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砂漠の蝶  作者: Akka
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事の幕引き

「皇后陛下!ただ今っ後宮区画で…!」


飛び込んできた知らせに驚くというよりは、ついに来たかと諦めの気持ちのほうが強かった。

相容れない人間を普段よりも狭い空間に押し込んでいるのだから、当然厄介ごとは起こるだろうと予測していた。しかしいよいよ後宮の改修も大詰めというときまで大きなことはなかったので、気を抜いていたのも確かだ。

「状況は?」

隣のロイが呆れたように尋ねる。

ロイにとってはショウコがここにいて無事なのだから、他は瑣末だ。責任問題にならない程度に解決できればそれでいい。

「下女が皇妃様を襲ったようで…刃物を持っていると!」

「うっわ。女って怖いね」

「イル殿、茶化さないでください。それで?立て籠もっているの?」

そういいながらショウコも冷めていた。

どうせ長くは続かない。小娘一人その気になれば何とでもなる。

飛び込んできた執務官は焦れたように叫んだ。

おそらくシンレットのところにも行って、それでも同じような反応しか返ってこなかったのだろう。

「何故そんなっ!陛下がいらっしゃるんですよ!?」


「……陛下が小娘一人に不覚を取るとは思えません」

冷静に言いながらもショウコは対応にしくじったと感じていた。

脇目で窺えばロイも不機嫌のせいかと見紛うほど僅かではあるが、表情を曇らせている。

レイヴスは後宮区画にはいないと知っているショウコたちには、問題の本質は皇妃の救助であるが他からすれば皇帝の安否である。追いつかなかった思考を悔いながら、ショウコは不自然にならない切り抜け方を模索する。

「いやでもさ、一応夫婦でしょ?心配する振りくらいしなよ」

イルの余計な茶々が入る。

しかしそれは一蹴された。

「皇后陛下!近衛軍に後宮区画に入る許可を頂きたい!」

「必要ないわ。私が行きます」

後宮区画にレイヴスはいない。

そのことを公にするわけにはいかないし、ショウコには自分ひとりで解決できる勝算が十分にあった。それが明らかだからこそ、ロイも何も言わない。

それはショウコにしてみれば当然で、シンレットもきっと同じ事を考えたに違いない。

「陛下!許可を!」

「後宮へ男性が立ち入る許可を出せるのは陛下だけよ。知っているでしょう?」

「それでも!お願いします!」

いつの間にか執務室の前には人だかりが出来ていた。

執務官や王城の下働きの者もいるが、その中に近衛兵が混じっている。

そして朝議で見かける顔が一つ。

「…あなたは……」

ようやく椅子から立ち上がり、ショウコは執務官を通り越してその人物に歩み寄る。

しっかりと家系図が頭に入っていたわけではない。しかしその場の誰よりも心配そうな顔をみれば分かる。

「……娘を、助けたいだけなんです」

しわがれた声。

危うい自制の上にどうにか平静を保っているのだろうと分かる、父親の声。

衆人環視のこの場で、皇帝などどうでもいい、娘を助けたいだけだと言い切れる愚かしいまでの親の愛情。

こんなものは知らない。これほどまでの無償の愛を知らない。触れたことがない。

眩しくて、眩しすぎて痛い。

「助けます。陛下もいらっしゃる。安心しろとは言えませんが、そこで心配していてくだされば結構です」

手出しは無用と言い切られ、膝が崩れる。

ショウコはそれに構うことなく視線を集めたまま歩きながら指示を飛ばす。

「ロイ、もしものために医師を待機。執務官あなたたち、何をしているの?牢の準備と調書を取る準備を進めなさい。娘の身元が分かっているなら親元に連絡を」

「御意。他には?」

「…ケンに伝えて。『貴人の警護の基本』を用意してと」

そしてショウコは後宮区画に向かって歩き出した。










それとほぼ時を同じくして、全く異なる理由でレイヴスは潜んでいた場所を出て駆け出した。

偶然にしては出来すぎている。

仕組まれたにしても出来すぎている。

だからこれは仕組まれたと考えるべきなのだろう。

人目につかずに後宮区画まで抜ける道を走るが、それでも途中ですれ違った人間は申し訳ないが眠ってもらう。多少脳を揺さぶれば前後の記憶は曖昧になるが、それ以上の障害はないだろう。

