第一王子と悪役令嬢の心の変化
引き続き第一王子ノイエ視点です
婚約者候補筆頭アナベル・スターチスは、華やかな金の巻毛に緑がかった金色の瞳の美しい少女だ。猫の様な目尻の上がった目が高位貴族らしい冷たげな印象をさらに加速させる。圧力の掛け方や態度も立場を思えば、らしい振る舞いであった。
……個人的に好きとか嫌いとかの感情を見出せる存在ではなく、普通の高位貴族令嬢だな、と思っていた。
スターチス公爵邸に到着すると、アナベル自身が迎えに出てくれた。まあ、王族の歓待なのだから当たり前か。
報せを受けてからの短い時間で手配をしてくれたのであろう。細やかな気配りが、どうやら彼女の手によるものだと会話の中から読み取れた。
慌ただしくしていたのだろう、いつも学院で見掛ける姿よりも少しばかり気の抜けた表情をしていたのが印象的だった。
それを指摘すれば、ピクりとだけ眉を動かした後、立て直す。盛大に眉を顰めて悪態をつきたそうな雰囲気をその一瞬で切り替えた。
……相手に悟られるのはいかがかと思うけど、瞬時に気持ちを切り替えるその様は及第点だな。頭の中で点数化しながら採点していく。
恋愛感情で婚約者を決める気は無いので、この方法が最適だろうと考えていたのだ。
茶化すように、手にしていた野花の花束から薊を引き抜きアナベルの右耳の上辺りに差し込んだ。
トゲトゲの薊は、思った通り彼女のようで、思わず笑ってしまった。
野花のくせに高貴、なんて花言葉を持つ花。埋もれるように群生して咲くくせに、印象的で忘れる事など出来ない薊は、まさにアナベルだった。
アナベルは私の婚約者にはなりたくないようで、埋もれたい、目立ちたくないという気配に溢れる学生生活を送っている。
けれど彼女は目立つ。ふとした仕草が、どうしても気になってしまうのだ。
何故気になってしまうのか、この長期休暇で分かるといいな、などと悠長に考えていた。
晩餐にて、今後の予定を聞かれた。まあ、何日滞在するのかなど気になるだろう。
揶揄うように、他の婚約者候補の元へ旅立つのは寂しいか?と聞いてみた。
答えは勿論いいえの一択だろうと分かっていて聞いたのだ。だって彼女は私との婚約を望んでいない。答えの分かりきった問いであった。
なのに、アナベルは返答を言い淀んだ。迷うような仕草を見せた。
第一王子の婚約者候補に上がっているのだから、『他には渡さないわ!』的な考えがある場合が多い。それが本人の意思とは関係無く、家の思惑であったとしても。
スターチス公爵家は特に権力を欲しているとも思われず、アナベル自身も私との婚姻を望んでいない。
けれどそれを素直に表に出す程愚かでもない、そう言う事で言い淀んだに違いない。
なのにこの時私は、不覚にも、彼女が否定しない事に、心が沸き立ってしまった。
……そんな焦ったような表情で否定されても!まるで図星だったと、勘違いしてしまう。
その時のアナベルが、とても可愛らしく思えたのだ、と今なら分かる。
しかしこの時の私は、不意に速くなった鼓動を抑えるのに精一杯だった。
侍従が咳払いするまで、私の鼓動は速いままだった。
そんな事があったせいか、翌日からのアナベルとのお出かけは我ながら浮かれていた。
馬車から降りる際に手を差し出せば、アナベルの細っそりした指先が触れた。
想像より柔らかな指先に心の奥が痺れたような気がして、思わず手を握ってしまいそうになったのだが、無邪気にするりとかわされてしまう。
領内でお勧めのカフェを訪れた時も、緑溢れる名所を案内してもらった時も、手を繋ごうとしてみたり、髪についた小さな花を取ろうとしてみたり……何気なくスキンシップを図ろうとしてしまったのだが、その度に軽やかにかわされてしまった。
アナベルは悪気は無いようで(あるならかなりの手練れだ!男心を翻弄している!)、誤解されると大変ですから、というスタンスを崩さない。
その度に彼女の侍女は頭を抱えて、私の侍従は笑いを堪えていた。……アイツ、覚えてろよ。
そんなやり取りもちょっとだけ楽しいなと感じつつ、婚約者候補筆頭なのだからもう少し距離を縮めたいなと思っていたところ、冷や水を浴びせられた。
「本日、クレマチス男爵令嬢が参ります」
……は?何故クレマチス男爵令嬢が?今は私と親交を深める時間ではないのか?
