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赤鋼の火薬庫  作者: 父神
第1章:バリスタの矢
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13話:黒い烏

 ――君と話がしたくて来たんだよーー


 眼前の、《烏目》と名乗る男はそう言った。

 現に、こちらを攻撃してくるような素振りは見せず、こちらの様子を見ている。それがただただ不気味で、筆舌に尽くし難いプレッシャーをジャックスに与え続けていた。


 それにこの男は、ジャックスの名を知っている。


(コイツは、何だーー、どこの、いや何故すぐ殺しに来ねェ?それに、話って言ったか?一体何のーー。)


「思ったより無口だねー君。戦いに来たんじゃないって言ってるのに。まぁ、信用できない気持ちは分かるけどね。」


 大袈裟な身振りで飄々と話す男からは、確かに敵意は感じない。そもそも、敵意があれば現れた時点で襲撃されている筈だ。いや、殺すタイミングなら、それ以前に幾らでもあった。

 それをしてこなかったという事は、少なくとも戦いに来たのではない、という部分に関しては事実なのかもしれない。全面的に信用する事は不可能であるが、今無闇に相手に抵抗する事は賢い選択ではないだろう。戦っても、今死ぬのはこちらだ。


 彼我の力量には絶対的な差がある。それを嫌でも感じ取ってしまった。


「……お前はーー。」


「お、やっと口を開いたね。」


「お前は、お前の目的は、何だ。」


 紡ぐ言葉がたどたどしくなる。今この場で、静かに見えない刃を喉に突きつけられているような場面で、最適な問答を。

 目的。そう、目的だ。向こうが企業所属のマルドックスだとすれば、ジャックスの存在は明らかに排除対象である。そんなジャックスに、わざわざコンタクトを取る理由とは何だ。こちらの目的を知りたいのであれば、生け捕りにして拷問でもすれば良い。


「目的ね。そんな大っぴらなものは無いよ。ただちょっと話してみたかっただけさ。」


 けらけらと嘲るように笑うが、表情は見えない。初めは影のせいだと思っていたが、そうではない事に気づく。この男自体、全身が影に包まれたように真っ黒なのだ。

 シーやニックスの外殻筋肉は、人間の筋肉と同じように真っ赤だった。しかしこの男は、一寸の無駄なく細く緻密に編み込まれた外殻筋肉も、鋭く尖った頭部も、その全てが暗く、深く、闇に溶け込む事を目的としたように漆黒だった。

 だからこそ、薄くつり上がった目から漏れる僅かな光ですら目立っており、その表情は常に狡猾さを漂わしている。


 《烏目》とこの男は名乗っていた。まさに烏だ。


「……で、話ってのは。」


「そう。マルドックス殺しの非マルドックス。そんなイレギュラーに聞いてみたい事があってさ。」


 既にこちらの情報は割れているらしい。企業を敵に回したのだから、いずれそうなる事は覚悟していた。しかし、思っていたよりそれがずっと早かった。

 ニックスを始末してから、まだ4日程しか経過していない。ウィスパーピーク曰く、あの時は付近に企業側の人間は確認されていない。つまり、当時の状況を見ていた者が居ないにも関わらず、4日でジャックスを探し当てた。

 自分の見通しが甘かった、としか言いようがない。警戒はしていたが、そんなものが無意味なくらい、企業の情報網は獲物を逃がさない。


 そんな相手に聞きたがる事は、大体予想はつく。しかし、生憎ジャックスはその答えを持ち合わせていない。『バリスタ』の目的だとか、上層部の仕組みだとか、情報網だとか。そういった部分については何も知らされていない。

 恐らく、こういった状況も想定されていたのだろう。組織としては、どこまで行っても道具に過ぎない。

 そんな事実が、ジャックスに暗澹たる影を落とす。


「君、何の為にそんな事してるの?」


「な――、……。」


 何の為にーー。

 想像だにしていなかった質問に、答えが詰まる。

 そんな事、というのはマルドックス殺しの事だろう。そんな事とは酷い言い草だ。ジャックスにとっては、そんな事こそが命を繋ぐ縁だというのに。

 何の為にマルドックスと戦っているのか。別に、大義がある訳ではない。バリスタの思想でも、正義感でも何でもない。

 ただーー。


「……生きる為だ。」


「味気ないね。でも、真理か。」


 何故、正直に答えてしまったのかはジャックス自身にも分からない。突然現れた敵に、例え格上だったとしてもわざわざ情報を渡してやる義理はない筈なのに。


「どうせ君も、何かに首輪付けられて飼われてるんでしょ?飼い主はその無線機の先にいるのかな?」


 目敏く指摘され、無線機の存在を思い出す。そういえば、ここに来てからウィスパーピークとの通信が途絶えたままだ。

 本来、接敵するまでは位置情報を相互確認し、索敵を行う事になっている。ジャックスはまだ、目標発見の報告をしていない。完全に虚をつかれた事によるミスではあるが、その場合ウィスパーピークから連絡がある筈だ。

