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復讐の輪舞 ~最後に笑うのは誰だ?~

作者: 悠樹



「ミルフィリア・バックケイド!アンナを虐める貴様に王族たる資格はない!よってこの俺、第三王子であるアルフォンス・フォン・ミルフィオットの名において、貴様との婚約は破棄し、アンナ・ギルギットとの婚約をここに宣言する!」


 それは、貴族学院の卒業パーティーでのことだった。

 着飾った男女が溢れ返るフロアに、一際目立つ集団がいた。

 第三王子とその取り巻き三人。そして王子に寄り添うように立っている可憐な美少女だ。

 そんな彼らが、この国の筆頭公爵家の令嬢であるミルフィリア・バックケイド様を取り囲むように立ち、まるで罪人を裁くように彼女を睨みつけている。

 それを見ながら、しがない伯爵家の私は思う。


 それ、今宣言しないとダメなの……?


 考えてみて欲しい。

 今は卒業パーティーの最中であり、この会場には当事者以外は全く関係のない卒業生とその関係者ばかりだ。

 しかも王族の婚約なら一般的な婚約と異なる契約になっているはずで、こんなパーティーで叫んだところで意味があるのか分かったものではない。

 王子殿下はやり遂げたことに満足した様子だったが、会場の面々は余りの馬鹿げた宣言にみな困惑している。


 そんな中、誰よりも呆れた表情を隠しもせず、ミルフィリア様が大きくため息をついた。


「虐めについては全く身に覚えがありませんけれど、婚約破棄に関しては了承致しました。早速父へ報告させて頂きます。それでは、手続きがありますのでわたくしはこれにて失礼致します」


