君とワルツを1
君とワルツを
見渡すかぎりブスばかりだった。今日は信じられないくらい酷い。右を見ればピンクのフリルで着飾った豚。左を見れば下品な宝石をぶら下げた骸骨。なぜこの世はこんなにも不細工ばかりなのだろう。
ひょっとすると、城下町ではこんな酷いことにはなっていないのかもしれない。女たちは分不相応に飾りたてないだろうし、嫌な臭いのする、おしろいを顔に塗りたくってもいないだろう。金は便利だが、美しさの観点からは邪魔なものなのかもしれない。
そんなことを考えながらホールのすみに突っ立っていると、肩をこづかれた。
「ウィル、飲まないのか」
幼馴染のエリックだった。目を疑うような緑色の毛皮を着た女を横につれて、グラスをくゆらせている。
「そんな退屈そうな顔をしていないで、もっと飲んだほうがいい。なんでも、今日この日の為に開けた年代物だそうじゃないか」
「ふん、そんなことを言いだしたら『今日この日』だらけで大変なことになる。この間は叔父上の叙勲記念式典、その前は兄上の誕生日、そのまた前は」
「おまえの誕生日」
「ああ、そうさ。毎日めでたいことばかりで、うんざりする」
ぶつくさ言いながら、給仕を呼び止めてワインをもらう。まあまあうまいが、格段に素晴らしいとは思えない。王室で好まれる、ただひたすらに高くてうんちくを語るためだけの酒だ。
「俺はやっぱりいい」
グラスを押しやると、エリックもそのまま隣の女に渡した。彼女がそれをあおると、縁に赤い口紅がべっとりと付いた。
これ以上むごい顔面を見ていたくなかったので、離れようとすると、呼び止められてしまった。
「ちょっと待て。ウィル、おまえ今日おかしいぞ」
「どこが」
彼はわざとらしい溜息を吐いて、女に話しかけた。
「なあ、マリ―。ちょっと男同士の話しあいをしなくてはいけないみたいなんだ」
茶目っ気全開の言葉に「あら、そうなの?」とクスクス笑う。
「だから君はちょっとばかし、あそこのチョコレートの味見をしていてくれるかな。ちなみに俺のおすすめは、右から三番目のナッツが乗っているやつだからね」
「分かったわ。いい子で待ってる」
扇子をひらひらとさせながら、女は向こうへ去っていった。
「よし、行こう」
背中を見届けたあと、エリックは俺をバルコニーに誘った。文句を言っても聞きやしないので、しぶしぶ後をついていく。
外に出るとすっかり夜がふけていた。階下に見える湖に月が沈み、遠くの森から獣の鳴き声が聞こえる。風の音が聞こえるくらいの静けさにほっとする。
「それで、どうしたんだ」
彼が真面目な顔で口を開いた。
「どうしたって、なにが」
「おまえに決まっているだろ。最近いつもそうだ。パーティに行っても、カジノに行っても浮かない顔ばっかりして」
予想どおりの質問だった。余計なおせっかいだ。
「べつに、なんだっていいじゃないか。どうしてお前が俺のことを心配する必要がある? つまらないなら、他の奴と遊んでいればいいだろ」
「おまえなあ、そんな子供みたいな言いぐさはどうかと思うぞ。俺は幼馴染だから、心配してやっているのに」
「そんなこと、誰も頼んでいない」
そっぽを向くと「俺にも迷惑なんだよ」と眉をしかめられる。
「おまえの付きあいが悪いせいで、女どもがうるさい。口を開けばぴーちくぱーちく『まあ、エリック様! 本日はウィル様はご一緒ではないのですか?』だ」
「それが嫌だから、あいつらに会わないようにしているんじゃないか」
ワイングラスに残された口紅の跡を思いだすと、体に怖気が走った。
「もしかして、女じゃなくて男のほうが良くなったのか」
「馬鹿を言うな。そんなこと天地がひっくり返ってもない」
真顔で冗談を言うので、心臓に悪い。あわてて答えると「だよな」と笑われた。
沈黙が落ちる。『さっさと話せ』という無言の視線が痛い。しばらく頑張って無視をしていたが、ついに根負けした。
「エリックは、むなしくならないのか? あんな鳥みたいな女を連れて、酒を飲んで、それで楽しいのか?」
彼は少し虚を突かれたような顔をしたかと思うと「ああ、楽しいさ」と口角を上げた。
「女は鳥頭のほうがかわいいものだ。さっきの彼女だって、あんなドレスなんて着ないで、肌着一枚なら、もっとかわいい」
