蛹のオアシス
「姫様、どこに行きましょう?ちなみに私は、新しく出来たお菓子屋さんに行きたいです!美味しい揚げ菓子があるって聞いたんですよぅ!!」
「それも素敵だけど、まずは広場に行きましょう」
「あう〜。広場にお菓子を持っていくっていうのはどうですか?」
「アオ、ショウコ様に従え」
「お菓子屋さんが先でもいいわよ。但し、アオが全員分買ってくれるのよね?」
「はうぁっ!姫様の意地悪!」
「アオッ!!」
ドーブは帝都から半日の、オアシスに栄えた街だ。決して大きな規模の街ではないが、首都に入る前に旅商人が休む街であり活気に溢れている。
この街の生命線であるオアシスは商業地区からは少し離れた場所にある。水が貴重なこの国では、オアシスを汚すことがないように多少の不便を我慢しているのだ。
これは「水の国」と言われるオースキュリテからきたショウコには、意外な感覚だった。オースキュリテではしばしば水は家を流し田畑の実りを脅かす脅威だった。雨を降らせる雲は、植物の成長を阻害した。
ショウコはこの国に来て初めて、水は本当の意味で生命の源泉であると感じたのだ。
「あ、お姫様だ!」
「アオちゃんさんもいる」
「こんにちわ!!」
広場ではいつも子どもたちが遊んでいる。彼らといつも本気でやりあうアオは、いつのまにか『アオちゃんさん』と年上扱いされているのかされていないのか判別つかない呼び方をされるようになった。ケンはその口数の少なさと武人の体格からか、いささか子どもたちからは敬遠されている。
「こんにちわ、今日も暑いわね」
「ね、お姫様、いつもの弾いて!」
「あ〜。ごめんなさい、今日は忘れてきちゃった」
ショウコはここに来るときに、よく竪琴を持ってきていた。どちらかと言うと宮廷付きの詩人が使うような楽器なので、子どもたちには珍しかったらしく、弾いて弾いてとねだられたのだ。
ショウコもこの街に来てから初めて扱った楽器だが、「琴が縦になったと思えばいい」という妙な理屈と共に、教則本と格闘しながら独学で練習を始めたものだ。いつの間にかそれなりの腕前になっていた。
不満を口にする子どもたちをケンが軽く見ると、とたんに静かになった。ケンにとっては軽く見たでも子どもたちにしたら睨まれたに分類される。
「じゃあ、お話して。水の国のお話」
「王子様とお姫様のお話にしてね。王子様がお城を追い出されて、遠いところに着いた続き」
「違うよ、強い人が剣で草を切って切って切りまくって火事を食い止めた話だよ!」
他の子どもも参入して、今度は話の内容を巡って喧嘩が始まった。喧嘩と言っても微笑ましい物だ。ケンはショウコが巻き込まれない限り静観している。
「じゃあ!」
パンッとアオが大きく手をたたく。
「私がオースキュリテの怖〜いお話を、してあげよう!」
びくっと子どもたちが固まる。
『アオの怖い話』それは子どもたちに一番人気かつ最も評判の悪い伝家の宝刀である。
さんさんと降り注ぐ太陽の下でも背筋が凍るのだから、夜に聞いたらおして知るべし。ショウコもかつて散々泣かされた経験がある。
「うそつきなお人形の話でいいかしら?」
こくこくと頷く様子が可愛らしい。きっともうすぐ会えなくなるけれど、遠くにいてもこの存在のために出来ることがあるだ。
きっと、今よりもたくさん。
子どもたちと別れ、商業区画に戻ってきた。
「姫様、今度こそお菓子屋さんに行きましょう!」
「アオはお菓子屋さんに行って頂戴。ついでに飲み物も買って、先に戻っていてくれる?」
「何でですか?一緒に行きましょう?」
「お金は私が出すから。私はいつものお店に行って来るわ。アオは興味ないでしょう?」
分かりましたと軽い足取りでアオは雑踏に消えていった。あれではアオのほうが帰りが遅いかもしれない。本人に自覚は無くても、あの底抜けの明るさには幾度と無く救われて来た。
「ケンは用事が無かったら私に付き合ってほしいのだけれど?」