 そう言って見事なカーテシーを披露したミルフィリア様は、スタスタと一度も振り返らずに会場を後にした。

 思わず呆然と見送った私達と王子殿下。

 しかし、いち早く我に返った殿下が、唇を震わせながら憤慨したように叫ぶ。


「待てミルフィリア!アンナに謝罪していけ!」


 そう叫んだところで既にミルフィリア様の姿はない。


「誰かあの女を追え!」


 だが、殿下の叫びに従う者は誰一人居なかった。

 取り巻きの連中は誰もアンナ様の傍を離れようとはせず、殿下の護衛も、特に罪を犯したと確定した訳でもないミルフィリア様を無駄に追うことはしなかった。


「どうして誰も追わないんだ!」


 癇癪を起こしたように喚く殿下だったが、私達学生にそれを求められても困るし、無実の罪であるミルフィリア様をこんな会場に連れ戻すなど誰だって嫌だ。


「殿下、皆様困惑しておられますし、もうその辺で……」

「ああ…、そうだな…」


 付き従っていた侍従の一人がそう呟くと、殿下はようやく周りの状況が見えたようだ。

 遠巻きに眺める私達の視線に気付いたのか、取り繕うように一つ咳払いをして周りを見渡した。


「騒がしくして悪かったな。今日から、私の婚約者はアンナになる。私は卒業してしまうが、今後彼女はこの学園に残ることになる。宜しく頼む」


 一つ下の学年であるアンナ様を気遣った言葉だったが、私達はあいまいに頷くしか出来なかった。

 正直、アンナ様と仲良くなど絶対にしたくないからだ。

 うっかり仲良くしようものなら、いつ自分の婚約者を奪われるか分かったものではない。

 事実、アンナ様が仲良くしている男性は王子殿下一人だけではなかった。

 アルフォンス殿下の側近である三人もまた、アンナ様に夢中だ。

 公爵令息のフレッド様に騎士団長の嫡男であるシルビット様、更には宰相家次男のサイルーン様までもアンナ様の虜になっている。

 今だって、アンナ様と殿下の周りを囲っている三人は、蕩けるような笑みでアンナ様を見つめていた。

 ちなみにそんな三人にも当然婚約者がおり、本来なら婚約者をエスコートするはずだった彼らは、誰一人として婚約者を伴ってはいなかった。


「あいつらは何を考えているんだろうな……」


 そう小さく呟いたのは隣にいた私の婚約者だ。

 彼は卒業後に騎士団への入隊が決まっており、以前は騎士団長の息子とも仲良くしていたが、アンナ様との醜聞が聞こえ始めてからは距離を置いていた。

 そして、距離を置き始めたのは彼だけではなかった。

 騎士科の友人の大半も彼に追随していたし、取り巻き三人の婚約者に至っては早々に婚約破棄の方向へと動いていた。

 そんな彼女達はミルフィリア様の後を追うように会場を出て行き、既にここにはいなかった。


「もう、無理でしょうか?」

「こんな大勢がいる場で仕出かしたからには隠しようがない」

「では…」

「ああ。確実に廃されるだろう…」


 そう呟いた言葉を肯定するように、視界の端で、殿下の侍従と護衛が会場を後にするのが見えた。

 そんなことには気付かず、殿下は嬉しそうにアンナ様の手を取り踊り出す。

 その能天気とも言える態度に思わずため息が漏れた。


「折角の卒業パーティーだが、今日は早めに帰ろう。出来るだけ早く父上達に知らせた方がいいだろう」

「そうですわね……」


 そんな相談をしているのは私達だけではなかった。

 そこかしこでコソコソと囁かれる内容は、どれもこの騒動を非難するものばかりだった。

 多分、この醜聞は明日には貴族社会を回っているだろう。

 その結果がどうなるのか、それはもう火を見るより明らかだ。

 それに気付かないのは、会場の中心で踊っている彼らだけだろう。


「ちゃんとした卒業パーティーしたかったわ………」


 呟いた私を慰めるように、婚約者がギュッと手を握ってくれた。

 彼も同じ気持ちなのだろう。

 周りを見れば、私の小さな呟きに同調するように、目が合った人々が頷いていく。

 みな、気持ちは一緒のようだ。


「上がバカだと、迷惑を被るのは下にいる人間だということだ」


 婚約者の言葉が身に滲みた。

 今日のこれは、今後社会に出る私達に対する教訓なのだと思うしかない。

 卒業パーティーという最後の最後で本当に勉強になった。

 多分、今日ここにいる人間は、生涯においてこの事を忘れることはないだろう。




・・・・・・・・・・・・・・




「今日のパーティーは楽しかったですね」

「ああ。ようやくミルフィリアを追い払うことが出来た。あいつとの婚約破棄が済めば、後はアンナを正式な婚約者にするだけだ!」


 ようやく長年の夢が叶ったアルフォンスは、側近の三人と共に王宮にある自分の離宮に戻ってきていた。

 アンナは一度家に戻り、着替えて合流する予定になっている。


「ところでルーカスはまだ戻らないのですか?」

「そういえば姿が見えないな…」


 侍従であるルーカスは、あのパーティーの途中から陛下に報告すると出て行ったきり帰ってきていなかった。

 その際に護衛の大半も追従したので、その後どうなっているのか聞く術がなかった。


「おい、ルーカスがどうしているか聞いているか?」

「婚約破棄の手続き中だとうかがっております」


 部屋付きの侍女に聞けば、淡々とした声でそう返ってきた。

 どうやらアルフォンスの言いつけ通り、手続きを進めてくれているらしい。


「それにしては遅いな…」

「手続きに時間が掛かっているのではないでしょうか?」

「そうですね。相手は腐っても筆頭公爵家ですからね」

「フレッド、お前の方から公爵に進言することは出来るか?」

「もちろんです。義姉の所業を知れば、父も直ぐに破棄に応じるでしょう」

「では、今晩中にルーカスが戻らなければお前から働きかけてくれ」

「お任せ下さい」


 フレッドはミルフィリアの義理の弟である。

 ミルフィリアがアルフォンスの婚約者になったことで、跡継ぎがいない公爵が養子として迎えたのがフレッドだ。

 義姉と違って話が分かる男で重宝している。

 ミルフィリアの予定など、今回の件に関しては随分とフレッドに助けられた。

 彼が居なければ、ミルフィリアとの婚約破棄にはもっと時間が掛かっていただろう。

 少し、アンナとの仲がいいので複雑だが、フレッドがいる限り公爵家を敵に回さずに済むのも助かっている。


「しかし、上手くいって良かったですね」

「確かにな…。あの女狐のことだから、もっと暴れるかと思ったが……」

「さすがに義姉も自分の立場を弁えたのかもしれませんよ」


 フレッドだけでなく、宰相家の次男であるサイルーンと騎士団長の嫡男であるシルビットも今回の件の協力者であった。

 二人ともアンナに懸想しているようだが、アンナを想って身を引き、彼女が王族に迎え入れられるように頑張ってくれている。


「ところで、ミルフィリア嬢は今後どうなる予定ですか?」

「もちろんあの女は退学させる。後は適当な修道院にでも放り込めばいい」

「まぁ、それが妥当でしょうね」

「いつまでも学院に置いておいて、アンナに何かされては堪らないからな」


 そんなことを話しながら、これからアンナをどうやってアルフォンスの婚約者に出来るかを考える。

 どこかの高位の貴族の養子になればそれも容易いだろう。

 何だったら、責任を取らせる形でミルフィリアの代わりに公爵家の養子にしてもいいだろう。


「それにしてもアンナも遅いですね」

「俺の為に髪を結い直すと言っていたから、時間が掛かっているのだろう」


 ミルフィリアとの婚約破棄祝いに、新しいドレスを着てくるそうだ。

 自分以外の男にも見せることになってしまうが、今日ばかりは仕方ない。


「取り敢えず、俺たちは先に始めていよう」

「ええ」

「では、乾杯」

「「「乾杯!」」」


 四人でグラスを合わせながら、勝利の美酒に酔う。

 今日ほど、酒が美味いと思ったことは無かった。





 けれど、そんな喜びに酔いしれていたのは、たった数刻の間だけだった。

 着替えたら直ぐにやってくると言っていたアンナが戻って来なかったのだ。

 しかも、戻って来なかったのはアンナだけでなく、侍従のルーカスも同じだった。

 アンナ宛へと手紙を送れば、家人から、アンナは寝てしまったと連絡が入った。

 非常に残念だったけれど、彼女もあの騒動で疲れたのだろうとその日は我慢した。

 明日の朝、会いに行けばいい。

 婚約破棄に関しては、フレッドを予定通り朝一番に公爵家へ帰すことにした。

 彼の助けがあれば、ルーカスも手続きがしやすくなるだろう。

 まぁ、どちらにせよ、アルフォンスとミルフィリアの婚約破棄は決定事項だ。

 あとはアンナとの輝かしい未来が待っているだけ。


 眠る直前まで、アルフォンスはそれを微塵も疑っていなかった。

 けれど、翌朝アルフォンスを待っていたのは、厳しい顔をした父と悲しげな顔の母であった。


「えっ、廃籍…ッ?!」


 ミルフィリアとの婚約が白紙になったと聞かされて喜んだのも束の間、その流れで言い渡された言葉に思わず声が震えた。


「な、何故ですか?!」

「何故だと?!そんなことも貴様は分からんのか?!」


 父曰く、無実の罪であるミルフィリアを公衆の面前で罵倒した件だけでなく、これまでの職務怠慢や怠惰な生活など、父の叱責は仔細な事にまで及んだ。


「折角成約させた婚約を一方的に破棄するわ、公衆の面前で冤罪を声高らかに叫ぶわ、お前は自分の立場を何にも分かっておらん!」

「しかし、彼女がアンナを卑劣な所業で虐めていたのは事実です!」

「それがそもそもおかしいのだ!聞けば証拠はアンナとか言う女の証言だけではないか?!そんな物は証拠とは言わん!」

「彼女は嘘などついていません!」

「その証拠がどこにある?!公平を期すために学院で事情聴取もしたが、お前達以外のどの生徒に聞いても、高位貴族に媚を売る尻軽な嘘つき女としか言わなんだわ!」


 どうやら以前からアンナの行動は危険視されており、王宮での監視対象となっていたようだった。

 調査した人間どころか、学生達からもアンナは非常に評判が悪かった。

 

