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ワルツが終わったら

ワルツが終わったら


幼いころの話だ。バレエなんて観たって分かりゃあしないのに、俺の母親たちは子供を連れて劇場に足を運んだ。貴族の見栄って奴だ。高尚な精神など持っていないくせに、やたらと美しいものを見たがるし、欲しがる。

まあ、彼女たちにとって、それは建前でしかなかった。観劇は子供たちの教養を高めるという名目のもと、ひそかに迷子のツバメを探すために行われていたのだ。美しいが、身分は自分達よりも低い、若い貴族が一番いい。

彼女たちが反対側のシートに座る男を見定めているさなか、俺はむしゃぶりつくように舞台の上を眺めていた。

純粋に面白かった。白いチュチュがひらひら空を舞ったかと思うと、今度は黒い羽を広げて官能的に踊り子が足を上げる。芸術に意味はないが、だからこそ美しいのだろう。意味や理由を発見しようと目をこらしても、そこに真実はない。彼女たちが男を求めるのと本質的には一緒だ。退屈をまぎらわせる最もいい方法は、なんの役にも立たない、美しいだけの存在を愛することである。

「どうしてあの女の人は、白くなったり黒くなったりするんだろう」

 隣から小さな声がした。見ると、俺よりも頭一つ分小さな男の子が、椅子に埋もれるように座っていた。その子は俺より三つ下だったから、足元もまだまだ覚束ないし、劇の内容もまるで分かっていないようだった。

 俺は説明してやった。

「あの二人は一心同体なんだよ。だから、同じ人間が演じなくちゃいけないんだ」

 彼はよく分からなかったのか、一つうなずくと、ぼんやりと舞台上を見つめるだけだった。

当時彼が気づいていたかどうか分からなかったが、俺の右隣に座った母親はしきりに腕を組んでみたり、髪をかきあげたりしていた。ああ、きっとあのボックスにいる金髪の男だろう。そうやって彼女が秋波を送るのを、目の端っこで捉えながら、この生き物はなんて醜いのだろうと思った。同じ女なのに、舞台上の踊り子とは大違いだ。

 オデットと王子が舞台から消えたあと、再び彼が話しかけてきた。

「ねえ、エリック。二人はなんで死んじゃったんだろう」

 白鳥のまんまで、王子と一緒にいたら良かったのに。まだ小さい彼が内容をちゃんと理解していたことを、俺は嬉しく思った。

「ウィルはいい子だな」

「質問に答えてよ」

あんまりにも不思議そうにしているので、教えてやることにする。

「分かっているだろうけれど、王子は身分の高い人間なんだよ、ウィル。ただの鳥と、一緒になれるわけがないだろう?」

 彼は答えに納得したらしく、それ以上は聞いてこなかった。

自分がどういう身分なのか、こんなに小さな子供でも理解しているのに、女ときたら、身の程をわきまえることを知らない。拍手が鳴りやんで、みんなが席から立ち始めたが早いか、一目散に男に群がっていく。美しい男女の愛なんて、きっと舞台の上にしかないのだろう。

劇場の外に出て、迎えの馬車を待つあいだに、ふと疑問が降ってきた。

なんで王子はわざわざオデットを選んでしまったのだろう。オディールに一生だまされていれば幸せだったろうに、と。




























「それはやりたくない」

真向かいに座った魔法使いが、コーヒーをすすった。横に座った女が、きょとんとした顔で「どうしてですか」と聞きたかったことを言ってくれた。

「家計に大助かりですよ」

「それでも、嫌だな。だって絶対、ろくなことにならないよ、ぼくには分かる」

「俺も貴族のはしくれですし、金はあります。反動の話も、承知しています。自分で言うのもおかしな話かもしれませんが、依頼者として充分に適していると思いますが?」

 そう意思表示をするが、目をそらされてしまった。魔法使いというから、気難しい奴だろうと腹をくくってはいたが、これは予想以上に手こずりそうだ。

 あらためて不機嫌そうな彼を見ると、想像していたよりも、ずいぶんと普通の男だと思った。貴族的な気取った雰囲気も、平民のような泥臭さもない。ただ、煮詰めた蜂蜜のような瞳が異様に魅力的だった。あえて言うと、好みの顔だ。