「お供いたします、ショウコ様」
二人は並んで歩き出す。三人でいるときとは違い、二人でいるときケンが立つ位置はほんの前になってショウコに並ぶ。もしかしたら気のせいかと思うくらいではあるけれど。
「こんにちは、ご店主。お久しぶりです」
ショウコが訪ねたのは、この街で一番豊富な品揃えの書店だ。といっても娯楽本は殆ど無く、大部分は読む人が限定される学術書の類だ。並んだ背表紙は独特の威圧感を放っている。
「また来たのかい、お姫さん。何度も言うがあんたが読むような本は置いとらんよ」
店主のいつもの台詞に苦笑する。ちなみにケンは初めてこの店を訪ねたときに店主と喧嘩して以来、奥に入ろうとはしなくなった。今も中を窺うことが出来る位置で鋭い眼光を放っている。
「まったく、あんたが法律だの経済だの。挙句政治だ。そんなもの一体どこで使う必要があるんだか分からんよ」
ぶつぶつ言いながらどんどん本を積み上げていく。
ショウコが読むべき本など無いといいながらも、この店主はいつも目ぼしい本を紹介し、希望すれば希少価値の高いものも探してきてくれた。
「他の本も読んでいますよ。前は子どもたちに物語の読み聞かせをしたんですから」
「あんたの言う『他の本』は宗教だの地理学だのそんなものだ。どうせその読み聞かせとやらも、小難しい話で評判悪かったじゃろ」
その通りなので何も言えないのが辛いところだ。
「今回はこんなもんじゃな。後は勝手に選べ」
「いえ、全部いただきます。あと、いままで保留にしていた本も全て」
店主は片眉を上げてショウコをみた。
「へぇ、そりゃぁまた。わしは国外に貴重な書物が大量に流出する心配をするべきかの?」
「今度はいつ来られるか分からないので。とりあえず、持てる分だけ持って行きます。後は今日中に取りに来ますから」
「……。帝都に、行くんじゃろ?」
否定も肯定もしない。曖昧に笑うにとどめておく。
この店主は皮肉屋でとても鋭いから、下手に言い訳をすべきではない。
代金を渡して軽く頭を下げる。店を出ようとすると後ろから不機嫌な声がかかった。
「後でわしが届けてやるよ。途中でちょろまかされてこっちに責任転嫁されちゃたまらんからな」
「じゃあ、よろしくお願いします」
それだけ言って店を出た。
なんて分かりにくい餞別だろう。でも、最上級の餞だ。
「ねぇ、ケン」
「はい」
「私は、幸せね」
町の人に受け入れられて、子どもたちはなついてくれた。別れを惜しんでくれる人がいる。
「ショウコ様」
「何かしら?」
「今回の件、拒否は出来ませんか?」
「しないわ」
出来る出来ないではなく、しない。
まっすぐにケンを見上げる。ケンは珍しく、何か迷っているような瞳をしていた。
「私は自分で選ぶのよ。押し付けられるのではなく、自分で選び取るの」
無理やりにでも、笑ってみせる。ケンは何故だか泣きそうな顔をしてた。
屋敷に戻るとやっぱりアオはまだ帰っていなかった。予想通りとケンがつぶやき、それを聞いたショウコは随分の間笑っていた。
しばらくして帰ってきたアオと、お茶を飲んでお菓子をつまむ。とてつもなく大量に買ってきたお菓子は皆に配った。人の財布を使うアオは、とんでもなく気前がいい。
本を運んでくれた店主に渡そうと思ったら、もう帰った後だった。素直じゃないなぁとひとしきり皆で笑い合った。
そんなことをして過ごした一日。
深夜、ショウコは窓から広がる砂漠を見た。こっちへおいでと誘われているようで、夜の砂漠は何度見ても気分がざわめく。
「10年ぶりか……」
状況は変わった。
自分は変わっただろうか。
相手は変わったのだろうか。
小さなつぶやきは砂漠の砂に飲み込まれていった。
次あたり、10年ぶりの再会の予定です。甘いものには・・・なりません。
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