 一つ、彼女は高位の見目のいい男性貴族にしか話しかけない

 二つ、教師を誘惑し、テスト結果を改ざん

 三つ、複数の男性から高額な贈り物を受領し、それらの品々を換金している

 四つ、複数の男性と不適切な肉体関係を築いている


「嘘です!アンナはそんな女じゃありません!」

「だったら、お前の側近に聞いてみろ」


 その言葉に後ろを振り向くと、先ほど別れたばかりのシルビットとサイルーンが呆然とした表情で立っていた。


「お前達二人はアンナという女と寝たことがあるな?」


 思いもしなかった父の問い掛けに、サイルーンがゆっくりと頷くのが見えた。


「愛してるのは私だけだと………、殿下の愛を臣下として断ることが出来ないけれど、本当に愛しているのは私だけだと…」

「サイルーン……」

「俺も同じようなことを言われた……。殿下にバレると大変だから、これは二人だけの秘密だと…、そう、言われた……」


 今度はシルビットが呟いた。

 ここにはいないフレッドも恐らく篭絡されているという話だった。

 その上彼女は教師の二人と、更に商会の跡取りとも親密にしているのが確認されているようだった。


 愛してると言ったあの口が、他の男にも同じことを告げていた。

 私だけだと言って縋りついてきた腕を他の男にも回していた。


 その事実は学院のほとんどの生徒が知っており、アルフォンス達は常に嘲笑の的だったらしい。

 それでも父が静観していたのは、卒業してしまえばアンナと離れると思っていたからだ。

 それなのに、最後の最後でアルフォンスは取り返しの付かない過ちを犯してしまった。


「王族としてなんと情けないことか…」


 父の嘆くような呟きはもう頭に入ってこなかった。


「……誰か、誰か嘘だと言ってくれ……」


 いつもなら嘘だと言ってくれるアンナも侍従も、今は誰一人傍にはいなかった。




・・・・・・・・・・・・・・




「一体これはどういう事だ?」

「どうもこうもありません、フレッド様。今日限りを以て、我が公爵家の名を語ることは許さぬという旦那様のお言葉にございます」


 卒業祝いと銘打った離宮での打ち上げを終え、フレッドは朝一番に公爵家へと帰ってきた。

 結局一夜経ってもアンナと侍従のルーカスが戻ってこなかったからだ。

 ミルフィリアとの婚約破棄が上手くいっていないのだと推測し、誰より早く離宮を後にしたフレッドが見たのは、厳しい顔で自分を待ち構えていた公爵家の家令の姿だった。

 馬車を降り、公爵家の玄関ホールに足を踏み入れた瞬間、仁王立ちして待っていた家令が詰め寄ってくる。

 そしてそんな家令の後ろには、荷物を詰め込まれた大きなトランクが三つ置いてあった。


「残りの私物は後で送らせて頂きますので、今すぐに生家へ帰るようにというお言葉です」

「何故だ?!」

「何故?」


 フレッドの言葉に、家令の目が小さく細められる。


「我が公爵家の正当血筋であるミルフィリアお嬢様に暴言を吐いておいて、何故と申しますか?」

「暴言とは何だ?!アンナを虐めた義姉さんが悪いんだろ!」

「虐めた?そんな訳ないでしょう。子爵家の女如き、公爵家が本気になれば家ごと抹消すれば済むのですよ?学院で、しかもご自分の手でそんな下らない嫌がらせなどするはずもありません。嫌がらせの内容など、まるで庶民が考えるような幼稚なものばかりで、とても貴族のご令嬢が考えたとは思えないものばかりです。はてさて、誰の自作自演なのでしょうかな?」

 

 確かに、この家が本気になればアンナの排除など片手間で済む。

 わざわざ自分の手など汚す必要さえない。

 

「じゃあ、義姉さん以外の誰かがやったというのか?」

「さぁ、そこまでは何とも…。そもそも、フレッド様はご自分の立場を理解しておいでですか?」

「立場?」

「貴方はミルフィリアお嬢様が殿下に嫁ぐからこその養子なのですよ。殿下との婚約が白紙に戻った今、貴方の存在価値は何ですかな?」

「いや、それは……」


 アンナへの罪が明るみに出れば、ミルフィリアは確実に修道院へと送られる筈だったのだ。

 だから、跡継ぎであるフレッドの立場は揺ぎ無いはずであった。

 だが、その前提が間違っていれば?


「あ……っ」


 まずい…、と感じて思わず言葉を失う。

 そう、今のフレッドの立場はかなりまずい状況だった。

 彼らから、いや、現当主の義父から見れば、フレッドは愛娘を侮辱した男だ。

 そんな男を、いつまでも自分の息子として重用するはずがない。


「あ、アルフォンス様の命令で仕方なかったんだ…ッ」


 そう、命令だった。

 臣下として、王族の命令に従わない訳にはいかなかったのだ。


 けれど、そう言い訳したフレッドを見つめる家令の視線はどこまでも冷たい。

 ゾッとするような視線。

 次期当主としてフレッドを見つめていた温かな視線が、今は絨毯の染みを見つめるように冷たくフレッドを見ている。


 ガクガクと足が震えた。

 自分の中の何かと共に、公爵家で過ごした過去が崩れていく。

 

