悪役令嬢と大人枠の攻略対象
「心ない噂に、貴女の心が傷付けられていないか、とても心配していたので相談してくれて嬉しく思います」
本日の講義が全て終わってから、ワトソニア先生がいる講師控え室にお邪魔しています。
教授が『話を通しておいたから』と、ありがたいような迷惑なような気を回してくださいまして。本日お邪魔する運びとなりました。とほほ。
ちなみに、講師控え室に来ているのは、ワトソニア先生は教授では無く、講師という位置付けだからです。
教授陣はどうにも自分の分野にのめり込み過ぎな方々ばかりなため(その分野の第一人者や高名な教授ばかりなので仕方ないところもあります)、必然的に講師は学生に寄り添ってくださる方が集められています。
ワトソニア先生はその代表格で、20代半ばと若く見目麗しく優しげな為、学生……中でも女子には絶大な人気があります。
学生同士が揉めているとやんわり仲裁に入ってくれたりする事も多いので、困り事はワトソニア先生に相談する風潮があるようです。
ゲームでは相談に来たリリーナと恋愛関係になる訳で。リリーナは特に可愛らしいし、とっても優しくて素敵だから……と考え無くもありませんが、相談に来た学生ともしや?と疑いの目を向けてしまきます。
余談ですが、教授陣は自分の執務室を持っていますが、講師には大きな控え室にパーテーションで分けられた机があって、前世で言うところの職員室のような会社のような雰囲気です。
学生が相談に来た場合、控え室のあちらこちらにある椅子とテーブルに移動するか、相談用の個室に移動するようになっています。
ワトソニア先生の机の上は少々……いえ大分ごちゃごちゃしていました。書類や手紙、学生からのお菓子に、茶葉の類まで雑然としてきます。
チラリとそれを見ると、ワトソニア先生は情けなそうに、『片付けが苦手でして』と苦笑していました。
「デリケートな話ですし、個室にしましょうか」
「いえ、それほど大事でもありませんし、あちらの椅子で……」
ワトソニア先生はそう言いますが、わたくしはそもそも長く話したくはないので遠慮します。
ドアを開けたままにするとはいえ、独身男性と個室に二人きりというのは避けたい。何かあるとは思いませんが、それこそ噂を立てられている今、火に油を注ぐような事はしたくありませんでした。
近頃とても思考がチグハグです。悪役になりたいのか、誤解を解きたいのか、正直自分でも分かりません。
「いいえ。スターチス嬢のお心がガラス細工のように壊れる事の無いように個室にしましょう。デリケートな貴女は今傷付いている事に気付いていないのです」
わたくしの心がガラス細工!デリケート!一度として言われた事のない甘い囁きに……、寒気がしました。
可笑しいな。容姿も声も素敵だし、淑女に対して正しい気遣いの筈なのに、何故か受け付けません。
ワトソニア先生にはこれ以上抵抗しても面倒な台詞がわんさか紡がれそうなので、渋々ながら個室に移動する事にしました。
「やはりあの噂は真実では無いのですね」
わたくしが説明する前にワトソニア先生が心配そうな顔で聞いてきました。噂の内容は把握してらっしゃるようです。
「怪我をなさった方はいらっしゃいませんし、わたくしごときではネメシア様を脅威に晒すなど不可能、というのが真実です」
出来るだけ事実だけを伝えました。客観的に見て、どう思うのかが気になったからです。
「そうなんですね。そうなんじゃないかと思っていました。ではスターチス嬢は、今学院に流れる噂は何者かが悪意を持って広められたものとお考えでしょうか?」
優しく頷きながらワトソニア先生はわたくしの言い分を聞いてくださっているようでした。
「それは……そうとも言えないでしょう。伝言ゲームのように、話が広がる際に間違ってしまう事はよくあることですもの」
本当は、ベロニカ様派閥の方が関与している事を知っていますが、それをわざわざワトソニア先生に話して話を長引かせる必要が無いと判断しての回答です。
「スターチス嬢は優しいのですね。でも、それではこの噂は無くならない。貴女はこの噂をどうにかしたいとは思わないのですか?貴女は不当に貶められているのに」
学生思いのワトソニア先生の言葉は、悪役として断罪されたいわたくしにはピント外れでした。それと同時に否定したい気持ちも無いわけではありませんが、嘲りをくださったご令嬢方に対して我を忘れそうになったのも事実で、力ある者を責めたくなる彼女たちの気持ちも分からなくは無いのです。
「本当は、分かっているのではないですか?誰がこの噂を流しているのか」
庇わなくてもいいと、ワトソニア先生が更に優しく語りかけます。
「憶測で語る事はできませんから」
ワトソニア先生には悪いけど、この件に関して相談する気はありません。わたくしの中でハッキリしていない事を、勝手に片付けられては困るからです。
「私は貴女の心を守るためならなんでもしたい。私は学院の講師なのだから、頼ってくれていいのです」
そっとわたくしの手を取るワトソニア先生は、まるでゲームのスチルの様でした……って言うか、あったわこのスチル。ゲームでは対リリーナだったけれどね!
