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不幸な貴方へ2

「セーリエ、ほらごらん」

 しわしわの手が小さな劇場の幕を上げると、赤いスカートを履いた人形が踊りだした。首は上下にリズムをとり、足は楽しげにゆれている。

 魅入っていると、右の方から男の子の人形も出てきた。勇ましく歩いて、少女にひざまずく。ぼくと一緒に踊りましょう、お嬢さん。

「おじいちゃん、もう一回、もう一回」

 小さなセーリエは机に身を乗りだして、再上演を熱望した。祖父は嬉しそうに笑って、何回でもその劇をくり広げてくれた。

 ああ、夢を見ているんだと気づく。

祖父は私が奴隷商に売られるまえに死んだ。両親は私の顔を見たがらなかったが、彼だけはなにも気にとめることなく、かわいがってくれていたのだ。

 場面は変わる。真っ暗な部屋に、裸でしゃがんでいた。

団長の怒鳴り声が、鉄格子の外から聞こえた。

「このぐずめ、火吹きもできない、玉乗りもできない、おまけに売り子すらできないなんて、おまえなんて買うんじゃなかった!」

 寒くて、痛くて、泣きに泣いている。細い体を抱きしめ、孤独に耐えていると、死んだ魚の目と視線があった。ぎゃっと悲鳴をあげて、飛びのくとガラクタだらけの中につっこんでしまった。もう散々だった。そこはゴミ捨て場だったのだ。

 泣く元気もなくなって、やがて朝になった。かすかに光がもれて、周囲が明るくなる。逃げ出すのに役にたちそうな物はないだろうかと探す。

そして、見つけた。首だ。鉄とパイプで構成された首。目はコルクで、鼻はブリキのはじっこ、歯はネジで造られていた。

かわいそうな子だと思った。ずっと一人で、こんなゴミ捨て場にいたのだ。自分よりも、ずっとかわいそうだ。

さみしかったね、と話しかけると、答えてくれた気がした。セーリエ、ぼくに体をおくれよ。そうしたら、君の友達になってあげる。

 セーリエはお腹をすかせながらも、必死で彼の体を造った。誰かの忘れ物のハンマーや斧が落ちていたのが幸いした。彼女は二日間かけて彼の体を造りあげた。

「これは、お前が造ったのか」

やっと現れた団長は、ゴミ捨て場に倒れている人形と彼女を見るや否や、そう話しかけた。そうです、団長。力なくうなずく彼女に、彼は大喜びした。

「やったぞ、セーリエ、お前は天才だ! ああ、きっと売れるだろうなあ。世紀の人形師、セーリエ。最高だ。やったぞ!」

 彼がなぜ喜んでいるのか、分からなかった。ただ、やっとのことで完成した友達が、よかったねと言ってくれた気がした。

「セーリエ、起きて」

 誰かの声が聞こえて、目を開く。猫みたいな瞳がのぞきこんでいた。

「お腹すいた」

 ばんばんと毛布を叩かれたので、体を起こす。すっかり日が登りきっているのか、部屋は明るい。

「さっき、どうにか自分で目玉焼きを焼こうとしたんだ。でも、焦げちゃって、あのフライパンおかしいんだよ。絶対新しいのを買ったほうがいいと思うね」

 見当違いな文句を言いながら、彼女をゆする。よっぽどお腹がすいたのか、とても不満げな顔をしている。

「ちゃんと油引きました?」

「油って、なんでそんなの引くんだい」

「起きますね」

 料理に関しては、期待しても仕方がない。ベッドから降りて、キッチンへ向かう。後ろからついてきた彼が話しかけてくる。

「ねえ聞いてよ、昨日の依頼者さ、ぼくに恋薬を作れって言うんだ。どう思う?」

「そんなもの、作れるんですか」

「作れないことはないさ。でも、なにに使うのって聞いたらね、そのおばさん、二十歳になった自分の息子に使うって言うんだよ! ほんと最近の貴族は狂っているよ」

「それは、すごいですね……お疲れ様です」

 朝から嫌な話を聞いたな、と思いつつ朝食を作る。

 軽く焼いたパンと目玉焼きを持っていき、二人でもそもそ食べる。

「その方、本当に自分の息子さんに使ったんですかね」

「さあ、知りたくもないね。でも前から、恋薬を作ってほしいって願い事は多いから。直接的に叶えるよりも調整がきくし、気持ちが冷めたら飲ませなきゃいいだけの話だからね。楽なんだよ」

