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9/12

またつまらぬ空気を読んでしまった

今回、ちょっと酷いざまぁしちゃってるかもしれません。自己責任でお読みください。



「こんなところにいたのか、お前!」


 怒りを爆発させようとしていたところに、後ろから声をかけられた。聞いたことのない声に振り返ると、見たことのない中年男性が怒りの形相で立っている。不摂生。そんな言葉が頭に浮かぶ。ぎっとりとした肌に、吹き出物。たるんだ身体。油で固まってしまっているような髪。え、これもしかして二代目の旦那様なのかしら。気になって彼女の方をちらりと見ると、青い顔をしてガタガタ震えている。


「もしかして、あれが貴方の御主人? あの男が怖いの?」


 小さな声で尋ねると、縋るような目で見てきた彼女は、無言で頷いた。さて、私は慈愛の人だと自負している。小さな私を酷い目にあわせた男爵家に、いつかは仕返ししてやるぞと息巻いていたが、結局は復讐などしなかった。する必要もなかったのだけれど。噂では成金男に娶られたと言われていた彼女は、お妾さんとして囲われていたのだろう。毎晩の変態行為に恐れ戦きながら暮らす日々は、あれだけ勝気な少女を、一瞬で怯える小動物のようにしてしまう程のことなのだろう。

 慈愛に溢れる私は、彼女に復讐することを完全に諦めた。少しぐらい親切な人間であれば、彼女を逃がしてあげることしか出来なかっただろうが、何度も言うが、私は慈愛に溢れる人なのだ。さらに空気も読める。私って最高。


「わしから逃げ出そうだなんて思わないことだな! 邸に帰ったらお仕置きだ!」

「ひッ……」

「私に任せてちょうだい二代目」


 中年男性が二代目に手を伸ばしてくる。恐怖で縮こまってしまった二代目は、声をかけた私に顔を向けた。私は彼女の体の前に出て、にっこりと微笑んでみせた。

「……ん? なんだ貴様は。制服を着ているな。ここの生徒か?」

「ええ、こちらの生徒ですわ。そして、この方の昔馴染み……とでも言えばいいでしょうか、そのような関係ですわね」

「ほう?」

「彼女は私に相談にいらしたのですわ」

「相談?」

「ええ、御主人にもっと愛されたいと」

「うむ?」

「はぁ!? 何言ってんのよあん……」

 二代目が大きな声を出して騒ぎ始めたが、それを遮るように私は話しを続けた。

「妾という立場が嫌みたいですわ。私が婚約していることを羨ましいと仰ってましたもの。さきほど貴方は『お仕置き』という言葉をお使いになっていらっしゃいましたけれども、そうではなくて、きちんと彼女を愛してあげてくださいな。男性は、気遣いに欠ける時がありますから、彼女、貴方に叱られるのが怖いのかもしれないわ。優しく愛してあげて下さい。他の男性に心惹かれる暇もないほど愛されたいようですので」

「……ほほう。妾という立場が嫌、か。わしの正妻になりたいというのか……」

「いや……違……」

「その……コホン、夜の方も、是非とも愛情を感じられる態度で……いえッ、そのようなこと、朝からお話しすることではありませんわね」

 ぽかんとする中年男性と、真っ白な顔で白目をむいている二代目チェルシー・ディパーテッド。生娘のくせに知ったふうな口をきいてしまった私は、熱くなってしまった頬を両手でおさえた。

「そうかそうか。可愛い奴よ。今夜は殊更可愛がってやるとしような。わしの舌が触れぬ場所などないほどに……くふくふくふ」

「ひいいいいい!!」

 後から現れた護衛のような数人に拘束されて、二代目は中年男性と去って行った。甲高い悲鳴とともに。あれ、嬉しい悲鳴よね? 私、対応間違えていないわよね?


「いつか復讐してやろうと思っていたけれど……慈愛が溢れ出してしまったわ」

「鬼ですね。もうほぼ暴力ですね」

「はぁ?」

 隣でレジナルドがわけのわからないことを言っている。あれだけ怒りを覚えていた私が、敵ともいえる相手とそのご主人の関係を取り持ってあげたのよ? 鬼といわれる意味がわからないわ。


 それにしても、気付いてしまったのである。


 婚約者である義兄。私は彼を愛していることに。


「あの一瞬の怒り、凄まじかったですね、お嬢様」

「…………何がかしら?」

「とぼけちゃって。ブラッドリー様の婚約者である立場を替われって言われた時ですよ」

「…………」

「以前のお嬢様なら、あの場の空気を読んで、一旦は相手の台詞をスル―して、家の帰ってから彼女のことを調べ上げ、御両親に報告して厳重に注意をする、そんな流れを作ったんじゃないかと思うんですよね。違います?」

「違いません……」


 義兄の話をされた瞬間に覚えた怒り。体中の血が沸騰するかと思った。自分がこんなにも激しい感情を持っていたことを、今日初めて知った。空気を読むということは、何かを諦める瞬間もあるということだ。そうして諦めることによって、未来の安定を得る。私は祖母にそういう教育を受けた。必ずしも全てを諦めるということではない。一度諦めて、あとで再び手に入れる、その為に仮に諦めることもある。例えば子供だった私は空気を読んで一旦家名を手放した。いつか返してもらうという目標を持って一度諦めたところ、私は幸せを手に入れた。もう家名を返してもらおうなどと思わない。空気を読んで諦めたからこそ今がある。

 けれど、義兄の婚約者である立場を手放すなんて、絶対に出来ないと思ったのだ。あの、善良な男性から離れることなど出来はしない。義兄は私と婚約を結ぶ話になった時に、義両親に、自分を犠牲にしてまで私のことを娘にしたいのかと怒っていた。そんなことを言いつつも、彼は婚約してから婚約者としての義務を怠ったことがない。いつも優しい。よく叱られるけれども、概ね優しいのだ。

 好きを自覚した途端に失恋みたいなものだけれど、それでもいずれ結婚出来るのだから、極力嫌われないように生きていこう。鼻息荒く決意すれば、隣に立っていたレジナルドが大きな溜息をついたのが聞こえた。


「やれやれ、また何か妙な空気の読み方をしているようだな」


 妙な空気の読み方とは、どんな空気の読み方だろう。




いつもお読みくださってありがとうございます。内容的に大丈夫でしたか?

それはそうと、2月17日0時、「公爵令嬢は、婚姻なんて面倒くさい」が電子書籍で発売されます~

各配信サイトで検索してみてくださいね。

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