4話:マルドックス
――WARNING――
――WARNING――
視界に鬱陶しく危険表示がチラつく。このシーという少年が、バケモノである証拠。義眼の使い方はまだ聞いていないが、間違い無いのだろう。
ただ理解が追いつかない。存在自体はつい先程聞いて知っている。正直その話自体も、半ば無理矢理飲み込んだようなものだったが。
だがどうだろう。今度は目の前にいるただの少年がバケモノだと言う。そんな突拍子もない展開を、スマートに受け入れろと?それが出来るのは恐らくネジの外れたヤツしかいまい。丁度そこでニヤニヤ笑っているドクターのような。
「冗談じゃねぇ……、ソイツがバケモノ?どう見たって、ただのガキじゃねェか。」
「言っただろう、賢い個体は人間の姿に擬態していると。元々彼らは人間なのだよ?シー君も例外ではない。このように理性もしっかりしている。なんだ、全部が全部、醜いバケモノだとでも思ったのかね?それは偏見だよ。対象を見る時は遍く要素を平等に審査するべきだ。そこに眠る可能性を見逃さないためにもね。キミだってーー。」
「うるっせェ!もういい!ソイツはバケモノなんだろ!!あぁ飲み込んでやるよ!」
「本人を前にそんなにバケモノバケモノ言わないで欲しいですねぇ。僕だって傷つきますよ。」
無理矢理冷静になろうとしている自分自身が馬鹿馬鹿しくなってくる。どうしてこのガキの方が落ち着いているんだ。いや、当たり前か。コイツはずっと前からバケモノの当事者だ。そりゃあ冷静だろう。ならばこっちの身にもなって欲しい。目が覚めたらバケモノハンター。お前はどう思うよ、シー少年。
「はァ、はァ……、あぁ、クソッタレ…。…で?本当にその、シーだっけか。アンタはその、理性を保ててんのか?」
「見てて分かりませんかね?理性どころか、同年代の子供より聡明だと思いますよ。見た所だと、被験者A君よりも。」
「ジャックスだ!その呼び方止めろ。あと喧嘩売ってんのか。」
その口ぶりは一丁前ににドクターそっくりだった。助手ってのはその性格まで似るモンなのか?確実に悪影響を及ぼしているだろう。興味は無いが教育的に。
「まあそう熱くならないでくれたまえ。シー君もまだ重篤化してからそう長くはないんだ。年齢から分かるだろうけどね。まだ幼いマルドックスだよ。」
「あぁ?マルドックス?」
「マルド病重篤患者の呼び名さ。彼らの姿は犬に似ている事例が多くてね。そう呼ばれるようになったのだよ。」
「因みに僕も犬のような姿ですよ。変化すると。」
ああそうかい、そりゃご親切にどうも。随分と可愛らしい名前がついているじゃないか。バケモノの割には。
しかしまぁ、こう本物を実際見るとーー。
「そのマルドックスってのは、本当に脅威なのか?見た所、そうは見えねェが。」
「それは勿論、僕が理性を保てている個体だからですよ。皆が皆、そういう訳ではありません。ただの獣に成り果ててしまった人達だっています。むしろ、そんな人達の方が多いくらいですよ。」
誇らしげにシーが答える。自分自身重篤患者である割には、あまり悲観的になっていないように見える。または、そう見えるだけか。マルド病に関しては全くの専門外であるため何も言えないが、症状の酷い病気であることには違いない。その上、バケモノになってしまうのだから、理不尽な病気だとは思う。
「そうか、そりゃ残念だ。ところで、理性の無い個体はこれまでどうしてきたんだ?普通の人間には手が負えないんだろ?」
「正しく、毒を以て毒を制す。だよ。バケモノには、バケモノを、だ。理性を失って人を襲うマルドックスは、理性を保ったマルドックスによって駆逐されている。勿論、秘密裏にね。だから安心したまえ。何も世界でキミ一人が戦う訳では無い。マルドックスとは言え、志と目的が一致する同僚がいるんだ。少しは気が楽になったかな?」
「…そいつァどうも、血生臭ぇな。」
これまで裏の世界で生きてきて、世間の路地裏を知った気になっていたが、どうやらそうではなかったらしい。少なくともこの数年間、ずっとバケモノ同士の殺し合いが行われていた。そんな話を聞かされても、気休めにもなりやしない。裏の世界で殺しを行っているヤツに、ロクな人間はいない。この場合、人間と形容して良いかは不明であるが。
「さあ、お喋りはここまでにしておこうか。その顔を見るにまだ聞きたいことがある様だが、時間は有限だ。キミの疑問には可能な範囲で追々答えるとしよう。ほら、早くするんだ。訓練場に行くぞ。その義体の使い方を教える。さあ、何をグズグズしている?立てない訳ではないだろう。歩きにくいかもしれないけどね。なに、すぐ慣れるさ。ほら早く。」
「あ、おい待て引っ張るな…、おい、ところで、この目の危険表示はいつ消えるんだ?そのガキが来てから消えやしねェ。」