何でわたくしがスチル発生させているのかしら?
とりあえず、自分の手を離して貰おうとそろりと手を抜こうとします。なんだろう、触られるの、ヤダわ……。こんなに素敵な先生なんだけれど、生理的に合わない?何なのかしらこの感覚。
けれどワトソニア先生はわたくしの手を離してはくださらず、少しだけ力を込めて握ってきました。
「急に言われても困るかな?でも、そのくらい貴女の心は傷付いているんだよ、可哀想に」
その上で同情されてしまいました。ええ……対応に困るな。
「離してください先生」
眉を下げ、ノイエ様の婚約者候補なので困ります、というようなポーズを取ります。流石に生理的に無理なんで、とは言えませんからね。
「こ、これは失礼。落ち着きましょうか」
そう言ってワトソニア先生は一旦席を外しました。どうやらお茶を淹れてくださる様子です。
ワトソニア先生が個室から離れて、ふぅと一息溜息を零してしまいました。
なんだろう、前にも思ったけれどワトソニア先生の近くにいると凄く疲れます。
ちょっとウザい言い回しのせいか、ピント外れの言葉のせいか……とにかく疲れます。
それから、変な感覚を覚えました。何かを探られているような、言葉を引き出したいような。ワトソニア先生は攻略対象なのだから、そんな事をする訳は無いのに。
うーむ、第一王子ルートかハーレムルートでワトソニア先生に探られたりしてたっけ?悪役令嬢Aは。それともゲームの断罪の裏では先生が関与していたということ?
分からない……わたくしがゲーム通りじゃないせいなのかもしれませんが、ワトソニア先生が本当によくわかりません。
ぼんやり考えていると、ワトソニア先生がお茶を持って戻って来てしまいました。お茶の前に席を立てば良かったんだと、今更ながらに気付きました。わたくし何やっているのかしら。
「手作りのハーブティーなんですが、落ち着きますよ?学生にも好評ですが……公爵家のハーブティーとは比べられませんね」
ニコニコしながら勧められましたが、途中からしょんぼりしてしまいました。飲まない選択肢が消されてしまいました。
仕方なくお茶に手を伸ばすと、ふんわりハーブの香りがします。とても気分が晴れやかになるスッキリとした香りですが、あまり嗅いだ事のないものでした。
「何のハーブなんでしょう。気分が晴れやかで……スッキリしていて、でも嗅いだことの無い……」
「複数のハーブをブレンドしている私特製のハーブティーです。気に入って頂けましたか?」
「これは、もしかして先生が?」
「あんまり褒められた趣味では無いのですが、ハーブを育てるのが趣味でして」
美味しいハーブティーはなんとワトソニア先生お手製なのだそう。学生にもよく振る舞っているのだとか。
そういえばワトソニア先生は土系統の植物魔術の講師だったのを思い出しました。ハーブが趣味なのも実益を兼ねていらっしゃるのかしら。
「すごく美味しいです。良かったらお分けして頂きたいくらいに!」
お願いすると、先生は少しだけ困った表情になりました。
「申し訳ありません。他の学生からも分けて欲しいと言われていて……順番になってしまうのです。でも、スターチス嬢が私と特別な仲になってくださるなら……」
ワトソニア先生が急に距離を詰めて来て、耳元に囁きます。
「特別に、分けて差し上げますよ」
妖艶に笑う大人の男の人、ワトソニアは先生の仮面を脱ぎ捨ててわたくしに囁いてきました。
わたくしは……、物凄く、生理的に無理だなと感じました。
何なのかしらこの人。攻略対象の距離の詰め方ってこれでいいの?ああ、学生よりもアダルトな感じに攻めるのかしら?それとも卒業まで4か月という後半で出てくるキャラ故の急展開なの?
それにしたって、初めて二人きりになってコレ?落ちるものかしら、これで……?
「そうなんですね、ではわたくしは遠慮しますわ。相談に乗っていただきありがとうございました。お茶も美味しかったです」
限界が来たのでお暇する事にします。
ワトソニア先生は驚いたような顔をしていましたが、引き留められる前に相談用個室を後にしました。