「帰り道には気をつけて下さいませ。この家に仕える人間には、少々気性の荒い者もおりますゆえ」


 よくお茶を淹れてくれていた侍女も、気のいい庭師も、フレッドのことをまるで犯罪者のように睨み付けている。

 事実、彼らにしてみれば、フレッドは敬愛するお嬢様を傷付けた大罪人なのだろう。


「お帰りはあちらです」


 家令の慇懃な言葉と共に、フレッドは両脇を抱えられ、古ぼけた馬車へと押し込まれた。

 行き先は生家の伯爵家。

 門が閉まる直前、もう二度と戻ってくるなと小さな声が聞こえた。




・・・・・・・・・・・・・・




「……お疲れさまでした、アリーナ」

「ええ、本当に疲れたわ」


 大きなため息を吐いたアリーナは、まるで闇に溶け込むように待っていた男を眺めた。

 主人に忠実な綺麗な青い髪をした男。

 何度となく会ったこの男とも今夜でお別れだと思うと、少しだけ物悲しい気持ちになってくる。

 けれど、今のアリーナに感傷に浸っている時間はない。

 早々にこの国を脱出しなければいけないのだ。


「これは残りの報酬です」


 そう言って差し出された革袋からは、金属の擦れ合う音が聞こえた。

 手に取るとかなり重い。


「……確認しなくていいのですか?」

「別に、お金の為じゃないから……」


 そう、アリーナは別に金のために今まで頑張っていた訳ではない。

 アンナと名前を変え、子爵令嬢だと嘘をつきアルフォンスへと近付いた目的はただ一つ、彼らに殺された姉の復讐のためだ。


「それで、貴方達の方は上手くいきそうなの?」

「さぁ、どうでしょうね……」


 意味ありげな微笑みを浮かべるだけで、目の前の男、ルーカスはそれ以上何も言わなかった。

 まぁ、アリーナだって、相手の思惑が上手くいくかどうかに興味はない。

 興味があるのは、アルフォンス達がどう堕ちていくのか、ただそれだけだ。


「じゃあ、私はもう行くわ。貴方のご主人にも頑張ってと伝えておいて」

「ええ。貴方もお達者で……」


 後ろは振り返らなかった。

 いや、振り返るのが怖かったと言ってもいい。

 何故なら、彼の主人にとって、アリーナを生かしておくのは非常にリスクが高いのを知っているからだ。

 馬鹿らしいほどの復讐劇。

 そして、そんな馬鹿な復讐をする為の共犯者がアリーナと目の前の男とその主人だった。

 復讐の機会をくれた彼らには感謝している。

 けれど、この秘密を守るためならば、彼らはアリーナを始末することも躊躇わないだろう。

 いや、今だって始末されてもおかしくはなかった。

 それでも彼らがそれをしなかったのは、アリーナの目的が復讐であるがゆえに、彼らを決して裏切らないと知っているからだ。

 それでも、彼の主人は懸念するだろう。

 いつかこの事が明るみに出るかもしれないと…。

 だからアリーナは幾重にも保険を掛けた。

 自分が不慮の死を遂げた場合、真相が明るみに出る可能性がある事を彼らには示唆してある。

 アリーナの言葉が本当かどうか、また真実であればその手段は何なのか…

 それらを考えた上で、彼らはアリーナを始末する危険と、真相が明るみになる危険を天秤にかけた。

 その結果、今アリーナは生かされている。

 だが、それもいつまで続くかは分からない。

 彼の主人が考えを変える可能性は幾らでもあったし、いざとなればそれらを握り潰せるだけの権力を彼らは持っていたからだ。

 だからこそ、アリーナは出来るだけ早くこの国を出なければいけなかった。

 この国を早く出れば、それだけ彼らがアンナを見逃してくれる確率は高くなる。

 だからアリーナは、何の未練もなく、アンナ・ギルギットという女の痕跡を消す。

 それこそが、アリーナの生き残る道だった。




・・・・・・・・・・・・・・




「どうぞ、ご無事で……」


 赤味の掛かった綺麗な金髪が闇夜に溶けていくのを、ルーカスはジッと見つめていた。

 先ほどまで贅を凝らして作られたドレスを着ていた彼女は、もうどこにも存在しない。

 いるのは、簡素なワンピースに身を包んだ、アリーナというただの平民だけだ。

 その彼女も、もう直ぐこの国からいなくなり、ルーカスと会うことは生涯ないだろう。


「長かった……」


 本当に長かったと思う。

 だが、それも今日までだ。

 ルーカスとアリーナの復讐は明日、成就するだろう。

 功労者のアリーナに、あいつらの最後を見せてあげられないのは残念だ。

 けれど、長くこの国に居座れば彼女の身に危険が迫るのは明白。

 こうやって逃してあげることだけが、ルーカスに出来る最後のお礼だった。


 アリーナ・カルジオート。

 それが彼女の本当の名前だ。

 けれど、カルジオートの名前を持つ者は、今はもう誰もいない。


 七年前の寒い日のこと。

 カルジオート男爵家は、些細な事が原因で御家断絶の憂き目に遭った。

 些細なこと。

 それは、当時十一歳のアルフォンス殿下の足にお茶を零した。

 ただ、それだけ……。

 それだけの罪で、当時アルフォンスの侍女をしていたアリーナの姉エミリアは処刑され、男爵家は莫大な慰謝料を払う羽目に陥った。

 領地は没収され、アリーナは十歳の若さで娼館へと売り払われた。


 アリーナの噂を聞いたのは偶然だった。

 十六歳という若さでトップに登りつめた娼婦がいる。しかも、平民とは思えない教養があり、一夜の癒しを求めた貴族からの予約が殺到しているというのだ。

 当時のルーカスは、殿下の遊び相手にちょうどいいかもしれないと、彼女を見に行くことにした。

 それが、まさにルーカスにとっての運命の出会いだった。


『エミリア……?』


 昔馴染みに似た面影。

 思わず呟いた声に反応したのは彼女だった。


『姉を御存知ですか?』

『……姉?』

『はい。わたくしは妹のアリーナと申します』


 平民とは思えない教養に、貴族らしい言葉使い。

 なるほど……、元貴族であるならば納得出来る立ち居振る舞いだった。


 そこから、ルーカスは彼女の元へと通いつめた。

 彼女の一晩の代金は高額だったが、使い道もなく貯めるだけだった貯金があったので問題はなかった。

 問題だったのは、真面目一辺倒だったルーカスが市井の娼婦に入れ込んでいると聞いた(あるじ)からの横槍だった。


「お前、最近城下で評判の娼婦に貢いでるそうじゃないか?」

「貢いでおりません…」

「嘘をつくな」

「本当です」


 事実、ルーカスはアリーナと寝たことはなかった。

 ただ純粋に彼女と話すのが楽しかっただけだ。

 彼女の姉エミリア。

 在りし日の彼女を二人で偲びながら酒を酌み交わす。

 エミリアのことを話せる相手がいる。

 ただそれだけが嬉しかった。


 けれど、そんなルーカスを見て、主は小さく息を吐く。


「お前、復讐をする気はあるか?」

「復讐…?」

「ああ。エミリアの復讐だ」


 主は知っている。

 ルーカスとエミリアが想い合っていたことを。

 あの時、どれだけルーカスが嘆いたかを。


「機会を頂けるのですか?」

 