「鳥頭じゃないのを探す気にはならないのか」
「頭のいい女は嫌いだ」
吐き捨てるように彼は言う。俺だって嫌いだ。だが、馬鹿な女も賢い女も、どちらもつまらなく汚いことには変わりない。分相応を知らず、貪欲で醜い。
「頭がうんぬんかんぬんはともかくとして、俺は白鳥に会いたいんだよ」
「白鳥?」
噴きだしそうな顔で聞き返された。口がすべったと後悔するが、言ってしまったことは戻らない。仕方なく「白鳥のように美しい心の持ち主って意味だ」と説明する。
「オデットのように、純粋で、美しい白鳥のような女性に会ってみたい。そう思うことがある」
「へえ、お前がそんな夢想家だとは知らなかった」
だんだん恥ずかしくなってきた。小さいころに観た、白鳥の湖に影響されている自覚はある。
「悪いか?」
開きなおってみると「悪くはないな」と笑われる。
「そういうことなら別に構わないさ。女遊びが嫌ならしなくてもいい。ただ、酒もまずそうにしか飲まないわ、遊びに連れていっても、しかめっ面しかしないようじゃ、せっかくの楽しい時間も無駄になってしまうぞと言いたかったんだ。楽しむときには、楽しむ。そうしたほうが賢いと思わないか」
彼がそう話した直後、扉がぎいっと開いて誰かが入ってきた。見知らぬ男だ。燕尾服のボタンが弾けてしまいそうなくらい、見事な樽腹をしている。端に寄り、声を低くする。
「お前の言いたいことは分かった。そろそろ戻ろう」
「そうだな。彼女もチョコレートを食べ尽くしただろうし」
扉に向かう途中、男に軽く会釈をする。彼はおだやかなほほえみを浮かべ、深く頭を下げた。どこの家の者だろうと考えながら歩を進める。
「父上!」
女の声が聞こえたと同時に、胸になにかがぶつかった。驚いて後ずさる。後ろからついてきていたエリックが「危ないっ」と叫んで俺を押しのけた。足をすべらせて尻もちをつく。頭上をきーんと抜けるような衝撃が走る。
「大丈夫ですか」
彼は床に膝をつき、俺にぶつかってきたらしい人間を抱えていた。こいつを助けるために俺を突き飛ばしたようだ。
「エリック、おまえな……」
文句の一つでも言ってやろうと、尻をさすりながら立ち上がる。たおやかな白い足が見えて、続けようとしていた言葉が喉で止まる。
女はショックを受けているのか、口を開けないでいた。月光にすけている金髪の下で、青い目が見開かれている。薄い水色の地味なドレスに身を包んだ彼女は、まるで湖畔で踊る白鳥のような美しさだった。
「ああノエル、怪我はしておらんか?」
さきほどの太った紳士が二人に駆けよった。ノエルと呼ばれた女はなんとかうなずき、支えられながら立ち上がった。
「あ、あのわたくし、本当に申しわけありません……つい前を確認せずに、扉を開いてしまって」
「いや、前を見ていなかったのは私たちもですので」
どぎまぎしながら、なんと言おうか迷っていると、エリックが紳士的な笑みを浮かべてそう答えた。
「それよりお怪我がなくて本当によかった。あなたが足をくじいてしまったら、せっかくワルツのよき相手を見つけられたのに、無駄になってしまうところだった」
使い古された口説き文句に彼女が顔を赤らめた。なんてひどい台詞だろうと睨むが、彼はどこ吹く風だとばかりに笑顔を崩さない。
「いやはや、本当に申しわけありませんでした……そちらの方もお怪我はございませんでしたか?」
紳士は帽子をとって深々と礼をし、俺に声をかけた。今の出来事で興奮してしまったのか、額に汗が浮かんでいる。
「はい。こちらこそ大事なお嬢様にご無礼を働いて、大変申しわけありませんでした」
礼を返し、あらためて顔をじっくりと観察する。人の良さそうな人相だが、城によく顔を出す貴族たちの一人ではない。とすると、よそからの客人だろうか。
「そちらのお方もノエルを助けてくださって、ありがとうございました」
「いえいえ、なにも気にされることはありませんよ、私達からすると、こんなに美しい天使と知りあえるチャンスを、天から与えられたわけですからね」
こんな台詞を吐いて、よく途中で恥ずかしくならないものだ。うすら寒い思いをしている俺とは裏腹に、彼女は白い頬を上気させ「ありがとうございます」と呟いた。