「みなさん、いろいろと考えているんですねえ」

「セーリエも欲しかったら、作ってあげないこともないよ。ちゃんと願い事しないとだめだけど、お金はまけてあげる」

 ただならぬ発言に、パンが喉につまる。

「君も女だし、好きな男の一人や二人、いるだろ? 同居人のよしみだ。ただで応援してあげなくもない」

 にやにやしながら言われ、顔が熱くなる。

「そんな人いませんよ」

「どうだかね、火吹き男のジョンは? 格好いいし、良い奴だと思うよ」

「嫌です。あの人、私の顔見て笑うんですよ……しかも、傷のあるところならまだしも、鼻の穴が大きいってからかうんです」

 コーヒーでパンを押し流して、そう答える。

「良い奴じゃない」

「そういう貴方はいないんですか」

「ぼくは恋愛しない主義だからね」

「なら、人にそういうことを言うの止めてくださいよ」

「悪かったよ、でも恋薬ならいつでも作ってあげるから、必要になったら言うんだよ」

 悪びれない様子で、彼は席を立った。からっぽになった向かいの椅子を見ながら、もやもやした気持ちになる。

 この塔に住みはじめて、もう一年もたつ。

最初はがらんどうだった部屋にも生活感が出てきた。リビングにはセーリエの好きな白い花が飾られているし、キッチンにはひとしきり料理道具がそろっている。二階には自室と、仕事部屋がある。最上階の星が見える部屋は、彼の部屋だ。

 二人は今、名前すら知らなかった国の端に住んでいた。大陸の真ん中あたりに位置する、まだまだ発展途上の小国だ。

彼女は街の小さなサーカスに団員として入れてもらい、ささやかながら人形造りを続けられていた。風紀は決していいとは言えないが、前のところに比べたらだいぶマシだった。給料をくれるし、ムチで打ったりしない。

最近ではすっかり慣れてきて、団員達とも仲良くなれた。きちんとした道具と材料を得たおかげで、彼女の人形は人間と見紛うばかりだと評判になっていた。

ニトは金と引きかえに、願い事を叶える仕事を始めた。どこから手に入れてきたのか分からないが、どっさりと人名の載った名簿を毎朝めくっては、気まぐれで選んだ人間の願い事を叶えるのだ。

なんだか魔法使いっていうより、神様みたいですね。そう感想を述べると、彼は嫌そうな顔をした。神様なんて、信じていないよ。本当にそんなものが存在するのだとしたら、ぼくはとっくのとうに、死んでいておかしくないはずだ。

 人生の中で、きっと今が一番すばらしい時なのだろうと、セーリエは思った。毎朝お腹がすいたと起こされて、朝食を食べて、人形を造って、サーカスへ行く。仕事が終わったら、帰ってきた彼と一緒に夕飯を食べる。ときおり、彼の部屋で夜空を観る。それだけだ。それだけの生活が、いとしい。

それなのに、綺麗に食べられた朝食の皿に、からっぽの椅子。そんな風景に満足しようとしない。恋薬をあげるよ、なんて提案をうがって考えてしまっている。

やりきれなくて、溜息を吐いて突っ伏する。彼はもう自室に戻ってしまったのか、居間にはいなかった。

こういう時、彼女はいつもくり返す。この幸せを味わおう。いつか終わるのだろうから、せめてその時までは、と。

ある日、サーカスのテントを張っている広場に、豪華な二頭立ての馬車が止まった。

演目が終わってから、だいぶたっていたから、住みこんでいる者はすでに自室に戻り、通いの者は帰り支度の途中だった。セーリエは火吹き男のジョンにからかわれながら、家路につこうとしていた。

