YAKISOBA
この小説は連載小説です。毎週金曜日に新しい章が投稿されます。
1部:パストラミ、キャラメルチーズケーキ、とろろそば
1章
例の如くやかましい音を吐き出す、古びたエアコンはその時も、壊れていた。僕とあいつらは揃いも揃って、脂身たっぷりのパストラミ、ジューシーな七面鳥、血のしたたるローストビーフたちのおかげで首が回らない。ヘクターがその月3回目の病欠の電話を入れていたこともあり、マネージャーのアートに僕たちのいたずらはみじんも通用せず、ただミートスライサーに鼻を突っ込むか、真面目に仕事を続けるか、と警告されるばかりだった。
(実はその前日、昼食後に、幾ばくかのいたずら心にかられ、僕はブリスケットの脂身を手のひらほどの大きさに掴み取ると、2メートル先にあるベジタリアンスープの寸胴めがけて、マイケル・ジョーダンも脱帽の、流麗なるフェイドアウェイ・ジャンプシュートを披露したのだった。同僚から賞賛のハイタッチと歓声を浴びたあと、ある稀有な感覚を覚えるに至る。そのとき、きっと「知らぬが仏」という言葉は、飲食店従業員の類により説かれた叡智なのであろうと気づいた)
時は、1998年、夏。シカゴの町は、数ヶ月前に成し遂げられた、シカゴ・ブルズによる3度連続のNBA優勝の栄光に酔いしれていた。バスケ、そして、ブルズに人生を捧げる僕も、当然、例外ではなかった。
1970年生まれの僕は、その物語の頃、28歳であった。18の時、大学の英文学教師の手ほどきのもと、無事に童貞を卒業した快挙を除けば、この優勝ラッシュと、マイケル・ジョーダンによる絵に描いたように完璧な勝利(つまり、試合の最後の数秒の、彼による、NBA最後のシュート)は、現在にまで色濃く残る、最も輝かしい記憶だ。
ユダヤ系のバーニーズ・デリは1960年代初頭にシカゴ・ダウンタウンの北の方で営業を開始した、シカゴを代表するデリだ。店内の様子は20数年前からほとんど変わっておらず、これはおおよそ、バーニーとアデル・リープスカーズの言う「お店本来の魅力を保つ」ためというよりも、彼らの安さ志向から来た結果だろう。
何はともあれ、バーニーには、マーケティングと売り込みの天賦の才能が備わっていることは否定できない。あと数時間で始まる、かの有名な“60秒でなければタダ”ランチキャンペーンがいい例だ。
安物の、火の灯っていない葉巻を口にくわえ、たぷついたお腹の上に汚れきったエプロンをぶら下げたバーニーは、正午きっかりに、首に4つのストップウォッチをぶら下げて、デリのカウンターを飛び出す。店に足を踏み入れる客の腕をがしりと掴むと、「ご婦人は3番ラインへどうぞ…そちらの殿方は2番ラインですね…さあ、ご注文を声高に…よーい、開始」
例えば、もし初心者が「七面鳥サンドを」といったミスを犯せば、バーニーがすっ飛んで来て、その客の鼻先まで詰め寄り「ライ麦パン、カイザーロール、オニオンロールがございますが…?」と圧力をかける。恐れおののいた客が答えると、バーニーがまたも吠える。「マヨネーズはどうなさいますか?」締めには「お持ち帰りですか?それともここで?とんま様」が炸裂。
時に、これで済まないことすらある。
「お客様、次に当店にお越しになられる際には、二階のイタリア人によく聞こえる大声で、<カイザーロールの七面鳥サンド マヨネーズ付きのテイクアウトで>とご注文いただけますでしょうか。さもなければ、そのみっともないケツを外まで放り投げてしまいますので。…おわかりいただけましたか?」
常連客からの歓声や笑い声に圧倒され、哀れなお客さんは、大抵、かぼそい笑みを必死でつくる。(十中八九、あとになって友達をつれてきては、数年に渡って、バーニーズ・デリでの失敗談を話のネタにするんだ)
バーニーは、脚光をあびる自分に酔いしれながら、さすが大衆の扱い方を心得ているもので、カウンターの向こう側にいる僕たちサンドイッチ係に「お前ら、スピードを上げろ!72秒はアホみたいにノロイぞ!」 とげきを飛ばす。
かと思うと、客の背中をいきなりドンと叩き、驚いたその顔めがけて「お客さん、今日はついてるね。お、ひょっとして昨晩は上物を“ひっかけた”かな?よし、これはうちからのおごりだ」と言ってみせることも。
ただし、僕たちには「あいつの顔を覚えとけ、次は2倍搾り取るんだ。職場が潰れて欲しくなかったら、回れ右して、その贅肉だらけの図体を動かしやがれ」
実際、ほとんど実行されなかったけど。
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