そして、黙りこくっている俺を気に病んだのか、視線を向けてきた。目が合う。
「ええ、なにもお気になさらず」
つい素っ気なく答えてしまった。これでは怒っているも同然だと気づいたが、すでに遅かった。彼女は怯えたような顔をして、うつむいてしまった。
「はは、怒っているわけではないんですよ。ただちょっと、気難しい男でしてね」
またもや彼が横から口を出してきた。もう何も言えなかった。
「それでは」
エリックが扉をくぐりぬけたのに続いて、中に入る。ふり返ると、またもや目が合ったが、すぐに視線をそらされてしまった。胸を刺されたような痛みが走った。
ホールに戻ると、まぶしさに頭がくらくらとした。みんな飽きもせず、ワルツを踊っている。
俺たちは端に寄り、グラスをもらった。
「な? 可愛い娘もいるじゃないか」
開口一番エリックがそう言った。
「なかなか見ないような美人だったぞ。あれでも今日のパーティが、ひどい鳥女ばっかりだって言うのか」
「そうは言わんさ」
一気にワインを飲みほす。かわいた喉を冷たい酒が通りすぎていく感覚に目をつむる。まぶたの裏に、彼女の姿が焼きついていた。今すぐバルコニーに引き返して、冷たくしてしまった非礼を詫びることができれば、どんなにいいだろう。しかし、そうする勇気は今の俺にはない。
「それにしても、おまえさ、さっきの台詞はいったいどうしたんだ」
「なんだって?」
「さっきのあれだよ、美しい天使がなんとかかんとか」
やつあたりをするように、さきほどの歯の浮くような台詞を非難してみる。
「ああ、おまえにとっては白い羽を持っていたとしても、天使ではなくて白鳥か。これは失礼した」
「なっ、そういう意味じゃない!」
皮肉るような切りかえしにあわてると、しらけた顔をされた。
「ちなみに、俺のことをどうこう言う資格は、おまえにないぞ。前にカフェで席が隣になっただけの女に『天から女神が舞いおりてきたのかと思いました』とか言っていたし、その前には遊技場で一緒になった女に『ディーヴァ、こよいは私のために歌ってはくれませんか』とも口説いていた」
「もういい、止めてくれ」
過去の恥部を引っぺがされて、顔が熱くなる。昔はそういう言葉を女は喜ぶものだと思っていたのだ。実際に年上の女には無知と純粋さの証として好かれたし、同じくらいの年の女には夢物語として喜ばれた。まさに、理想の王子の吐く台詞だからだ。
「せっかく王子なんて立場なんだから、俺にたんか切ったみたいに『俺のオデット』とか言ってやれば、よかったものを」
「あれは勢いで口がすべったんだ。しらふで、そんなことを言ってみろ。俺は王族の恥だ……駄目だ、頭が痛くなってきた。それよりも、さっきの紳士がなに者だったのか教えてくれ」
これ以上話を続けてもからかわれ続けるだけなので、気になっていたことを聞いてみる。すると「知らんのか」とあきれ顔をされた。
「彼こそサミュエル家の立役者で、成金貴族の一番星、ハッタ―男爵じゃないか」
声をひそめて説明される。サミュエル家というと、金庫にクモの巣が張っていることで有名だったのにも関わらず、ここ最近で莫大な資産を生んだと話題になっている家だ。なんでも領地のほとんどを織物工場にして、財産を増やしたらしい。たいした商才の持ち主がいるものだと感心してはいたが、まさかあの紳士がそうだとは。
「とすると、彼が今のミスター・サミュエルであると」
「ああ。もともと、ただの資産家だったのが、今となっては男爵だ」
人のよさそうな紳士に思えたが、実のところ抜け目ない商売人なのかもしれない。とすると、ノエルはサミュエル家の娘、男爵の娘という立場ということになる。
「彼女については、なにも知らないのか」
「いや。おそらく、ハッタ―男爵が社交の場に娘を連れてくること自体、初めてなんじゃないのか」
「そうなのか」
どうにか彼女ともう一度話をしてみたい。そう思ってバルコニーのほうを見つめていると、エリックも未練があったようで「誘ってみるべきかな」と呟いた。
「ああ、行ってこい」
俺も行きたかったが、また怖がられてはかなわない。「話をして、なにか分かったことがあったら教えてくれ」と伝える。彼は了承し、再びバルコニーのほうへと消えていった。
