10話:VOLTAGE
【ぶっ潰す。何もかも。】
振り上げた拳を、叩きつける。
この男にとって、絶望を与える手段はそれで充分。
老朽化しているとはいえ、コンクリートの地面が氷のように割れ、砕ける。その一撃をすんでのところで回避するが、散弾のような砕けたコンクリートの破片がジャックスを襲う。
技術も何もない、力任せの一撃。ただ、その一発一撃が必殺。
回避できなければ、死ぬ。
間髪を入れずニックスが腕を振り回す。巨大な腕はそれだけで広いリーチを確保し、圧倒的な攻撃力と防御力を実現させる。粗雑に見えて、攻防一体の隙の少ない戦い方をする。恐らく本人に、その意識はないだろうが。
「避けるな!!!殺す!!」
「そりゃ無理な相談だ!」
ジャックスに向かって再び正面から飛び込んで来る巨体。頭に血が昇っているのか、元々そういう戦闘スタイルなのか。馬鹿正直に向かって来てくれる内はやりやすい。
幸いな事に、ニックスのスピードは大したものではない。それもそうだろう。勿論その身体は大型であるが、それに比べても腕が大きすぎる。移動する際には、巨大な鉄の塊のようなその腕が重りになる事は明白だ。
だからこそ、一撃一撃を大きく回避して距離をとる。相手が足を使う間は、まだこちらにアドバンテージがある。最も怖いのは、相手の懐。ゼロ距離であの腕を振り回されれば、それでお終いだ。ニックスに近づかれない事が、まず生き残る条件。
「いつまで逃げんだぁあ!!?オイ!!!!無駄だぞ!!!!!」
そう、このままではジリ貧になる。相手の消耗をひたすら待つというのも考えたが、正直現実的ではないと自分の中で棄却した。
回避する事自体は容易。ではその次は?
再び崩壊する地面。今度は破片を喰らわないように、横っ飛びに回避する。それを追うように再びニックスが跳ぶ。それを回避する。
必殺の一撃を、ひたすら回避し続ける。このままでは、先に限界が来るのはこちらの方だ。いつまでも万全に動ける訳ではない。スタミナは所詮人間レベル。消耗し、動きが鈍くなった所を叩かれるだけだ。虫のように。
「ぁぁぁああああああ!!!!!!!死ね!!!」
両手で拳を握りしめ、ニックスが力任せに飛びかかる。これまでの片腕だけでの攻撃とは段違いの破壊力を持つ一撃。
「遅ェ!」
破壊の余波を想定し、大袈裟に回避する。インパクトの瞬間、空気が歪むような感覚がした。直後、轟音と共に地面が抉り取られる。
その刹那に、ニックスの身体が両腕に持っていかれて、宙に浮いている状態になっているのを確認した。
ここしかないーー。
回避していた力を無理矢理接近に転換する。身体が浮いているのであれば、相手も身動きはとれない。攻撃をしようにも、地に足ついていなければ、踏ん張りが効かずロクな攻撃にならない。
狙うなら、今。
(目を…!)
持てる全ての脚力でニックスの頭部へ接近し、拳を振り上げる。マルドックス化して大きく切り開かれたその眼球は、狙いやすい的だ。
ニックスの目がジャックスを捉える。拳は未だ地面に沈んでいる。どう動かしてももうここには届かない。
(とったッ!)
