おとぎ話
おとぎ話
「娘を生きかえらせたい」
しん、とした部屋に声が響いた。
黄色と緑色のストライプ柄という、センスを疑うようなスーツを着た男が、ソファに腰を沈めている。木漏れ日には不釣りあいな、ふざけた衣装とは裏腹に、深刻そうな顔をしていた。
その向かいで足を組んだ魔法使いはコーヒーを一口飲むと、眉間にしわを寄せた。美味しくない。しぶみが強すぎるのだ。どうしてだろう、と考えて気づく。今日はこれを自分で入れたのだ。目の前のけばけばしいスーツもあいまって、非常に不愉快になる。
キルケが帰ってこない不安で頭がいっぱいだった。普段なら遅くとも午前中いっぱいで買い物を終わらせるはずなのに、どうしてか帰ってこない。
起きぬけに居ないことに気づき、なにか用事でもあるのかと思考を巡らせたのだが、特に思いつくこともない。前に同じようなことがあったときは、いかにも怪しい男についていこうとしていた。
これはいけないと思い、探しにいこうと玄関を開けたら、この不愉快極まりない男が立っていたのだ。最悪のタイミングだった。
蛙にかえてやりたいなどと考えてみるが、目の前で今にも死にそうな顔をした依頼人は、魔法使いが考えていることなど、ちっとも気づいていないようであった。
「娘は三年前、流行り病で亡くなったんだ。それから、なんでも願い事を叶えてくれる魔法使いが帝国にいると聞いて、あなたをずっと探していた。お願いだ、娘を生きかえらせてはくれないか。礼ならなんでもする」
懇願するが、やはり魔法使いは上の空でなにも言わない。さすがに様子がおかしいと気づいたのか、「あの」と顔の前で手をひらひらさせると、鬱陶しそうに振りはらわれた。
「生き返らせるのは、無理だよ」
冷たく返された言葉に、依頼人の顔が青ざめた。
「ど、どうして! 魔法使いはなんでも願い事を叶えられると聞いている。人一人生きかえらせるなんて、造作もないはずだろう」
「どうしてもなにも、できないからだよ。生きかえらせるなんて、ルール違反だ。できることと言ったら、娘さんそっくりの人形を作ってあげるくらいだな」
「そんなことじゃ意味がないんだ。私は、私の娘そのものを取り戻したいんだよ」
「それじゃあ、ぼくにできることはないな」
そう吐き捨て、ソファから立ちあがる。もう居ても立っても居られなかった。こんなくだらない願い事に時間を割くなんて、馬鹿げている。それよりも早くキルケを迎えにいかなければ、と玄関のほうへ足を向ける。すると、腕に依頼人がすがりついた。
「い、行かないでくれ、もうあなたしか頼みの綱がないんだ。娘だけが生きる希望だった……あの子が戻ってこないのなら、私にはもう、生きる意味がない」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で乞われる。ぶるぶると震える体を見て、いい年をした男がする行いではないなと心中でぐちる。
溜息を吐いて、男に向きなおる。
「悪いけど、生きかえらせることは、本当にできないんだ。想像してごらんよ。死んだ人間を生きかえらせるなんて願い事を叶えたら、大変なことになっちゃうだろ? 生きかえらせてくれって希望者で、ぼくはこの世界を滅茶苦茶にしてしまうことになる。最低限ルールは守らないといけないんだ」
そう語る魔法使いの目を見て、男はうなだれた。もう涙も出ないのか、顔を手で覆って鼻をすする。
「分かっていた、分かっていたさ。でも、もう一度会いたかったんだ」
泣き続ける依頼人を後目で見る魔法使いの頭の中には、とにかく早く外に出て、キルケを探したいという気持ちしかなかった。
だが、依頼人をこのまま放っておくこともしかねる。自分に良心なんて無かったはずなのだが、泣きじゃくる姿は哀れに思えてこなくもない。
「まあ、あれだよ。時間が解決するよ、何事もね。人間が生きて死ぬのは当然のことだ。悲しいことでも、なんでもない。こんなにお父さんに愛されて、娘さんだって幸せだったはずさ。そうだろ?」
自分でも薄っぺらいなと思うようなことを言うと、彼はよけいに大声で泣きはじめた。