 馬車から降りてきたのは、曲がったヒゲが目立つ執事だった。彼は気取った目で周囲を見わたすと、声を張りあげた。

「セーリエ殿という方は、この中にいらっしゃいますかな」

 ジョンがセーリエを肘でこづいた。

「お前に用みたいだぞ」

「そう、ですね」

 あんな馬車を持つような人が、私に一体どんな用なんだろう。そう思いながら、おそるおそる前に出る。

「わ、私ですが」

 執事は彼女を上から下まで舐めつくすように眺めたあと、ふんと鼻を鳴らした。

「なるほど、まあいいでしょう」

「え?」

 いつの間にやら両脇に、屈強な男二人が立っていた。ジョンは遠くに避難して、手を振っている。

「旦那様をお待たせしては、なりません。さあ行きましょう」

 逆らうことなどできるはずもなく、馬車の中へと連れこまれる。男二人に挟まれながら、馬車の揺れに身を任せる。

セーリエの頭の中は、疑問と今日の夕飯のことでいっぱいだった。せっかく今日は、彼の好きな魚のフライを作ろうと思っていたのに。


 塔に帰りつけたのは、結局真夜中過ぎになってからだった。

そっと扉を開くと、居間にろうそくの明かりが灯っている。絨毯に長い影が落ちているのを見て、緊張する。

もう寝ているだろうと思っていたのに、ニトはソファに腰かけて読書をしていた。

「おかえり」

 彼は顔もあげずにそう言った。

「た、ただいま戻りました」

 なんとなく気まずくて、そろそろと扉を閉める。ぱらり、とページをめくる音がやけに響く。

「遅かったね」

「え、ええ。ちょっと、急な用事がありまして」

「そうかい」

 またもや、ぱらりという音がした。

「ご飯、食べました?」

「外で食べたよ」

「あ、そうですか」

 会話が続かない。居づらさが頂点に達したので、自室に戻ろうと階段に足をかける。

「領主の家に、なんの用?」

 背筋が凍った気がした。悪いことをしているわけでも、なんでもないのに、冷や汗が出る。

「なかなか帰ってこないから、サーカスまで出向いて聞いてきたんだ。そしたら領主に連れていかれたって言われたからさ。なんか用だったの?」

「その、仕事のことで」

「へえ。人形造り?」

「ええ、末のお嬢様のために、造ってほしいと」

「ふーん」

 階段に足をかけた姿勢のまま、質問に答える。あいかわらず、彼は顔をあげない。ぱらり、という音の間隔だけが、だんだんと早くなっていく。

「あ、あの。怒っています?」

 驚異的な速さで本をめくり続ける手が、ぴたりと止まった。やっと顔をあげたかと思うと、睨まれる。

「怒っています? じゃないだろう。これまで君が、こんな時間まで帰ってこないこと無かったのに、領主の家なんかに行っていたって分かったら、普通どうしたんだろうって思うだろ。仕事なら良かったけどさ、君になにかあったらってぼくは」

 彼は言葉につまった。乱暴に本を閉じ、立ちあがる。こっちに向かって歩いてくるので、慌てて道をあける。

「べつに、構わないけどね。君がなにをしていようが、どうなろうが、ぼくの知ったことじゃあない」

 呟きながら、階段を上がっていく背中を、ぽかんとしながら見届ける。どうやら心配してくれていたようだ。

短い蝋燭がさしてある燭台を手に持ち、あとを追う。

らせん階段を登っていくと、夜空が一面に広がる部屋に出た。星空は、彼の一番好きなものだ。

毎度毎度、こんな風景飽きたよと言いながら、それでもずっと眺めている。きっと飽きるくらい一緒にいても、なお傍にあるものだからだろう。

「ニトさん」

 部屋のすみっこの方で寝っ転がっている彼に話しかける。

「なに」

 しばらくして、不機嫌そうな声が返ってきた。少し離れたところに座って、空を見あげる。

「もし私が捕まっていたら、どうするつもりだったんですか」

 たずねながら、こぼれ落ちそうな星々を眺める。

昼間の青空を見るときは、果てしない世界を想うが、夜だけは一人のことを想う時間だとセーリエは思った。

星の一つ一つは手が届かないほど遠いはずなのに、なぜか指先を重ねると、姿が見えなくなるくらいに近しい。捕まえることは叶わなくても、触れた気になれる。

「君が、ぼくの舌を甘やかすのがいけないんだ」

 質問に答えることなく、彼はぽつりと言った。

「この何世紀間、火の通らない食事だけでも全然大丈夫だったのに、君がやれキャベツのスープだ、魚のフライだって作るから。君がいなくなったら、誰もぼくのご飯を作ってくれないだろう」