「あら、ウィル様。ご機嫌うるわしゅう」
ひとりになったのを見計らったのか、すぐに女どもが寄ってきた。
今の流行かどうか知らないが、髪を塔のように盛った背の高い女だ。巨大な二つの鼻孔が俺を見下ろしている。
相手をする気にもならなかったので、適当に返事をして背を向ける。
後ろでなんて失礼な、とわめくような声が聞こえたが、知ったことではない。はなから身分目当て、それも王子なんていう一級品の身分を狙ってくる野心は、鼻の穴の巨大さと同じくらいみっともない。
バルコニーのほうをうかがっていると、ノエルの肩を抱いたエリックが出てきた。彼は俺が見ていることに気づくと、ウィンクを飛ばしてきた。
彼女は恥ずかしそうにしながら、なにか話している。社交界に出たばかりだからか、足取りが若干固い。しかし、あれほど美しい娘に育て上げたのだ。サミュエル氏は彼女がどこかの貴族に見初められるだろうと期待して、いよいよ今日、舞踏会という競争の場に登場させたのだろう。そしてその狙いは当たっている。
二人が踊る人々の中心にすべりこんでいくと、その可憐さに誰もがはっとした顔をした。
よりにもよって、ともに踊っているのがエリックだ。彼は女たらしである以上にもてる。顔が良いことも理由の一つだろうが、姉三人に囲まれて育ってきたせいか、俺と違って根本的に女の扱いに長けているのだ。嫉妬に瞳を燃やした女どもが、ノエルの粗を探すように睨みつけている。
そういう彼女のダンスは始めこそぎこちなかったが、エリックにリードされていくうちに、だんだんと上手くなっていった。遠目に見えた顔は、楽しそうに笑っているようだった。
今の曲が終わったら俺も誘ってみようか、などと考えるが、やはり気後れして、少しずつ踊る人々が見えない位置へと離れていく。
壁際の目立たない場所に落ちつくと、誰かに肩をとんとんと叩かれた。
「ごきげんよう、王子。暇しているなら、ぼくと飲まない?」
すらっとした男が嘘くさい笑顔を浮かべていた。白い燕尾服を身にまとい、これまた白いドレスを着た、異形に感じられるほどの美女を連れている。二人の共通点は、湖に浮かんでいた月よりもあざやかに黄色い瞳だけだ。
「あんたか……」
「なんだか元気がないみたいだねえ。まあ、権力者に元気がないってことは、ぼくみたいな平民にとってはいいことだから構わないんだけれど」
「こんな舞踏会で元気が出る奴はおかしい」
そう返すと彼は「違いない」と大笑いし、ワインをごくごくと飲んだ。
「わお、高そうな味がする。さすが王宮は違うね」
「あんた、ワインの味なんて分かるのか」
「いや? こんなブドウを発酵させただけの水、どこがおいしいんだい?」
うそぶきながらも、おかわりを貰って、またもや飲み干す。なにが楽しいのか笑い続けているところを見るに、もう酒がまわっているらしい。
「今日は仕事なのか」
「ううん、君のお父さんに呼ばれたんだよ。この国を代表する魔法使い様にも、ぜひご参加願いたいってね。代表しているつもりはなかったんだけれど、たまたま暇だったからさ」
「父も身のほど知らずなことをするものだ」と呟くと、背中をばんばんと叩かれた。
「いやあ、お父さんのこと、そんなふうに言うもんじゃあないよ」
「こんなもの、あんたたちにとっては楽しくもなんにもないだろう」
「そんなことはないさ、ねえキルケ」
「そうですね。あなたが楽しそうであるならば、私は構いません」
女は答えになっていない返答をすると、ふと頭を下げて「ウィル王子、本日はお招きいただいてありがとうございます」と挨拶をした。
「ああ……あんたもひさしぶりだな」
彼女は「ええ」と真顔で肯定し「たしか一年と三か月、十日と九時間四十七分ぶりですね」と答えた。あいかわらず人間離れした記憶力だと褒めると、感情のこもらない声で礼を言われる。
「人間とは成長が早いものですね。ついこの間まで、小さな赤子でしたのに」
「それは無いだろう。もう成人して二年も経つんだぞ」
「へえ、王子まだ二十歳ぽっきりなの? 若いねえ、いいねえ」
「あんたに比べたら、この国の人間、誰もが若いさ」
この二人にとっては、二十年などたいした長さではない。なんせ魔法使いだ。彼がどれくらい生きているかは、誰も知らない。