 自分でも不思議なほど、しないという選択肢は存在しなかった。

 何故なら、何度も何度もルーカスが考えては消していた願いが、目の前に提示されている。


「……悩まないのか?」

「悩む必要がありますか?」


 今までルーカスがそれを実行しなかったのは、アルフォンスが王族であったからだ。

 ただそれだけが理由だった。

 自分だけが咎を受けるなら問題ない。

 だが、家族や、そして目の前にいる主にまで累が及ぶなら話は別だ。

 けれど今、その主から提案された。

 つまり、主にも家族にも迷惑が掛からない方法があるということに他ならない。


「アリーナ嬢の協力を得られるなら、あいつを廃籍に追い込める」


 主はルーカスが一度も口にしなかったアリーナの名前を告げた。

 つまり、既にルーカスが通い詰める娼婦がアリーナであり、また彼女が何者であるかを把握しているということだ。


 そこから、主の計画を聞かされた。

 内容は至極簡単だ。

 アリーナによってアルフォンスを誘惑させ、ミルフィリアとの婚約を破棄させる。

 たったそれだけ……


 けれど難しいのは、ミルフィリアの身分を守り、かつアリーナの正体がばれないようにすることだった。

 そして、アルフォンスを如何に誘惑するかだ。


「あらっ、私を誰だと思っているの?」


 そう言って、十六歳とは思えない妖艶な笑みでアリーナは笑った。


「あの男に復讐出来るなら何でもやるわ」


 アリーナもルーカス同様に、一切の躊躇はしなかった。

 主がそれなりの報酬を用意していたのも要因だろうが、それでも一番危険を伴うのは彼女だ。

 けれど、彼女は躊躇わずにルーカス達の手を取った。


「姉が王族に不敬を働いたと処刑されてから、本当に地獄のような日々だったわ。屋敷を手放し、小屋のような粗末な家でいつ殺されるか分からない恐怖に震えたの。心労で直ぐに母が亡くなり、父は私をこの娼館に売ったわ。唯一残っていた貴族らしい一張羅を着て、この高級娼館へと私を売りに来た父はその後に自殺したわ。私を売ったお金を私に渡してね」


 それは、男爵の最後の優しさだった。

 自分の死後、一人残された娘を守る最後の手段が、もうそれしかなかったのだ。


「最初は父を恨んだわ。こんな端金の為に自分を売ったのかとね。けれど父は何故かそれを私に渡して消えた。不思議だったわ。お金を私に渡すのならどうしてここに私を売ったりしたのかと……。でもその端金で私は綺麗なドレスを用意することが出来、娼婦の中でも高い地位に就くことが出来た。客を選ぶことは出来なかったけれど、それでも他の娼婦よりも遥かにマシな客を融通して貰えた」


 そうしてアリーナはその美貌と巧みな話術で最高娼婦にまで上り詰めたのだ。


「この娼館は、この王都でも一番の娼館よ。娼婦一人一人に部屋が与えられ、風呂も付いている。自由に出歩くことは出来ないけれど、綺麗なドレスも輝く宝石も思いのまま」


 けれど、もし父が彼女をここに売らなければ、彼女はもっと悲惨な人生を歩んでいただろう。


「十歳の小奇麗な幼女なんて格好の餌食になったでしょうね……」


 それでも、アリーナは今が幸せだとは決して思えない。

 幾ら優しい男や金持ちの男といえど、所詮は金で自分を買った男。

 愛のない相手との数多の夜は、アリーナの心を殺すのには十分だった。


「恵まれていると思うわ。父がここに私を売る決断をしなければ、私はもっと悲惨な目に遭っていたでしょうね。むしろ、生きていたかも怪しいわ」


 でもね……

 そこで、言葉を躊躇いながら、彼女はその綺麗な顔を醜く歪ませる。


「殿下にお茶を掛け、火傷を負わせたと聞いていたわ。でもね、違ったの!違ったのよ!」


 彼女は知っていた。

 どうしてエミリアが処刑されなければいけなかったのかを。


「殿下に実際にお茶を掛けたのは宰相の娘だったわ!遊び半分で侍女の真似事がしたいと駄々を捏ね、結果、熱湯を殿下にかけた!それなのに、罪に問われたのは姉だった!お前がちゃんと見ていないからだと殿下に罵倒された!そしてそのまま姉は処刑!部屋には沢山の人が居たのに、誰一人姉を助けてはくれなかった。宰相の娘も息子も自分が可愛かった!騎士団長の息子はただ殿下の考えに従うだけで考えることを放棄した!護衛の騎士も侍従も、全員が王族と宰相家に逆らうのが怖くて姉を切り捨てたのよ!」


