リサの憂い、宰相の悲劇
全四話
「宰相様、助けてください!」
父と付き合いがある宰相様に飛びついた。私一人ではどうにもならなかった。
始めは。
没落し、すっかり平民生活が板についてしまった父に泣きついた。
父は勉学に励む事をよしとした。学ぶ楽しさ、知る面白さを覚えた私は熱心に学習した。その結果、上級学院に進学することができた。そこは身分を問わず、教師陣の求める能力に応えることができる人材が入学している。
未来の国家を担う若者を育てる事に情熱を注ぐことに喜びを感じる教師と、学ぶことを喜びと感じる生徒の想いは重なり、国は繁栄の勢いが最高潮なのではないか。そんな風に思うほどの上昇志向であった。
そんな国であるが、国王が頂点に立って国をまとめている。当然、その後を継いで国をまとめていくのは王子、もしくは王女だ。
そして、上級学院に入学するほどの資質と努力を兼ね備えた王子が一昨年から学院に在籍している。将来自分が仕えることになる王子を見て、ますますやる気が漲った生徒達。この人が未来を支えるならば、と生徒と教師の熱の入り様はものすごかった。そう思わせる美貌と精神の持ち主だったのだ。
上級学院の中で5割。そう、王子に、又は国に仕えたいと思うのはおよそ5割なのである。残りは?医師、看護士、様々な技師、薬剤方面などの医療を極めようと進む者。後進のために教師を目指す者、研究に将来を捧げるものなどである。あくまで「など」であり、目的は様々である。
平民から上級学院にあがった私、リサも国に仕えたいではなく残り5割の方である。
私は、動物の医師、つまり獣医を目指している。私達家族が住んでいる地域は家畜が多く、また、多くの家庭が愛玩動物を飼っている。
そうなると、それにまつわる問題が多々発生した。民間療法、古くからの習わし、なんとなくでやっていたこと、人間の時はこうするから…そういうことでは対応できないことが増えた。だから私は志した。
まだまだ獣医は少なく、いない地域の方が圧倒的に多い。私の手が届く範囲は狭いだろう。それでも、私が率先して学び、同じ志を掲げるものと知恵を出し合い、経験を積み、助け、役に立ちたいとこの学校へ入学したのだ。進学できたのは父と宰相様のお蔭である。
まだ女性が学ぶことに理解を示さない者も田舎に行けばいくほど居る。父が元貴族であり理解を示してくれたこと、いきさつは不明だが宰相様と仲が良いことに感謝しかない。
宰相になったあの方が、「宰相を辞めたらあなたの補佐に雇っていただきましょう」と言いながら推薦状を書いてくれたのが遠い昔に思える。ああ、感謝だけでなく癒しも与えてくださる。最高です。
王子は学院に在学中、貴族だけではなく私達平民とも交流しようと熱心であった。次代を担うものとして褒められる行為だとは思う。ただし、それが私達に迷惑を掛けなければ、だ。
正直言って、「何を血迷っているんだオウジサマ」と言いたい。
熱心な王子は私達獣医を志すもの達の学び舎にも足を運んできた。ただ黙って見るだけでなく、疑問があれば質問もしていたらしい。真面目に授業を受け、命を扱う実習もあるのだからよそ見なんてしていなかった私達は王子に見向きもしなかった。
もし、今期の学生の中に一人でも王子に、王宮に仕えたいと考えている生徒がいれば起こらなかったかもしれない。いや、偶然とは思いも寄らない機会の巡り会わせで起こるものだから、回避は不可だったのかもしれない。それでも、ああ…。
「リサ殿、リサ殿、」
まるで私を母親か何かと勘違いしているのではないだろうか。今の私の姿はまるでかるがもの親鳥か!後を付いてくるオウジに付いてくる護衛。アホ過ぎる。誰か代わってクダサイ。これのどこが皆の慕う王子様なのだろう。
何がオウジの琴線に触れたかは分かっている。これは今の城内の人事が関係している。歴史を紐解けばありきたりなのだが、貴族からだけでなく平民も重用するようになったからだ。とはいえ、為政者が立派だからといってそう簡単にはいかず。理解はしても、気持ち的に納得がいかないのもまた予想されていた事だろう。
そこで目をつけられたのが私だ。元貴族の平民であるという所が特に惹いたらしい。どちらの気持ちも解るというのは手放しがたいそうだ。だが、私の外にも居るだろう。そっちを当たって欲しい。
「オウジサマ、こちらの見学など月に1度でも良いのではないでしょうか。国を想うならご自分の学び舎へ戻られた方が宜しいです」
「卒業後はぜひ城に上がって欲しい。獣医は城でもできるであろう」