「それはマルドックスのマギニックを検知しているんだ。対象のマルドックスから離れるか、マルドックスが死なない限りは消えないよ。当たり前だろう。」
「マジかよ…」
このガキと一緒にいる限り、この表記は消えないと。冗談じゃない。鬱陶しくて仕方ないぞ。オンオフ機能くらい付けておいてくれ。明らかに日常生活支障をきたすぞ。
これから先、まともな日常生活を送れる気はしないが。
―
ーー
ーーーー
連れて来られたのは殺風景な広い部屋だった。部屋と言っても劇場位の広さはある。確かに訓練場としてうってつけだろう。見た感じ、かなり老朽化が進んでいる事に目を瞑れば。
「さて、まずキミの義手から説明しよう。その鋼の腕は、現在言わば眠っている状態だ。本来の力を引き出す為には、マギニックの力を借りるしかない。その為に、古典的ではあるが魔技術の仕組みを応用させて貰った。」
アナウンスでドクターのやたら熱の入った声が聞こえてくる。自分の発明をお披露目できる機会を心から楽しんでいるようだった。ヒトの身体で。
「魔技術は、触媒を介して対応した呪文を詠唱することで発動される。キミの場合、触媒はその鋼の腕だ。そして私が今から言う呪文をキミ自身が詠唱する事で、完全に戦闘状態に入る。理屈は簡単だろう?作るのは容易ではなかったけどね。さあ、では呪文を伝えるよ。」
これまでの人生で、ジャックス自身、魔技術を取り扱った事は無い。マギニックエネルギーが魔技術に含まれると言うのであれば話は別だが、最早あれは魔技術とは違う代物だろう。発見されたのはつい100年数年程前ではあるが、恐らく太古から使われていた技術。それをこんな所で使うことになろうとは思いもしなかった。
心躍るかと言われるとそれ程ではないが、ただ興味はある。呪文が長ったらしいものでないことを祈るばかりではあるが…
「ラ・スーロ。もう一度言うよ。ラ・スーロだ。点火、と言う意味がある。」
「…ラ・スーロ…」
その瞬間、右腕から青緑の光が弾けた。鋼の継ぎ目から漏れるその光は、今にも爆発せんとばかりに輝いている。
「お、おい、大丈夫なのか!?これは!」
「無論、大丈夫だとも。それが点火状態だ。そして本来の姿だ。遍くマルドックスを屠る、キミの矛だよ。いや、素晴らしい。素晴らしいよ。さあ、少し動いてくれたまえ。機動実験だ。なに、腕を振り回すだけで良い。ほら、早く。」
勝手にテンション上がって囃し立てるな。こっちはそれ程余裕ではない。噴出するエネルギーで身体が持っていかれそうになる。まるで飼い主の意志に反して暴れる犬のようだ。
このままだと身体が持たない。言われるがまま、と言うのは癪だが、衝動に任せて右腕を振り払ってみる。
轟――ッ
爆音と共に衝撃波が生まれる。余りの衝撃と勢いに、ジャックス自身の身体が吹っ飛び、頭を強く打ち付ける。世界が回る。
何が起きた?自分の仕業か?
倒れ、混乱する頭に再びアナウンスが響く。
「あぁ、良い!良い傾向だ!ただ申し訳ない。私としたことが説明を早ってしまった。どうやら右腕の力に身体が追いついていないようだね。まあキミの右腕と両脚と両目以外は普通の人間と何ら変わりないからね。ただ安心したまえ。両脚を機動させることでその問題は解決される。右腕からの衝撃も、きっと耐えてくれるだろう。」
先に言え。そっちが冷静さを失ってどうするんだ。こっちは頭を打つ羽目になったんだぞ。ヒトを改造したんならそれなりの責任を負いやがれ。
「では脚の機動だが、右腕と同じだ。両脚を触媒にして呪文を詠唱するんだ。呪文は、グラーヴァ。グラーヴァだ。加速、と言う意味だ。」
「ぁあクソッタレ!グラーヴァ!」
やけくそで叫ぶと、右腕と同じように両脚から光が迸る。そして右腕と同じようにこちらも御しきれない。
設計は正しいのか?この義体は。到底使いこなせる気がしないぞ。
何とか立ち上がるものの、その姿はまるで産まれたての小鹿。鏡を見ようものなら余りの情けなさに鏡を叩き割るだろう。
「ふゥン…、根本的な筋力が足りないのかもしれないね。こればかりは一月でどうにかなりそうにもないが…。やれるだけやってみるしかないか。まあいい。さあ、ジャックス君。基本的な操作は慣れたかな?慣れていなくても始めるよ。どうせキミみたいな人間は、実戦の中で勘を掴んでいくものと相場が決まっているんだ。シー君、待たせたね、出番だよ。」
勝手な事を言う。なら自分で使ってみろ。立ち上がるだけでやっとだぞ。こんな状態では訓練もクソもない。
ただそうは問屋が卸さないようで、正面のゲートが開く。間髪無しの実戦訓練だ。ああ、全く人使いが荒い。折角の研究材料が壊れてしまったらどうするんだ?
