悪役令嬢、第一王子と二人きり
ノイエがびっくりするほどヘタレ……
「アナベル、今少し、大丈夫かな」
いつものランチタイム。ノイエ様が久々に声を掛けて来ました。ネメシアと何やらコソコソとやっていた様で忙しそうになさっていたのですが、ひと段落ついたのかしら?
「向かいの席でよろしいですか?」
隣にはリリーナ、斜向かい(リリーナの向かい)はムスカリが座っていましたので向かいの席をおすすめしました。
「そうじゃなくて、その、二人で」
ノイエ様は基本的に特定の女子と二人きりにはならないようにしています。まぁ、なのでユイリィ様と木陰で二人きりなのに動揺したんですが。
そんな訳で、わざわざ二人きりになろうとする発言に驚きました。
「ここでは都合の悪いお話ですの?」
……なんでしょう。イフェイオンの一件?その話ならリリーナとムスカリにも話すでしょうし、わたくし一人に?
「デルフィニウムにもカンパニュラにも、会話が圧倒的に足りないと言われてな」
婚約者候補にそれぞれコンタクトを取っている様子の中、わたくしだけ避けられ気味だったのをお二人が気にしたという事ね。
候補筆頭なのに蔑ろにされていると言われる原因でしたが、その噂に対する策と言ったところですか。
「言い方……」
「今のは殿下が悪いなぁ」
「お、俺にも作戦というものがあったんだ!『会えない時間が想いを募らせる』んだろう?今はその作戦中であって……」
「指南本か何かの受け売りですか?」
「あの言葉は、きちんと想いあっていて成立するものであって、スターチス嬢のお気持ちは恐らくまだその段階に進んでいませんよ?」
「意識して貰おうとしたら空回りするし、誤解されたかと思って話そうとすれば嫉妬もされないし、ならば!と思っての作戦だったんだが……」
「そのうち、どう話しかければ良いのかわからなくなったヘタレですね」
「離れて想いを募らせたのは殿下でしたね」
リリーナとムスカリがボソボソ言っていて、それに対してノイエ様が焦ったように何やら言い訳をしていました。
目の前で内緒話されるのは、あまりいい気分ではありませんね。とりあえずノイエ様が二人に呆れられている事は分かりました。
「バランスを保つのも大変ですね。……リリーナ、少し席を外します。ムスカリ様、リリーナをお願いしますね」
なんとなく仲間外れにされて面白くないので、さっさと要件を伺う事にしました。
「外に出ないか?少し歩こう」
そう言うと、侍従がコートとショールを持って近寄ります。準備万端ね。
「はい」
外に出ると肌寒くて、コートとショールを羽織ってもぶるりと震えてしまいました。
隣を歩くノイエ様がそっとわたくしの手を取ろうとして、躊躇なさりました。
「手袋の用意を忘れて済まない。暖を取る為にも、手を握ってもいいだろうか」
寒さのせいか耳を赤くしてノイエ様が聞いてきます。長期休暇の時は、問答無用で握った癖に。
「ノイエ様のお好きなように」
わたくしが言うと、少しだけ寂しそうな顔をした後、そっと手に触れてきました。
暖を取るためと言いながら、ノイエ様の手は燃えるように温かくて、わたくしの手指はそれが移ったように熱くなりました。
「意識が変わると、こんなにも思い通りにならない」
自重するようなノイエ様の言葉は、わたくしの事を言ってらっしゃるのかと思いました。
わたくしがずっと、気付かないようにしていた意識。気付きたくなかった心。
ノイエ様は、幼い頃から好き嫌いを言う事を許される存在ではありませんでした。今はもっと許されません。王へと至る人の言葉には、強い力が働くからです。
だから、ノイエ様の気持ちは分かりません。わたくしの事を疎ましくは思っていないでしょう、それは分かります。
でもそれ以上は?