しかしーー。
突如、ジャックスの視界が黒く覆われた。拳が狙いを定めた光る眼球が見当たらない。
暗く、
暗く、
空洞のように広がる世界が、
大きく開かれたニックスの口だと気づく。
「クソがっ!!」
突き出す直前の拳を引っ込め、代わりに身体を回転させる。脚を回し顎を弾こうとするが、強靭な力に適うはずもなく、強引に上下の顎に挟まれる。
人智を超えた力に、鋼が軋む。
異形。
口は頭部の半分以上を占め、牙というには不格好な歯がズラリと並んでいる。噛み合わせは悪そうだが、その強固さは獣のそれを遥かに凌駕するだろう。人間の構造からは想像できない程巨大化した口は、この世のどの獣にも分類し難く、バケモノと形容するにふさわしい。
「はなっ…しやがれ、このクソ野郎…!」
「なあああんで潰れねえんだぁあ!!?硬ぇなああ!!!」
義足の部分を噛み込んでくれたおかげで、なんとか胴体がすり潰される事は免れた。だが、このまま義足が無事でいてくれるとは限らない。今も無理な体勢で挟まれている義足からは、鈍い金属音が響いている。この脚が壊れようものなら、それこそ一巻の終わりだ。
残る右腕で頭部を殴り続けるが、全く効いている様子はない。この位置関係では、目にも届きはしない。
「効かねえなあ!!!潰してやる!!!潰してやるあああ!!!!!!」
リックスの巨大な腕がジャックスに迫る。噛み潰す事はできないと判断したのか。身動きの取れないジャックスをそのままその手で握り潰そうとする。義体以外はただの人間。今度こそ何の抵抗もなくミンチになるだろう。
どうする。手はない。どうしたら抜け出せる?
やるしかないだろう。むしろ、好条件じゃないか。
「グラングライヴァ!!」
ニックスの口内から赤い稲光が走る。滾る暴走エネルギー。制御不能の力。結構だ。
生き残る為なら、何だって使ってやる。
「回れぇぇええええ!!!!!!」
完全に死んでいた両足が、動き始める。強い力で挟まれてはいるが、全く動かない訳ではない。少しでも力がかかるのであれば、呪文は有効だ。
グラングライヴァはグラーヴァの上位互換の呪文である。グラーヴァは脚の駆動を加速させる呪文。言ってしまえば、グラングライヴァはその力を遥かに増大させただけのシンプルな呪文である。
しかし、その増幅幅は絶大。加速力はグラーヴァの約50倍。速さは強さ。音速に到達せんとする鋼の身体は、何者をも貫き、切り裂く刃になる。
「がぁああ!!!??んだあああああ!!!??」
鋼の回転力に負け、強靭な顎が弾き飛ばされる。歯は粉々に砕け、顎も筋が切れたように開ききっている。その中に、だらんと伸びた舌が見えた。バケモノになっても、口内の構造は、そのままらしい。
人間と構造が同じーー。
ジャックスは手を伸ばし、再び口の中に突っ込む。そして、力なく垂れ下がった舌を掴み、全身全霊で以て引っぱる。いくらマルドックス化して強固な身体を手に入れても、内蔵ばかりは固められない。ラ・スーロによって増大された鋼のピンチ力は、脆い口内の筋繊維を容易に引きちぎった。
「があああ!!!!ぁああぎぎぎあああ!!!!」
断末魔と共に血飛沫が舞う。さすがに効いたのか、地面に倒れ伏し、暴れながら悶絶している。
「悪いな。」
引きちぎった1m程の舌を捨て、横たわるニックスの眼球に蹴り抜ける要領で爪先を突き刺す。青緑の光が濁り、消える。そこから噴水のように血飛沫がまた噴き出す。義足の為勿論感触はないが、それでも酷く嫌な感触を錯覚する。
足を引き抜くとどろりと巨大な潰れた眼球が零れる。直径は大体30cmくらいか。足を振り、光を失った血の塊を捨てる。
耳を劈くような絶叫。断末魔。無意味な罵詈雑言。
それらには耳を貸さない。仕方ないだろう。
「こっちだって、死にたかねェんだよ。」
かつて眼球が収まっていた空洞へ、拳を突き刺す。何度も、何度も、何度も、何度もーー。
幾度かの砕く感覚と潰す手応えを覚える頃には、喧しい声は聞こえなくなっていた。残った片側の目からも、光は消えている。
呼吸は、もうしていない。念の為喉の部分を踏みつけるが、反応はない。骨を折った感覚はない。どちらにせよ首への攻撃は無意味だったか。
