11話:"ピックマン"
ボスベニア企業国連邦
カザリア:9区
グラコニー社第3会議室
「ニックスが死んだ?」
静かなどよめきが数秒流れる。数秒で済んだのは、その場の者が既にある程度予想がついていた為であろう。
廃工場での戦闘から3日。サイギック社とのコンタクトからニックスが戻って来ない事は、グラコニー社上層部ですぐさま最重要緊急事態として取り上げられた。
「死体は確認されていません。しかし、恐らく。」
粗末に並べられたテーブルに肘をつく重鎮達へ、若輩者の気配を残す男が告げる。手元にはたった一枚の紙切れ。それが、未だ調査が殆ど進んでいない事を示していた。
「恐らくで片付けて良い事態ではないぞ。」
「《烏目》はどうした。奴も同行していた筈だ。」
男の額から脂汗が浮き出る。問い詰められる事は分かっていても、それが手痛い事実であると喉が言葉を紡ぐ事を躊躇う。
「そ、それが、彼はニックスを放置して先に戻ったようで…現場は見ていないと…」
「何の為に同行させたと思っている!奴の人間性は分かっていた筈だろう!!」
「死亡が事実だとして、誰の仕業だ?サイギック社か?」
「サイギック社の交渉人も、行方が分からなくなっています。」
「何だ!?何が起きている?」
それは、自分の方が聞きたい。最初に報告が入ってきた時に、まずサイギック社との交渉が失敗したのではないかと憂慮した。ニックスは交渉に全く向かないが、《烏目》はその分期待できる。マルドックスが多岐にわたる運用ができると証明したかった。だから今回は無理をして交渉の役割を買って出たのだ。
結果は、想定とは違った別の形の最悪となってしまった。どこの誰とも知らない存在の手によって。
「……第三者の介入が、あったのかと…」
「他企業か?」
「それは有り得ない。こんな時に。戦争になるぞ。」
「では誰が!」
他企業ではない。では、何者か。
「…不明です。しかし、企業を敵に回す以上、それなりの戦力を持った第三勢力と言えるでしょう。」
「《烏目》さえ仕事を全うしていれば…だから奴等を使う事は反対なんだ!」
痛い所を再び突かれ、萎縮する。しかし、そうだ。《烏目》さえまともに動いてくれていればこうはならなかった筈だ。そもそも何故彼は場をニックスに任せて戻ってきた?そんないい加減な仕事をするような人間ではなかった筈だったのに。
「結果論だ。今はその第三勢力とやらを突き止める事に注力すべきだろう。今集まっている情報は、この資料分だけか?」
席に着く重鎮の一人が、平行線の話に痺れを切らしたように告げる。
「…はい、これで全てです。」
「情報が少な過ぎる。だが必ず見つけ出せ。そして徹底的に潰せ。」
「君らがお気に入りの『道具』は幾らでも使って良いが、もう二度と今回のような失敗は許さんぞ。」
「し、承知致しました。」
程なく疎らに参加者達が席を立つ。とにかく、報告の場は何とか切り抜く事ができた。しかし、早急に解決せねばならない問題はここからだ。
何者が我々企業の邪魔をしているのか。
どんな手を使ってでも、暴き出す。
でなければ、次に命を落とすのはーー。
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「3日か……」
先日酷使した義足のメンテナンスをしながら、狭い地下室でひとり呟く。ニックスとの戦闘以降、どうも関節部分の動きに違和感がある。よく見るとパーツに歪みがあるように見えなくはないが、ジャックス自身そういった分野に明るい訳ではない為なんとも言えない。一応ドクターから日常メンテナンスのやり方だけは教えて貰っているが、もし歪みが原因なら自分ではどうにもならない。
そのため、先日ウィスパーピークにその事を伝えた。こちらから連絡した事など無かった為ひどく驚かれていたが、思いのほかすんなりと話が通った。話によれば、今すぐには難しいが数日後こちらにメンテナンススタッフを寄越してくれるらしい。
「…ッチ、くそ、あの馬鹿力め……」
苛立ちが積もるのは、義足の不調だけではない。ニックスとの戦闘。あの戦いは、こちらの実力不足は否めないものだった。今後もマルドックスとやり合って行く為には、ジャックス自身の技量、センス、経験等を磨かなくてはならない。
それに、根本的な肉体能力の底上げも不可欠である。マルドックス相手となると、人間レベルでの肉体強化などあまり意味は無いだろうが、戦闘継続力や瞬発力など、足りない部分は最大限補っていかなくてはならない。
