交錯する思惑
今回短めです。
為政者が板についてきたな、と思う。
少し前までは、花がほころぶようなと形容される微笑や完璧に美しい作り物のような笑みを浮かべることが多かった。
この顔は違う。
たまにレイヴスもこういう顔をする。
シンレットとて正確に形容することは出来ないが、それだけで人を動かす顔だ。
どんな厄介ごともその表情一つで受け入れてしまう、力のある顔とでも言えばいいのだろうか。
旧王都に行った帰り、シンレットはショウコにもっと偉ぶれと言った。
10年もの間ひっそりと暮らしてきたせいか、ショウコはその地位と身分にそぐわないほど誰に対しても対等だった。
他者を尊重する姿勢は美徳だ。
しかし時として人は圧倒的なものの前にしか膝を折らない。
政治には多くの反対を押し切る傲慢さも必要だ。
今回の一件の最大の収穫は、ショウコがそれを体得したことだろう。
そこだけは、イルに感謝してもいいかもしれない。思いがけない副産物だった。
政務も滞りなく流れているし、表立った問題はない。
しかしこれほど長く皇帝が不在でも滞りないという状況こそ、本来異常ではないだろうか。
「レイ……何をしている?」
返る言葉は当然ない。
渦巻く不安を振り払うように頭を振りゆっくりと息を吐く。
一度伏せた目がもう一度開いたとき、そこには不安の色は残っていなかった。
「そうか。下がっていい」
空気が僅かに動いたことで、退室したのだと知る。気配の無さにかけては一級品だ。
皇帝直属の機関としては近衛軍が有名だ。
しかし歴代皇帝が用いてきたのはむしろ裏の仕事を専門に引き受ける、器官と総称される部隊だ。
機関と器官。笑えるような区分けだが、それが長い間器官の隠密性を保ってきた。
見たことを皇帝に報告する目。
聞いたことを皇帝に伝える耳。
皇帝からの指示を他に伝える口。
そして実行部隊の手。
この各部隊につながりはなく、すべての行動を把握しているのは皇帝一人だ。自らを頭と自称した皇帝もいたというから、その繋がりは代々強固なものだと知れる。
以前ショウコに後宮には耳と目がいると言ったことがあったが、当然王城内のいたるところにすべての部隊が揃っている。
今回の一件についても当然レイヴスは各部隊を通して状況を把握してきたし、場合によっては状況を動かしもした。殆ど計画通りといっても過言ではない。
しかし。
「……気に食わない」
口にしてしまうとそれだけのことだ。
気に食わないだけで問題があるわけではない。単なる気分の問題で、差しさわりがあるわけではない。
粗末な椅子が体重を受けて軋む。
普段の生活からは考えられないほど、身の回りは粗末なものだ。
戦場では月の下で眠ることもあるし、そうでなくても緊急時の天幕に比べればずっとましだ。だから生活が苦になって気が立っているわけではない。
認めるのは悔しいが、苛立ちの原因は報告の中身だ。
獣脂独特の臭いが立ち込める精製していない油は、灯りも弱い。
誰にも見咎められることがないのをいいことに、レイヴスは怜悧と評される顔を思い切りしかめた。
自分が表に出て行かない言い訳を作り出さなければならないのは、理解できる。
その状況に導いたという認識もある。
しかしどうしてその言い訳が子作りなのか。
しかもその間にショウコ自身は仕事をする気だ。曲がりなりにも皇后が、寵を競う心算はないと断言しているようなものだ。それを疑問に思わない周囲も如何なものか。
「……後で見ていろ…」
地を這うような声で不穏な独り言を残しつつ、早急に事態を収拾することを心に誓う。
そのためにレイヴスはいくつかの束になった資料に手を伸ばした。
本来この事案に手をつけるのは数年先だと思っていた。
しかし計算外であった新たな政治力―――しかも裏切る可能性は極端に低い―――が加わり、計画が前倒しになったのは嬉しい誤算だった。
二大国の一つとして強大な力を有するリュミシャールも、内実はそれほど盤石ではない。
表面化していないだけで、部族間の争いや民族紛争、経済闘争から領土問題までおおよそどこの国でも頭を抱えるだろう問題が山積している。
その中でも頭痛の種は階級間の思想の乖離だとレイヴスは常々考えてきた。
良くも悪くも民衆は利に聡い。
彼らの行動を決するのは己のあるいは属する集団の利害であり、リュミシャールという国に愛着はあるだろうが仮に明日から皇帝が変わるとなっても、日常に変化がなければ受け入れるだろう。国民が国とともに滅ぶことを選ぶとしたら、それは為政者の洗脳と煽動だ。
対して貴族はどうか。
彼らは時として国と滅びることを選ぶ。国を滅ぼすことを選ぶ。玉座を望む。結託し裏切り癒着する。
それを阻むことなど出来ない。しかし放置しておくことも出来ない。
出来るのは内実を可視化することだ。
レイヴスが着手しているのはそのための梃入れだ。脳裏に別々の理由で二人の友人の顔が浮かんだが、それは私情だと切り捨てる。
おそらくあと数日あれば、公表できるところまで漕ぎつけられるだろう。
そうしたら。
竪琴を聞きながら茶が飲みたい。
誰の側で、というのは悔しいことに分かりきっていた。
予想外だ、というのが大半の意見だった。
人質としてやってきて皇后としての実権を有する今、他の皇帝候補を認めるはずがないと思っていた。
もし実現してしまえば、皇后が有する権限はすべて失われる。それが皇后の祖国のためになるはずがない。
予想外だ。
どうする。
ざわめく室内は灯りが落とされ、そこに居並ぶ人間の顔は判別できない。
それでいい。
誰が発言したのかなど問題ではない。
要は大勢の意見が決せられればいいのだから。
このような集会はここだけでなく数箇所で開かれているだろう。
各々が主張するところは分かっている。
しかしすべて想定どおりにことが運んでいる集団はないだろう。
ある場所では皇帝を批判し。
ある場所では皇后を批判し。
ある場所では皇統の正当性を説き、ある場所は過激な正当性の誇示を説く。
語られる正論と弄される詭弁。
すべては夜の薄暗がりの中で行われている。
議会などまともに機能していない。
旧弊を引きずった選出方法さえ曖昧な議席を占めるのは古狸だ。
権限が与えられる大臣は皇帝の一存によって決まる。
近衛軍に入るには厳しい審査があり、皇帝に忠誠を誓うという特性上貴族としての力はなくなってしまう。
執務官として地道に経歴を重ねるには、自尊心が高すぎる。
力が欲しいなら暗躍しろ。
そういう風潮が生まれてもおかしくはない。
獅子身中の虫。
食い荒らした後に待っているのは己の破滅だと気が付いていない。
皇室に依存していると自覚していない。
あるいは国全体がそうであるという思い込み。
それに英断の斧が振り下ろされるのは、そう遠い話ではない。
しかしその斧はあまりに強力で強大で、罪のない血まで流さずにはいられないだろう。
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