「それは、ごめんなさい」

「本当に反省してくれよ。君はせいぜい長生きしても、あと四十年ぽっちの人生だっていうのに、人の舌を勝手に調教して、勝手に放置するつもりなんだ」

「ごめんなさい」

「まったくだよ。こんなの最低だ。君はひどい奴だ。ぼくが今まで見てきた人間の中でも、最大級に嫌味ったらしくて、不愉快な奴だ」

 くぐもった声が話し続けるのに、ただひたすた謝る。もう言うことが尽きたのか、最後に「君なんて嫌いだ」とかすかなうめき声が聞こえた。

「私は好きですよ」

 言いかえすと、彼はのそりと体を起こした。苦々しい表情を浮かべている。

「ぼくは、嫌いだ」

 言い含めるような口調に、笑みを浮かべる。

「私は好きです」

「気持ち悪い」

 顔を背けられる。

「嫌いでもいいですよ」

 ついになにも言い返さなくなった彼に、口元がゆるむ。

ああ、自分は本当に、ひどい奴なのかもしれないとセーリエは思った。

でも、嬉しかった。嬉しくて、ひどくて、なんだか泣きそうだった。口を開く。もう止まらなかった。

 ああ、でも、嫌ってくれるなら、ずっと嫌いでいてくださいね。ずっとずっと、私のことを嫌いでいてください。

 





























あっというまに季節は巡り、何度目かの春を迎えた。セーリエもニトも、出会ったあの日を、思い出として語るくらいの長くて短い時間が流れたのだ。

いろんな事があった。セーリエはジョンに告白された。恋薬を使う必要もなかったじゃないかとニトは喜んだが、彼女は断った。

ニトは帝国の魔法使いとして、だんだんと有名になっていた。王宮に呼ばれ、国政に協力してくれないかと頼まれたようだが、これまた断ったようだ。

ただ、貴族の間での評判はうなぎのぼりらしく、また嫌な依頼が増えると嘆いていた。

年を重ねるごとに、セーリエは成熟した女性へと近づいていった。ニトはいつまでも若く、あいかわらず子供のように気ままに過ごしていた。

そんなある日、夕飯後にのんびりとしていると、ニトが「前から言おうと思っていたんだけど」と話しかけてきた。いつもどおりを装っているが、どこか落ちつかない様子で、ソファの背もたれを爪でこすっている。

「その顔の傷、治してあげようか?」

 セーリエは思わず顔を触った。右目あたりから額まで、盛りあがったような感触がする。傷を消そうなんて考えたこともなかったが、これのせいで地を這いずるような人生を送ってきたことは、たしかだった。

