嘘と真実
──久地 灯は、2人存在する。
まるでファンタジーみたいな話だが、この場には、確かに久地 灯が2人いる。
「兄貴、この人! どういうこと!? 」
一人目は、俺を兄貴と呼ぶ、生意気な実の妹の久地 灯。
「……灯ちゃん、何回も自己紹介しようとしてるのに、兄に聞きますって言って無視するんだよ」
「だって、あなた、『私も久地建留の妹の久地灯です』とか、わけわからない自己紹介するじゃん!」
そして、もう一人の久地灯は、俺の彼女の未優。
「たけるくんにそうやって名乗れって言われてるんだもん」
「おかしいじゃん! 兄貴の妹はアカリ一人だけだよ!」
因みにこの妹、自分のことを下の名前で呼ぶ。頭が悪そうだ。
カタカナ表記なのはニュアンスであり、どこぞの記憶喪失の金髪Y●utuberは関係ない。
「あ、でも身分証明書はあるよ、見る?」
「え、どういうこと? ……って、アカリの保険証だ!? なんで持ってるの?」
「えへへ、たけるくんから貰いました~」
「兄貴ぃ!!」
「まぁまぁ、事情があるんだって。目を瞑っておいてくれ」
「無理に決まってんでしょうが! 窃盗じゃん、こんなの!」
「はぁ? 窃盗じゃなくて借りパクですぅー」
「同じ! しかも兄貴がアカリの保険証借りる理由がないでしょ?!」
妹の健康保険証を租借して、未優に身分証代わりに使わせている。
もちろん、妹のものだ。奪い取ってから、1年半になるが、予想以上にバレなかったもんだ。
理由は、妹には必要ないものだから。ほら、バカは風邪を……。
「まぁ、しゃーないから返してやるよ。使うことないだろうけど」
「使うから! すっごい使うんだから! これ使って兄貴が家に置いてるゲーム全部売っちゃうもん!」
自分の保険証を握りしめながら妹が激怒する。
「……まぁ、別にいいけど」
「いいの!? 2割しか返さないからね?」
「いや。全部回収していいけど」
「えっ? それは……。1割は返すよ……さすがに」
因みに未優は灯名義のパスポートも持っている。
パスポートに記載されている名前や生年月日が灯のもので、写真だけは未優本人になっているという、法律的に言えば、グレーゾーンな代物だ。
グレーゾーンすぎて、バレた瞬間には、俺も未優も「5年以下の懲役もしくは300万円の罰金またはその両方」が課されるらしい。
8年前に両親の結婚20周年の祝いとして、海外に行った。
その時家族全員でパスポートを作った。
もちろん、その時作った灯のパスポートと俺のパスポートは既に有効期限が切れているわけだが、妹の期限切れのパスポートと、妹から勝手に奪い去った健康保険証さえあれば、どうにかこうにか新しいパスポートが再発行できてしまうわけだ。
期限切れのパスポートの写真は8年も前の小学校に入学するぐらいの頃の妹のものだから、新しいパスポートに必要となる証明写真を未優の写真に差し替えてもバレないというおまけつき。
ちょっとの手間を掛けて、公的機関の抜け道を駆け抜ければ、未優を久地 灯という名前の女の子に変えてしまうことが可能なのである。
※この物語はフィクションです。
パスポートを偽造したわけだ。
簡潔に言うと、罪を犯した。
もっと分かりやすく言えば、悪いことをした。
さらにさらに簡単に言ってしまえば、とても人がしたとは思えない悪行をしでかした。
……そもそも誘拐しているんだ。
鈴原 未優という名前を迂闊に外に出すわけにはいかない。
このパスポートの偽造も、保険証も未優を匿うための一環なのである。
「って、そんなことじゃない! 兄貴、この人誰なの? 未優ってのが本当の名前なの!? 同棲してるの? 歯ブラシ2本あるよね?!」
「分かった分かった。近所迷惑だから、いちいち叫ぶな」
ぎゃんぎゃんと吠える我が家の番犬ちゃんをどう黙らせようかと考えているところに、俺の後方から、蚊の鳴くような小さい声。
「説明、私がする?」
声の主は有栖川銀河。今日もしっかりストーカー中。
「銀河さんはまともに会話できないからダメ!」
「……さすが建留の妹」
宇宙人、もとい有栖川銀河は何故か事の顛末を知っている。
どこかで一部始終を見ていたのだろう。銀河が本気で俺をストーキングしている時は、誰も気付けないくらいには、気配を消すのがうまい。かのゴルゴ(「命」の人ではない)ですら背後に立たれても気付かない説がある。
「とにかく、兄貴、ちゃんと説明しないとパパに言うからね?」
俺のことは兄貴で、親父の事はパパって呼ぶの、マジでこいつ何に影響受けたんだろうか。
昔はお兄ちゃんって言ってたんだけどなぁ。
「……駆け落ちするんだよ、高校卒業と同時に。どっちの親にもナイショでな」
「えぇ!?」
「だからうるさいって」
「だって、駆け落ちって、結婚もするの?」
「まぁ。俺がまともに大学生になれれば……」
「……すごい!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
嘘がうまい人間は嘘の中に真実を混ぜるという。
駆け落ちをするのは事実だし、灯の保険証があるだけで、一人暮らしの物件で同棲していても、変に噂にならないというのも事実だ。
だけど、「真相」は灯にも話せない。
パスポートを偽造していること、誘拐していること。
俺が誰のために勉強をして、バイトをして、誰のために生きているのか。
──俺は、未優を誘拐した。
未優は実のところ、超が付くほどのお嬢様で、親に決められた結婚相手がいる。