「こら、変なことを考えないでくれよ。ぼくはそういう趣味にケチをつけるつもりはないけどね、自分からそっちに行こうとは思っていない」

 じろじろ見すぎたのか、嫌そうな顔をされる。

「これは申しわけない……ただ一つ言っておくと、俺は美しいものに分けへだてなく、接したいだけなんです」

 ほほえみながら謝ると「美しいものねえ」とうろん気に見られた。

「彼女も美しい。まるで、天使が間違って地上に落ちてきてしまったみたいだ」

「ちょっと、この子に変な気を起こしたら承知しないからね」

「分かっていますよ。お似合いの恋人どうしに水を差すような真似はしません」

 両手をあげて弁明する。彼はイライラしたように「それで、君の願い事の話だけど」と話題を戻した。

「どうして叶える気にならないのか、説明してもらってもよろしいですか?」

 たずねると、彼は顔をしかめた。

「あのさ、単純に君のその願い事って誰も幸せにならないし、無意味だと思わないかい。それどころか、みんなそろって不幸のどん底になる可能性のほうが高い。それが、叶える気にならない理由といえば理由だな」

「無意味な願い事なんて、そんなことはありません。少なくとも、俺はこれで満足できる」

「満足できるって、そんな願い事でかい。分からないなあ、なんでそんなことをする気になったんだろう」

 心底不思議そうな顔をされたので、苦笑する。

「そうですね……たぶん、大人になったからですね」

 これは本当だった。気持ちを受けいれられるだけの大人になり、夢見ているだけではいられなくなったのだ。俺達は大人になり、だけれども俺のほうが、少しだけ夢見がちだったのだ。

 魔法使いは苦々しい表情で「大人ねえ」と呟いた。

「子供に許されるのが夢を見ることなのだとしたら、大人に許されているのは、すべて諦めて現実に戻ることだ。苦しいだけの悪夢だと分かっていても、夢を見続ける大人は、悪いけど、狂っているんだよ」

 諭すような言葉に納得する。まさに俺の願い事は、まともな人間が思う悪夢そのものなのだろう。

「ええ、まったくそのとおりです。俺は、狂っているんだと思います。狂っていることを、自分で楽しんでいるんです」

「恋に狂っているって? 陳腐だなあ」

隣の女が口を開いた。

「恋に狂う、ということは、その願い事はやはり、恋愛の成就のために行うのですか?」

「いえ、違いますよ。成就なんて、望めません。ただ俺は、その立場になりたいんです。今の俺には、絶対に不可能な、恋い焦がれられる立場に。もしそんな体験が一瞬でもできたなら、死んでもいいと思っています」

 彼女は発言の意味をいまいち掴みかねたのか、考えこんでしまった。

「キルケ、こんな奴の言うことなんて、深く考えなくていいよ。ようは、耐えられなくなってしまったわけだろう、今の状況に」

「そうかもしれませんね」

 脳裏で顔を思い浮かべる。すると、胸に沸くのは、どうしようもない感情だった。この気持ちの名前はなにかと考え続けて、教会の懺悔室で告白をすると、その愛は偽りだから忘れなさいと諭された。だが、これが偽りの愛ならば、親兄弟にも、女にも心を動かされない俺の人生は、もはや、そんなものが存在しないことになる。

 存在しないのならば、偽物でもあったほうがいいだろうと考えて、決心するに至ったのだ。たとえ、たくさんの人を裏切ることになるのだとしても、そうしなければ、俺の人生は灰色のままで終わってしまうと思った。

「ぼくは君の恋の相手に関して、よく知っているけれど。なんの解決にもならないと思うよ? この願い事だと、君は大事なものを一切失うけれど、それでも彼の気持ちが手に入るわけじゃない。それなら、まだ向こうの気持ちをいじったほうがいいと思うけど」

「それでは、だめなんです。俺は、彼の親友であるという立場を失いたくないし、失わせたくない」

「意味が分からないなあ」

「それくらい好きなんですよ、あくまで彼を傷つけないように、俺は満足したいんです」

「傷つけたくないようには、全然見えないけど」

「なにも知らないままなら、傷つくことはないでしょう? いいんです、俺はこれで納得できるので」

 言葉尻を強くすると、大きな溜息を吐かれた。

「言っておくけれど、反動は大きいと思うよ。君の願い事って、ある意味では他人を殺すわけだし、たぶん大事なものを無くすか、失うかするんじゃないかな」

 折れる気になったようだ。こぼれる笑みを抑えきれないまま、意気ごむ。

「覚悟はできています」

「分かっているならいいけどさ……それじゃあ、そのペンダントを代金として貰おうかな」

「これですか」

首元のペンダントを持ちあげる。これは母の形見で、大きなエメラルドに職人の細工がほどこされた逸品だ。金にしようと思えば、小さな屋敷が一軒たつくらいの価値になる。俺をかわいがっていた母親は、三人の姉をさしおいて、これを俺に渡した。最後の言葉を思い出す。ああ、いとしい我が息子。どうか、あなたの人生が幸多きものでありますよう。