問題は、現在それらの強化を行う場所も、時間も無いという事だ。行動可能範囲はこの狭い地下室のみ。厳密には、上階の店やバゴスの自室なども使っては良いのだが、勿論そんな場所で体を動かす事はできない。
この地下室でも多少の筋力トレーニングや身体の動きの確認などはできるだろうが、研究所での訓練程本格的なものは到底できない。
それに、あの時は相手としてシーがいた。実際にマルドックスと戦闘訓練をしていたあの時間が、どれだけ貴重だったか。勿論その時も一分一秒を無駄にしない心意気で臨んではいたが、もう少しやりようがあったのではないかと後悔する。
「野良狩りも気は進まねェが、そんな事も言ってられねェ。クソが、雑なんだよ何もかも。企業連中のように人材が畑で採れる訳じゃねぇだろうに。」
マルドックスの全てが理性的な訳ではない。そのまま理性を失ったただのバケモノとなったマルドックスは当然おり、むしろそういった個体の方が多い。正直ニックスが理性的とは思えなかったが、コミュニケーションを取れる時点で稀有な例なのだろう。
理性の無いマルドックスは、殆どの場合本能的に人間を襲い、挙句の果てには喰らう、らしい。何故人間を襲うのか、何故喰らうのかは未だ解明されていないが、彼らの生態としてそうされている。
企業所属のマルドックスは、そういった野良のマルドックスを処分する仕事も行っている。企業の情報網に介入できる力を持つバリスタであれば、その仕事を横取りし、ジャックスに戦闘経験を積ませる事も可能だろう。実際、あの堅物の男もそんな事を言っていた。
生きる為とはいえ戦う事を選んだマルドックスとは違い、そんな生き方しかできない連中。少しばかり気の毒に思える為積極的に処分する事に若干の抵抗はあるが、実害が出ている為仕方がない。仕事が入れば容赦なく狩らせてもらおう。
当然、自分が狩られる可能性は充分にあるのだが。
「…と、こんなモンか。やっぱ変わった様子は無ェな…」
ジャックスにできる範囲の事は少ない。下手げに弄ればマギニックの回路が故障する可能性があり、そうなってしまえば戦闘どころの話ではなくなってしまう。先程よりは動かしやすくなったような気はするが、とにかく早めに専門家に見てもらいたい。
工具を置いて煙草でも吸おうとした時、地下室のドアがノックされる。恐らくバゴスだろう。
「おい、お前さんに客人が来てるぜ。女とジィさんだ。」
噂をすれば、だ。組織が寄越したメンテナンススタッフだろう。仕事が早くて助かるが、女?
どうにも脳裏にチラつく顔がある。
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「やあやあジャックス君久しぶりだね。いや、久しぶりではないか、まだ一週間も経っていない。どうだい?調子は。聞くと随分と無茶をしたそうじゃないか。キミのその身体はそう簡単に損傷する程軟弱ではないんだけどね。一体どんな馬鹿力と戦ったんだい。私の元にはサンプルが少なくてね。是非ともサンプルが欲しい所なのだがキミの組織は愚かだね。死体を綺麗に掃除してしまったそうじゃないか。全く勿体ない事をしてくれるよ。ウルドックスの素体サンプルがあるだけで一体どれ程のーー。」
「あァ、うるせえ。うるせえ。」
思った通り、見知った顔がそこにいた。店内に入ってくるや否やこの調子である。元気そうでなによりではあるが、この数日間一人でいる事が多かった為いきなり喧しく話し始められるのは勘弁して欲しかった。
「お前がジャックスか。会うのは初めてだったな。」
ドクターと共にやってきたやたら大きな鞄を背負った老人がジャックスに詰め寄る。この男がメンテナンススタッフだろうが、その風体は整備士というより戦争帰りの老兵さながらだ。
見るからに齢は60を優に超えているが、隆起した筋肉とぎらぎらした眼力がそれを感じさせない。足取りは力強く、その歩みには揺るぎない自信や誇りのようなものを感じさせる。後ろでバゴスが「負けたぜ」と呟いているが、アンタは何と勝負をしていたんだ。
「あぁ。アンタがメンテナンススタッフか?どうも関節部分に違和感があってな。」
「よし来た。見せてみろ。両脚共だ。」
