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砂漠の蝶  作者: Akka
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浮遊する思い 3

そろそろ限界だということは、見る人が見れば明らかだった。


皇帝の決定でなければ動かない事案もある。

それをショウコやシンレットが認められた権限の中で処理してきたが、綻びがないわけではない。

例えるなら、塞き止められた川の本流に支流を作るような作業だ。

それでも事情を知る者は一人として限界だと口にしない。

何といっても皇帝は表向きは静養中である。

健康に大きな問題はないが、疲れが出たと発表している以上、決壊させるわけにはいかない。

法の抜け道を探して、やり過ごすような状況が続いていた。







夜半に回廊を歩いていると思わず光に目が行った。

他の部屋は既に暗くなっているというのにこんな時間まで仕事を続けているのか呆れる。

まぁ人のことを言えた口ではないが。

「お疲れですね」

疑問でさえないのは、シンレットとて疲れきっているからだ。

同じ量の仕事をしていて疲れていないわけはないが、疲れているかと聞けばショウコは否定するだろう。

突然の来訪にも驚かず、ショウコは僅かに顔の筋肉だけで笑ってみせた。

「否定し得ないわね」

微妙な言い回しだが、それだけに伝わってしまう。

正直シンレットは今回のレイヴスの失踪について、全く心配していない。

ショウコと同様、レイヴスの身に危険があるとは露ほども思わない。

しかしショウコにすべてを任せて、と言えば聞こえはいいが放り出していった状況については読めなかった。

おそらくレイヴスの期待通りショウコは動いている。間近で見ているシンレットに言わせれば期待以上だ。

その期待以上の働きを以ってしても、限界は近づいてきている。

それなのにレイヴスはまだ姿を見せない。この状況を見ていないはずはないのに。

シンレットは初めて友人で主であるレイヴスに対して苛立ちを感じた。

「限界でしょう」

ショウコが疲れた顔を向ける。しかしそこには若干怪訝そうな表情が浮かんでいた。

「これ以上は我々だけでは対処できません。私兵を動かしてでも陛下を捜しましょう」

「……」

「意地を張っている場合ではないと思いますが」

「そんな心算はないわ」

「では、無理、でしょうか。これ以上はお体も国政ももちません」

「……分かっているわ。でも、もう少しだけ」

ショウコとて自分を過信しているわけではない。むしろ一番最初に限界に気が付いたのはショウコだろう。日々流れてくる書類は僅かな綻びを如実に伝えてくる。

それでもショウコはシンレットに食い下がった。

「陛下は我侭で尊大で傲慢で自分勝手ですが、無責任ではないから。何か事情があるはずでしょう?」

その答えを知りたかった。

正直言って今回の事態は不確定要素が多すぎる。

イルを送り込んできた王党派の貴族の動きは中途半端だし、イル本人は言うまでもない。ショウコとてそれなりに思惑があって動いているが、それ以上に今揺れているのは王党派には与さない貴族だろう。それに加えてレイヴスの考えはさっぱり理解できないし、それらのどれにも当てはまらない流れも存在しているのだろう。

これでは混迷していて当然だ。

「シンレット殿も会合があるのでしょう?もう下がっていいわ」

国内で五指に入る名門トリスバール家。思惑がないはずがない。それにシンレットが与するのかは分からないし、いずれにしてもシンレット一人の自由意思というわけにはいかないのだろう。

仕草だけで退室の挨拶に答えると、ショウコは誰もいなくなった執務室で瞳を閉じた。

レイヴスがいない穴を埋める方法がないわけではない。

しかもショウコが代行するよりも本来はずっと簡単で正攻法だ。これまではずっと避けようとしてきたむしろそれは最低の選択肢で、誰も言い出さないのをいいことに黙殺してきた。

だが限界だ。

レイヴスとてこの状況に気が付いていないはずはないだろう。また、この流れを読んでいないはずもない。

ならば予定調和だろうか。

ショウコの気がかりは、それを実行に移すことでレイヴスが進めているであろう何らかの計画に影響が生じることだ。


そろそろ悩むのにも飽きた。結論を出さなければならない時期だ。

極論としては、――――自分ならどうするか。

ショウコがレイヴスの立場だったら予想できるか否か。


首にかかる二本の鎖に指を滑らせる。

一つはレイヴスから贈られた紅玉の指輪。もう一つは皇后の印章。

胸元で重なり小さく硬質な音を立てる。

二つの重さをこれほど感じたことはない。

それだけ大きな決断であることは分かっている。


空にはぽっかりと半月が浮かんでいた。










静まり返った朝議の席で、ショウコは静かに場を見渡した。

納得した顔は一つもない。嫌がる顔もない。皆一様に冗談だろうとでも言いたげだ。

「今……何と?」

小鳥のさえずりの次に静寂を破ったのは、何とも頼りない声だった。横目で今日初めて朝議に参加した、正しくはショウコが引きずり出してきたイルを窺うと、状況についていけていないのは明らかだった。