「いいでしょう」

 首の後ろに手を回して外し、さしだした。

「もっと、渋ってくれてもいいんだけどね」

彼は舌打ちをしてペンダントを手にとった。これを代償にすれば、ひょっとして、考えなおすきっかけになるかもしれないと思ったのだろう。

「あいにく、宝石には興味がないんです。宝石を形見に残すような定番すぎる行いをしたがる母親にも、ですけれど」

「君に考えなおす気がないってことは、よく理解したよ。はあ、キルケ。これでしばらく食うに困らないね」

「そうですね」

 ペンダントをぶらぶらさせながら、ちっとも嬉しくなさそうに言う。彼女はそれを彼の手から受けとると、傷をつけないように慎重に机の上に置いた。

「あーあ、どうしてこんな願い事するかなあ。本当、正気を疑うよ」

 彼は心底嫌気がさしたようにソファにのけぞり、空っぽになったカップを頭の上にかざした。すかさず女が立ちあがり、おかわりを入れに行った。

「恋をしているときは、誰もが正気ではないと思いますよ」

「そうかもしれないけれど、狂気にみずから走る奴は、もともとおかしい。君はそっちだ」

「そう言われてしまっても仕方がないと思います。ですが、どうしようもないんです。黙って見ているのも嫌だし、だからといって綺麗な記憶のままで終わらせたくもない」

「綺麗なまま、終わらせておけばいいのに。どうせいつか終わるんだから」

 吐き捨てるような言い方に、さっきまでとは違う種類のトゲを感じた。なげやりな、諦めたような台詞だ。

「こんなこと、普通の人間は思いつかない。君はおかしい」

「それは嘘ですね、貴方なら思いつくでしょう……だって、人間には外側と中身があるのですから」

 ふと思いついたことがあったので、あえて挑戦的な口調でそう言ってみる。

「そんなこと、みんな知っているさ。ただ理屈をこねたい奴だけが、魂のありかをうるさく議論するだけだ。外と中が異なるなんて、たびたびにしてある」

「ええ、それはそうですけれど。でも、彼女は少し異なりすぎているのではありませんか」

 彼の目の色が変わったことには気づかないふりをして、言葉を続ける。

「彼女、人間ではありませんよね」

「なにが言いたいのかな」

 固い声色が問う。ひょうひょうとした仮面がとれかけているのに気づき、嬉しくなる。こういう種類の男が、危機感に身を凍らせる瞬間は、たまらなくいい。

「終わらせたことがあるのですか?」

 彼はその質問に黙りこんだ。

かすかに怯えたような気配を察知する。俺にではなく、どこかぼんやりとした過去にだ。彼もまた、俺と同じなのだろうと確信する。

「そりゃあ、あるさ。ぼくは少なくとも、君よりは長く生きているからね」

 ごまかすような台詞に、思わず笑みを浮かべてしまう。

「そうですよね。当たり前すぎることを聞きました。人間はあなたと違って寿命がある。それなら、せめて綺麗な終わりを用意するのでしょう? そうするべきですよね。あなたは、とり残される側なのだから」

 すらすらと喋ると、その顔から血の気が引いた。魔法使いというわりに、人間くさい反応だ。

 女が新しいカップを手に戻ってきた。静まり返った部屋に異変を感じたのか、みずからの主人を見る。

「なにかありましたか」

「いや、べつに。ただ、これから先、どんなにお金に困っても、貴族なんかの願い事は聞かないようにしようと思いなおしていたんだ」

「そうですか。あなたがそう思うなら、私は構いませんが」

彼女はそれ以上詮索しなかったが、俺を見る目つきがどこか冷たく、探るようなものになった。主人になにをしたのか、と疑わしげだ。

「あらためて聞こうか。願い事、本当にそれでいいんだね?」

 何事もなかったかのように話を戻される。

「ええ、もちろん」

 うなずくと「だよね」と返された。

「じゃあ、叶えてあげる。今日が終われば、君は君じゃなくなる。君だった人間は、願い事についてなにもかも忘れて、今までどおりに振るまい始めるから問題ないよ。思う存分、他人の体で生きればいい」

