第4話
部屋の中でも杖は手放せないらしくて、シュウイチの右手はすごく忙しい。
左手は肘は動くみたいだけど基本的にはほとんど力も入らないらしく、指に至っては全然動かないみたいだ。
最後にシュウイチはカップを二つ用意して、それからカウンターテーブルの端っこに置いてあるサイフォンからコーヒーを注ぐ。
「オマエも、コーヒーで良い?」
「お砂糖を二つと、あと牛乳を入れれば飲めるよ」
ボクのカップに砂糖を入れ、それからシュウイチは冷蔵庫から牛乳を出してくれた。
「いただきまぁす!」
焼きたての目玉焼きは黄身がトロッとしているし、オーブントースターから出てきたパンはクロワッサンだし、もちろんハムも最高で。
「シュウイチの朝ごはん美味しい!」
「そうか?」
夢中になって食べるボクに比べると、シュウイチはなんだかあんまり食べたくないみたいだ。
「こんなに美味しいのに、なんで食べないの?」
「いや、食うよ」
そう答えながら、でもやっぱりあんまり食べたくないみたい。
きっと、パパと同じように朝はあんまり食べたくないタイプなんだろうな。
でもパパみたいに「食べたくないから食べない」なんていう子供みたいなコトは言わずに、ちゃんと朝ご飯を食べる主義なのかもしれない。
食べはぐりそうになった朝ご飯(しかもハム付きの豪勢なヤツ!)にありつけて、ボクはホントに夢中になってお皿の上のモノを平らげたけど。
お腹がいっぱいになって落ち着いたら、急になんだかすごく静かだなぁって思った。
「ねぇ、シュウイチはこんなに大きな部屋にいるのに、一人なの?」
「え? ああ、俺だけだぜ? 変か?」
ちょっと上の空っぽい感じだったけど、シュウイチはすぐに返事をしてくれる。
「いいなぁ〜、ボクもこんな部屋に一人で住みたいよ」
「なんだよ、カナタは親父と暮らしてるのがイヤなのか?」
「パパが嫌いなワケじゃないけど、時々困っちゃうんだよ。いくら言っても靴下をそこら辺に脱ぐからスグに片っぽ無くなっちゃうし、いきなりせっくすふれんど連れ帰ってきたりするし。ボクにメーワクかけてる時のパパはちょっとキライ」
「オマエん家、オフクロは?」
「ボクが3歳の時に、パパにアイソつかして出てっちゃったんだって」
「親父がそー言ったンか?」
「うん」
「正直は美点かもしんねェケド、オマエの親父はヤリ過ぎっちゅー気もするな…」
「約束なんだ。ボクもパパに隠し事はしないし、パパもボクにはなんにも隠さないって言うのが」
「なるほどな。で、オマエのオヤジはサミシイ夜を埋めてくれるトモダチっつーのを、そんなに年中引っ張りこんでんの?」
「週に一度くらいかなぁ? ツアーに出てる時には、ぐるーびーって言うヒトが毎晩添い寝をしてくれるんだって」
「ツアー? オマエのオヤジ、ミュージシャンなの??」
「ギターリスト」
「道理でイカレてるワケだ」
なぜかシュウイチは、ちょっとだけ嬉しそうに笑った。
でも、その「ちょっと嬉しそう」な顔はクラスで人気のあのコよりもずっとずっとカワイくて、ボクはちょっとドキドキしてしまう。
「シュウイチって笑うと可愛いね」
思わず、そう言ってしまった。
なのにカップに口を付けていたシュウイチは、いきなり噎せて咳き込んでいる。
「どうしたの?」
「別に」
側のティッシュボックスから紙を乱暴に数枚取って、シュウイチは零してしまったコーヒーを拭った。
「ねぇ、シュウイチの左手は、どうして動かないの?」
「デッケエ荷物が崩れてきて、トンマなコトに逃げそびったのさ」
「じゃあ、足も?」
「まあな」
「じゃあもうお嫁に行けない身体なの?」
「なんだって?」
ボクに振り返ったシュウイチは、ものすごくビックリした顔をしてる。
「パパがいつも言ってるよ。どっかぶつけたり、指を切ったりした時に。あーもう傷物になっちゃったから、お嫁にはいけないわ〜って」
「オマエのオヤジ、ロクなもんじゃねェな…」
右手でおでこを押さえて、シュウイチは下を向いてしまった。
もしかしてボクは、シュウイチを傷つけてしまったんだろうか?
やっぱり「お嫁に行けない」なんて、言わない方が良かったかなぁ?
あ、イイコトを思いついた。
「安心してよ、シュウイチ!」
「なんだよ?」
「シュウイチのコト、ボクがお嫁にもらってあげるから!」
これは、最高にイカした提案だよ!
ボクのプロポーズがすごく嬉しかったのか、シュウイチは片手で顔を隠してる。
「…オマエ、そろそろ時間だろ。学校行け」
もうそんな時間?
時計を見ると、確かにそろそろ出ないとマズイ。
ボクは椅子から降りると、カバンを持った。
「じゃあ、学校終わったらまた来るね」
「じゃあな」
ボクは約束通り、シュウイチのゴミ袋を持つと「ごちそうさま」を言ってシュウイチの家を出た。