話によればあのシーが訓練の相手らしいがーー。
そこに現れたのは正真正銘、バケモノそのものだった。
犬のような見た目?冗談じゃない。そんな可愛らしいものじゃない。確かにそんな面影はあるが、せいぜい鼻が尖っている位のものだ。その顔も、およそ人とはかけ離れた面持ちで、大きく切り開かれた目は青緑の光を灯している。
身体のサイズ自体は大きく変わらない様だが、筋繊維が外側に剥き出しになったような体表は、グロテスクな見た目をしていた。そもそも、なんだその四本の腕は。もう、元人間とか、そんな次元じゃない。そういう生き物だ。
「これが……マルドックス…か…」
「バケモノを見る目ですね。傷つくなあ。もう慣れましたけど。」
「しゃ、喋れるのかよ…」
声色は違うが、この話し方はシーそのものだ。あんな姿になっても、理性はそのままらしい。調子が狂う。目の前にしているのはバケモノなのに、話すと人間だ。
「さあ、始めますよ。勿論、訓練ですからこちらも全力ではやりません。僕も、できるだけ義体だけに攻撃が当たるようにしますから。」
「あ?」
という間に、遠方に見えたシーの影が、目の前に差し掛かってきた。なんと言う機動力。いや、跳躍力か?いやいや、そんな事を考えている場合じゃない、防御をーー。
がん、と、鈍い音が響き、ジャックスの身体が吹き飛ぶ。受け身も取れず、勢いのまま床を転がる。
頭が回らない。衝撃のせいか?起きろ、次が来るぞ。立たねば。どこを殴られた?腕?だから無事だった?もし体を狙われていたら?
フラフラと立ち上がる中で必死に考える。考えるが、次にどうすれば良いのかが分からない。
義体を使いこなせ?その前に死んでしまうぞ。
「…いやあ、驚きましたよ。僕もちょっと意地悪で速く動いたのに、しっかり防御姿勢を取れてましたよ。中々の反射神経ですね。」
「…お褒めに預かり光栄だな……、はァ、こっちはそれどころじゃねェんだが…」
そんなものはほぼまぐれだ。人間レベルの、咄嗟の反応に過ぎない。次同じ事ができるとも思えない。こんなスピードに、これから対応していかなくてはならないのか。その時にはもう、自分もおよそ人でなくなっているだろう。
「まあ今のは僕の意地悪でした。さあ、次はそちらの番ですよ。好きに打ち込んできてください。」
素敵な提案だが、まだこちらの準備が整っていない。早く体勢を整えなくては。呼吸を落ち着けて、地に足つけて…。まだ感覚に慣れてはいないが、最初よりはマシになってきた気がする。
「後悔すんなよ、クソッタレ…」
このままコケにされているのも気分が悪い。せめて一発、そのデカい顔面をぶん殴ってやる。
拳に力を込めて、脚を動かす。初めてスケートをするように、慎重に、一歩をーー。
踏んだ瞬間、勢い良く前につんのめり、顔から地面に激突する。想定外に一歩の勢いが強すぎて、上半身が振り子のように叩きつけられたのだ。
無様。そう形容する以外他ない姿だった。
「あっちゃー、痛そう。ドクター、実戦以前に、マニュアル的な講習を行ってからの方が良かったんじゃないですか?」
「んー、そうだねぇ、彼には早く使いこなして欲しいのだが、そう簡単じゃないのだろうか。こういったことは私も専門外だからね。かと言って教導できるような人材も私の周りにはいない。さて、どうしたものか。ジャックス君。起きたまえ。今できる事をしよう。とにかく動かして慣れるんだ。ほら、早くするんだ。おや、どうした。ジャックス君?」
「これ、気絶してますね。先が思いやられるなあ。」
好き好きに言われる言葉は、幸いにもジャックスには届かない。