YAKISOBA
7章 Part 2
10年間もの商売を続けてきたカツ・ロゼッティを圧倒することは、ありとあらゆる性別や性的行為の数々をもってしても容易ではなかった。数年前には、実際、ロッド・スチュワートが用を足している最中に、人目につかないように 、男性用トイレのすぐ近くをうろついていた中年女性が、逮捕されている。それから数年間、彼女の完璧すぎるタイミングは、議論の的だ。というのも、彼女は、突如、「火事よ、火事よ…みんな逃げて」と、驚いたスチュワートが、便を流さずに飛び出してくることを願い(この戦略が功を奏するのだが)、叫んでいる。例の女は、お手洗いの個室に入ると、かの有名ロッカーの“忘れ物”を回収した。一部は自身のためで、残りはロックの殿堂に売りさばく計画だったという。
つまり、そのような経験に照らし合わせると、リネット・ダウドは、十分に差し障りのない印象であった。
「フェアに参加する6人のトランスジェンダーの中の1人なの」と彼女は言った。
「気づきませんでした」
その他のほとんどのオンナたちは、200人以上になるけど、あなたが毎日見慣れたように、異性の服を着ることを楽しむだけ」
「六本木の誰一人として、注目を寄せない」とカツが加える。
「厳密には、私は本当のトランスジェンダーではないの。 手術用メスとのデートは、帰国後。今後すぐに女性へと生まれ変わる予定のお姉さん、とでも言うのかしらね」
「興味深い、領域です」とカツ。
「ロゼッティさん、どうか、この馴れ馴れしさを、許してくれると嬉しいわ。あなたって、話しを聞くのが上手なのね」
「仕事の一部、ですから」
「2年間のホルモン治療。20年の心理療法。そのおかげでここまでたどり着いた。この進歩には、死ぬほど誇りを持ってるの」
「そうでしょうとも」
「この度を過ぎた執念のせいで、妻、母、2人の子供を失おうとも、1秒たりとも後悔はしないんだから。新車のキャデラック、150着のドレス、25種類のウィッグ、80着の靴だってある。靴擦れが凄いけど」
「お力になれず…」
リネットは続ける。「この長い旅路のハイライトは、私の仕事」
「なんでしょうね」とカツ。
「ペンシルベニア州の小さな警察署で勤務してるの」
「警察ですか?」
「シー、大声出さないで」
カツが微笑んだ。
「レオナルドからリネットに生まれ変わったとき、他の人のように、仕事で苦労することはなかった。私の上司━━彼に、祝福あれ…━━は、男としての都会で生きるノウハウを会得した、熟達の女性警官を迎え入れることができて、嬉しいと言ってくれた。一生涯続く、諜報活動のようなもんかしら」
「じゃあ、今の仕事はコーヒー係とか」
「冗談じゃないわよ!」の言葉と同時にビンタが炸裂。それにすぐ続いたのは謝罪の気持ちの表れ「あらやだ」の一言。「警部に言われたの。“息子を切り取ったってな、レン、お前の根性は消えやしないんだよ。どっちの便所を使うようになろうと、今まで通り、ガッツ溢れる仕事を頼む”って」
「それは、よかったですね」
「もちろんよ。帰国したらすぐに、ジョンズ・ホプキンスで入院して、神の手違いを修正するの。担当医からは“急進的な割礼”って言われたわ」
カツは、声をあげて笑った。
もともと、宗教への信仰心が強くてね。いつも私の頭に降りかかってくる申命記の中の言葉があるの。“男は、女に関係した衣服を身につけてはならず、女は、男に関連した衣服を身につけてはならない”という一節。もちろん、申命記は、聖書の5つ目の本で、これを書いたのはモーセ。モーセはカナン人。ユダヤ教だったわ。でしょ?」
カツは何も答えることができなかった。
「まあ、私はユダヤ教じゃない。カナン人でもない。カナンの地に住んでもいない。私は、イエス・キリストの流血により救済されたの。だからこそ、主の言葉に従う。“右目が汝を苦しめるのであれば、それをくりぬけ。右手が汝を苦しめるのであれば、それを切り落とせ。地獄に落ちるよりも、重症を追いながら天国にたどり着く方がよい”」
わずかな沈黙のあと、カツは「左利き、凄まじい」と言った。
「性器が私をとことん苦しめたから、切り落としてやるってわけ」
キリスト教徒でもなく、性器に苦しめられた経験もないカツにとって、リネットに共感するのは容易ではなかった。彼女は的を射ているかもしれないと、カツは考えを巡らせたが、それでも、うまく要点を言葉にすることは適わなかった。
「面白いもんで」リネットは、再び話を始めた。「あっちには、レズビアンの友達が何人かいて、たまに、ゲイバーに誘われるの。でも、その場で自分だけがストレートだなんて可笑しくなっちゃって、行くのは好きじゃないのよ」