どうしよう、こういうときにキルケが居たならば、なんとなくお茶を入れてくれたりして、なだめてくれるのだけれど。そんな風に魔法使いは考えて、もはや彼女を探しにいきたくて、どうしようもない気持ちになった。
「分かった、よし、分かったよ。ねえ、ぼくには用事があるけれど、君をなんだか放っておけない。つまりだ、君をつれてキルケを探しにいくことにする。探しつつ、その悲しみをどうにか癒す術を考えようじゃないか」
口早に話すと、肩をむんずとつかんで無理やり立たせた。依頼人はなすがままに背中を押され、玄関へと進む。
「わた、私のこの悲しみが、癒されることなんて、あるのだろうか」
「そんなことはありえないし、正直に言うと、今のうちに悲しんだほうがいいと思うよ」
男の質問に、魔法使いは玄関の扉を開きながら答えた。
「いずれ、なにも悲しくなくなる。悲しかったことを忘れて、なにも思い出さなくなる。そうなる前に、めいっぱい悲しむべきなんだ」
二人は街に出た。道行く人々は、片方が号泣している男の二人連れには近寄りたがらなかったため、非常に歩きやすかった。周囲に目を光らせながらも、解決策を提示し続ける。
「早くもう一人子供を作っちゃえばいいんじゃない? そうすれば、少しは慰められるかも」
「娘は歳をとってからできた子だったんだ……いまさら、妻にそんな無理はさせられん」
「じゃあ養子をとって、その子を実の娘だと思いこむようにするっていうのは? 社会貢献になるし、人助けになるし、良いことづくめだね」
「そんなことをしたら、忘れるのと一緒じゃないか。娘に申しわけが立たん」
「君、めんどくさいなあ」
八つ目の提案を拒否されたところで、教会前の広場に着いた。
いつも人が少ないから、探すのも容易いはずだと見積もっていたのだが、今日に限っては、やたらとにぎやかである。
「あれ、ちょ、団長?」
なんとなく嫌な予感がして周囲を見まわしていると、派手な恰好をした人々が群がってきた。
「団長、なんで泣いているんですか?」
「あんた、うちの団長になにしたんだ!」
人々から急に責めたてられたので、目を丸くしていると、依頼人が目頭を押さえたまま「みんな、落ちついてくれ」と話しだした。
「街を歩いていたら強盗に襲われそうになってな。この人に助けてもらったんだ。私は部屋に戻って彼にお礼をしなきゃならんから、みんなは公演の準備を続けていてくれ」
話を聞いて、集まっていた人々は「なんだ、そうだったのか」と口々に呟いて散っていった。
「歴史あるサーカス団の団長が、こんな辛気臭い奴なんて信じられんよな……おや、どうしたのか」
魔法使いは血の気の失せた顔で「サーカス」と呟いた。見覚えがある風景だとは思った。趣味の悪いストライプのテントも、活気に満ちたこの雰囲気も、嫌になるくらい覚えがある。
「ここ、サーカスなんだ」
「そうだが、なにかまずかったか?」
「ごめん、また後で会おう」
唐突に彼は走り出した。
「ちょ、待て! ここ走ると危ないぞ!」
一輪車に乗った者が押しのけられて転んだ。罵る声が聞こえたが、今の彼にとって、そんなことはどうでも良かった。
広場の真ん中に構えられた、巨大なテントの中に飛びこむ。中は暗く、観客席にぐるりと囲まれた舞台にのみ、スポットライトが当たっている。さまざまな器具が取り揃えられ、公演の準備が着々と進んでいる。
舞台を見渡すと、右端のほうに固まった派手な集団の中に、真っ白なワンピースを発見した。
「キルケ!」
振りむいたその顔に浮かんだのは、あきらかな動揺だった。
名前を呼ばれて振りむくと、観客席の入口で息を切らせて立っている彼を見つけました。なかなか帰ってこなかったので、探しに来てくれたのでしょう。
ただ今だけは、どのような顔をして会えばよいのか分かりませんでした。
「えっと、彼氏さんかい?」
一緒にマジックを見ていたエリィさんが、ささやいてきました。
「なんかすごい勢いで近づいてくるけど、大丈夫?」
ビケットさんが心配そうに聞いてくれますが、どう考えても大丈夫ではありません。