間違いなくショウコは一人で皇妃を助けに向かうだろう。

それ以外に選択肢はない。

後宮の問題だけならば放っておいた。いくらでも誤魔化しがきくだろうから。

まだ機は熟していない。今出て行けばあとは力技で押し切るしかなくなってしまうだろう。そんなものは趣味じゃない。

「……愚弟がっ」

噛み締めた歯の間をこじ開けるように漏れた呟きを聞く者はない。

秘密裏にもたらされた情報は皇帝として看過できないものだった。それが公になる前に戻らなければ、すべての偽りが露見する。それこそレイヴスが温めてきた構想どころの話ではない。


しかしそれよりも根底にあった想い。

皇帝としての立場も兄としての立場もなく、ただ無意識に浮かんだものがあった。

その知らせを聞くときに。

側にいてやりたいと、そう思った。











阿鼻叫喚の地獄絵図があるのかと思っていた。

しかし予想外と言っていいほど、後宮区画は静かだった。

勿論すすり泣く者や、疲れきった顔をしている者もいる。

しかし大多数が抱えているのは、無関心で無責任な興味だけだった。

そして皆が等距離を保つ扉。

見てはいけないと決まっているのだろうか。誰もが好奇心に負けて視線を動かし、何に咎められたわけでもないのにすぐに逸らす。

扉の前に立っても物音はしない。周囲との距離を確認して一息に扉を開け放った。


倒れた花瓶に捲れ上がった敷物。

その奥に窓を背にしているのは皇妃の首筋に小さな刃物を突きつけた少女と、気を失ってぐったりとしている皇妃だ。

ショウコを見ても全く動揺することはない。その姿はどう見ても異様だ。

「……その人を放しなさい。それからどうする見込みもないのでしょう?」

「……。」

ゆらりと揺れただけで全く反応はない。

少女は皇妃よりずっと小柄だ。それなのに意識のない人間を支えて全く疲れた様子がない。

「…反吐が出るわね」

それは少女に向けたものではない。

似た様子の人間には馴染みがあった。

ショウコがドーブに移ったばかりのころ、頻繁に刺客が送られてきた。

命を狙う者から証言能力をなくす程度の障害を負わせようとする者、民族人種性別諸々は様々だったが、共通していたのはその異様なほどの身体能力だった。

殴ろうが蹴り飛ばそうが切り捨てようが、命が尽きるその瞬間まで刺客たちは動き続けた。それは気力や根性というものでは説明がつかない。痛覚が欠如しているとしか思えなかった。

幼心に気味が悪いと思った。

最終的には問答無用でケンが切り捨てたがリュミシャールの刺客なのかオースキュリテの刺客なのかは分かっていなかった。ここに来て積年の疑問が解決するとは皮肉と言うか偶然と言うか。

