リサの一変、宰相の決意
3話
リサと呼ばれるようになった。
心浮き立ち期待が高まる。
帰省した私はもう引き返すことができないでいた。この恋心を止められない。以前とは違って隣が空いているのだから恋心を殺す必要はないのだろうか。
オウジにリサと言われるのは苦痛であった。その時は他にも苦痛に感じられることが多くあったから、ただ一つそれを苦痛だと思うことはなかった。離れて多くの苦痛から解放されて初めて、オウジに名を呼ばれ付きまとわれることがいかに私の心を不快にさせていたかを思い知らされる。
あのオウジの何もかもが嫌になっているのだと、冷静になったら自覚することができた。
少しは思ったのだ。あの、ひな鳥のようについてくるものがなくなったら、もしかしたら少しは物足りなさや寂しさを感じるのではないかと。ところが得たのは爽快感と幸福感だった。
「もうオウジに会いたくない」
こぼれた言葉を聞いてほしいのと聞かれたくないのとその両方がせめぎ合う。
頼りたい助けてほしい。でも甘えてばかりではいけない気もする。自分ではっきり断らなければいけないことなんじゃないかとも思える。
いや違う。私は今までだって、自分の口でちゃんと嫌だと言ってきた。断ってきた。
周りから見たらもしかしたら、嫌よ嫌よも好きのうちみたいな感じで、ただのじゃれあいだと思われていたのかもしれない。でも私は本気で嫌がっていたし断ろうとしていた。
なのに通じていない。
このままでは、オウジの権力でいいようにされてしまうかもしれない。
将来のなりたいもののためだけではなく、アル兄様との夢を再び望み始めた私には到底受け入れがたいことで。
「やっぱり無理。助けて、アル兄様」
私の心から出た救いを求める声はアル兄様に届くだろうか。
最初に助けてと願った時も本気だった。けれど心の奥底に叶わぬ恋と権力のせいで諦めの気持ちが全くなかったかと問われると完全に否定することもできない。
権力には勝つことができないと言う刷り込み。それは元貴族の家だからということもあるだろう。
そして何より、諦めなければいけなかった恋心というものが私の心にマイナスに働いた。きっと本当に元気な時だったらもう少し自分の力で抗い、強くはっきり訴えて、こんな長いことなあなあな感じで来ることはなかったのではないかと思う。
弱っていた私を丸め込めると判断していたのだろう。なし崩しにいい様にされた事だろう。
でも、そのおかげでアル兄様に再び近づくことができた。心を寄せても許される環境が再び訪れた。
助けてと縋ることは、もしかしたらひどく醜いことなのかもしれない。それでも近くにありたいし、もはやオウジに対して心からの嫌悪を隠すこともできない。
「リサっ」
途方にくれ考えに耽ってた私のもとにアル兄様が現れた。心の声が届いたのかと錯覚させられる。あなたの隣に居たいから。あなたの事が大好きだから。
「助けて、アル兄様」
最初に言うべき言葉ではないと頭では分かっているのに、ぽろりと零れた言葉。もう本当に収めておけない。心が限界を迎え壊れる前に無意識にでた防御反応なのかもしれない。
アル兄様が私を強く抱きしめる。収め留める事を放棄した心は、助けてほしいという気持ち以上に好きという気持ちを湧き上がらせた。勝手に期待している私が恋心を何もさらけ出すことなくただ力を行使してもらって良いものだろうか。
こうやって抱きしめてくれるのは妹としてなのだろうか。
抱きしめていた腕が少し緩む。温かさが離れて寂しく思う。
離れた温かさが再び私を包み込んだ。頬をくっつけられたと思ったら、首に耳にリップ音が続く。口づけされている。それは鎖骨にまで降りてきて、アル兄様の綺麗な顔が私の目の前に現れた。
体がガクガクし、力が抜け、自力では立っていられない。抱きしめられているだけではなく、立っていることを維持できるように私も必死にしがみついていた。とはいえ腕に大した力は入れることができていないのだが。
「リサ。私のかわいいリサ。幼い頃から大事にしてきました。今度こそもう誰にも邪魔させない。もう放しません。今度こそ本当にずっと一緒です」
アル兄様の言葉はまるで心底私とずっと一緒にいることを願っているかのように聞こえる。言葉に熱を感じる。これは私にとって都合が良すぎるのではないだろうか。
私の心の奥底の願いが幻聴を聞かせているのかもしれない。そんな疑いを持ってしまう。
「本当に?」
「ええ、もう決してリサから離れる事はありません。どんなに嫌がっても手放しません」
お互い紅潮している。紡がれるセリフは劇の様。
「両家からも婚姻の許可を得ています。陛下からもです。あとはリサの署名だけ。リサを王子になど渡しません。これからずっと私と共に過ごすのです。卒業してからここで暮らすのです。向こうへは私も一緒に行って近くで守ります」
「はい」
再びアル兄様からの口づけの嵐。
嬉しいけど、これは同情?妹に対しての情?好きも愛しているも無いもの。
「勘違いさせてしまいましたか?声に出ていますよ」
心の声が出ていた羞恥心よりも、勘違いの言葉の方が気になる。やっぱりそうなの?喜びから一転気持ちが落ち込む。
「リサ、あなたを愛しています。今からあなたと共に残りの人生を歩みたい。一緒に歩んでくれますよね?」
「はい。喜んで。アルフレッド様を愛し続けることを許してくださいますか?」
「勿論です。当然です。他の選択肢があるなんて思わない事です。愛し続ける事をやめる事を許しません」
「フフッ」
思っていたより重くてグイグイ来ることに、アル兄様の想いが尋常ならざるものだと、とてつもない喜びの中にほんの少しだけ、本当にちょっとだけ引いた。それでも心は歓喜、狂喜……まさに歓天喜地!
