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君とワルツを3


 ノエル、と声をかけると、彼女は肩をびくつかせて、振りむいた。

今日はピンク色のドレスを着て、前よりも高いヒールの靴を履いている。結いあげた髪がうなじに落ちて、大人びて見えた。

綺麗だとほめると、彼女は心ここにあらずといった様子で、礼を言った。

「あの、ウィル様」

 なにか言いたそうに、口をもごもごさせている姿を横目で見ながら、用意されていたクッキーを手にとる。

「なあ、これ美味そうじゃないか」

 上に黄色いジャムが乗ったクッキーを口に放りこむ。しっとりした生地にあまずっぱい味が絡んでうまい。

皿をさしだすと、とまどった様子で受けとられる。

もそもそ食べる彼女を眺めながら「今日も派手だな」と話しかける。

みんな飽きもせずくるくると踊り続け、曲が終われば、結びついていた糸が切れたように相手と離れる。そして次の曲に移れば、他の誰かと体を寄せあう。心から踊りを楽しむ者なんてほとんどいない。ただひたすらに、これが自分達の義務だとステップを踏み、ほほんでみせる。貴族はそれが仕事だから。

 ウィル様、と呼びかけられた。怯えたような目をしながらも、意を決したように口を開く。

「この間は、たいへん申しわけございませんでした。あんな口をきいて……罰を受けても、受け足りないと思います」

 震える言葉に、黙って耳をかたむける。

「私、おごっていたんです。たいした身分でもないのに、ウィル様とエリック様に良くしていただいて……それで、お恥ずかしいことに、舞いあがっていたんです」

 不躾な視線が、様子のおかしい彼女を眺めまわしている。王子を前になにをしているんだろう、あの娘は。その視線の中に、サミュエル氏の顔も見えた。心配と計算が入りまじった目は、娘には決して近づかない。

「ノエル」

「もう二度と、あのような粗相はしないとお約束いたします。ですから、どうか父には……父にはご容赦願えませんか」

目尻がきらきら光っているのが見えた。王族に対する不敬は、そのまま家に帰ってくる。ようやっと社交界に乗りあげた船が沈められてはたまらないと、父上に相当言いふくめられたのだろう。あのときの魔法使いの言葉を思い出す。貴族の女は、それをしなくてはいけないのだ。自分のために、家族のために。生き残るために。

「なあ、ノエル。よかったら踊らないか」

 ちょうど曲の切れ目にさしかかったので、そう言って腕をさしだす。俺に話しかけようとしている他の女達が、彼女を睨んでいる。

「まえからノエルと踊ってみたかったんだが、誘う勇気がどうしても出なかったんだ」

 彼女は目を見開いて言葉を探していたが、そっと腕を組んできた。

「怒っておられないのですか……?」

 ホールの中心に向かって歩を進めていくと、そう問われた。

 その怯えっぷりに思わず笑ってしまう。なぜ笑うんですか、と一瞬いつものように頬を膨らませ、慌ててその表情をとり消した。

「エリックがな、今度はうまくやるって言っていたよ」

「うまくやるって、なにをですか」

「衛兵から逃げおおせることさ」

 ホールの中心についた。シャンデリアのちょうど真下だ。見上げると、花が咲くようにいくつもの水晶が輝いている。彼女の正面に立ち、腰を抱く。細く頼りないように見えて、しゃんと立っている。

「じゃあ、私も今度捕まりそうになってしまったら、ウィル様より先にエリック様にお声をかけられるようにしなきゃ」

 胸元でそうささやき、小さく笑う。

「エリック様ったら、のんびりしていらっしゃるから」

「違いない」

 曲が静かに始まったので、共に足を踏みだす。彼女は前の舞踏会のときよりも落ちついて踊っている。繋いだ手が温かい。ターンをすると、会場の端に立っているエリックと目があった。きざったらしいウィンクをされたので、俺も返してやる。

「ウィル様は、お優しいですね」

「そんなことはない。俺は我儘だし、物の分かっていない大馬鹿者だ。ただ、それでも今はこうしていたいから」

 彼女は俺を見上げて「私も馬鹿ですね」と言った。桃色の唇が、わずかに弧を描いているのに見惚れる。

「ああ、馬鹿者どうし踊ろうじゃないか」

 彼女がエリックを好きだとしても、いつか近い未来に、この恋が終わってしまうのだとしても、今はただ、この気持ちを信じることしかできない。美しくない終わりを迎えるのだとしても、これが俺にできる唯一のことだから。