「ありがとうございます」

 心から礼を言ったのだが、ぷいと顔を背けられてしまった。

「ちなみに、そうすると『彼女』はどこに行くんですか?」

 するっとこぼれ出た質問に「聞きたいの?」と聞き返された。

「無くなりはしないよ。どこかに行くだろうね。ぼくにも、心の行き先なんて分からないけれど、どこかへは行く。自我を失うかもしれないし、他の物に宿るかも分からない。ただ一つ言えるのは、もう元の場所には帰れないってことだけ」

「そうですか」

 聞いたことを後悔しているように見えないように、冷静さを押しだして「なるほど」と答えた。もう後戻りはできないのだ。罪悪感なんて、無用でつまらないものを背負うのは止めるべきだ。

 帰るようにうながされたので、支度をして立ちあがる。

「ああ、一つ言っておく」

 玄関口で振りかえると、彼はほほえんでいた。

「王子は願い事を叶えなかったからな」

 キルケ、と女を呼ぶ。

「エリック様をご自宅に戻してあげてください」

その言葉が終わったとほぼ同時に、かき消えたように誰もいなくなった。いつもどおりの自室に、自分だけが立っている。

「叶えなかったのか」

 ひとり言を言いながら、椅子に腰かける。カーテンは閉めたままだ。隙間から昼時の日差しがさしこんで、床に一本の線を作っている。

 どんな願い事だったのかなんて、聞かなくても分かる。どうせ彼女のことだ。そして、それを叶えなかった理由も簡単に察しがついた。世をすねているように見えて、とても綺麗な奴なのだ。

「エリック様、本日のお召し物をお持ちいたしました」

 ひかえめなノックと共に、メイドが声をかけてきた。

「ああ、入ってくれ」

 豪奢な衣装が部屋のすみに用意される。

今日は、舞踏会だ。俺が俺として参加する、最後の舞踏会。そういえば、このあいだ三人で出かけたときから、二人の様子がおかしかったが、どうなったのだろう。

 まあ彼らのことだ。うまく仲直りするだろう。それに、もし今夜ぎくしゃくしているようなら、俺が間に入ってあげればいい。

いつものように、三人ならばうまくいく。

「三人なら、な」

 口に出すと、めまいが起きそうなくらい、ひどい言葉だと思った。

 俺は大馬鹿者だ。何回もくり返した言葉が、胸を裂く。分かっているとも、俺はあの子を今夜殺すのだ。どんな顔をして会えばいい。

紳士ぶって、ノエルの機嫌をとってやる。ウィルはそんな俺たちを見て、複雑そうな、でも幸せそうな顔をする。ノエルは、無邪気を装って笑う。そんな三人を想像し、今夜ですべてが終わることに絶望してみるふりをする。絶望するような、まともな感性があったらよかったのに、と思う。

 悲しいことだと分かっているのに、罪悪感よりも期待が勝る。早く彼に会いたい。一刻も早く、彼にふさわしい自分として。

 椅子の上で足を抱えて、目を閉じる。

 あの日の舞台では、オディールよりオデットのほうが王子を愛しているなんて、誰も言わなかった。でも、分かっていた。言葉にしなくても、物語はすでに決まっている。オディールがどんな悲しい思いをしても、王子とオデットは二人で湖に飛びこむのだ。