アル兄様は、アルフレッド様と呼んだことにも気分を良くして、私を抱き上げるとそのまま両親の前へ連れていかれた。そして、そこで署名。そのまま手続きへと赴き、晴れて夫婦となった。
「晴れて夫婦となったところで、リサには聞いてもらわなくてはなりません。まだ少年だった私に起こった悲劇を。リサの逃げ場を無くしてから打ち明ける私の臆病さに呆れないで下さい。これで嫌われても、もう私は二度とリサを手放せない」
そんな前振りから始められたアル兄様の話に私は涙をこぼすしかなかった。
悲しみと怒りが湧く事はあっても、嫌悪感が湧く事も不思議と同情することもなく、何故か余計に愛しさが増すだけであった。
そんなアル兄様にカッコイイだけでなく、可愛さ愛しさを覚え、ますますどっぷり好きという気持ちが溢れ溺れ。抱きしめ、口づけを贈りまくっていたら……裸でベッドの中で。
翌朝、いえ、翌昼、温かい……いや、生温かい空気で、……両家族……義兄弟義息子含むに迎えられた。きゃあ~~~~~~~~~~!!!!!!
◇◆◇
リサが助けを求めてきた。
家族以外で、心身ともに傷ついた私を助けてくれたのはリサのお父上と奥方であった。
怒りと悲しみにくれる私たち家族をリサのお父上は見放さないでくれた。
心身の傷が癒えたら、リサと再びしっかり向き合う心ができたらいつでも迎えると言ってくれた。将来リサと結ばれることを変わらず許してくれた。
しかしあの女の懐妊によって再び人生を狂わされることになる。加えて自分の特徴ばかりを継いだ息子。似ていなければどうとでも誤魔化せた。相手が何と言おうと突っぱねることができただろう。
向こうの家とはいくつもの約束事を交わし同居はしないで済んでいる。それでも監視の報告と管理、釘刺しなど足を運ばなければならないこともそれなりにあり、私の心を不快にさせた。
息子もまたあの女の犠牲者だとわかっていても愛情を注ぐことはできなかった。
当時のことを振り返ると、どうせ醜聞と噂を消すことも叶わなかったのだから、あの女の家をこのようにのさばらせずに苛烈なほどに罰しておけばよかったと後悔が募る。
私が女性ならばもっと大きな処罰が行われていたのかもしれない。しかし男性であったことが災いした。何人もの貴婦人のおもちゃにされた。その事に対する下半身が緩い男どもの判定は、私からしたら常識はずれの甘さであった。男の私が得をしたとみなされた。要はそういうことである。
そんな輩はもちろん今陛下のご時世に生き残れるはずがなく、すでに失脚し私の目に入るところにはいない。
あの出来事の後、まだ子供だった私に苦労苦難は勿論あった。
しかし、その全てが私の力へと変わった。
失ったものに比べたら、その価値はささやかなものと思っていたが。
その力が、役に立つ時が来た。持っていて良かったと心底思えた。苦難が無駄ではなかったと思うことが出来た。
その時にいざ必要だと思っても急に得ることは出来ない力だ。
幸せだったあの頃のまま大人になっていたら、大人になった今、より大きく足元をすくわれ本当に大事なものを失っていたかもしれない。あのままでは今よりももっと大きく失っていたのかもしれない。
とても感謝する気にはなれないが、あれは試練であり、成長の糧だったのではないかと疑わざるを得ない。
まぁ今はそんなことはいい。
「必ずリサを助ける」
その決意は、諦めていた自らの幸せも願う時間をも動かし始めた。
リサへの恋心が萎むことがなかった。だから気付き疑った。リサが自分へ向かる好意。それが尊敬する宰相様に向けるものか、父親の友人からの厚意に対する結果の好意なのか。はたまた近所のお兄ちゃんや馴染みの店の従業員に向ける好意なのか。自分が欲しい恋愛の好意なのか。
あの女の家との約束事の中の一つ。私に添い遂げたい女性が出来たら別れるというもの。元々添い遂げたいのはリサ一人だから、私の中の位置づけとしては、万が一リサが私に恋愛感情を持ってくれたらと考えていた。年頃になったリサが妻子ある私にその様な感情を持つはずがない、氷の宰相と呼ばれる私に懐くはずがないと考えていたからだ。
子供の頃と違い親しく出来る時間もなければ、足しげくリサの顔を見に行くなんて事も出来なくなっていた。宰相の仕事がもっと暇ならよかったが、さすがにそうはいかない。
噂は私の耳にも届いていた。あの王子に見初められ幸せになるならそれもまた仕方ないと思っていた。
入ってくる情報を精査すると思っていたのと違った。
目と耳を澄ます。
私の立場では、リサを王子から切り離すことは出来なかった。
でも、私の刃は何時でも使える様に準備できていた。
リサ、私に乞え!
この件に限っては王子と陛下に諫言したら多分警戒され身動きが執り辛くなってしまう。
リサ、私に願え!!
弱ったリサが私の元に現れた。
私の時間が動き出した。