だらんと四肢を伸ばし倒れるニックスの残骸。身長で言えば3mは超えているだろう。腕を広げた大きさで言えば5mは下らない。
バケモノ。これが元人間とは思えなかった。
「……死んだか…?…ウィスパーピーク。目標を始末した。」
『やったね!!初仕事は大成功だよおめでとう!今回収班が向かってるから、ちょっと待っててね。』
「早めに頼む。今にも動き出しそうで気味が悪ィ。」
暫定死体を尻目に、隠れるように工場の残骸にもたれ掛かる。念の為、人が現れないか警戒する。
相手側も企業だ。万が一の為に監視やらバディを連れていてもおかしくはない。そいつらに観測されれば面倒になる。あれだけ派手に暴れた後では、今更警戒した所でもう無意味かもしれないが。
「ウィスパーピーク。周囲に民間人含めた人間の反応はあるか?」
『無いね。ここに来てからの約20分、その周辺にいたのは君達だけだったよ。』
「…何だと?腐っても企業間の取引の現場で、監視も無いってのはウソだろ。」
『君は私達をちょーっと過小評価してない?大丈夫!君はなーんにも気にしないで、戦うだけでいいんだよ!』
「……、…ぁあ、了解。」
どうせ問いただしたところで、望んだ返事は帰ってこない。
ならば愚直に、従おうじゃないか。
ー
ーー
ーーーー
数分後――。
外で車が停まる音がした為、念の為に窓から確認する。どうやら回収班が到着したらしい。あの堅物の男もいる。
裏口から入ってきた男はジャックスを一瞥した後、ニックスの死体に歩み寄り、ひとしきり生体反応を確認している。
ようやく、ジャックスにも一体のマルドックスを殺した実感が湧き上がってきた。無我夢中で生き残る為に、相手を殺す為に、殺した。殺しきる事ができた。
完全に実力で勝てたとは思えない。偶然の要素は多く、今回は上手いこと相手の虚を衝く事ができた。次からもそうできる訳ではない。事実、戦い自体は防戦一方であった。相手の攻撃は防御を無意味とし、こちらの攻撃は通らない。
同じようなマルドックスと再び戦う事があれば、次は策を講じなければならないだろう。
「見事だ。絶命している。死体はこちらで処分する。君は車で拠点に戻れ。」
「コイツを始末した事で、企業連中の警戒が強まるんじゃねェか。」
企業所属のお抱えマルドックスが死んだ。リックスのグラコニー社だけではない。業界全体にマルドックス殺しの存在が周知される事だろう。ただでさえトップシークレットのマルドックスが、さらに闇に潜むとなると、そう易々と戦闘にまで持っていく事はできまい。
「そうだろうな。その対策もしてある。……ジャックス。」
それも秘密か。どこまで行っても蚊帳の外だ。
「なんだよ。」
男がタオルを手渡す。
「これで血を拭いておけ。そんな姿では怪しまれる。」
「…そいつァどうも。」
自分の身体が、返り血に塗れている事をたった今自認した。鼻腔をツンと刺す獣の血の匂いが、今更ながらジャックスを襲う。戻ったらいの一番にシャワーを浴びようと決意する。
外に停まっていた車に乗り込む。以前堅物の男が乗っていた車だ。ちなみに、ジャックスが乗ってきたバイクはあの男が回収するらしい。あの男がバイクに乗る姿はどうも似合っていなさそうで笑えてくる。
とにかく、今日は生き残る事ができた。今後は分からないが、とりあえずはそれでいい。どんな形であれ、マルドックスは殺す事はできる。それが分かっただけで充分だ。
手段は、限られる。あのニックスに限った話かもしれないが、有効打になり得る武器がグラングライヴァのみとなると、少し苦しい。今回の戦闘で少し使い方を掴んだ気もするが、不確定要素が未だに多すぎる。しかし、悠長な事は言っていられない。もしまた必要な場面があれば、躊躇なく行使する。そうしなければ、死ぬのはこちらだ。
「あぁ…疲れた……。」
時間にしては恐らく5分にも満たない戦闘。刹那の命のやり取りとは、こうも精神と体力が削られるのか。
後部座席に沈むようにもたれ掛かる。相変わらず乗り心地は最悪だが、今回ばかりは許そうと思う。
少なくともこの感覚が、生きていると実感させてくれるのだから。