いていても後の祭り。やらねばならないのだ。やらねばーー。
「クッソ痛えな、折れてねーよな…。ドクター!」
「今医療班が向かっているよ。安心したまえ。それに、力加減を間違える程シー君は未熟じゃない。骨折なんてさせないよ。…保証はしないが。」
結果的に骨に異常は無かったが、アンタは発言と行動にもう少し責任を負うべきだな?
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「…なァ、ドクター。」
「んん?どうしたんだい。食事中に話すなんて珍しいじゃないか。今日の反省会ならこの後に時間はとってあるよ。」
「いや、そうじゃなくて…この飯の事なんだが、もう少し何とかならないのか?毎日同じレーションを食っているのか?ここでは。」
「そうだが。」
ここに来たばかりの頃はそういうものだと口を挟んで来なかったが、そろそろ我慢の限界になってきた。毎日毎日味気のない、腹も対して満たされないレーションを食わされて、こんなものでは訓練にも身が入らない。
「そうだが、じゃねーよ。こりゃ戦場で最低限のエネルギーを摂取するためのモンだ。日常的に食うモンじゃねェんだよ。ここのスタッフはよく甘んじてるなこんな暴挙に。」
「常在戦場と言うじゃないか。備えあれば憂いなしだよ。いつここが戦場になるか分からない。そんな世の中だ。普段贅沢していたら、そんな場面で生き残る事ができるだろうか。いや、できないね。だからこそ、こうして最低限の食事を徹底しているのだよ。あと、安い。」
「最後のが本音だろこの貧乏研究者め!」
組織はどうしてよりにもよってここへ依頼したのだろうか。確かにドクターの研究者として手腕はたいしたものなのだろう。しかしその他のマイナスポイントが多過ぎる。生活力とか、それ以前に人間性とか。
「はァ…こんなん食ってっからシーもちっこいままなんだよ。」
「…ッ!」
「おやおや、ジャックス君。多感な時期の子にデリカシーのない事を言うんじゃない。」
「アンタが教育を語るのか…」
ドクターはかなりシーの事を気に入っているようで、しばしば彼の肩を持つ。盲目的に肯定している事も多々ある。
気持ちは分からないでもない。大人ぶった雰囲気はあるが、やはりどこか子どもらしい一面を持つシーには、弟的な可愛らしさがある。今回も、自分の為では勿論あるが、日頃世話になっているシーに良いモノを食わせてやりたいという気持ちがあってのことだ。
ドクターに恩を感じていない訳では無いが、どうも素直に恩を感じたくない。
「飯を作れるスタッフはいるのか?食材は?」
「どちらも無いね。」
「だと思ったよ。いい、買い出しに行ってくる。」
「あー、待ちたまえ。キミは外に出ない方が良い。重要機密が詰まった身体を衆目に晒す気かい?残念ながらキミはもう一般人ではないんだ。軽率な行動は控えたまえ。仕方ない、買い出しなら暇なスタッフにでも行かせよう。ほら、メモだ。欲しい物を書いておきたまえ。」
「……分かったよ。」
改めて自分の境遇に辟易しつつ、メモをとる。とにかく、肉は欲しい。最近また高騰してきているようだが、自分の金ではないので問題無いだろう。後はパンと野菜、卵やチーズ、バターも欲しい所だ。調味料も置いていないだろうから、それも加えよう。
程なく書き終えたメモを渡すと、ドクターがぶつくさと苦虫を噛み潰したような顔で暇なスタッフに渡しに行った。費用がどうとかと聞こえたが、金は無いわ、暇な人員は居るわで研究所として成り立っているのか不安になる。
スタッフは飯を食えているのだろうか。
「…あの。」
「あぁ?」
「僕は小さくありませんよ。」
「……何見栄張ってんだ。悪いが、とても15には見えねーぞ。」
初見では13前後位に見ていたが、後で聞いた話だと先月15になった所らしい。正直、身長も体格も、15には見えない。少なくとも、ジャックスが15の時と比べても。それ程普段の栄養状態が良くないのだろう。まあ、こんな食生活を続けていればそうなってもおかしくはない。
そもそも、マルド病自体、内蔵機能の低下や免疫力低下、その他諸々の疾患がある病だと聞く。そんな人間が、こんな所で生活していて良いものなのだろうか。本来、病棟での隔離生活を送っていてもおかしくはない。
本人を見る限り元気そうではあるし、何も語らない為こちらも言及はしないが、気になる所ではある。
マルド病重篤患者、マルドックス。近い内に敵として戦う相手。今の所不明な点ばかりだ。早い内に内情を聞いておこう。
(だが今は飯だ。回るはずの頭が回らなくなる。)
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「おお、ジャックス君。正直期待していなかったが、中々の料理の腕じゃないか。この国の料理はろくな物ではないが、キミの料理は例外だね。人は見かけによらないとは言うが、正にその通りだ。だが、肉と乳製品をふんだんに買い溜める事は今後控えてくれたまえ?経費にも限界はあるのだよ?」
「そもそも何でこうも金が無いんだよ。どこからも研究依頼が無いのか?この国で?」
ボスベニア企業国連邦は、その名の通り企業が国政主体に含まれている新興国家だ。勿論行政、立法機関は存在するが、国内で力を持つ5企業が、そのパワーバランスの中に組み込まれている。
絶対的な地位を確保するため、近年では企業間の開発競争も起こらず、国勢は停滞の一途を辿っている。噂によれば、新興企業の革新的な研究も、国力で潰しているとかいないとか。
そんな中で軍部権力の肥大化が相まって、正直国としての形はガタガタになっている。そこにメスを入れんとしているのが「バリスタ」であるが、そもそもそんな事をしなくても自壊しそうな勢いではある。
「そうだねえ、どうも私の革新的なマギニック分野の研究は、国に嫌われているらしい。柔軟性が無くて嫌になるよ。そろそろ見切りをつけて亡命でもしようと、思っていたんだけれどね。」
「…そんな折に俺が持ち込まれた、と。」
「その通りさ。なに、私は満足しているよ。少なくとも人生の中で最高の研究開発を行う事が出来たのだからね。多少のコスト面でのリスクは覚悟の内さ。」
ジャックスとしては複雑な気分である。本人が満足そうだから別に良いが、もっと自由に研究できる人間を、自分は縛り付けてしまっているのではないか。この一月が終わっても、恐らく義体のメンテナンス等の制約はあるだろう。それ以前に、このドクターがそう簡単に生きる研究成果を手放すとは思えない。死体になっても手放さないまである。
「……悪いな。」
「おやおや?おやおや、なんだい、可愛らしい所があるじゃないか。ん?引け目を感じているのかい。気にする事はないよ。私は私の研究ができれば充分なのだから。しかし、キミが私を気遣うとはねえ。ちょっとは心を開いてくれているのかな?嬉しいねえ。ジャックス君。私は嬉しいよ。」
「うるせェぞ!俺は何も言ってないだろう!」
あぁ、マッドめ。鼻につく。もうアンタには心中ですら気遣ってやるものか。金が無くなって野垂れ死のうと知ったこっちゃない。