そう、問題はこれである。私は卒業後は帰りたいのだ。引き止められても困るだけだ。
要はクッション係りだ。とんでもない話である。過渡期であるため、オウジもいざとなったら権力バリバリ全開でくるのだろうと簡単に予想がつく。
もう一つ、このオウジ、国のためならナンノソノ。いや、オウジとはこういう風に教育されているのが王族の一般的なのだろう、結婚には国の利益がつきもの!恋愛結婚ナニソレおいしいの?の世界である。
私は勿論、好きになった相手と結婚したい。こんな考え方の私だ。国を背負うなんて言う重たい相手となんか絶対お近づきになりたくない。この流れで分かるだろう。このオウジサマ、結婚相手の候補に私を入れやがったのだ。幸いなのが、まだ候補である事と複数人いることだ。
そして不幸な事に、誰から見ても私が一番のお気に入りなのだ。……泣きたい。助けて。
そこで私はついに宰相様に助けを求める事になる。父は頑張ってくれたが、上級学院に伝手もコネクションもない平民ではオウジの魔の手から逃れる事は叶わなかったからだ。
宰相様には奥様もお子様もいらっしゃる。でも、奥様とは親子ほどは言い過ぎではあるが、それほどもある年齢差。奥様より私の方が年齢も近い。ご子息が年の離れた兄弟だと間違われる事もあった。そんな宰相様を兄の様に慕う気持ちが恋慕に変わるのに、そう時間は掛からなかった。
他所の家庭を壊す気はない。恋心は再び兄を慕う心に戻るだろうと予想できる。実際そうなってきているから頼る決意が出来た。
◇◆◇
あの頃はまだ幸せだった。幼い私は度々父に田舎へ連れていってもらっていた。
そこは父の幼馴染の住む地であった。牧歌的であり、人々も少々心配になるくらい穏やかで人が好く私もそこが大好きになった。それは父の後を継ぎそれも引退したらここに住むんだと決意する程に。
父の幼馴染殿の奥方が懐妊した時は自分の弟か妹が生まれるかの様にワクワクし、とても楽しみにしていた。
生まれたのは女の子で、私は自分の姫だととても可愛がった。私の姫リサはとてもよく懐き、将来は私に恋におちて貰うために男を磨こうと切磋琢磨し努力を怠らなかった。
その成果は私に悲劇を齎した。
まだまだ体は華奢だが無事精通し大人の仲間入りをした私。その利発さを隠すことない涼やかな顔は大変評判がよく、磨いた能力はいずれ父の宰相の座を引き継ぐのを期待されているのを感じる事が出来た。
この頃から私を取り込みたいという動きが激しくなってきた。幸い、私の下に男兄弟たちに恵まれた。父からも政略結婚を求められなかったので、いずれリサを惚れさせるからその時は妻にしたいと申し出てどちらの両親からも諾を得た。
その時に、リサの家に婿入りか家を建てるなどしてそちらに住みたい旨も伝え、家は弟達に頼みたい事も伝えた。
リサの住む地を治める事になってもいいようにに領地経営と第一子の責任として一応宰相の仕事についても学び続けた。
全てはリサと幸せになる為に。
そして悲劇の日が訪れる。
悪夢だった。油断したわけではなかった。その日その時に悪い事が重なった。
日々の努力は実っていっていたが、まだ子供であった。人が多かった。私の近くにはすり寄るご婦人が多数いた。婦人が多ければ群がる紳士も多くなる。
場所どりに失敗した私は熱気と匂いに少々酔い、その群れから抜け出した。
重なった出来事。
婦人を不埒な手段で手に入れようとしていた男が睡眠薬と催淫剤をレモン水に入れた。すぐ溶けるように少量で効くものを用意していたそうだ。狙った婦人は偶然本当に具合が悪くなりよろめいた。そのレモン水は使われる事がないままテーブルの上に置かれた。
私が抜け出た所は丁度そのご婦人の居る所。
テーブルの側にフロア係が通りがかった為レモン水を貰おうと手をあげようとした時に恰幅のいい紳士が私を掠めた。酔い気味の私はその勢いによろめく。それをその具合が悪くなったご婦人が親切で子供の私を庇って支えてくれた。その間にフロア係は去ってしまった。
「大丈夫ですか?」
「ええ、ありがとうございます」
「お顔の色がすぐれませんわ」
「それはレディも。私は少々人に酔っただけですのでレモン水を飲めばすっきりするので大丈夫です」
「行ってしまいましたわね。まだ口を付けておりませんのでよかったらこちらをどうぞ」
このご婦人がレモン水を取ったのは視界に入っていた。渡されたグラスに紅はついていない。量も減っていない。私はそれを遠慮なく頂戴した。