わたくしたちの関係は、ずっと政略結婚の候補でした。そこに互いの気持ちは関係ないと、教え込まれてきました。
また、情勢次第で選ばれない可能性もある相手でした。
覚悟を決めても、その覚悟ごと捨てなければならない相手でした。
なのに、こんなにも熱い手でわたくしの手を握るのです。
明日父が失脚したら、この熱い手は振り払われる事でしょう。政略結婚候補とはそういう存在です。
「アナベル、俺は……」
その後が続けられない事を知っています。王族の婚約者とは、そういう存在ではありません。ましてやわたくしは候補の一人に過ぎません。学院という人目のある場で、ノイエ様のアキレス腱になる訳には行かないのです。
「……そんなに弁えたような顔をしないでくれ。……いや、私が、王家がさせているんだな、すまない」
言いながらも、わたくしの手を強く握り締めるノイエ様。
「いいえ、分かっている事ですので」
ギリギリまで婚約者を発表する事は出来ません。昔、早々に決まった婚約者が暗殺未遂により致命的な怪我を負い、婚約者交代という事があったからです。
正直、内定者には言っても良いのでは?と思わなくは無いのですが、慣例では学院卒業式に初めて決定となる為、ノイエ様もそれにならうのでしょう。
ノイエ様は気持ちに振り回される人では無いし、わたくしはその事も好ましく思っています。仕事のパートナーとして申し分はないでしょう。
でも、そうじゃなくて……と思う気持ちもあります。もし、慣例を破って愛を告げるような方だったら?
……いいえ。ゲーム内のように、最終学年前半から誰かに愛を捧げていたら、わたくしは完全に冷めた目でノイエ様を見た事でしょう。
相手を危険に晒す事を良しとはしない、そんなノイエ様をわたくしは、……わたくしは?
「近頃は大丈夫?困った事や解決出来なそうな事はない?」
デルフィニウムを手配してくださった件や、学院内の噂を指しているのでしょう。ノイエ様は言葉遊びのように、わたくしに具体的な事は仰らない。
誰かに聞かれてもギリギリ言い訳の出来る内容で、わたくしと距離を取られるようになりました。
リリーナとムスカリにはかなりの至近距離で内緒話をするのに、わたくしとは適切な距離感です。
そういえば、いつから?武術大会ではこの距離感では無かったはずなのに。
近頃わたくしが婚約者候補筆頭とは思われないくらい距離があるのは、理由があると思っていい?
それならこの繋がる手は、不利に働くのでは?
色んな事を考え過ぎているのかしら?そのせいでどうしたらいいのか分からなくなっているのかしら。
じゃあ、いよいよもって覚悟しなければならない?わたくしに、出来るのかしら。
覚悟が出来ないのなら、逃れる方法を確立しておかなければならないのに、それもままならない。
「ええ、今は何の憂いもありません」
「本当に?」
まるで、わたくしの心が定まっていない事を分かっているみたいな顔で見つめてくるノイエ様。熱い手の平の癖に、何でもないみたいな顔で揶揄うように問われる。
リリーナがはっきりズバッと言えばいいのに、と言いたくなる気持ちも分かります。
でも、そうされたら戸惑うのもわたくしなのでしょう。
だってわたくし自身がふらふらしているから。
「ええ」
貴方への気持ちと、その他の感情の天秤が片方に傾かなくて困惑している以外は、概ね平和です、とは言えないけれど。
「アナベルは自分で何でも解決しようと、ふらふらするから心配だよ」
わたくしの事を分かっているみたいな顔をしないで。分かっていて見逃してくれているなんて、思いたくないの。
「そんな事ありませんわ。わたくしだってひとを頼らなければならない時には頼ります」
「……俺以外に?」
ぎゅっと、痛いくらいに握られた手に、わたくしは何を思えばいい?
「恐れ多い事を仰いますね、わたくしの度量を測ってますの?」
卑怯だな、と思いました。
ノイエ様も、わたくしも。お互い曝け出さないようにしながら探り合って、本当は分かっているようで、それでいて全く分かっていない。
まあ、わたくしは自分自身が混乱して来たのですから、それも当たり前かもしれませんが。
「意外とアナベルもいじわるだね」
「ふふふ、『アナベルも』と仰ったので大目に見ますわ」
小さく二人笑い合う。同じ意味合いかは分からないけれど。
この時間は、誰かに言われて取った時間なのかもしれません。言葉通りに受け取ればそうなのだけれど、でも、そうじゃないのかもしれない。
熱い手に、後者であって欲しいと心の底から思ってしまったあたりで、わたくしの気持ちは確定してしまったのかもしれません。
「早く卒業式がくればいいのに」
手を繋いだままノイエ様が呟きました。
わたくしは、そうですね、とはまだ言う事が出来ませんでした。