席に着いて両脚を差し出す。男は工具を取り出し、慣れた手つきで義足を取り外し、一つ一つのパーツをチェックし始めた。自分の脚だったものが目の前で解体されていく様は何とも奇妙な気分になる。
「こいつぁちょいと交換が必要だな。少し時間貰うぞ。…それにしても、おめぇ、どんなバケモンとやったんだ?並のマルドックスじゃ傷つかねぇ特製の得物なんだがな。」
「並のマルドックスじゃなかったんだよ。」
男はジャックスの脚と荷物を持ち、黙って奥の部屋に入っていった。どうやら本格的に修理に取り掛かるらしい。仕事堅気な男だ、とジャックスは息を吐く。とにかく、時間がかかるようなので暫くは身動きが取れない。暇を持て余すのも嫌なので、気は進まないがドクターと積もる話でもしておくとしよう。ひとつ、聞きたい事もある。
「彼はピックマン。勿論、本名ではないよ。名前はとうに捨てたらしい。そして私も、彼がどこから来たのかは知らない。結構な事だとは思わないかい?過去を一切合切かなぐり捨て、今を生きる彼はとても魅力的だと思うよ。私はそんな人間が大好きでねえ。そして幸いにも私の周りにはそんな人間で溢れている。素晴らしい事だとは思わないかい?」
「類は友をってヤツだろ。変人のな。ところで、アンタがこの間言ってた、俺には特別な何かがどうとかってヤツ。ありゃあどういう意味だ?」
あちらの話に熱が入りそうになった為流れを塞き止める。そんな事より、研究所を離れる時にドクターが言っていた言葉が気になる。あの時は時間がなかった為言及できなかったが、良い機会だ。
「んん?あぁ、その事か。それなんだがね、その時も言ったように私にも分からないのだよ。不甲斐ない事にね。何がどうしてどのように特別なのか。本来であればキミをあらゆる状況に置いて実験、観察を長期にわたって行いたい所なのだが、それを許してはくれなくてね。たった一月では、特別な"何か"がある、という事しか分からなかった。具体的に言えば、そうだね、キミはもしかしたらマギニックの出力に干渉できる可能性がある、という事だ。」
「……あ?マギニックに干渉?」
「そうだ。実の所、キミが使うグラングライヴァだが、あれは本来の出力ではない。もう少し大人しい呪文なのだよ。しかし、キミが使うと途端に出力が跳ね上がるんだ。魔技術という概念において、これは異常なケースだよ。そしてさらに、不思議な事にこの事象はグラングライヴァ限定らしい。他の呪文に出力の変化は認められないからね。これらの相関関係は今のところ不明だが、キミには何かがある。それだけは間違いのない事実だよ。」
想定外の内容に、情報の処理が遅れる。魔技術の何たるかはあまり詳しくはないが、とにかく自分はその魔技術の常識を破っているらしい。そんな自覚は当然ありはしないが。
「……は、じゃあ本来はもっと扱いやすい呪文だったって訳か。俺にとっちゃ、そっちの方が有難かったよ。」
異常出力により制御不能なグラングライヴァ。本来の出力がどの程度の想定だったのかは不明だが、その通りであったならもう少し使いやすい武器だったかもしれない。
その異常出力のおかげで、先日は生き残る事ができたという事もあり、一概にそうとは言いきれないかもしれないが。
「まぁ、この事に関しては私も個人的に調査は進めていくつもりだよ。本当はキミの体を使いたいんだが、それができないから牛歩にはなってしまうけどね。しかし、私は決して諦めはしないよ。これは常識を覆す事象の足掛かりになりそうなんだ。諦めてなるものか。必ず、キミの謎は解明してみせるよ。それがひいてはキミの戦力強化にも繋がるかもしれないからね。メリットばかりだ。ふふ、楽しみだねぇ。ふふ。」
ニヤけ顔が限度を通り越して恍惚な表情と化している。もう完全に自分の世界に入ってしまっているようで、こうなるともう放置するしかない。
「…おい、大丈夫なのか、このネェちゃんは。」
「大丈夫ではねェな。イカれてる。」
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珈琲を一杯飲み終わる頃、奥からピックマンが小脇に義足を抱え戻ってきた。よく見るとご丁寧に磨かれており、幾分か見栄えが良い。必要かと言われれば必要ではないが、恐らくこだわりなのだろう。
「終わったぜ。とりあえず元通りだ。関節のパーツを数点交換して、防錆加工もしておいた。暫くは大丈夫だろうが、一回の戦闘でこのザマじゃあ、後が心配だな。」