大股で近づいてくる彼は、すでに勘づいているのでしょう。舞台に上がると、少し離れた場所で足を止めました。言葉もなく、じっと見つめられます。
ビケットさんとエリイさんが、尋常ではない雰囲気の私達を見比べて、おろおろとしています。ルージさんだけは事情が分かっているのか、ただ黙って見守ってくれていました。
彼は深呼吸して、真剣な顔で口を開きました。
「ぼくの名前、言えるよね」
確認するように問われます。
「ニトさん、とお聞きしました」
彼は悲しげにほほえみました。
「そう、そうだ。本名ではないけれど、あの子はそう呼んだ。じゃあ、聞かせてくれ。君は? 君の名前は?」
「私は」
喉元で言葉が引っかかりました。
私は、誰なのでしょう。願い事によって生まれた命なのか、願い事によって移された命なのか、それはセーリエさんしか知らないことです。
私には私が誰なのか、もはや分かりませんでした。
答えに迷っていると、彼はだんだんと辛そうに顔をゆがめました。
きっとセーリエさんが戻ったのかと期待をして、走ってきてくれたのでしょう。でも私には、彼女の記憶がいっさいありません。
ルージさんが話してくれた物語は、あくまでセーリエさんのものなのです。私はどこまでも空虚な人形でしかありません。
そう考えていると、胸のあたりがぎゅっと締めつけられるような感覚がしました。存在しないはずの熱がどこかから湧きあがり、目のまわりに集まります。
がしゃんと上から音がしました。誰かが息をのむ音が聞こえました。
「キルケ!」
音のしたほうを向く間もなく、彼が私の名前を叫びました。
抱きすくめられたかと思うと視界が反転し、背中に強い衝撃が走ります。なにかが割れたような、大きな音が耳元でしました。
強く抱きしめられた腕から、力が抜けました。頬になにかがつきます。体を起こすと、真っ赤な傷口が目の前にありました。
「おい、大丈夫か!」
みんなが血相を変えて駆け寄ってきました。助け起こされて、初めて状況が分かりました。上から照明が落下してきたらしく、舞台の上はガラスの破片だらけでした。同じように起こされた彼の血にまみれた姿を見て、周囲の音すべてが消えた気がしました。
切迫した雰囲気の中で、誰かが私に声をかけてくれたような気がしましたが、それに応えることもできませんでした。ただ一刻も早く彼のもとに行かなくてはと思い、傍によります。スカートを破いて、傷口に押し当てます。彼が死なないことなんて、分かっています。それでも青ざめた顔を見て冷静でいられるほど、私は出来のよい人形ではないようでした。
傷に触られた痛みで、彼の目が開きました。血だらけの自分を見おろし、次に私を見て、口を開きました。
「なんだ、よかった」
「よくないですよ……」
いまさら、声が震えていました。
「なんで、私なんて庇うんですか」
「いや、とっさにね」
冷や汗をたらしながら、彼は笑いました。
「女の子の顔に、傷つけちゃいけないだろ」
「私、人形ですよ」
「ぼくだって魔法使いだ」
意味の分からない会話をしていると、担架を持ってきた団員さんが「話さないで!」と注意しました。
「ああ、そんな焦って手当してくれなくても、大丈夫だよ。痛いのは慣れてるし」
彼はいつものように手をひらひら振ろうとして、痛みにぎゃっと悲鳴をあげました。
二人して舞台袖に連れられ、そこで手当を受けました。団員のみなさんは彼の惨状に命を危うんでいましたが、一時間ほどたってもケロッとしているのを見て、考えを変えたようです。
今は安静にしているようにとだけ言い渡されて、放置されています。
「はあ、これまでの人生で二番目に痛かった」
彼は包帯を巻いた腕をさすりながら、そう言いました。
私達は団長室らしいテントで休ませてもらっていました。やはり位が違うのか、さきほど見させてもらった楽屋より少しだけ豪華です。
「やっぱり、もっと体を鍛えなきゃだめかなあ。いざってときに魔法が使えなくても困らないようにさ」
「そもそも、人形のことなんて庇うのが間違っていると思いませんか」