アナベルが少しも慌てた様子は無いところを見ると、これは決まっていた事だと分かる。つまり、私と期間が被るようにクレマチス男爵令嬢を呼んだという事だ。
「君と彼女は、……そんなに仲が良かっただろうか?」
思わず口を衝いて出てしまった。我ながら不貞腐れた声だったと思う。案の定アナベルは困った顔をしていた。
二人きりが良かった、と匂わせた言葉は思いの外、意地の悪さを含んだものとなった。
本音が透けて見えるなんて、私らしくも無い。
どうやら私はアナベル・スターチスの事を好ましく思っていたようだと、この時初めて気が付いた。
リリーナ・クレマチス嬢が挨拶に来た時、思わず威嚇してしまった。勿論恫喝するような事はしない。あくまでにこやかに、けれど決して好意を滲ませる事のない儀礼的な表情で。
ちなみにこの表情、通じない相手も多々いて面倒くさい。表面上はにこやかなので、それだけを受け取る方が都合が良いからか、はたまた本当に真意に気付かないのか。
さてクレマチス男爵令嬢はどちらかな、と思って顔色を窺えば、分かりやすく青褪めていた。
うん、察しの良い子は好きだよ。
アナベルへの興味がどの種のものかを見極めるためにも、クレマチス男爵令嬢には早々にお帰り願いたい。目的を果たせと言わんばかりに問いかけたが、アナベル本人にそれを止められる結果となった、残念だ。
だが、アナベルが言うように聖女結界について聞きたいのも事実。仕方なく了承する事にした。
アナベルとクレマチス男爵令嬢は私が思っていたよりも仲良くしているようだ。お互いを名前で呼び合おうとしている。
私……いや、俺の事は王子殿下と呼ぶのに!
アナベルがリリーナ、と優しく呼びかける声が心地よい。親密さがわかる声色だ。
俺の名も呼べばいいのに。
アナベルの事は、本人の許可を得る前に呼び捨てにして以来そのままにしている。彼女は始め、止めて欲しそうにしていたが、近頃は少しだけ名前を呼ぶとはにかむ事がある。
だからつい、欲張ってしまった。
アナベルは『ノイエ様』と呼ぶ事で落ち着いた。まだ少し硬さが残る彼女の声。
緊張が混ざるその声が、早く甘やかに親密さを溶かした声になる事を願ってしまった。
ふと視線に気付き、クレマチス男爵令嬢もといリリーナ嬢を見ると、あからさまに自慢げな……所謂ドヤ顔をしていた。
はあ?どういう事だ?
どうやら、アナベルの対応に対するマウントのようだ。先程まで俺に怯えていたとは思えない表情である。
確かにアナベルのリリーナ嬢を呼ぶ声は羨ましい、ああ認めよう。だが、それをリリーナ嬢本人に誇られると、なんだかこう、子供の癇癪に似た気持ちになる。
思わずムッとした表情になったのは、俺らしくなかった。
彼女たち二人といると、自分が第一王子である事の責任など忘れて、年相応の男になった気分になる。
多分、学生最後の長期休暇を自分なりに楽しんでいるのかもしれない。
リリーナ嬢が客室に戻ると同時にアナベルも自室に戻ろうとするから、張り合うみたいにアナベルとの時間を強請ってしまった。
俺を呼び捨てで呼んではくれないのなら、せめてもう少し時間が欲しい。
アナベルは少しだけ困った顔をしてから、泣きそうで嬉しそうな複雑な表情をした。
それがどんな意味を持つのかは分からない。やはり彼女は俺の婚約者にはなりたくないのだとは思う。
けれど少しだけ、君が嬉しそうな顔を見せたから。
スターチス公爵領に来て、自分自身の変化にとても驚いていた。