 それが無いとなると、何かしらのトラブルがあったのか。しかし、この状況でそれを確認する術は無い。何とか、やり過ごすしかない。


「答えると思うか?」


「思わないね。そういう人間は皆口が堅いから。」


 話の歩調がずらされる。こちらは限界の状況で何とか活路を探しているというのに、向こうはどこ吹く風だ。どこまで本気で話しているのかが見えてこない。


「…聞きたい事ってのはそれだけか?」


「んー、まぁそうかな。君もただ飼われているだけの可哀想なやつって事がわかったから。」


 それはお互い様だろう。命の手網を握られて、いいように使われているのは。自分でも納得はしていないが、それを企業所属のマルドックスにどうこう言われる筋合いはない。


「…お前も企業の人間だろ。俺とは違うってのか?」


「いいや?僕もそうだよ。生きる為にこうしてる。そういう意味では、僕らは仲間のハズなんだけどね。」


「何が言いてェ。」


 思わず、結論を急ぐ。見えてこない話に苛立ちを感じたのか、それともーー。


「はぁ、話が弾まないタイプだね。まぁ僕が言いたいのはさあ。」


 またも大袈裟に手を広げーー。




「そんな組織捨ててさ、僕と組まない?って話。」




 突拍子もない提案。


 だが真意は汲み取れない。戯れ言にしては状況の趣味が悪い。かと言って重さが伴わないこの男の言葉に、信用も得難い。どちらにせよ、真に受ける事は悪手で、そもそも敵の話に親切に耳を貸す必要はない。


「…そりゃお前ん所の企業に飼われろって事か?」


「いやいや、それじゃ意味ないでしょ。僕だってこの状況にウンザリしてるんだから。そんなしがらみ捨ててさ、自由に生きようよってコト。」


「理想論者だな。それができねェから、俺もお前も、こうしてるんだろ。」


「冷えてるねぇ。もう少し希望を持って生きようよ。で、どうする?」


 再び投げかけられる提案。どこまで本気かは伺い知れないが、どうやら戯れ言という訳ではなかったらしい。しかし、そうであるなら尚更乗るつもりはない。立場上、という事もあるが、まずジャックスにとってメリットがない。

 現在敵に回しているものは、最低でもボスベニアの主要5企業。そしてこれからの立ち回りによってはそこに国家が追加される。ただでさえ茨の道だ。そこにわざわざバリスタを加えて、殺されるリスクを増やす必要性は感じられない。

 そもそも、離脱したとしてそこから先に自由はあるのか?答えは否だ。全てを敵に回してこの得体の知れない男と心中してやる程、お人好しではない。


 しかし問題は、この提案を断った時。悔しい事にこの交渉の現場は対等ではない。圧倒的力量差の上で、一方的に条件を突き付けられているに過ぎない。


「断ったらどうする?」


 ジャックスは、あえて単刀直入に問う。力量から情報まで相手に負けている状況で、腹の探り合いを試みるのは愚の骨頂。

 返答なんて分かりきっている。その時は、その時だ。

 せいぜい足掻いてみせようーー。


「消すよ。でも、今返答しろってワケじゃないから、ゆっくり考えなよ。色んな事天秤にかけてさ。でも、悪い話じゃないと思うよ?」


 そう、言い残すように、捨て去るように。

 言葉を紡ぎ終わったその瞬間、漆黒の影が消える。

 高速移動、なんて言葉では片付けられない。ふと、瞬く間にその姿を消してみせたのだ。現れた時もそうだった。元々そこにいたかのように、元々そこにいなかったように。現れ、消える。


「勿論この話は内密にね。僕、耳良いからすぐ分かるよ。その時は交渉決裂って事だから、よろしく。」


 それなのに、声だけが残響のように、しかし確かに聞こえてくる。とても常識的な法則では説明がつかない現象が、ジャックスから思考する機能を奪う。

 その残響を最後に、もう《烏目》の声は聞こえなくなった。


 今返答しろってワケじゃない。


 ――じゃあ、いつまでだ?


