悪魔が吹けとささやいた
好きな女の子の縦笛を吹こうとして
不幸にもそれを握りしめたまま世界で一番情けない姿で死をとげた主人公・譲原柚紀
しかし、転生し目覚めた世界・ハーメルホンでは音楽は未知のものであり、禁断の古代魔法であった。
柚紀あらためユーズの最強縦笛伝説はここにはじまったのであるーー。
だめだだめだ───。
そう言い聞かせて踵を返す。
しかし、教室の入り口まで来ると立ち止まりまた振り返り見つめてしまう。
俺の名前は譲原柚紀
俺は今、疲れている。
いや、違う。
とり憑かれているのだ、悪魔に。
もう何度も同じ事の繰り返しだ。
見つめる先は、教室の中央の机にある『縦笛』。
ソプラノリコーダーとも言う。
いや、物理的名称などどうでもいい。
最も大事なことは、それはーー。
俺にとって最強の付加価値がこの30cmにも満たない物体についているのだ。
それは極めて神聖なもの。
俺が物心ついた時から生涯天使と定めた篠山詩音ちゃんの
やわらかい唇が唯一触れているその物体。
伝説的な神具といっても過言でないものが、今机の上に無造作に置かれているのだ。
俺はツイている。
こんな状況、もう一生無いのではないだろうか。
詩音ちゃんは今日に限ってよほど慌てて帰ったのだろう。
あの丁寧で几帳面な性格を考えると、天文学的な確率で起こった出来事だ。
そして縦笛だけが置き去りにされた、この誰もいない教室なら
俺は世界の誰にも邪魔されず、縦笛を手に取る事が可能だ。
つまりは、篠山詩音ちゃんの天使の唇に
己の唇を合わせて触れる事ができるのだ。
……考えただけで心臓が止まりそうだ。
譲原よ勇気を出せと悪魔がささやく。
今しかないぞと悪魔が背中を押す。
俺は理性の力を振り絞り、悪魔を追い払おうとしたが
もう限界だ。
悪魔は俺の心の隅々まで、憑いてしまっている。
いや、憑いているというよりこれはツイているのだ。そうだそうにちがいない。
ゴクリと唾を飲み込み、机の上に置いてある篠山詩音ちゃんの縦笛を握りしめた。
世界が改変されていくのが分かる。
俺と篠山詩音ちゃんだけ、たった2人だけの世界だ。
目の前に天使の姿の篠山詩音ちゃんが降臨し
満面の笑顔を見せた後に、目を閉じて唇を差し出してくる。
あぁ、そして俺の唇に、あぁ俺のくちびるに…
その瞬間、世界の景色がぐにゃーっとなり、俺は意識を失った。




