それぞれの思い
「皇帝陛下がお呼びです。ご足労願えますか?」
皇帝は街に到着した日、離宮に入る前に庁舎の歓待を受け、晩餐の時刻になっても離宮へは来なかった。
あちらにも様々事情があるのかもしれないが、せめて到着時刻を知られるくらいの心遣いがあればとショウコは内心憤慨した。皇帝のために腕を振るって食事を用意した者たちの悲しそうな残念そうな顔を見るのは辛い。自分を軽んじるのは仕方が無いが、それで周りの者たちまで軽く扱うことが許されるだろうか。
そんなわけでショウコは皇帝の到着を出迎えなかった。
こちらに礼を尽くさぬ相手に、礼を尽くすつもりは無い。今ショウコがかの人物を重んじるとすれば、皇帝という立場だけだ。
皇帝の伝言が伝えられたのは、夜も深まりそろそろ休もうかとしていた時だった。ショウコよりいくつか年上であろう使者は、オースキュリテの人間が珍しいのか随分不躾にショウコを観察する。
「姫様はもうお休みになります。それに今からご対面の準備は出来ません。明日ということにしていただけませんか?」
アオは使者に向かって、抗議とも取れる返答をした。
「謁見の準備は不要です。皇帝陛下は私室に皇妃様をお呼びです」
「……!」
隣でアオが息を呑むのがわかった。夜に男が女を部屋に呼ぶということが、どういうことか分からないほど子どもではない。
仮に他意はなかったとしても、誤解されても文句は言えないだろう。
10年前に結婚をしておいて今更かもしれないが、その10年の内実を考えればあまりに無礼ではなかろうか。
「分かりました。陛下にお会いします」
但し、と続ける。
「謁見室でお待ちいたします。そうお伝えしてください」
そう言いきったショウコに使者は少々驚きを隠せない表情で、しかしニヤリと笑って退室していった。
「一体なんなんでしょうか、今の男!あれが皇帝付きの人間なんでしょうか?」
アオは憤懣やるかたないといった様子だ。
「それにこんな時刻!こんな時刻に私室に来いだなんて!!いくら皇帝陛下でも、いえ皇帝陛下だからこそ慎むべきですよ」
姫様も突っぱねてやればいいのにー!と叫びながら、アオはショウコの服を調えていく。
「ショウコ様、相手に非がありますよ。こんな時にリュミシャールの服を着て敬意を示す必要なんてありません。それに、確かにあの男は『準備の必要は無い』って言いました!」
アオのあまりの迫力に少々気圧されたが、
「あのね、アオ」
「はい、姫様」
「私も同じことを考えていたわ」
いたずらを企む子どものように笑いあった。
簡単に仕度を済ませて、最後に手に檜扇を持つ。
「ご一緒いたしますか?」
「いいえ、一人でお会いするわ」
「そうですか、では」
にやりと笑い、アオが珍しく正式な礼をとる。
「御武運を、姫様」
「ショウコ様、どちらに行かれますか?」
部屋を出ると、警備のために控えていたケンが心配そうに訪ねてくる。
「謁見室に」
お送りしますと横を歩き出したケンの顔には、こんな時間に何故という疑問が浮かんでいる。
「対決よ」
「は?」
「負けないから、大丈夫」
微笑むショウコに、ケンは訳が分からないながらも御武運をと返して、謁見室に入る背中を見送った。
「なかなか面白いお姫様だったよ」
使者としてショウコの部屋に赴いたシンレットは、たいそう愉快だと言うように笑う。
本来なら大臣職にある彼の仕事ではないが、本人たっての希望の裏には相手の観察という思惑があったようだ。
「それで、オースキュリテの姫は応じたのか?」
非常識な時間ではあるが、面倒ごとを明日にまで持ち越すのは避けたい。こちらとしても短くは無い距離の移動と突然の官舎での歓待で疲れていないわけではない。出来れば後顧の憂い無くゆっくりと今日は休みたかった。
それに異国の姫を試したいという思いがあったことも確かだ。
「応じるには応じたけどね、この部屋には来ない。『謁見室でお待ちいたします』だってさ」
初めてレイヴスが関心を示した。
「皇帝に、注文をつけてきたか」
意識して口元に笑みを浮かべる。
不快ではなく、かといって愉快でもない。それは相手に対する純粋な興味。
「まぁなんか怒ってるみたいだったしね。一筋縄ではいかない、かな?」
「それは会って確かめる。……いずれにせよ、こちらの要求を受け入れさせることに変わりは無いが」
グラスの酒を飲み干し、席を立つ。
「僕も一緒に行くべきかな?」
「いらん。そんな暇があったら溜まった仕事を片付けろ」
それが嫌なんだよなーと言いながらも書類に向き合うシンレットを尻目に、部屋を出た。
付いてこようとする衛兵を身振りで制し、一人歩き出す。
10年前の印象など、ひどくおぼろげだ。覚えているのはオースキュリテの民特有の黒い髪と黒い瞳。青白い顔と震える矮躯に拙い言葉。
「さて、どう変わったものか」
扱いやすい人形なら問題は無い。着飾ることだけが楽しみの女でもいい。どんなに愚かであっても、こちらに歯向かうことさえしなければ。
しかしシンは『面白い』と表現した。一筋縄ではいかない、とも。
その真意はどこにあるのか。
かくして二人は対面を果たした。
当初予定していた歓待も無く、穏やかな空気もそこには無く。他に誰もいない中、深夜の謁見室で赤と紅の瞳と、漆黒の瞳が向き合う。
その場を支配するのは、絶対的な静寂ばかり。
ショウコがふと微笑む。
それは名工が手がけた宝石細工のような、触れることを躊躇う微笑み。人から賞賛される為だけにある、決して手に入らない孤高の至宝。
「お久しゅうございます、皇帝陛下」
皇帝という立場に最大級の敬意を、個人としての振る舞いに静かな侮蔑をこめて、ショウコは完璧な作法で礼をとる。
砂漠の夜のような黒髪が、オースキュリテの衣装から流れて揺れた。
『こういう経緯でショウコさんは不機嫌なのでした』の話でした。
お互いに自分の事情を抱えていると、理解しあうのは難しいですね。しかも第三者の思惑まで絡んできたら、なにかきっかけがないと収拾するのは困難です。
次回、ショウコさんいわく「対決」開始です。次回更新は6月28日くらいを予定しています。時間が空いてしまってごめんなさい。
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