残業はファラオの棺の似合う部屋で
まだ仕事終わってねェーッ!!
ねェーッ!
ねーッ!
ェーッ……。
週の半ばの水曜、石造りの窓もねえ部屋の壁際で、カベとお見合いして胡座かいてる俺の叫び声が反響する。
ラップトップのキーボードを叩いていたはずの手で虚空を握りしめ、俺は慟哭を込めて強く強く冷たい石の床を叩きつける。べちっ。超いてぇ。
見回してもあるのは灯り用のローソク(?)だけ、壁の高いところに点々と。
座卓なし。
絨毯なし。
扇風機もテレビもエアコンもなし。
というかまず風呂・トイレ・窓なし。
そんな、石造りの寒々とした物件。
デカイ建物の一室だから、外の光は全然入ってこない。それでもローソク(仮)の輝度が凄まじいらしく、手元が見えるくらいの明るさはある。
ファラオの棺でも置いといたら似合う部屋。俺が不動産屋ならそう紹介する。
ずいぶん変わったお住まいですねって? そりゃそうだ。なんたってここは俺の部屋じゃないからな!
じゃあどこかっていうとだな、たぶんもうじき、マメとパンをつつきあった住人Aが来るから……。
「あ、やっぱり来てましたか」
少し高めの声が淡々と響いて、この部屋に一つだけ設けられた出入り口———つっても長方形に壁を切り抜いただけで扉もなんもないけど———から14、5歳くらいの小柄な少年がひょこっと顔を出した。
線の細い中性的な相貌と、狼みたいに細かくフワフワした灰色の短髪をフードに収め、少年はどことなく澄んだ灰色の瞳をこちらに向ける。
いつも通りの澄ましたような表情だけど、斜に構えた生意気さよりも、その無垢な瞳にハスキー的な大型犬のイメージがダブるせいで言葉にし難い愛嬌が漂っている。要は一生懸命大人に合わせようとしてる子供って感じがするのだ。
灰色ばっかで日本人らしくないって? まだまだ序の口。出で立ちもずいぶん違う。
スウェットの短パンに白のTシャツの俺に対して、彼はフードひっかぶった修道士みたいな、飾りっけのない灰色のローブを着てる。
この石室において場違いなのは俺の方だけど、当人としては自室で部屋着着てただけですから。マットレスやら人をダメにするソファーやらに沈む現代人が想定すべくもない冷たく硬い石の床のせいで、もうあちこち痛いですから。
それでもなお床に座り込み続ける俺に向かって、少年はフードを脱ぎ、外の廊下からなるたけ鷹揚に、部屋の中を歩いてくる。
本人は堂々とした雰囲気を醸してるつもりだろうけれど、憚らずにいえば、「てしっ、てしっ」という擬音が一番しっくりくる。いかんせん“カワイイ系”の方に針が振れたタイプなんだが言うと嫌がられる。
俺は座ったまま、顔を左にして彼の方に目を向ける。
真顔ながらも灰色の瞳で不憫そうに俺を見下ろす彼に、聞くまでもない気がするけれど聞いておく。
「ラフロイグくん。これはやっぱり、あの娘が俺を喚び出したってことなのかな?」
「それが最も妥当な線ですね。そろそろ来るんじゃないですか」
言い終えて女顔の少年—ラフロイグは表情を変えず部屋の入り口を見返した。モフモフ灰色の和毛がフワフワ揺れる。
とたん、彼の言葉通り、またもやひょっこりと、灰色フードを被った赤髪の若い娘が入り口から顔を出す。
「あ、発見発見。ここにいたんですね」
ラフロイグの淡々とした喋り方とは逆に、抑揚のはっきりした声。
肩のあたりまで伸ばした時々テンパの赤い髪、あどけない面差しに、いつでもニコニコ、楽しそうな笑顔をコンバインして、丸い金色の瞳が人懐こい印象を与える娘。見た目は17、8歳くらい。
スラリと高い、170行くか行かないかくらいの身長も相まって、お姉さんと呼んでも差し支えない雰囲気を覗かせてはいる。が、キャラはラフロイグと対照的で、表情は豊か、声だけでなく動作も大きくせわしない。
「私、結構探しましたよー。ほんと」
語尾に音符でもついてそうなテンションで、彼女は人を喚び出しておきながらその場所が分からないという重大な欠陥を暴露する。
俺はそのうち燃え盛る溶鉱炉とかに突っ込まれるんじゃないか、と思えてならないから、この案件はぜひ顧客の意向を汲み上げて早々に改善へ向け取り組んでほしい。
ただ、それも大事だが、より急を要する案件がある。
ラフロイグと同じカッコウの娘が、フードを外しながら意気揚々と部屋に入ってきて彼の横に並んだ。横に並ぶと、ラフロイグくんよりも頭一つほど背が高いのがよくわかる。
そんな彼女だから、座ってる俺に話しかける時は少し身をかがめて、まるい金色の瞳で顔を覗き込む。今日は鮮やかに赤い髪の毛が、シャーペン一本ぶんくらい先で揺れる。
そうなのだ。この娘はどうも人と対話する時の物理的な距離が近いのだ。そうして顔を近づけて、言う。
「さあ、今日も張り切って、世界を救いに行きましょう!」
「ごめんあと2日待って。つか今すぐ帰して。今日中に片付けにゃならん案件があるから」
「えー!? あれからえーと、……みっか?(小声) そう、3日! ———も経ってるのにですか?」
俺の発言を受けて大げさに体を起こした彼女は、指折り日を数えて見るからに残念そうな顔をした。
それは毎日仕事に追われている俺に向けられた同情なのか、はたまたいつまでたっても仕事が片付かない俺に対する憐憫ライクな感情なのか、定かではない。この娘の性格的には前者だと信じたい。
まあどちらであれ勘弁してほしい。そんな俺の気持ちを汲み取ったのか、ラフロイグが「エーテルさん」と彼女に呼びかけて、一瞬間の空いたやりとりに口を挟んだ。
「山田さんもあちらの世界でやるべきことがあるわけですから、無理強いは禁物ですよ」
「うー……」
ラフロイグに諭され、しばらくは悲しそうな顔で俯いていた彼女—エーテルだった。が、「はあ」と一つため息をつくと、とたんに眉根に力を入れた顔つきで俺に言い放った(こういうところ、よくよく喜怒哀楽がはっきりしている娘だな、と俺は思う)。
「わかりました。2日ですね! お待ちしてますよ!」
「あいあいまーむ……」
俺が気の緩む返事をした瞬間、視界が白くぼやけていく。彼らのいる異世界から、俺が元いた世界、そう、千葉の自室に戻るのだ。
視界が完全にホワイトアウトする直前、明らかに納得いってなさそうな赤髪娘・エーテルと、「あーあ……」と言わんばかりのモフモフ少年・ラフロイグの顔がやけに印象的だった。
なんでこんなことに、と思いかけたが、全ては5日前の金曜日、俺のしょーもない見栄が元凶だった。