 この話をしたのは、当時の護衛騎士だった。

 彼は、ずっと罪悪感を抱えていたのだろう。

 この娼館でエミリアによく似たアリーナを見て、まるでずっと凝り続けた罪を懺悔するように吐露したという。


「姉が!私達家族が何をしたというのよ!許さない!殿下も宰相の娘も息子も、そして見殺しにしたあいつら全員、絶対に許さない!」


 そう言ってアリーナは一晩中泣き続けた。

 泣くのはこれが最後だからとずっと泣き続け、そうして翌朝、ルーカスに頭を下げた。


「復讐相手を一人追加して下さい…」

「宰相の娘だね」

「……はい」


 だが、宰相の娘は既に罰を受けている。

 何故なら、後日この事を知った陛下が、アルフォンス殿下と彼女との婚約を破棄したからだ。

 それが決定した瞬間、宰相は娘を見放し、彼女を修道院へと送った。


「当時の護衛や侍従達も全員が解雇されているよ」


 甘い措置だったかもしれないが、彼らも十分に罰を受けている。

 けれど、罰を受けていない人間が三人残っていた。

 アルフォンス殿下と宰相の次男サイルーン、そして騎士団長の嫡男であるシルビットだ。

 彼らはまだ若く、更生が可能だと宰相と騎士団長が嘆願したからである。


「更生ですか……」

「ああ…」


 アルフォンスは陛下よりかなり叱責を受けた。そして、新たな婚約者として、貴族の規範とまで呼ばれるミルフィリアが決定したのだ。

 彼女が傍に居れば、殿下を止めることも可能だろうという思惑だった。


「可哀想なミルフィリア様……」


 ミルフィリアは第二王子殿下との婚約がほぼ内定していた。

 だが、しっかり者の第二王子よりも、第三王子であるアルフォンスを支えて欲しいと王家が懇願した為、第二王子との婚約は白紙へと戻された。


 これに怒り狂ったのが、ルーカスの主である第二王子ウィルフレッドだ。


『アルフォンスの馬鹿のせいで、私とミリィの婚約が白紙にされた!』


 温厚な人間ほど怒ると怖いというが、あの時のウィルフレッドの怒りは凄まじく、エミリアを処刑されて嘆くルーカスを思わず正気にさせるほど、荒れに荒れていた。

 ウィルフレッドは五つ年下のミルフィリアを非常に可愛がっていた。いや、溺愛していたと言っていい。

 だからこそ、半年後に予定していた彼女との婚約発表をそれは楽しみしていたのだ。

 けれどここに来てまさかの事態だ。

 馬鹿な弟の尻拭いをする羽目に陥ったウィルフレッドは、それ以降アルフォンスを極端に避けるようになり、今は修復不可能な仲に陥っている。


 つまり、ルーカスもアリーナも、そして王子であるウィルフレッドでさえも、あの時のことをずっと恨んでいた。


「ウィルフレッド殿下は、あれ以来どんなに陛下に懇願されようとも誰とも婚約しませんでした……。未だ、ミルフィリア様を想っておいでなのです…」


 ウィルフレッドはずっとアルフォンスを廃籍させる機会を狙っていたのだ。


「暗殺して下さっても良かったのに……」

「それも考えたらしいけど、それだけじゃつまらないと仰ってね」


 さすがに暗殺ともなれば簡単にはいかないからだ。

 それに、ただ殺すだけでは満足出来ない。

 そんなに簡単に許してなどやるつもりはない。


「もちろん、君が失敗すれば暗殺も視野に入れるよ」


 卒業すれば、アルフォンスとミルフィリアの婚姻への道は加速するだろう。

 それはウィルフレッドからすれば耐え難いことで、彼はアリーナが失敗した場合を想定して暗殺の準備も進めている。


「そう、でもその必要はないと思うわ」


 宣言通り、彼女は驚くほど簡単にアルフォンスを篭絡した。

 そして、側近の三人も同時に誘惑するという、こちらが感心するくらいの成果を出してくれたのだ。


「見事なものだ」

「ええ……」


 彼女から報告が届くたび、ウィルフレッドと共にほの暗い復讐の美酒に酔う。


「揃いも揃って、本当に愚かな奴らだ……」


 アルフォンス以外の三人に関しては、アリーナの誘惑が失敗すれば見逃す予定だった。

 それこそ陛下が言ったように、更生したのだろうと、大目に見るつもりではあった。

 しかし結果はこの通り。

 女に溺れた結果の不始末は、学院中が、いや、貴族中が眉を寄せるまでに至っていた。


「フレッドはいかがしますか?」


 ミルフィリアの義弟は当初の予定にはなかった。

 しかしアリーナの誘惑が上手くいくにつれ、ミルフィリアを貶める言動が増えていった。

 ミルフィリアの邪魔をするなど、彼の行動は無視出来ないようになっている。


「排除する。次期公爵は俺だ」

「……臣籍に降下されるのですか?」

「その方が兄上も安心されるだろう」


 フレッドがミルフィリアに敬意を払っていれば、もっと違った未来があっただろう。

 だが、もう既に遅い。

 彼の未来は潰えた。

 ウィルフレッドにとって、何よりも大事なミルフィリアを傷付けた罪は重い。


「では、最後の仕上げといこうか」

「殿下の御心のままに…」


 こうしてルーカス達の復讐は誰にも知られることなく完了の時を迎えようとしていた。




・・・・・・・・・・・・・・




「お嬢様、フレッド様を生家までお送りして参りました」

「そう、ご苦労様」


 ミルフィリアの佇む窓辺から、屋敷を出て行くフレッドの姿が見えた。

 驚愕に見開かれた瞳が、まさかこんな結末になるなど思いもしなかったと物語っていた。


「馬鹿な子……」


 アンナに傾倒しなければ、この公爵家を継げたであろうに……


「フレッド様は何故、あの女に懸想していたのにもかかわらず殿下に協力したのでしょう?」


 侍女の疑問は尤もだった。

 アンナが好きなら、むしろアルフォンスとミルフィリアを結婚させた方が都合がいいはずだ。


「答えは簡単よ。アンナ様を殿下の側妃や愛妾にされては困るからよ。けれど婚約者の私がいなくなれば、殿下は絶対にアンナ様を正妃にと望むわ」

「しかし、子爵家では正妃にはなれない……」

「そういうことよ。高位の貴族の養子にしようにも、我がバックケイド公爵家を敵に回してまで第三王子に取り入ろうとする貴族は恐らくいないでしょう。むしろ、自分の娘を正妃にと押し付けられるのがオチね。その上、下手をすれば王家や貴族が排除に動く可能性もある」

「なるほど…」


 ミルフィリアとの婚約破棄は、彼らにしてみればアンナを側妃にしない為の時間稼ぎでしかなかった。

 そうして稼いだ時間を使い、彼らは言葉巧みにアンナの不安を煽り、殿下には安全のためと言いながら、二人の距離を徐々に離していくつもりだったのだ。

 後は、慰める振りをして三人の内の誰かが彼女を手に入れるという寸法だ。

 ミルフィリアとの婚約破棄さえ上手く行けば、不可能ではない作戦である。


「そんなに簡単に行きますでしょうか?」

「行くわけないわ。アンナ様を殿下から離すことに成功しても、今度は三人で揉めるでしょうね」


 それでも強引にことに及んだのは、彼らは自分がアンナに選ばれると確信していたからだ。

 何故、確信したのか?