父が治めているこの帝国には、魔法使いが住みついている。嘘くさいと思うだろうが、この国に限っては本当だ。彼は物語の中だけではなく、現実にもたしかに存在する。知っている限りでは、この国に現れたのは二百年ほど前らしいが、実際のところは分からない。
昔からよく城に出入りしていたので、彼とは顔見知りである。幼いときは、気まぐれに現れてはくだらない話をして帰っていくだけの男が、魔法使いだなんて考えてもみなかったが。
「それにしても、興味深い現象が、あちこちで生じていますね」
「そうか?」
「ええ。あちらの貴婦人など、特に。なぜ頭の上に船を乗せているのでしょう」
航海の無事を祈る儀式なのでしょうか、と彼女は首をひねった。
「その隣のお嬢様も、腰を非常に締めつけていますし、いまだに貴族社会の習慣には馴染めませんね。王子、あれらはどのような意味があって行っていることなのでしょうか」
「そんなの俺が聞きたいくらいだ」
すると魔法使いが「キルケ、それはね……」と説明を始めた。
彼女、キルケは魔法使いに仕えている女だ。彼はひとりで魔法を使うことができないので、かわりに願い事をする役割を果たしているようである。
具体的にどういう関係かは知らないが、身の回りの世話は彼女がしているようだ。まあ男としてはアレの世話もしてもらっているのかな、などと邪推することもある。彼女は目を見張るほどの美貌だし、魔法使いの恋人だと説明されても納得できてしまうような、どこか浮世離れした空気をまとっていた。
「分かるかい、キルケ。ファッションというのはね、より自分を美しく、魅力的に見せるための手段なんだよ。流行はライバルである他のメスへの威嚇行為だし、露出は男達に分かりやすく性的能力があることを示すためのアピールなのさ。貴族みたいに自分のことなんてなに一つできない人間は、そうやって魅力を誇示しないと生き残れないからね」
「頭に船を乗せたり、体を痛めつけたりすることが魅力を示す方法だとは奇特ですね」
「そういうものなんだよ。貴族は無駄なことを、どれだけ金をかけてやるかに、命をかけているからね。それが仕事なのさ」
眼前にこの国の王子が立っていることなどお構いなしだ。間違ってはいないだろうが、無駄なことをやるのが仕事と言われると、むなしい気持ちになる。
「さて、ウィル王子もそんな感じのことに頭を抱えているようだけど」
「なに?」
「ぼくに願い事があるんじゃないかなあって、思ったんだけど」
願い事、という単語を聞いて、ノエルのうつむきがちな顔が脳裏をよぎった。
「お、当たった?」
彼はぱっと顔を明るくした。この男は魔法を使っていなくても、人を暴くような目をするときがある。長年生きてきた勘という奴なのかもしれない。
「あんたに解決してもらうほど、まだ落ちぶれちゃいない」
悟られたことを誤魔化すように言う。
「またあ、そんなこと言って。王子とぼくの仲だろ?」
「気色悪い事を言うな……高い代償を払って、叶えてほしい願い事なんてない」
「代償なんてないよ? お金をほんのちょっと貰うだけ」
にこにこしている顔をじろりと見る。
「そんな風にとぼけても、だいぶ広まっているぞ。あんたに願い事をして、ろくな展開になった奴がいないって」
彼はことさらに心外だという顔をした。
「前から言っているけど、それはぼくのせいじゃなくて願い事が悪いんだって。分かる? 君達貴族といったら、誰一人まともな願い事をしないじゃないか」
「まあ、それは否定しないが」
貴族のする願い事なんて、いちいち聞かなくても察しがつくので、そこはうなずいておく。すると嫌なことを思い出したのか、「もうさあ、聞いてよ」と話し出した。
「この間も酷かったんだよ、ねえキルケ」
「幸せになりたかった人ですか? あれは、そうですね。お見事でしたね。いろいろな意味で」
「本当だよ……できれば、もうああいう願い事は叶えたくないなあ。もっと面白くて、お金になる奴がいい。王子、そういう願い事ない?」
すがるように言われても、願い事をする気はない。
