予期せぬエピローグ
──やけに凍てつく日だった。
世間は冬。ついでに言うと俺の心模様もからっからの銀世界である。
半年経っただろうか。俺の彼女の未優と、俺の妹の灯が出会って、それから灯が未優に懐いた日から。
灯が俺たちのことを応援してくれた。
秘密を握る人がもう一人増えた。もちろんそれは嘘に覆われた秘密だけど、灯は約束を守って両親に黙っていてくれた。
結局、俺たちは逃げ切った、といっていいのだろうか。
半年間、何の動きもなかった。
不思議でならなかった。あまりにも動きがないのだ。俺たちの環境に。
ある程度の偽装工作をしていたけど、俺がやったことは歴とした犯罪だ。どこかでボロが生じると腹を括っていた。
でも俺たちの間には、ただただ平凡な日常が流れていた。
ただの同棲している彼氏と彼女の関係だ。そこに、加害者と被害者の間柄はまるで存在しなかった。
未優の両親はそもそも、捜索願すら出していなかったと推測している。
多分、諦めていたんだ、未優のことを。
未優は、大量のお金を持って家出をした。
それこそ、ドラマでよく見るような銀色の現金輸送用アタッシェケースだけを持って俺の前に現れた。
後で数えたらピッタシ1億あった。
アタッシェケースって本当に1億円がぴったり入るんだなって感心したのを覚えている。
そのお金は緊急時以外に使わないと決めていた。
だから、今、俺は1億以上持っていたりする。1億以上持っていながらバイトなんてしていた。
まぁ、つまりだ。
未優は本物のお嬢様である。
お嬢様故に、親が決めた婚約者なんてものがいて、それが嫌で逃げ出したなんていう背景がある。
逆に考えてみれば、未優が両親のもとに連れ戻された場合、未優は結婚をさせられる。
それは未優の望みではない。お金をもって逃げ出すくらいには、未優にとって嫌な事だったんだ。それは、未優の両親も重々承知している。
未優の両親も、葛藤したのだろう。
超がつくくらいのお金持ちだ。本気を出せば、ただの高校生である俺なんか、数分で特定して俺と未優を引き離すことも可能だったのだろう。
だが、両親として、娘の意思を尊重したかったのではなかろうか。
未優は十分すぎるほどのお金を持っている。加えて、それなりの常識もある。
無理に連れ戻さなくても、生きていける状態だなんてことは、考えれば分かる。
だから、未優の自由にさせることを選んだ。
結婚を強制させるくらいなら、家出をさせて好きなように生きてもらおう。
あくまで俺の想像だけど、そんな理由がなければ、俺と未優が平穏無事に暮らしていた2年と半年の説明がつかない。
もっと、怯えることなく、外でデートとかしとけばよかったなぁという後悔もする。
それこそ、日本中旅をする勢いで。なにせもう出来ないんだから。
今更ながら、海外進学なんてする必要はないんだろうなぁとは思う。
でもまぁ、より高い教育を受けたいという気持ちも持っていたし、新しい挑戦としては悪くなかったのかもしれない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「というわけで、そろそろ出発する」
「そう」
「……お前は俺に付いてくるものだと思ったけどな」
「私の使命は、ここで終わりだから」
有栖川銀河とは、生まれながらの腐れ縁にして、ストーキングされ続けた関係性。
俺は今からここを飛び立つ。
有栖川 銀河の使命は俺を見守ること。
銀河自身がそう言っていた。
ストーカーというとその通りなんだけど、最後まで、不思議な奴だ。
まず、こいつは俺のことを好きなのかどうか分からない。
まるで、仕事人の様に俺に付き添い、たまには尾行をして。
渡月高校に来てからは、バイトなんてもんも初めていたけど、こと俺の人生のターニングポイントは必ず見落とすことなく、どこかで見届けていた。
未優とキスしたり、海外進学を決めたことを教師に告げたり、未優を保護することを決めたり。
どこかで必ず、俺の決断を見守っていた。
その中には、人として誤っている選択もあったけど、絶対に銀河は口出しをしなかったのだ。
ただ、見ているだけ。
だがこれで最後だ。
銀河とはこれでお別れになる。
未優と二人で、誰にも邪魔されない場所へと、逃げることにしたのだ。
要するに、この場所から離れる選択をした。
理由が合って、俺のほうが未優より先に目的地に行くことになったけど。
未優も後から付いてくることが確定しているし、いらない心配をする必要はないだろう。
「ねぇ、建留」
「ん? なんだ?」
「──さよなら」
「あぁ。さよならだ」
少しだけ泣けてきた。
これで、俺をストーキングする人物がいなくなる。
そこに喜びは欠片もなくて、寂しさと侘しさだけが募るばかり。
銀河のことが好きだった。
不気味だけど、銀河との関係性がこの上なく心地よかった。
もちろん。それ以上に未優のことが好きだったわけで、こんな結末になってしまったわけだけど。
立ち止まって、俺の人生を振り返る。
自分が、幸せを追い求めて、こんな選択をするとは思わなかった。
昔から、クソがつくほど真面目で。
小中の間は、ガリ勉すぎて、銀河以外に親しい奴が出来なかった。
渡月高校に来て、色々変わった。
バイトなんかをしてコミュ力の大切さを学んだ。
十和野 未来という自分より頭の良い奴の存在を見ていると、勉強が全てじゃないということにも気付けた。
教師が自分の味方だということも知れたし、家族のありがたさも身に染みて分かった。
恋なんてものは、とんでもなく人生を変えた。
未優に会って、法に背く日が来たんだ。
あのクソ真面目でガリ勉の俺が。そんなことをするんだ。
そして、俺は、未優への想い故に。
人生で最大の決断をしたんだ。
家族も、高校で出来た友達も。そして銀河も、置き去りにするような究極の選択。
「ねぇ、建留」
「はいはい、なに?」
ねぇ、建留。
これはもはや銀河の口癖だ。これに続く言葉は常に意味不明だったり、しょうもなかったり。厄介なことが多い。正直言って、こうやって話しかけられるのは嫌いだ。
「──次はうまくいくといいね」
「あぁ。だといいな」
イマイチ、「次」の意味が分からない。
18年間生きてきて、ずっと一緒にいたわけだけど、やはり有栖川銀河は意味不明な女だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
手には一封の封筒。
中には、旅をするのに必要な紙と、未優と恋人になった日に2人で撮った写真が入っている。
銀河とお別れを済ませた後、銀河に背中を向けてから、その封筒を大切に握りしめる。
やけに身体が軽くなった気がする。
それと同時に、もう銀河は俺のことを見ていない。そんな気がした。
覚悟を決めて、歩き出してみると、未練やら不安やらが一気に吹っ飛んだような気がする。
確かに視線を感じない。プレッシャーも期待も。何もかかっていない。
ただただフラットで、独りぼっちな俺を実感する。
封筒をもう一度だけ見る。
寒空の下。
『遺書』とだけ書かれた封筒は、これでもかというくらいキツく封をされていた。
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