予想通りだ。このまま押し通す。

悠然と腰掛けたまま、その実つま先は緊張で冷え切っているのを意識しないようにショウコはいつもより少し濃い紅を引いた唇で言う。

「陛下のお体が戻られるまで、皇位継承権第三位であるイル殿に代行をお願いしては?と申し上げました」

それはまさしく、爆弾だった。


誰もが押し黙った。

皇帝が政務に就くことが出来ない場合、皇位継承権者がその職務を代行することが出来ると法は定めている。

しかしその規定は皇帝が老齢の場合や継承権者が皇帝の実子である場合に適用されるのが殆どだ。最近では先代皇帝が戦場にあったとき、当時皇太子だったレイヴスが皇帝の職務に就いていたことがある。

しかしイルはつい最近王城にやってきた、帝王学も学んでいない若者だ。

「失礼ですが皇后陛下……皇帝陛下はそれほどお体の具合が?」

「いいえ。もうじきご回復なさりますが、暫くは表の職務を控えていただこうかと」

表の、という言葉を強調したショウコに多くの視線が先を促した。

にっこりと微笑む。過剰なほどの笑顔だと自分でも思うが、効果的だろう。

「陛下は表がご多忙ゆえ、奥でのお仕事が滞っていらっしゃる。それでは国のためになりませんものね?」

意訳すれば、後宮で子作りに励んでもらう、だ。

楚々嫋々とした風情で表情も穏やかなまま言葉の内容だけが刺激的だ。その場に居合わせた者はその有り得ない組み合わせに一瞬頭が活動を停止した。

それを見てまだまだ甘いな、とショウコは内心評価を下す。

これくらいの暴言を捌けないでどうするのか。


この嘘は非常に都合が良かった。

普通であれば皇帝の私的空間は意外と人の出入りが多い。しかし今その周辺は一時的に後宮の女たちが暮らしている。これ以上強力な門扉はない。

レイヴスが本当にそこにいるのかが確認できない状況がいとも簡単に作り出せてしまった。

いまだに現実を受け入れていない面々を残して、ショウコは席を立つ。

驚きの内容を分析してみれば、イルに代行をさせるという発表が半分、ショウコが語った赤裸々な後宮事情が半分といったところだろう。

ショウコは公務と割り切っているので、一般的に女性が口にするのを躊躇うような男女の性愛についても抵抗なく言葉にする。それは後宮の人員削減のときも同じだったが、いまだに議会の面々は慣れないらしい。

「何か私を納得させることのできる反論がある者は、昼までに来るように。以上」

後は絶対に振り返らない。

ショウコが出て行けばすぐにあの場は怒号が飛び交う戦場になるだろう。

ただ、そこに取り残されるイルは少し哀れかな、と思った。


皇位継承権者が代行する。簡単なことだ。

しかし誰一人としてイルにその役目を求めていなかったというだけ。

イルを王城に連れてきた者たちにしても、若く健康な皇帝がいる以上イルは本当にただの保険だ。皇帝が暗愚であるなら話は変わるのだろうが、皇帝は議会からも軍部からも更には国民からの支持も篤い。政権の転覆など考えてもいないだろう。