 それなら、仕方がないだろう。物語の筋が決まっているなら、仕方がない。

俺がオデットになって、一緒に心中したって、誰も気づかないのだから。












 謁見室には、まったく光が入らない。昼も夜も関係なく、蝋燭の明かりだけが頼りの部屋は、まるで牢獄のような雰囲気だった。

 高いところに置かれた玉座に、老人が座っていた。左脇で、槍をかついだ兵士が一人だけひかえている。

「ひさしいな。本当にそなたはいつまでも若い。うらやましいかぎりだ」

 魔法使いは腕を組んで肩をすくめた。膝を折らない彼を、兵士が怪訝そうに見ている。

「君は老けたね……王の家系っていうのは、あれかい。髪の毛には問題が起きないんだね」

 ふさふさの白い髪を触りながら、王が笑う。

「はは、そうだな。かんむりも風通しがいいし、民のおかげできちんとした食事をとらせてもらっている故かもしれんな」

「じゃあ、その民のためにも、もうちょっと地方に目を光らせるべきかもね。このあいだから、領主をこらしめてくれっていう依頼がちらほらある」

「それは、きちんと対応せねばならんなあ。対策次第では、そなたの力を借りるやもしれん」

「やめておいたほうがいいよ。ぼくは、あんまり君達と関わりたくないんだ」

 一瞬の沈黙が落ちる。王は慈愛に満ちた表情を浮かべ、口を開いた。

「分かっておる。ただ、今回願いたいのは、政治に関わることではない……我が息子についてだ」

 絨毯には玉座から伸びる巨大な影が、ゆらゆら揺らいでいる。

「つい先日、サミュエル家の子女と婚姻を結びたいと打診してきおってな。夢見がちなところがある子だとは思っていたが、まさかあそこまでとは思っておらなんだ」

「まだ若いし、いつか目が覚めるでしょ。放っておいてもいいんじゃないの」

 燭台の模様を眺めながら魔法使いが言うと、王は残念そうに首を振った。

「わしもそう思っておったよ、だが決意が固いようでなあ。もし認めないならば、駆け落ちでもするかという勢いだ」

「じゃあ、認めてあげれば? どっかの王様で、結婚しては離婚して処刑してっていうのを四回もくり返した奴もいたくらいだし、それに比べればマシだよ」

「そなたは、あいかわらず優しいのだな」

「寒気のすることを言うなよ」

 またもや、二人とも口を閉じた。

「親心というものがな、おせっかいにさせるのだ。あの子には、王族としての幸せしか用意してやれん。だからこそ、その限られた範囲では、出来るだけ、わしが助力してやりたいのだ。分かってくれぬか」

「今、べつにお金に困ってないしなあ。このあいだ、すごい稼いだんだ。しばらくは遊んで暮らせる」

「わしも無理には頼めぬがな。だが、そなたも一人ではただの人間だ。それも、分かっておるだろう?」

「君も、そうだろう。どんな人間も、一人ぼっちじゃ、なにもできやしない」

 兵士が槍を床についた音がした。二人の視線がそちらに向き、また戻る。

「なにを叶えてほしいんだい」

 諦めた顔で魔法使いがたずねた。

「よいのか?」

「ぼくは、この件に関してはちょっと責任を感じているから。願い事次第では、叶えてやらなくもない。それに、早く帰りたいんだ。ここにいると気が滅入る」

「そうか、ならば」

 王子を心変わりさせてほしい。王が優しく言った。

 魔法使いはうつむいて、絨毯の毛並みを足で逆だてた。模様が妙な感じになるのを眺め、同じ場所を足で直す。子供のようなことをする彼を、王は黙って見ている。

「なんかさ、嫌になるね」

「申し訳ない」

「思ってもないことを言われるのにも、同じことを、くり返すのにも」

「だが、そなたがそうやって願いを叶えてくれるおかげで、わしたちは人生を豊かにできる。そうだろう? それが、そなたの役割。そなたの仕事なのだから」

「もう、なにも言わなくていい。うんざりだ。早く、言わせるんだ」

 舌打ちをして、黙って立っていた兵士をちらりと見る。

王は軽くうなずくと、耳打ちをした。兵士はとまどうような色を見せたが、すぐに口を開いた。

「ウィル様のサミュエル嬢への好意を消して頂けますでしょうか」

「分かった」と魔法使いが、かすかな声で応えた。


「お待たせ、なにも変なことなかった?」

 謁見室の扉の横で待っていたキルケが「ええ」と答えた。

「庭に鳥が集まっていたので、観察しながらお待ちしておりました」

 吹きぬけになった二階の廊下からは、庭が見おろせる。彼女がのぞきこむ先には、緑の芝を飛びはねながら、さえずっている小鳥たちがいた。

「鳥かあ、なんだか見ていると、お腹がすくね」

「食用には不向きだと思いますが、捕まえてきましょうか?」

 真面目な顔で言うので「止めてくれ」と笑う。

「鳥はお嫌いですか」

「違うよ。でも、肉と魚なら、魚のほうが好きかな」

「では今日の晩御飯も、お魚ですね」

 そうやって見ていると、庭に男が入ってきた。まだあどけなさの残る顔をしていて、素朴な恰好をしているが、立ち居振るまいがどこか洗練されている。

彼はきょろきょろと周囲を見渡している。やがて、もう一人男がやってきた。頭にスカーフをまいた女性の手をひき、待っていた男に手を振った。庭の垣根に隠れた三人は、顔を見あわせて笑っている。

「キルケ、行こう」

「はい」

 魔法使いがきびすを返した。

 キルケが最後にもう一度、庭を見てみると、もはやそこには三人の姿も、鳥の影もなかった。

















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