 アンナがそう思わせたからに他ならない。


「本当にバカな子……」

 

 ミルフィリアに無実の罪を着せ、本当にバレないと思っていたのだろうか?

 冷静に考えれば不可能だと直ぐに分かるだろうに。

 アンナの、いや、彼らの策略に、フレッドはまんまとハマったのだ。

 彼女の口車にさえ乗らなければ、本来無関係だったフレッドは排除されずに済んだというのに、本当に馬鹿な事をしたものだ。


 それでも、ミルフィリアはフレッドを嫌いにはなれない。

 義理とはいえ姉と慕ってくれていたフレッド。

 彼との思い出は、姉弟としてそれなりにある。

 彼らにさえ関わらなければ、今も良好な関係を築けていたに違いない。

 だからこそ、フレッドの行動を止められなかった事に、苦い思いが込み上げてくる。


「……疲れたわ。悪いけど、暫く一人にしてくれる?」

「もちろんです。隣室に控えておりますので、御用があれば直ぐにお呼び下さいませ」


 そう言って静かに出て行く侍女の姿が、在りし日の少女を思い起こさせた。

 アンナに似た、淡い金髪の、まだ幼さの残る少女。


「もう七年経つのね…」


 今回の婚約破棄の発端は、恐らく、十四歳という若さで少女が処刑された事にあるだろう。


「どうしてこうなったのかしら……」


 ミルフィリアは当時十歳だった。

 その頃既にウィルフレッドの婚約者として内定していたミルフィリアは、王族教育として度々王宮へと足を運んでいた。

 年が近いということで、当然アルフォンスとも顔を合わせる機会が多かった。

 お蔭で、侍女をしていたエミリアともそれなりの面識を持っていた。

 だからこそ、彼女が粗相をした末に処刑されたという話を聞いた時は本当に驚いた。

 そして何よりも驚いたのが、お茶を零しただけで処刑にされたという事実だった。


 お茶を零しただけで処刑された侍女。

 火傷の慰謝料を取られ、一家離散した男爵家。


 聞けば聞くほど恐ろしい話に、当時十歳だったミルフィリアは震えが止まらなかった。

 そして、突然何の連絡もなしに婚約者を変更され、ミルフィリアはアルフォンスの婚約者となった。

 恐ろしくない訳がない。

 少しでも殿下の気に入らない事をすれば処刑されるかもしれない。

 常にそんな恐怖と戦いながら、ミルフィリアは必死で自分の価値を高めていった。

 価値さえあれば処刑されることはないと自分に言い聞かせ、ひたすら恐怖に耐え続ける日々。


「けれど、それももう今日でおしまい…」


 初めてアンナを見た時、余りにもエミリアに似ていたのに驚いた。

 そして更に驚いたのは、アルフォンスだけでなく、シルビットやサイルーンまでもが全くその事に気付いていない事だった。

 呆れて言葉が出なかった。

 あれだけの不幸を撒き散らしておいて、覚えていない彼らを心底軽蔑した。


 だが、軽蔑に値すべきは、もっと別の人物だった。


「本当に復讐されるべきは誰なのかしらね、ウィルフレッド様……」


 七年前のあの日、ミルフィリアはウィルフレッドに誘われて温室近くのサロンでお茶を飲んでいた。未来の婚約者との交流を目的としたそれは、三日に一度行われる定期的なものだ。

 そんないつものお茶会に異変があったのは、一杯目の紅茶を半分ほど飲んだ頃だった。


『騒がしいですわね。どうしたのでしょうか?』


 近くの部屋でアルフォンスと宰相の娘が同じようにお茶を飲んでいるとは聞いていた。

 だが、常なら静かなそのお茶会の部屋から、只ならぬ怒声が聞こえてくるのだ。


『誰か聞いてきてくれ』


 無視出来ないほど騒がしい様子に眉を寄せたウィルフレッド殿下は、直ぐに様子を見に行かせた。


『どうやら侍女がお茶を零しただけのようです』

『あらっ、アルフォンス殿下は大丈夫でしたの?』

『少し火傷をしたらしいとお聞きしましたが、大した事はない様子でした』

『でも……』


 その割には喧騒がやまず、ミルフィリアは落ち着かない気分になった。

 気もそぞろにチラチラと扉を気にするミルフィリアに、ウィルフレッドが仕方ないとばかりに席を立つ。


 そして、彼が様子を見に行って直ぐ、喧騒が止んだ。


「殿下はご存じなのかしら?ウィルフレッド殿下が私との時間を邪魔するなと怒鳴ったせいで、アルフォンス殿下と宰相の娘が恐慌状態に陥ったことを。お二人が恐怖でまともに話せなくなったせいで、お茶に毒物が混入されたのだと誤解されたことを」


