悪役令嬢VS魔術師団長子息
恋愛パートなのか、アクションパートなのか……
「ユイリィ嬢、この間はありがとう。助かったよ」
「嫌ですわノイエ殿下。わたくしとノイエ殿下の仲じゃないですか」
少し影になっている大木の下、隠れるように二人は居ました。何かお話なさっている様子でしたので立ち聞きする気は無かったのですが、聖結界についての講義が野外であるため通らざるを得なかったのです(リリーナは聖教会に行っていて不在です)。
小さく聞こえてきた声は、とても親密そうでした。
ノイエ様が令嬢のファーストネームを呼ぶ相手は限られています。わたくしと、リリーナと、……それから?
わたくしは敬称無しで呼ばれているのだから、もっと親しいじゃない。気にしすぎよ。
そこまで考えて、わたくしは自分に驚きました。
『わたくしの方がもっと親しい』
え、なんでわたくしモントブレチア様にマウント取ろうと考えているの?
親しげに話すのも、距離が近いのも、わたくしの特権じゃないわ。……特権?わたくし、何を考えているの?
気が付いたら走り出していました。淑女にあるまじき態度ですが、わたくしの思考はぐちゃぐちゃで、一刻も早くこの場を立ち去りたかったからです。
ノイエ様が走り去るわたくしに声をかけたような気がしましたが、振り切って走りました。
聖結界の講義では散々でした。本日の講義では聖結界を複数人で協力して多重に張る方法などを学ぶ筈でしたが(リリーナが一緒に聖女結界を張ると効果を打ち消すので聖教会で講義なのです)、聖結界を発動させられなかったり、出力を間違えてグループを組んだ生徒を弾き出してしまったり。
教授からは、無意識に魔力を込め過ぎていると仰いました。聖結界は歌う事で発動する魔術の一種で、攻撃魔術よりも心が深く関係します。不安定な本日はこれ以上は事故が起こりかねないから、とわたくしの参加を認めませんでした。次回の講義までに、不安を取り除いてくる事、とも。
ただでさえ歌が下手で居た堪れない聖結界の講義ですが、更に術が不安なんて。
クスクス笑う声や、陰口が聞こえます。いつもなら無視するのなんて簡単な事ですが、今日はどうにも癇に障りました。講義が終わる頃、わたくしは完全にどうかしてしまいました。
「言いたい事があるなら、はっきりおっしゃってくださらない?いつの間にか溜まる部屋の隅の埃みたいにコソコソと、しかも一人では何も出来ない癖に」
いつもなら流す事も、もう少しオブラートに包んだ表現で反論する事も出来るのに、今日のわたくしは流す川も、包むためのオブラートも見つかりませんでした。
「なんですの?ちょっと魔力が多いからっていい気になってらしたのはスターチス様でしょうに。ご自慢の聖結界が不安定だからって、わたしたちに当たり散らすのは辞めてくださらない?」
語尾を上げて、殊更煽ってくる様な物言いの令嬢。確かリリーナの聖女結界が発動した時にも噛み付いていた方だわ。ああ、イライラする。自分が自分じゃないみたい。
「ちょっと?うふふ、面白い事をおっしゃるのね。わたくしと貴女の魔力量の差、本当に分かってらっしゃる?」
ぐわっと、身体が熱くなるのがわかる。自分の中で、イラついた心が制御出来なくて魔力が溢れそう。
今聖結界を発動させたら、さっきわたくしを笑った方々を一気に弾き飛ばす事が出来る。
弾き飛ばしたら、気持ちが晴れるかしら?
「スターチス君!やめなさい!」
教授が焦った顔でわたくしの肩を掴む。
触らないで。誰の許可を得てわたくしの身体に触れているの。
前世でプレイした乙女ゲームの悪役令嬢たちはこんな気持ちだったのかしら。それとも、こんなよく分からない感情じゃないのかも?
何もかもどうでも良くなって、歌ってしまおうか、本当はそう思っていました。
「結構な魔力が集まってるけど、魔獣でも呼ぶつもり?」
突然、ネメシアが楽しそうな声を掛けてきました。
「何なに?魔獣呼んで新しい魔術の試し撃ちでもさせてくれる?」
心底楽しそうで、それでいて瞳の奥が見えないネメシアの笑顔に、更に怒りが増しました。
「あ、お嬢様方は下がってね。何かあって傷でもついたら大変だもの。あの魔獣みたいな魔力の塊に触っちゃダメだよ♪」
わたくしが魔獣ですって?お前も吹っ飛ばしてやろうか。
そう考えた時、わたくしの身体は宙に浮き上がり、大きなシャボン玉のようなものの中に閉じ込められました。
「アナベルは落ち着こうね♪」
声と同時にシャボン玉の中に水が溢れてきます。まさかの水責め。これを女子に向けて行使するってどういう事!
ネメシアの魔術という事は、このシャボン玉はわたくしがいくら叩いたところで割れないでしょう。無様に水を飲んで失神させる気でしょうが、そうはさせるもんですか。
後になって考えれば、何故ここで冷静になれなかったのでしょう。
わたくしは全力で聖結界を張るために歌いました。わたくしの聖結界が展開しようとする力と、ネメシアのシャボン玉のような水の膜が拮抗します。シャボン玉に小さくヒビが入ると、ネメシアは更に笑みを深くしました。
「わお♪水膜壁にヒビが入ったのなんて初めてだ!出力上げたらどうなるかな♪」
ムキになって聖結界を展開させるわたくしに、面白がっているネメシア。令嬢方は怯えたようにわたくしたちを見つめ、教授は手を出せないようでした。
ネメシアはシャボン玉の強度を上げる為か、わたくしを地面に下ろし、その上で水責め用にシャボン玉内の水の勢いを加速させました。
ならばと、更に展開させる聖結界にネメシアのシャボン玉が悲鳴を上げる様にヒビが入ります。後少しで割れる!出力をあげようとした時、ガボゴボがぼ!わたくしの身体は完全に水の中に閉じ込められました。
聖結界の強度を手っ取り早く上げるために、聖歌を歌い続ける必要があるのですが(結界維持なら歌い続ける必要はありません)、シャボン玉を割る為には後少し足りませんでした。
ネメシアを睨むと、恍惚とした表情でわたくしを見ていた様な気がしたところ迄で、わたくしの意識は途切れたのです。
目を開いた時、わたくしは医務室でした。ネメシアが運んでくれたそうです。
教授からはキツいお叱りと、次回の講義の出席停止が言い渡されました。
「本当に、申し訳ありません」
余りに情けなくて俯いて教授に謝罪すると、先程迄の声色とは違った声で話しかけられました。
「スターチス嬢はよく耐えておいででしたよ。ただ、貴女の魔力量はかなりの量です。使い方が不安定では、いざと言う時に使えません」
制御出来ない力は怖いですもんね、本当にごめんなさい。
「分かってらっしゃる様なのでこれ以上は言いません。ただ……」
「ただ?」
「研究対象としては、どれ程まで聖結界が発動されるのか、あのネメシア君の水膜壁を破れるのか、とても興味がありました」
楽しそうに笑う教授の顔は、ネメシアにとても良く似ていました。魔術関連の人たちって、みんなこうなのかしら?余りに無邪気に言われてしまい、怒る気にもなれません。
教授にはもう一度謝って、そこまで気に病む必要は無いとの言葉も貰い、講義の一件は終了しました。
後程講義を受けた方々には謝罪をしなければなりませんがね。
水責めで大分水を飲んだそうで、もう少しだけ医務室で休むように言われ、反省しつつ目を閉じました。