ちまたで噂になっている代償、つまり彼が説明するところの『反動』はまったく予想がつかないのだ。噂では、ある道ならぬ恋の結果に人妻の心を無理に得ようとした男が、その反動として、婦人の膝小僧にしか欲情しなくなってしまったという話を聞いた。俺はそんな風になるのはお断りだ。
「なにがあったか知らんが、契約者を探しているなら他を当たってくれ」
「ちぇっ、そうかい。お財布がピンチだから、王子が契約してくれたら家計の救世主になると思ったのに」
しょんぼりする彼を後目に、キルケが口を開いた。
「王子、もしかして恋をしていらっしゃいませんか」
唐突な言葉に、グラスを落としそうになった。
「ど、どうしてだ」
「おっ、キルケ、女の勘ってやつだね」
茶化されるも、彼女は首を横に振る。
「勘ではありません。王子の脈拍と顔面の筋肉の変化を見たかぎり、パターン上この可能性が一番高いと考えられたからです」
「それをなんとなーく読み取ることを、世間は勘って呼ぶんだよ」
「そうなのですか。それでは、勘です」
「勘だろうがなんだろうが構わないが、勝手にそういうことを言うのは止めてくれ」
苦言を漏らすが、彼は俺の反応など意にも介さず「またまた」と肩を回してきた。もはや、ただの酔っ払いと化している。
「王子、好きな人がいるなら、願い事で成就させちゃってもいいんだよ? なんたって、ぼくは恋愛に関しては、得意中の得意だからね」
「さっき、ろくな願い事がないって嘆いていたじゃないか」
「ふふ、恋愛は古典的に受け継がれる、ちゃんとした願い事の一つだよ。ただ、叶え方に気をつけなきゃいけないだけ。移ろいやすい乙女心の向く先を、少し変更させるくらいなら、問題はないよ」
「そうなのか?」
「うん、ようはやり方だから。無理やりいじれば、それだけリスクが大きくなる。できる限り自然に近い願い事なら、反動に気づきすらしないことだってあるよ」
説明されて、少し関心がわいた。
「一応、頭のすみには入れておく」
「ふふ、そうかい。いざって時は、ぜひとも頼ってね。さてと、願い事がないなら、ぼくたちはそろそろ帰ろうかな」
「そうですね」
彼はグラスを戻し、赤らんだ顔で手を振った。
「それじゃあね、王子。願い事があったら、即様呼ぶんだよ」
「あんたの世話には、出来るだけなりたくないがな」
「あはは、それじゃあまたね」
挨拶をしたあと、身をひるがえして群衆の中に消えていった。妙な二人だ。一緒にいると退屈はしないが、どこか違う世界に迷いこんでしまったような、そわそわした気持ちになる。
その後もひとりで、ちびちびグラスを傾けていると、エリックが戻ってきた。なんと横にノエルを連れている。仰天してワインをこぼしそうになったが、なんとかこらえる。これ以上失態を見せるわけにはいかない。
「暇をしているのか、ウィル?」
いかにも俺に感謝しろよ、といった表情だ。ノエルは気まずそうにしている。
「まあ、そうだな」
顔をふせた彼女を見て、言葉がつげなくなってしまうが、ここで黙っていてはせっかくのチャンスが水の泡だ。
「えっと、ミス・サミュエル。その、さきほどのことで痛む場所などありませんか」
なんとか冷静な声を作り出して話しかけると、ようやく顔を上げてくれた。金色のまつげをしばたたかせて、俺を見ている。かわいい、と心の中で叫ぶ声を無視し、心をしずめながら自己紹介をする。
「よろしかったら、その、少しお話でもいたしませんか」
笑いをこらえているエリックを気にしないようにしながら、勇気を出して誘ってみる。
彼女は戸惑っているようだ。ひょっとして、男と話すのすらほぼ初めての生娘なのかもしれない。かくいう俺も、子供のような幼稚な言葉しか吐けていないのだが。
「ほら、こちらに美味しいクッキーがありますよ」
沈黙してしまった彼女をなだめるように、エリックが菓子を差しだした。
「まあ、頂いていいのですか」
彼にはもう心を開いているのか、顔をほころばせてクッキーを受け取る。誇りを傷つけられたような気持ちになっていると、彼女がふいに俺の顔を見た。
「あの、王子様、クッキーはお嫌いですか……?」
眉尻を下げて尋ねる彼女に、思考が止まる。
俺のオデット、と脳内で再生された言葉は、実のところ口にも出してしまっていたようだ。そのことでエリックに散々からかわれたが、それは舞踏会の後の話である。