曲が静かに終わる。彼女に礼をしたあと、すかさずその手をとった。

「もう一曲踊ろう」

 ノエルは喜んで、と手を握りかえした。






 目を開くと、頭上いっぱいに星がまたたいていました。間違ってこぼしてしまったと思われるくらい、大量の星くずたちです。

ああ、ここは彼の部屋だと思いあたりました。

「お、やっと起きた」

 部屋の向こう側で書きものをしていたらしい彼が近づいてきました。

「腕と足と、ああ、首もとれちゃったから、直しておくついでに、補強しておいたよ」

「了解しました」

 そう答えたあとに、記憶が途切れていると気づきました。たしか、王子と交渉しているところに居あわせていたはずなのですが。

そのことについて聞いてみると、彼は「いやあ、びっくりしたよね」と笑いました。

「まさか王子を殺そうとするとは」

「殺そうとしたって、私がですか」

 まったく記憶がなかったので、驚いて聞きかえします。誰かを手にかけようなどとは、思ったこともないのですが。

「うん、君が」

「あまり覚えていません」

 記憶がぽっかり抜けているようだと伝えると、「まあ、怒っているときって、そうなりがちだから」と言われました。信じがたいことですが、彼がそう言うのならば、本当なのでしょう。

「ウィル王子にお怪我はありませんでしたか」

心配になってたずねると「大丈夫だよ」と肩を叩かれました。

「王子は結局、なんの願い事もせずに帰っちゃった。夕飯だけ食べといて、王族のくせに意地汚いよね」

 彼は私が横たわっているベッドに腰かけ、肩をすくめました。

「あいかわらず家計は火の車だし、どっかにお金持ちが転がっていないかなあ」

「貴族に絞って探してはいかがですか」

「うーん、そうしなきゃいけないみたいだなあ。正直、ああいう連中とは関わりたくないんだけどね。貴族ってやつは、まったくもって自分勝手なんだから」

「ですが、ウィル様のことは、気に入っていらっしゃるんですよね」

「そうだねえ。気に入っているというか、尊敬するよ。ぼくには、できないことをしたからね」

「なにをですか?」

 彼は黙ったまま、ぱたんとベッドに倒れこみました。頭がちょうどよく、太ももに当たったので、体を起こしてその顔にかかった前髪を払いました。

「眠くなったのですか」

「ううん。ただちょっと、疲れたんだ」

「そうですか」

 天井は夜をそのまま映しだしています。「綺麗ですね」と感想をもらしますと、彼は「もう見飽きちゃったよ」とあくびをしました。

「私、怒っていたんですね」

「うん、そうだね」

「なにに怒っていたんでしょう。自分の感情なのによく分かりません」

「そんなもんだよ。人間だって分かっていないんだから、人形には、なおさら分からないだろう」

「でもこれでは『怒り』というものの解析が難しいですね。もう二度と、このようなことが起こらないようにしないといけないのですが」

「じゃあ早くキルケが怒れるように、明日の仕事はサボることにしようかな」

「それはダメです」

 彼の頭から足を引きぬき、ベッドから降ります。

「まだ、ここにいなよ」

「しかし」

「ちゃんと仕事するからさ。ね?」

 念押しされたので、仕方なく戻ります。彼は腕を首の後ろで組んで、なにやら考えごとをしているようです。

「王子は、お好きな方を諦めてしまったのでしょうか」

 ふと思い立ってたずねます。どうやら眠くなってきたのか、答えまで間が空きます。

「折りあいはついたんじゃないかな」

「折りあいですか」

 もっと詳しく伺いたかったのですが、寝息が聞こえてきたので質問は胸にとどめることにします。自室に戻ろうかと考えていますと、手がワンピースのすそを掴みました。仕方がないので、私も横になります。

 星を数え続けていると、名前を呼ばれた気がしました。横を見ると、眠たげな瞳がこちらを見ています。

なにか言おうかと口を開くと、ためらったように唇を結びます。

「どうかいたしましたか」

 様子がおかしいと思い、体を起こそうとします。すると腰に腕が回され、引き寄せられました。

鼓動が聞こえますが、体温はまったく感じません。冷たいものどうしなので、まるで温まらないのです。それでもぎゅっと頭を抱きしめられていると、安心する気がします。

しばらくじっとしていると、私もなんだか眠くなってきました。たまには人形が眠ったとしても、バチは当たらないでしょう。目を閉じて、意識を手放そうとします。

 見るはずのない夢の中で、誰かが私に「ごめんね」と言いました。


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