目が覚めた時、私は裸で見知らぬご婦人たちに抱かれていた。動きにくい体を必死に動かして移動した。ご婦人は一人ではなかった。体を押さえつけられた。だんだん声が出る様になり、体が動くようになった。ドアまで辿り着き開ける事が出来た。その頃には異変に気付いた参加者が警備の者を連れてこの部屋に向かっており、私達のあられもない姿が晒され、隠す事ができなくなっていた。
「…けて……助け、て、たす…」
大丈夫かと尋ねられているが答えられない。でも解放されたことを理解した私は意識を失った。
出来る限りの緘口令は無いよりましという程度であった。悪質であると徹底的に調査され、婦人たちは勿論、薬の紳士も一応は逮捕された。親切にしてくれたその時のご婦人も被害者として知られてしまったそうだ。
当然だが私の傷は深かった。全貌が明らかにされても、それで結果が変わることは無かった。
それでもまだ、リサと結ばれることを夢見る。穢された私でも受け入れてくれるだろうか。
数か月後、加害者の女の一人とその親が青い顔をして我が家を訪れた。それがさらなる悲劇であった。
「娘がアルフレッド様の子を身ごもりました」
生まれた子は私に似ていた。子が二歳になった時に、ますます自分に似てくる姿に、政治利用される前に諦めて結婚した。幾つか取り交わした約束。それを履行する日を夢見て。愛する事が出来ない我が子。
リサの一家が元貴族になっていたのを知ったのは事件から数年後だった。あれっきりリサには会っていない。幼かったリサは、もう私の事など忘れてしまっただろう。身長は30㎝以上伸び男らしい体つきになった。鍛えたせいもある。次に会うのは初めましてになるのだろう。寂しかったがこれでいいのだとも思えた。私があの頃遊んだ私だと知れば必要以上に心を痛めるに違いないから。
リサとの結婚を諦めた私が父の後任として宰相を任命されてしばらくすると氷の宰相と呼ばれていると知った。氷の宰相と言われる事に慣れた頃、我が子にも精通がきたと報せが入った翌日、息子に全てを話した。噂と身内から打ち明けられて知っていたと言われたが、その内容が噂と聞かされていた話以上であった事に息子も心を痛めたようだった。自分がどうやって生まれたかを突き付けることができる私は氷と呼ばれるにふさわしい。
◇◆◇
父親が自分を疎んでいることはよく分かっていた。しかし、その理由を明確に告げてくれるものは周りにいなかった。それでも有名な父親を持っているために噂としてどんどん耳に入ってきた。親切心と悪意とともに。
あんまりな出来事に母を軽蔑した。祖父母を軽蔑した。それでもまだ親の庇護が必要な自分は、その嫌いな母親から守ってもらっている、世間の悪意から。
自分が父親に好かれることがない現実をしっかりと認め受け入れられるようになった頃、自分の体も大人になり、そのタイミングで父親と父方の祖母から当時の出来事、その真実を語られた。
それは、噂で知らされたことよりもなお一層ひどく自分が生まれたことは間違いであるのだと、ひどく深く傷つけられた。それでも父親は自分を愛することができないが嫌っているわけでもないと言ってくれた。それが本心だとは思えないが傷ついた自分を思いやっての言葉ということは理解できた。
母と結婚したのも、父親に似ている自分を自分の二の舞にさせないため、馬鹿な母親家族が僕を政治利用したりされないようにするため、僕の存在が宰相を務める家族の弱点にならないように、そのために結婚したのだと聞かされた。
僕が父親に似ていなければ知らぬ存ぜぬで通せたのかもしれなかった。でも僕は父親にそっくりの美少年に育ってしまった。子供の頃の父親と区別がつきにくいくらい、うっかりすると祖母でも肖像画では間違ってしまうのではないかと思ったくらい似ているそうだ。
愛情が感じられない父親だが僕が生まれた経緯を考えると恨む気持ちにはならない。それどころか父親には申し訳ないが同情の気持ちさえ芽生えてしまうくらいだ。
早いうちに噂が耳に入ったことで父親を恨む気持ちはない。もし何も知らずに育ったならばどうして母を大事にしないのだとどうして家に帰ってこないのだと憤っただろう。怒りをぶつけひねくれた子供に育ったであろう。そういう意味では早いうちに噂としてでも耳に入れることができたことは大変な幸運であった。
だから思う。
もう僕もだいぶ大きくなった。どこかに養子に出してもらったっていい。母親たちとは決別したい。
そして何より父親を解放したい。幸せになってほしい。
お読み下さりありがとうございます。