「要求があるなら、聞きましょう」

倒れた椅子を起こして腰掛ける。

単なる時間稼ぎで反応は期待していなかったが、意外なことに少女は口を開いた。

「陛下」

「?」

「何故我々を切り捨てようとなさいますか」

「…何?」

「敬愛なる陛下。それを誰が望みましょう」

少女が言う陛下はショウコではない。少なくともショウコに敬愛なるという表現は使われない。

虚ろな表情で口を開く少女は何も見ていない。瞬きさえしていない。

おそらく裏で糸を引く人間は、最初に現れる『陛下』はレイヴスと想定していたに違いない。後宮にレイヴスがいると思っているならそれも当然だろう。

ふと暗くなった部屋でショウコは思わず椅子から立ち上がった。

「親愛なる陛下。我々は……」

「…っ!」

もう一度暗くなった瞬間を見計らって、ショウコは少女と皇妃の奥の壁目掛けて椅子を投げつけた。

意外な重みに的が外れて、椅子は窓にぶつかり派手な音を立てて大きな窓の硝子が割れた。

一瞬注意がそれた隙に間合いを詰めてショウコは力任せに皇妃の腕を引く。支えきれず諸共倒れこんだ。


細かい硝子片が降り注ぐ中、飛び込んできた人影にショウコは腹立たしいほどの安堵感を覚えた。

何のためらいもなく少女を気絶させる手際は見事としか言いようがない。

「……怪我は!?」

久々に聞いた声に、緊張の糸が完全に切れた。

窓に映った影でそこにいるのは気が付いていた。しかしそれだけだ。

こんな力任せで行き当たりばったり、意思の疎通も何もないような手段が功を奏するか勝算は半々だった。

この事件ではなく、横にいるべき人がいないという状況に耐えた数日分の重さを一気に感じる。

「……陛、下」

むしろ怪我をしているのはレイヴスだ。

ショウコが渾身の力で投げつけた椅子が割った硝子片は窓の外に潜んでいたレイヴスに向かっていったのだから。

「大丈夫です。おそらくずっと気を失っていたのだと」

ショウコの横の皇妃が大きな音に意識を取り戻したらしく、身じろぎをする。その表情を覗こうと身を屈めると、焦れたように腕を引かれて立たされた。

「違う!お前だ!怪我は!?」

「…ございません」

あまりの迫力に何故かすみませんと続けてしまったショウコに、レイヴスは一つ息を吐いて抱きしめた。

「…陛下のほうがお怪我を。いえ、それよりも。一体どちらに雲隠れを?その前に状況の報告でしょうか。私にも分からないことがあるのですが…」

突然の行動に驚いて支離滅裂になるショウコの言葉をレイヴスは腕の力と短い言葉で遮った。

「いい」

吐息とともに短い言葉が耳朶をくすぐる。

あまりの距離の近さに驚いて身じろぎしようとしたが、それは強い力に阻まれた。

「え?」

「今はいい。無事で…良かった」

無責任を責める言葉や、数日の恨み言は用意してあった。

それなのにずるい。

こんなことを言われたら、もう何も言えない。

「陛下も…」

恐る恐る腕を回して僅かに力を込める。

声もらしくなく震えてしまう。

「ご無事で…よろしゅうございました」








外が騒がしくなったのを契機に二人は後宮を出た。

いつまでもゆっくりしていることは出来ない立場だということは分かっているが、落ち着かないものだと思う。一段落したら熟成させてきた恨み言をぶつけてやろうと密かに誓う。

無論少女に縄をかけるなどの処置は行ったが、明らかに利用されたとわかる少女にそれ以上のことは出来なかった。

一体誰がと零したショウコに対してレイヴスはさぁなと気のない返事をした。

それは特定できないと言っているのか特定することに意味がないと言っているのか判断できなかった。あまり踏み込むのも気が引けて、結局ショウコは口をつぐむ。

「これから慌しくなるな」

「誰のせいでしょう」

明らかに雲隠れしていた誰かさんの責任だ。それなら一人で処理してくれと思わないでもない。

しかしレイヴスはそれ以上口を開く気がないらしく、面倒くさそうに髪をかきあげた。

よくよく見ればその格好はどこかくたびれていて、表情にも疲れが窺える。

しかしそれについて言及する時間はショウコには与えられなかった。

無事を祝う言葉も、労を労う言葉もない。

悲鳴混じりの報告は信じがたく、それでも周囲の表情が真実だと告げていた。


確かに感じたはずの安堵感も、手のひらから零れ落ちる。

耳を疑う報告に横の存在さえも希薄になった。


立ち止まったのは一瞬。

弾かれたように走り出したとき、何も考えていなかった。

自分を呼ぶ声も引き止める腕も振り払って、ショウコは日頃の優雅さとはかけ離れたいっそ無様といっていい位の必死さで駆け出す。


転がり込むようにたどり着いた部屋で見たものは床に広がる一面の赤。


そして切り離された首と身体。


あまりの惨劇に誰もが目を背ける中、ショウコはそれを呆然と見つめたまま力なく床に座り込んだ。

ひたりひたりとなおも広がり続ける赤が服を濡らす。

その痩躯になぜこれほどの血があるのだろうと、場違いな感想が浮かび上がる。


「……イル殿…」


当然ながら、返答は、ない。



久々の更新です。お待たせいたしました。

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