 お陰で、エミリアは事情を聞かれるために牢へと繋がれ、そしてそのまま秘密裏に処刑された。


「殿下、わたくし知っていますのよ?エミリア様を処分するように言ったのはウィルフレッド殿下だってことを…」


 エミリアはお茶を零したから殺されたのではない。

 宰相の娘の失敗を止められなかったから殺されたのではない。

 毒物混入を誤解されたから殺されたのではない。


 彼女は、……ウィルフレッド殿下のお茶の時間を邪魔したから殺されたのだ。


「ずっと不思議でしたの…。どうしてアルフォンス殿下や側近二人はあそこまでエミリアのことを何も覚えていないのか……」


 アルフォンスは余り賢い方ではない。

 どちらかと言えば周りの意見に流されやすく、愚鈍に分類される方だ。

 けれど、お茶を零したくらいで侍女を処刑するほど非情な人間ではなかった。


「覚えてないのは当然だったのですわ。なぜなら、エミリアを処分するよう命じたのはウィルフレッド様だったのですから…」


 当時十一歳だったアルフォンスにそんな決定が出来るはずもなかったのだ。

 だからこそ、当時の侍従長は十五歳だったウィルフレッドにエミリアの処遇を訊ねた。

 侍従長は解雇程度の軽い気持ちで聞いたのだが、返ってきた答えは『処分』の一言だった。

 侍従長は本気かと何度も聞いたらしいが、酷く機嫌の悪かったウィルフレッド殿下がその言葉を覆すことはなかった。

 結果、エミリアへと毒杯が届いたのは翌日のことだった。


「侍従長がわざわざ教えて下さいましたのよ?」


 アルフォンスとエミリアの話は王城で働く人間の間では有名な話だった。

 お陰で、ミルフィリアはずっと怯えていたのだ。アルフォンスの機嫌を損ねれば殺されるのではないかと…

 そんなミルフィリアを気遣い、侍従長が当時の状況を教えてくれたお蔭で、ミルフィリアは真実を知ることが出来た。


『愛しいミルフィリア様との時間を邪魔されてお怒りになった殿下は、怒りの余り、思わずそのように指示されたご様子でした。相手は誰でもよく、八つ当たりだったのだと思います』


 ミルフィリアの婚約者がアルフォンスへと変更になったのは、アルフォンスを支える為だけではなかった。

 婚約者の変更は、ウィルフレッドへの罰だったのだ。


『だからどうかご安心下さいませ。アルフォンス殿下がミルフィリア様へ危害を加えることなど決してありません』


 侍従長の言葉に、全く安心など出来なかった。

 確かにアルフォンスが非情な人間ではないと分かって嬉しかったのは事実だ。

 だが、ミルフィリアを襲ったのは、更なる恐怖だった。


 ウィルフレッドのたった一言で人が死ぬという事実。

 そして、それが間違ったことであると認識しているのにもかかわらず、止められない城の人間達。


 侍従長は親切のつもりだったのだろうが、ミルフィリアを恐怖に陥れるのには十分な内容だった。


「けれどやっと……、やっと、この国を離れられる……」


 アンナのお陰でアルフォンスとの婚約は白紙に戻される。

 後は、この国を出るだけだ。


「ウィルフレッド様、私は決して貴方には嫁ぎません」


 ウィルフレッドの侍従をしていたルーカスが突如アルフォンスの侍従になった時点で何かがおかしいと感じた。

 それと時を同じくしてやって来た、エミリアに似た少女アンナ。

 少し調べれば、彼らの企みなど容易に知ることが出来た。


 そして、次々に篭絡されていくアルフォンス殿下達。

 水面下で集まっていくミルフィリアに対する中傷。

 更に、それと時を同じくして頻繁に寄せられるウィルフレッド殿下からの登城要請。


『ミリィ、困っていることがあれば直ぐに私に言うんだよ?』

『アルフォンスが忘れているようだから、今度の夜会のドレスは私が用意しよう。次に会う時に着てくれると嬉しい』

『夜会の件だけど、アルフォンスが迎えに行けないというので私が行くことにしたよ』

 

 まるでミルフィリアの婚約者が自分であるかのように振る舞い始めたウィルフレッド。

 そんな姿を見れば当然アルフォンスだって面白くなく、益々アンナへと傾倒していくのも必然だった。


「わたくしがどんなに恐ろしかったか、殿下は一生気づかないのでしょうね……」


 アルフォンスとの婚約破棄は確定だ。

 そして恐らく、直ぐにでもウィルフレッドが婚約に乗り出してくるだろう。

 

 だからミルフィリアは、三人の復讐という名の喜劇に便乗することにした。


「さようなら、殿下……」


 今晩、ミルフィリアは隣国へと旅立つ。

 名目は、婚約破棄による傷心旅行だ。

 滞在先などを含め、この国の王族では簡単に手が出せない場所を選んでいる。

 そして、アルフォンスとの婚約が破棄され次第、結婚することになっていた。

 相手は隣国の外交官をしている若き公爵だ。

 薄々ウィルフレッド殿下の異常な執着を感じていた父が、秘密裏に進めてくれていた縁談だった。

 婚約破棄を受けた後は、直ぐに結婚の手続きをしてくれる手筈になっている。

 隣国の高位貴族が相手では、殿下もどうすることも出来ないだろうという判断だ。

 けれどウィルフレッドのことだ。

 どんな手を使ってミルフィリアを追ってくるか分かったものではない。

 だから……、


 ルーカスに手紙を書くことにした。






「ミリィ!」

「どうしたの、あなた?」

「君の国で大変な事が起きた!」


 三ヵ月後、外交官をしている夫が非常に慌てた様子で帰ってきた。

 その常ならざる様子に話を聞けば、ミルフィリアの祖国で、第二王子が侍従に殺されたと言うのだ。


「まぁ、ウィルフレッド殿下が?!」

「どうやら相手は信頼していた侍従らしい」

「なんてことでしょう…」


 至急実家の公爵家へ手紙を送れば、事実だという回答が返ってきた。

 どうやらルーカスは数か月前からずっと思い悩んだ様子で、侍従長や護衛騎士にやたらと昔の話を聞いて回っていたらしい。

 そして数週間前から家族と縁を切る算段を始め、手続きが完了した日、その足で殿下を刺殺したようだった。


「……ありがとうルーカス、これでやっと心から笑えるわ」


 復讐という名の喜劇は、これでやっと幕を閉じるようだ。



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― 新着の感想 ―
ルーカスが不憫…。
めちゃくちゃおもしろかったです!本当の黒幕を始末できてミルフィリアはやっと安心して幸せになれますね。もうこの際王家も滅んでしまえばいいのに( ´・ω・`)
なんつーか。王家滅びろw 第三王子の廃籍で終わらず第二王子が黒幕って、焦点が動き回って眩暈する。黒幕がサイコパスのヤンデレとか勘弁して欲しいッスね。 しかしながら、物事の元凶だった宰相娘が修道院送り…
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