ジャックスに脚を戻しながら少々不満そうな顔で話す。そんな事を言われても、これでも充分損傷は抑えた方だ。噛み付かれた以外でニックスの攻撃は全て回避していた。もし一撃でも受けていたらこんなものでは済まなかった筈だ。
とはいえ、その言葉に言い返すことはできない。実際、これからの戦闘で義体にダメージを残さずというのは至難の技だ。ジャックスの肉体能力や技術が足りない分、多少の無茶をしなくてはならない場面はあるだろう。
その度に義体を壊しているようでは、いずれ歪みが生じる。少なくとも今よりマシに戦えるようになるまでは、密なメンテナンスは欠かせない。
「残念ながら暫くこのザマが続くだろうよ。多少無茶しねェと死ぬんでね。そんな訳でアンタの世話になる機会は多そうだ。」
「そのつもりで来てるからな。安心しろ、おめぇの義体は常に俺がチェックしてやる。」
「常に…って、アンタもしかして住み込みか?」
そうであるのならば、願ったり叶ったりだ。これで思う存分無茶ができる、という訳ではないが、損傷箇所を直せる人間が近くにいる事は大幅にリスクを減らす事ができる。そもそも、最初からその体制を取っておくべきだろうに。
「おうよ、手前で造った得物を、そう簡単にぶっ壊されたら、たまったもんじゃねえからな。」
「俺自身の心配をしてくれる聖人君子ってのは、どうもいねェらしいな。」
ドクターの方をチラりと見る。その何故私を見ると言わんばかりの訝しげな表情はやめて欲しい。純粋に心当たりが無いのは本気で頭が痛くなってくる。
「…まァ、そういう事ならよろしく頼む。ピックマン。」
「おうよ。バゴスと言ったか?勝手に荷物置いたが、荷解き手伝ってくれねぇか。」
「んあ?あぁ、まあいいがよ。」
そう言って二人はまた部屋に戻っていった。別に文句がある訳ではないが、この空間がさらに加齢臭臭くなると思うと、微妙な心持ちになる。
「腕は確かだよ。義体の設計者はピックマンだからね。勿論そこに私も携わっているが、製造自体は彼だ。メンテナンススタッフとしては彼以上は存在しない。」
「そうか。ケチなウチのモンにしちゃ、中々に太っ腹だったな。」
この調子で次は戦闘訓練の場所と相手を提供して欲しい。無理な願いだろうが。
自分で望んでおいて、という話になるが、まず場所を確保する事自体ほぼ不可能だろう。ジャックスは世間的に、そして何より企業からマークされないように徹底的に隠された存在である。その為、ここのように比較的キャッチされにくい拠点を転々とする必要がある。その拠点も、ダミーの住居などが殆どで、研究所のようなシェルターなどあろうはずが無い。
戦闘訓練は実戦で積め。相手は企業又は野良のウルドックスだ。
それがどうしようもない現実。メンテナンススタッフを寄越したのは、せめてもの温情だろう。泣けてくる。
「それで、アンタはどうするんだ?まさか住み込みじゃないだろ?」
「残念ながらね。私は戻るよ。私の研究の続きをしなくてはならないし、キミの研究も続行しなくてはならない。シー君も待たせている事だしね。」
戦闘訓練の時以外は暇そうにしていたドクターが研究の続きとは珍しい。仕事が無くて破綻寸前だった筈だ。
「意外と忙しそうだな。仕事が入ったのか?」
「キミがマルドックスを打ち倒した事で実績ができてね。研究依頼も増えてきたのさ。感謝しているよジャックス君。キミのおかげで餓死する危険性は今のところ回避できている。」
「ソイツは光栄だなクソッタレ。」
どうやら俺がいない所で上手く物事が回っているらしい。回転の軸はこうも不遇だと言うのに、腹立たしい限りである。
ただ、あの貧相な研究所ですら維持できない状態がジャックスが確認した最後だった為、割としっかり心配していたが、とりあえずは大丈夫そうだ。経済状況が安定したのであれば、シーの食事ももう少しマシになるだろう。いや、なるだろうか。用意しているのが未だドクターなら変わっていない気がする。
「ところで、キミが戦ったマルドックスについてだが…如何せん素体サンプルが貰えなかったのでね。是非ともキミから情報を得たいのだよ。身体的特徴、知能、運動性能から何もかもね。いやなに、まだ時間はある。戻ると言っても今すぐに戻らなくちゃあいけない訳ではないからね。だから、ほら、積もる話もあるだろう。そのついでだ、聞かせてくれ。いや、キミにはその義務がある。さあ!」
「アンタ、今日来たのそれが目的だったろ。」