 一方的な催促。それは、期限不明の余命宣告をされているようなものだった。


「……」


 しばらく茫然自失する。命を落とす事態は免れたようだった。少なくとも、今は。

 もう《烏目》は居ないのだろうか。いてもいなくてもこちらからは観測できないが、最後の言葉からかなり時間は経過している。あの男が留まり続ける理由はないだろう。


 全身から力が抜け、上手くバランスが取れなくなり壁に手をつく。起動したままの右手が、勢いのあまり壁にヒビを入れる。

 人間にしては、驚異的な力。しかし、それを以てしても《烏目》に敵うイメージが浮かばなかった。一目見て、自分が格下であると判断してしまった。


 自分は未だ、マルドックス達の足元にも及ばない弱者。


 少ない経験の中で、ジャックスはそう痛感した。


「何なんだ……、意味が、分からねェ…」


 ようやく体が動き出したのは、またそれから数分後だった。今日の本来の目的は、野良マルドックスの討伐。《烏目》曰く既に仕留められているらしいが、だとしてもその処理はせねばなるまい。こんな路地裏でも、いつ人が来るか分からない。死体でも、見つかれば大事になる。早く見つけて、ウィスパーピークに処理を頼まねば。


 ジャックスがいた場所から程近くに、その死体はあった。

 そしてその死体は、芸術的と言える程美しく、寸分の狂いなく首と胴体が切り離されていた。

 しかし、その首は胴体が抱えるように納められており、死体で人形遊びをする趣味には、賛同できかねなかった。あの男は、《鳥目》は、殺しを楽しんでいる。正確には、殺しを呼吸のようなものと捉え、その上で気まぐれに娯楽へ昇華させている。


 理性的、かつ狂気的。

 あんなものに、命の手網を握られるとは、何と運の悪い事か。


『ザ…ザーッ……』


 無線機にノイズが走る。ウィスパーピークだ。死体を探している間何度か連絡を試みたが、一向に繋がる気配を見せなかった。その場合死体をどうすれば良いのかジャックスには分からなかった為、このタイミングで繋がってくれた事は幸いであった。


「ウィスパーピーク。」


『あ、良かった繋がった!急に通信が途絶えちゃって……無事!?』


「……あぁ、とりあえずは無事だ。目標は…とりあえず死んでる。だが、俺が到着した時には既に死んでいた。」


 顔は当然見えないが、通信の先でウィスパーピークが狼狽えているのを感じる。


『死んでた?……他のマルドックスにやられたってコト?』


 ――この話は内密にねーー。


「…、……さぁ、分からねェ。とりあえず、回収班を寄越してくれ。」


 ウィスパーピークからの問いを誤魔化す。

 今、何故自分は誤魔化した?報告すべきだろう、マルドックスとの接触を。《烏目》との会話を。その情報は、これからの対企業との立ち回りにおいて重要な役割を持つかもしれないというのに。


『わ、わかった!すぐ着くと思うよ!』


 通信が切れる。恐らく、数分で回収班が到着するだろう。

 趣味の悪いオブジェとなった死体を向かいに腰掛け、回収班が来るまで監視だけしておく。


「……どうしたいんだろうな、俺は…」


 自分の行動に、頭を痛める。

 何故、報告を誤魔化したか。明白だ。恐怖したのだ。

 話せばアイツが殺しに来る。それをただただ、恐れたのだ。


 それにこの死体の様子を見れば、言わずともマルドックスの仕業だと分かるだろう。こんな芸当は、人間にはできない。


 ただ、その当人との問答に関しては、一旦自分の命を守る為にも秘匿する。どこにいても聞こえる、という超越的な事を信じている訳ではないが、それ程の事をしてきても不思議ではない。

 《烏目》の意図は何一つ読む事はできない。今、ジャックスを誘うメリットも考えつかない。企業に牙を剥く存在として警戒している、という訳ではないだろう。《烏目》にとってジャックスは大した脅威ではない。あの時容易に始末する事はできた筈だ。


 何故、自分なのか。


 喉元に突き付けられた生温い痛みを幻覚する。



 ーー


 ーーー


 ーーーー



 程なくして回収班が到着し、死体を掃除していった。ものの数分で事は済み、ジャックスも帰路に着く。今回は堅物の男は来ていなかった。どうやら、彼自身は回収班という訳ではないらしい。

 ジャックスは、彼の組織での立ち位置も、そもそも名前も知らない。尋ねた事もあったが、その問は突っぱねられた。

 彼だけではない。ウィスパーピークも、ただ無線機から連絡を受け取っているだけで、彼女の人となりを知らない。


 ジャックスは組織について何も知らない。当然だ。ただの道具なのだから。

 では、わざわざそんな場所に留まり続ける理由は?