それでも持てる手管は全部使って、状況も出来る限り分析して、その上でこれが最良だ。

限りなく最低に近い、最良ではあるけれど。










「あんた、ほんっとうに無茶するね!?」

息を切らせて部屋に飛び込んできたイルにショウコは内心で舌打をする。

時間を確認すればあと半刻で午後だった。

「間に合うとは思わなかったのに。残念だわ」

「それ本音?!っていうか間に合わないって想定で、昼までに来るように。以上。とか言ったの?それって為政者としてありなんだ!?」

朝議の捨て台詞を再現されて少々気分を害する。微妙に口真似が似ているのがなお嫌だ。

「少し黙ってくれないかしら。これだけ片付けたら話を聞くから。ついでに貴方が開けた扉は閉めてくれると有難いのだけれど?」

後で聞いてくれるならいいやとばかりにおとなしく指示に従うイルは、王城においては希少価値だ。

そんなことを思いながらショウコは署名押印を終えた書類を揃えて机の端に置いた。

あれこれ興味深そうに眺めるイルを席に促し、その向かい側に座った。

「それで、何かご不満?」

「何かって全部だけど」

「どうして?」

「いや、無茶でしょ!」

その言葉は先程も聞いた。ショウコはこめかみを押さえつつ言葉を捜す。

「貴方は皇位継承権者でしょう。義務を履行して欲しいだけです」

反論しようとしたイルを制して、冷ややかに告げる。

「それともここでただ飯食らいになる心算?それはね、貴方がこれまで必死で納めてきた税の無駄遣いなの」

リュミシャールの税はそれほど高いわけではない。しかし決して万人にとって楽な税額でもない。

イルの家の納税額から察するに、それほど収入があったわけではなさそうだ。楽に納めていたわけではないだろう。

「それはっ……無理やり連れてこられたわけで!」

「国は頼んでないわ。安い市井の酒場の水割り程度の血縁とはいえ、どこにいても皇位継承権は変わらないもの。どこにいてくれても結構」

突然来られて迷惑だという意味が伝わったのか、イルはあっさりと黙り込んだ。

そして街の酒場なんて行ったこともないくせにと悔し紛れで見当違いな反論をした。

他愛ない。悪役の気分だ。

「勿論貴方に全権を預けたりしないわ。貴方が裁決する書類には全部『但し、上記内容はすべてレイヴス・シャルディア・リュミシャールによって変更が可能なものとする』と入れるし。優秀な執務官もつけるわよ。裁決はすべて私との連名でなければ効力を生じないという条項も加える」

口にしてみると命令を受ける側にしてみればとんでもない毒薬条項ばかりだ。

自分が命令を受ける立場だとしたらぞっとする。しかしそれ以上にぞっとするのは現状だ。


「つまり、頭の運動は一切不要。機械的に手だけ動かしてくれればそれでいいよ」

割り込んできたのは珍しく着衣を乱したシンレットだ。

閉めたはずの扉が開けられたことにも気が付かないくらい、ショウコも実は気が散っていたらしい。

扉に身体を預けながらシンレットは服の裾を捌く。

「皇后陛下、お人が悪い。あの後の混乱を予想していらっしゃいましたね?」

「昼までに間に合うとは思っていなかったわ」

あっさりとショウコが白状すると、向かいのイルが疲れたように言う。

「あのおっさんたち、凄かった。もう昼になる!今交渉に行かなきゃ時間切れだ!って言って解放してもらったけどさー」

「意外と機転が利きましたね。まぁ、話は聞いた。さっさと了承してください」

「あんた反対してただろ!」

泡を食って叫ぶイルに、シンレットは馬鹿にしきった表情を浮かべた。

性格の悪さがにじみ出たような嘲笑だ。前言撤回。悪役は誰が見てもシンレットだ。

「家の手前、というのもありまして。何かあっても貴方は皇位継承権を放棄するくらいしか責任が取れないんだから、失うものなんて無いでしょう?」

シンレットの最終目的が垣間見える発言だが、ショウコはあえてそれを無視することにした。

「議会の賛同は得られたの?」

「賛同、と言いますか…法文がある以上、代替案を示せなければ認めるほかありません。ですが、ほとぼりが冷めたら法の改正に踏み切ることになりましょう」

「それには賛成。解釈だけの問題なら、皇帝を軟禁して皇位継承権者が実権を握ることさえ可能だもの。穴が大きすぎるわ」

その穴を最大限活用したショウコでさえ、不完全さは是正されなければと思う。議会にしてみればなおさらだろう。

「議会も問題ない。皇后陛下のご推挙だ。まさか、断れませんよね?」

断らない、ではなく断れない。端から選択肢など与えていない。

朝議の後の苛立ちを不当に発散しているようにも見えるが、というか凄みのある笑顔を見ているとそうとしか思えないが、ショウコとしては最終的にイルが頷いてくれればそれでいい。

じわじわと追い詰められたイルは、ついに圧力に屈して首を縦に振った。

それを見てショウコは会心の笑みを浮かべる。

押し切られたイルさえも、一瞬目を奪われるような表情だった。


「執務補佐官として、私のしたで働いているロイを使ってください。きっとお役に立ちましょう」

きっとこの声は続き間にも聞こえている。

今回はロイに反論を許す気はない。少し離れたほうがいいとも思っていたから丁度だ。

ショウコは立ち上がるとイルの椅子の側に進んだ。

思わずのけぞったイルに苦笑しつつ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「皇帝陛下が戻られるまで、臣下としてお仕え致します。どうぞ私どもを信頼し、この国を平らかにお治めください」

恭順を示す礼を取る。

明らかに動揺した気配が伝わってきたが、許されるまで顔を上げる心算はない。

掛け値なしの本音だ。

不本意なのを分かっていて無理やり引きずり込んだ。後悔はしていないが罪の意識がないわけではない。


守ってみせる。

全力で。


伏せた顔は決意に硬くなった。




誤字脱字ありましたらお知らせください。

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