突然始まるB級ホラー
———年を食うってことは、それだけ長くこの世界を観てくる、ということである。
つまりそれだけ、物事を“常識に”落とし込んで考えるようになる、ということでもある。
それにどれほど鮮烈な感覚であっても、時間が経てば所詮は夢と区別つかない記憶になるわけで。
曰く、したたか酒を飲んで酩酊した俺は、ワケのわからん虚妄に取り憑かれておったのだろう、と。
酒を飲んだ記憶も、いま別に酔い覚めの感覚もねえけど、そういうことなのだろう、と。
とまあ、自分の部屋を眺めてるうちに余韻も冷めて、俺は諸々の矛盾を全部棚上げして無理やり納得していた。
というより納得していたかった。
飲み屋に入ったと思ったら教団本部に召喚され、用事があるなら済ませきてねと家に送還される。
そんな狂気の妄想、ネタとして消費するには酒を入れてもなお重い。
でもただ一つ、どうしても付きまとう問題が俺を蝕んでいた。
えーと、スマホスマホ……。
……。
ない。あれはカバンに入れてる。
あー、カバンカバンっと。
…………。
カバンがない。
この八畳の部屋のどこにもない。
床をトランスしたエクソシストのごとく這いずり回っても、ベッドの端に頭抱えて座り込んでも、ない。ないったらない。
酔っぱらって落としたのか? いや、流石にカバン落とすなんて。だとしたらあのガード下の店か?
あーもー、なんならマジで教団とのやり取りが現実であって欲しかった。
もしそうなら、カバンはたぶん、あそこの「赤絨毯の間」にある。
もっかいお呼びするとか言ってたし、そしたら取りに行けるのに。
どうしよう。どんなに必死こいて記憶を引っ張り出しても、リフレインするのが新世界に巣食ってた教団本部って一体どういうことだよ。
飲み屋の引き戸を開けた直後からの脳内メモリが連中に占拠されてる。
強烈だ。強烈すぎて、一向にあの妄想を振り払えない……!
……妄想、っていうか。うーん。
そう片付けるには、感覚がリアルすぎる気もするなあ。
ひんやりした空気、耳に残る声、なんとも言えない湿気た匂い、あとは手アセとか。
オッサンは凄絶にコワかったけど、あの赤髪の娘はえらいカワイかったしなあ。
そんな娘に、どういうわけか大層な信頼を寄せられてたっぽいし……。
……。
また会いたいなー。
…………。
………………。
っあああああああああ!!(自己嫌悪)
とにかく! ここでうだうだ、非現実的な可能性に望みをかけててもしょうがない。
交番に行くか、また東京に戻ってあの店に行くなりした方がよっぽど良いだろう。そうしよう。
出かけることを決めた俺は立ち上がる。立ち上がって、腹が減ってることに気づく。
なんか、キャラメルでも食ってくか。えーと、座卓ん下に……。お、あった。
……?
モノ、食ってないのか、俺?
や、それに、いま何時よ?
「え……」
今更だけど、左手にしてる腕時計を見て、思わず声が出る。
会社から直帰したって1時間はかかるのに、これだとどう見積もっても、5分か10分そこらで家に帰ったことになる。
はは……。
そりゃまあ、時計だって、毎日毎日ぐるぐる回ってりゃ、たまには休みたくなる時もあるって……。
自分で考えといてアレだけど、当然そんな、どっかの泳ぐタイヤキみたいな理由で納得できるハズ無く。
知らず知らず、俺はリモコン握ってテレビをつけてる。
『さーいよいよ運命の一戦が始まりますねえ』
『代表戦、15分後にキックオフです』
「ホゥ……」
一拍置いて、背中にザワッと戦慄が走る。
やめて。そんなお気楽呑気に実況中継しないで。もう全身ザワザワですよ。俺もはや余すとこなくチキン肌なワケですよ。
今目の前の薄型32インチが映し出している代表戦は、直帰すると途中で始まっちゃうから。
———だから、あのガード下の店、「新世界」で、見て帰ろうと、思ってたんだ。
———。
そうだ、俺は、
最初は何かの企画だと思ったし、
家にいてからは酩酊しながら見た夢ってことで、常識的に納得しようとしてきたけど。
(言動はともかく)彼らのやらかしたことをそのまま受け入れる方が、
矛盾なく様々な事実を説明できる……。
カバンがないことも、腹が鳴ることも、家で見れるはずのなかった代表戦を、現在進行形でウチのテレビが中継しちゃってることも。
……え、それって結局、俺マジな新世界に行ってたってこと?
呆然とテレビつけっぱなしにしたまま、俺は立ち尽くす。部屋の真ん中で良い年(20代も半ば)した男が、キャラメル詰まった袋片手に顔面蒼白で立ち尽くしてるって、なかなかシュールな絵面だけど、案外そんなもんよ、ホラーって。
人の話聞いてる分には笑ってられるところがあるけど、いざ我が身に降り掛かると思考止まるんだなー。
試合開始までの尺を埋めるため、ハイテンションを突き抜け人類の野生までをも体現した芸人が、血走った眼で日本語かも怪しい雄叫びと共に麻婆豆腐をキメるCMが始まる。
テレビCMってのは非日常を演出して、消費者の購買意欲をかき立てることを目的とした映像広告なんだけども、思考が浮いてる状態で見ると、逆にそれが世界の日常に見えてくる。
ということを、俺は今、知った。
———。
不意に。
あたりが静かになる。
ついでに周りも薄暗くなる。
壁だ。
俺の目の前に、古ぼけた石の壁がある。この壁は……。
(見覚えが、ある)
ぼんやりと辺りを照らす黄色い灯光。
喧噪から遠く離れた静寂。
俺の背後で存在感を主張する、やたらハイな気配。
なんて詩的に状況をまとめてる場合じゃねえ。
もしかして、いやもしかしなくても、これは。
おそるおそる振り返ると、
真後ろに、
超ニコニコ面で俺を見ている赤髪娘が……!
「うぎゃあああああああああ!!?」
「ええええええええ!??」
絶叫、俺。心外、娘。
舞台は再び、赤絨毯の間へと移った。