彼の横に座って、傷を見ます。全然痛がらないのでそうは見えませんが、実際はかなり深く損傷しているはずなのです。こんな傷を自分のために負わせてしまったことが、申しわけなくて仕方がありませんでした。
「私は当たっても痛くありませんし、体がばらばらになるくらいで済みます」
「ぼくだって死なない体だよ。それに君だって、そんな風になったら困るだろ。もしかしたら、上手く部品が繋がらなくなっちゃうかもしれない」
「あなたが傷つくよりも、そちらのほうが被害が少ないと思いますが」
「そんなこと言われても、ぼくだって、君が傷ついたら嫌なんだよ」
「でも私は、セーリエさんじゃないですよ」
ついこぼれてしまった言葉を後悔しますが、もはや言いたいことが止まりませんでした。彼から顔を背けて、話し続けます。
「私にはセーリエさんの記憶もないですし、思い出もありません。非常に残念なことに、私はセーリエさんではないのです。本当に、申しわけありません」
頭を下げると、またもやあのときの不思議な感覚が湧きあがりました。熱が目のまわりに集まって、胸のあたりから、なにかが溢れだしそうになるのです。
「どうして謝るの?」
彼は不思議そうに聞きました。
「どうして、と言われましても。あなたは、セーリエさんに戻ってきてほしかったのではないのですか」
なぜか声が思った調子に出ません。つっかえそうになるのを我慢しながら問いかけると、彼はしばらく考えた後に、口を開きました。
「君が目を覚ましたときにね、きっと記憶が反動で吹っ飛んだんだなって思った」
彼はそこで、ふと黙りました。言葉を待ちます。再び話をはじめたその口調は、違和感を覚えるほどに軽やかでした。
「でも、それで、良かったのかもしれないって思ったんだ。だって、きっと記憶があったら後悔するに決まっている。ぼくのためなんかに、永遠に続く芝居につきあわされる羽目になっちゃったんだもの。それなら、まだ自分を人形だと思いこんでいたほうが、都合がいいって思ったんだよ」
「そう、なのですか」
やはりセーリエさんを期待していたのだと話されて、突き落とされたような気持ちになりました。なぜこんな気持ちになるのでしょう。頭がぐちゃぐちゃしていて、考えがまとまりません。ただひたすらに、深い穴に入れられてしまったような閉塞感が私をつつんでいました。
「でも、なんだかさ、どうでもよくなっちゃったんだよね」
顎に手が触れ、顔を上げさせられました。笑い混じりの声が、続けます。
「ぼくにとっては、セーリエもキルケも同じものなんだ。孤独を癒してくれる存在、そうであればどっちでも構わないんだよ。ねえ、分かるだろう? ぼくには君達がどっちであろうと、どうでもいいんだよ」
視線が交わります。私たちは、同じ色の目をしています。セーリエさんはどんな色の目をしていたのだろうと想像して、息苦しくなりました。星と星のすきまは限りなく遠いものです。彼がどんな気持ちで私を見ていたのかと思うと、今すぐにでも、この両の目を抉りだしたくなりました。
「あの子がもう居ないんだと分かっていても、悲しいと思わないぼくは、どうすればいいんだろうね。ねえ、キルケ。君が教えてくれよ。君は、あの子がぼくのために造った人形なんだろう?」
ほほえんだ瞳が冷たく凍っているのを見て、頬をなにかが流れました。それを目で追った彼が息をのみます。
「きっと、悲しまなくていいんです。セーリエさんは、あなたに悲しんでほしかったわけでは、ないのですから」
とつとつと思った言葉が、口から出ます。
もう彼が、私を見てセーリエさんを想うことは無いのでしょう。その絶望と、喜びに、私は死んでしまいたいと思いました。こんな私なんて、死んでしまえばいいのにと、そう思いました。
「あなたが、私を庇ってくれたように。悲しみを忘れた悲しみを、いつまでも忘れないように、私もあなたを大事に思っていますから。だから」
笑ってください。いつものように。
言葉を最後まで言いきることは、できませんでした。唇に冷たい体温を感じます。背中にまわった腕が、服を強くつかみます。彼が名前を呼びました。ああ、これがどちらのものでも、もはや構わないと私は思います。
だって、私はもう充分に。