それが嫌で、未優は家出した。
一人暮らしがスタートしたてだったその時の俺が、たまたま未優を見つけて、保護した。
つまり、超が付くほどの権力者を敵に回しているわけである。
最初は、数日くらい面倒を見たら、警察にでも届けようと思った。
だが、吊り橋効果という奴だろうか。
俺たちは逃げ回っている間に恋に落ちた。未優が誰かのものになるのが、嫌だった。
だから、妹の保険証や期限切れパスポートなんかを使って、未優を「俺の妹の久地 灯だ」と言い続けて、周囲の目を欺いている。
そして、いずれは、海外にまで逃げるつもりでいる。
そのためにお金を稼いでいる。学校から支援してもらえるように、好成績を収めて、海外への進学が出来るようなメソッドで勉学を極めている。
──これが真相だ。
親の信頼や、学校での立ち位置。
積み上げたものをぶっ壊しかねない、危ない橋を渡るような、今後の人生設計。
そんな「真相」を灯には絶対に話せないのだ。
だから、灯に話すのは、真実を混ぜた嘘。
その内容はこうだ。
「ここだけの話だ。未優は昔、体が弱かったんだ」
「体?」
「あぁ。それで、昔から入院続きでな」
「そうなんだ。可愛そうだね」
俺が淡々と説明をする。嘘のでっち上げだ。
「うん。でも、そんな私も今は健康なんだよ。通院の頻度もすごい減ってるんだ」
未優がうまくサポートをする。
「あぁ。未優のお母さんがすっげぇ過保護でさ」
「過保護? アカリ的には良いことだと思うけど」
「元気な時でも、ちゃんとベッドで寝ていなさいって言うんだよ? 灯ちゃんは、嫌じゃない?」
「あぁ、確かに嫌かも……」
未優の演技がうまい。まぁ、前もってLINQで打合せしていたからっていうのもあるんだけどな。
「まぁ、未優のお母さんがそんな過保護になるのにも、理由があるんだ」
「理由?」
「……あと、5年しかないんだ」
「5年?」
「未優の命の残り時間だ」
「えっ──?」
「うん、そうなんだ。お母さんは私が少しでも長く生きれるようにって、すっごい優しくしてくれるんだけどね、私はね、どうせ後少ししか生きられないんだったら、自由に生きたいなって、思ったんだ」
「えっと、アカリは……アカリは、どっちも間違ってないと思います」
想像以上に重い話に灯がうろたえる。
全部嘘なわけだけど。
「うん。だからこそ、すっごい喧嘩したんだ。最後には、『好きにしなさい』って言われたからさ、家を飛び出したの。そこで、たけるくんと出会ったんだ」
「兄貴とですか?」
「うん。家出したところを拾ってもらったの。それから仲良くなってね、残りの時間はたけるくんと一緒にすごそうって決めたんだ」
「最終的には、未優の母親も未優の決断を認めてくれて、今に至るわけだ」
「そうなんだ……。なんか、お兄ちゃんらしからぬロマンチックな恋だね」
「人生なんてそんなもんだ」
灯は、少し瞳を潤ませている。
あと5年しか生きられない、未優の命を思って、感極まったのだろうか。
こんな純粋な妹を騙すのは心が痛い。
でも、俺の恋路は、そうやって、嘘を吐いて……吐き続けて、そして行けるところまで行くしかないのだ。この痛みにも慣れなければならない。
未優の顔を見る。未優も未優で、苦しそうだった。
「兄貴!」
「なんだ?」
「……絶対幸せにするんだよ!」
「分かってらぁ」
「……っ、絶対だからねっ! 一番楽しい5年間を未優さんにプレゼントするんだよ!」
「……任せろ」
本当は5年間じゃなく、10年先、20年先も幸せにしてやりたいなぁとか考えて聞いていた。
ごめんな、灯。
お前は俺みたいな男に捕まるなよ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その後、一緒にプリンを食べたり、俺についての話をしたりしている間に、灯が未優に完全に懐いていた。これで、灯は敵ではなくなったと言えるだろう。
俺たちの話を傍聴していた銀河が、そろそろ、巫女のバイトに行かなきゃと言い出した。
それを聞いた、灯が「送っていきなよ」とウインクを送ってきたから従うことにした。あいつ、未優にあることないこと吹き込むつもりだろ。
そんなこんなで帰り道。
隣には宇宙人。
有栖川銀河という女は、とにかく無表情で無感情だ。
──ただ、今日は、いつもと違う気がする。
長い付き合いだからこそ分かる、些細な違いがある。
「……どうかしたか?」
「ん、なに?」
「いや、なんか、今のお前、悩み事でもあるような複雑な雰囲気を醸してるぞ」
「そんなことは、ない」
「気のせいか」
おかしいなと思いながらも、流石の俺でも、銀河が何を考えているかまでは予想できないので、気にしないことにした。
「ねぇ、建留」
「ん?」
しかし、数分後。
銀河は珍しく、足を止めた。
こんな明確に、会話をしようとしている銀河は初めて見た。
「建留は、ちゃんと未優の事、見てるんだね」
「は? ……当然だろ、彼氏だぞ、俺」
何を言ってるのかと思ったけど、しっかり惚気て返事をする。
「……世界の秘密、近づいてるね」
「なんだそれ」
銀河は銀河だ。
やっぱり、どこまでも意味の分からない女だと思った。
「でも、少し違う」
「は? なにが?」
「──5年じゃなくて、1年と半年が正解」
何が言いたかったのか。
この時の俺は全く持って分からなかった。
だが、この時の銀河の迫力に、俺は、とてつもない恐怖を抱いたことだけを覚えている。