 そんなものは特にない。全てが成り行きなのだから。生きる為に、仕方なくそうしているだけだ。ジャックスには確固たる地盤がない。思想も、理想も、目的も、何もない。


 《烏目》の話が本当であれば、いっそーー。


「クソ…、クソ…ッ!落ち着け、俺ァもう…」


 左の拳を壁に打ち付ける。鋼の腕とは違い、じんと響く鈍い痛みがジャックスの生身の人間である部分を思い出させる。

 そうだ、自分は人間だ。あのマルドックスのようなバケモノとは違う。正真正銘、ただの人間だ。


 ーー元は。


 それでは現在は何なのだろうか。中途半端に鋼の身体となって、それでも素の身体能力や脳は人間のままだ。四肢を三つ失い、両眼を失い、代わりに機械を繋げられた人間。とっくにまともに動く筈のない身体を、魔工技術によって無理矢理動かしている人間。そしてその身体を組織の道具として明け渡している人間。


 それは果たして、人間と言えるのだろうかーー。


「余計な事考えんな…俺は、俺は…そうだ、ドクター、それに、シーはどうなる。」


 組織は、ジャックスが失敗に終わった時、ドクターやシーをどうするかは答えなかった。だがしかし、十中八九口封じの為に消されてしまうだろう。

 彼らは組織の重要機密と既に関わってしまっている。ジャックスが死、または離反でもすれば、その情報を抱えたままの人間を放置する訳がない。

 ドクターも、シーも、研究所の人間も、ピックマンも、形がどうであれ皆平等に処分される。シーはウルドックスではある為その限りではないかもしれないが、まともな扱い受けないだろう。何にせよ、ジャックスの身体は、もう自分一人だけのものではないのだ。


 だがーー。


「……は、欺瞞だな…」


 自分で気づく。これはただの言い訳であると。誰にするでもない、自分を誤魔化すだけの安い欺瞞であると。

 それらしい理由を作れば、やがてそれは大義となり、行動理由となる。誰かの命を守る為に戦う。結構な理由ではないか。ドクターを、シーを、皆を守る為にこの組織に留まり続けると。


 欺瞞だ。


 ジャックスの天秤は、それで傾く程他人の命に重きを置いていない。


 ジャックスはただ、生き残りたいだけだ。ドクターやその関係者には、この身体のメンテナンスをしてもらわねばならない。使える呪文の研究も、自分の特異体質の研究も進めて貰わねばならない。

 それに、この身体は常にマルド病感染の危険性を孕んでいる。信用している訳ではないが、組織から供給されるワクチン頼りの身体になってしまっている事も事実。


 それが、ジャックスが『バリスタ』に留まり続ける理由。

 ここにいた方が、まだ長く生きる事が出来る。

 ただ、それだけーー。



 ー


 ーー


 ーーーー



 裏口から建物に入り、喫茶店の様子を見ると店先にバゴスが立っている様子が見えた。どうやら用事を済ませて帰ってきていたようだ。相も変わらず客足は無いに等しいが、ピックマンも店番の役割はしっかり果たせたらしい。

 バゴスが言うには別居中の娘が倒れた為、病院に連れて行かねばならなかったらしい。現在は妻が面倒を見ているとの事だ。


 この男には、守らねばならないモノがあるのか。


 擦れた感傷を自覚し、自制する。バゴスに当たってどうする。彼は足が不自由になっても尚、家族を守る為にこんな危険な仕事に身を投じている。素晴らしい事ではないか。

 ジャックスには、彼をどうこう言う権利はない。


 重い足取りで地下室へ戻る。仕方がないとはいえ、殆ど陽の光を浴びる事のできない生活を続けるのは、次第に気が滅入ってくる。次の拠点はもう少し空気が良い事を願うが、隠れ家の仕様上あまり期待はできないだろう。


「おい、おめぇ義体は大丈夫だったのか?」


「あ?」


 何やら作業中のピックマンが問いかける。物騒な物が散らばっているが、武器の工作でもしているのだろうか。


「ヤツらとやりあったんだろ?またぶっ壊しちゃいねぇだろうな。」


「あァ、今日は戦闘が無かった。」


「あん?そんなことありえんのか。」


 経験の為にも戦闘はあって欲しかった、とは本心からは言い切る事はできない。それでもただの野良マルドックス狩りだけであったならば、現在こんな情緒にはなっていなかっただろう。


「……俺が聞きてェよ。」


 半ば投げやりに答える。ピックマンも、それ以上言及するつもりはないらしく、「そうか」と呟いて作業の続きを始めた。


 静かな部屋に、金属音が響く。

 キン、キン、キンとーー。

 細かく一定のリズムで刻まれるその音はどこか歯車のようで。

 機械仕掛けの歯車のようでーー。

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