「願い事で治すって意味ですよね」

 そう問うと、彼はセーリエの気を悪くさせたようだと考えたのか、あわてて「言っておくけど」と続けた。

「ぼくは、君の傷を気にしたことなんてないよ。でも、ほら君は女の子だし、もしよければって思って」

「気にしてくださって、ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」

 なぜかすとん、と気持ちは決まっていた。彼は驚いたような顔をした。

「反動が気になるの? まあたしかに、不可逆的なものを無理やり戻すから、大きいかもしれないけど……なんなら、適当な浮浪者にお金をつかませて言わせてもいいわけだし」

「そんなこと、できませんよ。それに、申し出は嬉しいですけれど、この傷は大事な傷だから」

「どういう意味?」

 彼は不可解そうに首をかしげた。

「前にニトさん、願い事を叶えることは、運命を歪めることだって説明してくれたじゃないですか」

 暮らしはじめてからすぐ、彼はその力について教えてくれた。

世間が魔法だと噂するそれは、つまりは舞台の裏仕事と一緒なのだと言う。俳優が裏方に打診する行いが、いわゆる願い事なのだと説明してくれたのだ。

「私、この傷があったから、ニトさんと出会って、こうやって暮らせているんです。もし願い事で傷を消して、それが嘘になってしまったら怖いじゃないですか」

「嘘になんて、ならないと思うけれど。それに傷が無かったら、今よりもっと幸せな人生だったかもよ」

「ニトさんは、傷が無いほうがいいって思うんですか?」

 強めの口調で言うと、彼は動揺したように体制を変えた。

「あなたが消したほうがいいって言うのなら、消しますけれど」

「そうは思わないって、さっきから言っているだろ。でもこの先、結婚して子供を産みたいなって望んだときに、ひょっとしたら傷が障害になる可能性だってある。ぼくは、そういうことを危惧しているんだ」

「ジョンが告白してきたときにも、ちょっと思いましたけど……ニトさんは私に早く結婚して、出ていってほしいんですか?」

「違うってば!」

 なにげない質問だったのだが、彼はなんてことを聞くんだとばかりに声を荒げた。予想外の反応にきょとんとしていると、彼は取り乱したことに気まずくなったのか、軽く咳払いをした。

「その、ジョンは良い奴だと思うし、どうして君が断ってしまったのか、いまだに口惜しいけれど。でも、それは関係ないんだ。消したほうが得だって、ぼくが勝手に思っているだけ。せっかく魔法使いと一緒に住んでいるんだ、機会は有効に使ったほうがいいだろ」

「でも、私すでに幸せですから。これ以上幸せになんて、なれないですよ」

 そう言うと、複雑そうな顔をして黙りこまれてしまった。

部屋がしん、と静かになる。このままだと明日まで、ぎこちなさを引きずりそうだ。ふと、思いつきが頭をかすめる。

「ニトさんは、願い事ないんですか?」

「え? なに」

 唐突な質問にピンと来なかったのか、聞き返される。

「いつも人の願い事ばっかり叶えているじゃないですか。だから、たまには自分のことを叶えてもいいんじゃないですか」

 さきほどのセーリエ同様、考えてみたこともなかったのか、彼はしばらく口をぽかんと開いていた。

「私を通せば、なんでも叶えられますよ」

「そりゃあ、そうだけど……君に反動を背負わせてまで叶えたい願い事なんて、ぼくには無いよ」

 奥歯に物が挟まったような言い方だ。

「本当は?」

 彼がなにを願うのか、好奇心が頭をもたげてきた。問いつめると、困ったように視線をそらす。

「無いよ、本当に。ぼくの願い事は、もう叶っている」

「叶っているんですか」

「ああ、今はね」

 形勢が不利だと悟ったのか、彼はそそくさとソファから立ちあがった。

「顔の傷の件、気が変わったらいつでも言うんだよ」

「そんなに、結婚して出ていってほしいんですか」

 はぐらかそうとしているのに気づいて、拗ねたことを言う。

彼は眉尻を下げ、苦笑を浮かべた。

「ううん。でも君は君が思う以上に、幸せになるべきだから」

 そう言うと、階段を登っていってしまった。言い返させてもくれないのか、と落ちこむ。

彼はいつもそうだ。自分勝手でわがままなように見せて、引いた場所からしか物事に関わろうとしない。

人の願い事しか叶えられない魔法使いなんて、どんなに不便だろうとよく思う。そういう話をしたことはないが、きっとこれまでに嫌な経験をたくさんしただろう。今はいい。彼は嫌がるだろうが、いざとなれば、自分が仲介になることができる。でも自分がいなくなったら、また逆戻りだ。

もし、彼の願いを叶えてくれる人がずっと傍に居てくれたなら、彼だってもっと自由に生きられるだろうに。そんな考えが浮かんだ。

自室に戻りながら、この思いつきについて、脳を精いっぱい回転させて考える。

散らばる部品を眺め、机に向かう。くだらないとは分かっていたが、ペンを取らずにはいられなかった。

もしこれが成功したならば、彼の果てしない人生に、私が居たことを残せるのかもしれない。

女々しく醜い思いが胸を埋める。それでも、書くのが止まらなかった。脳裏に描くのは、彼にふさわしい存在だ。天使みたいに綺麗な、女の子。彼を支えてあげられる、そんな人形がいれば、きっと。







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