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砂漠の蝶  作者: Akka
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浮遊する思い 2

鈍い音と共に石造りの床に沈みこむイルを見て、ショウコは、ああ痛そうだなとぼんやり思った。

「……。」

ここは笑ってやったほうが良いのか、それとも見なかった振りをするべきか。どちらが自尊心を傷つけないで済むだろう。

遠巻きに人は多いが、誰一人助け起こそうとする者はいない。

諦めてショウコは椅子から立ち上がると、イルの横にしゃがみこんだ。

「大丈夫ですか?」

「……痛い」

「でしょうね。立てますか」

「踏んでる」

「は?」

足元が引かれる感覚につられて目を向けると、イルの衣装の端が足の下にあった。

「失礼しました。布面積が広すぎやしませんか」

足を除けつつ、踏んでしまった部分のほこりを払う。 

無駄に装飾過剰な衣装は見た目以上に布も使ってあるらしい。手にした服の端はずっしりと重かった。ショウコならこんな重量物を身に纏って生活するのは御免被る。

「だよね。これ一着で普通の服何着作れるんだよって思ったし」

多分一家族分は賄える、と続けるイルの腕を支えて促すと、イルは頭を抑えつつ起き上がった。

「眩暈は?」

「ないよ。あーそれにしても驚いた。あの値段間違ってないの?」

「あの値段、というと宝石の評価額ですか?小さな傷はありましたので、あれ以上の評価は出来ません」

椅子に座りなおしながら、ショウコは慎重に言葉を選ぶ。

あの値段で時間を買われた身としては、慎重にならざるを得ない。

「え?そっち?」

「そっち、ってどちらですか。意味のわかる言葉でお願いします」

冷ややかな声にそれで引き下がるかと思ったが、意外にもイルは食い下がってきた。

「いや、だから、高いほうに邪推するの?って意味でそっち。詰まり、あれ高すぎないって聞きたいんだけど」

「適正価格であると思います」

「……うわ~~」

うめき声と共に卓に突っ伏す。ちゃんと茶器を避けているあたり、密かに器用だ。


「まったく、不思議な人ですね」

呆れた声にイルは首を回していじけたような視線をよこす。髪が茶に浸ってしまいそうだったので仕方なく払ってやると、覗いた顔はまるで子どもだ。

「一目で高級品だと分かるものを簡単に寄越して、私の時間を買うと言う。そうかと思えばこんな状態になる。貴方は一体何がしたいんですか」

「何って」

「最初から妙な人間だとは思っていましたが。何でこんな時期に継承権を主張して王城に来たのか、一連の馬鹿騒ぎも奇奇怪怪。貴方の行動に理屈を付けてみようと思ったのですが、お手上げです」

「そんなん、俺にもわかんないし。そもそもほんとに俺に皇位継承権あるわけ?」

「は?」

顔を上げるとイルは頭を掻きながら言った。

「普通に生活してたのに、急に偉そうな人たち来てさ『国のために王城に来い』って。凄い金とか見せられてさ。普通あんなん見せられたら目くらむって」

「ちょっと待って」

「俺そのとき初めて血筋のこととか知ったしね」

「待って!」

混乱した思考が更に混乱していく。

ショウコは思わずイルの口を右手で塞いだ。

もごもごと何か言いたげに動く口を無視し、空いた左手で額を押さえる。

シンレットやロイと話していたことはそもそも前提からして間違っていたのではないか。イルは本当に、何も知らずに連れてこられただけなのだろうか。

思考に沈みかけたところで、あっさりと右手が外された。意外なほどの力で手首が握られる。

「何?一体何なの?」

ショウコはどこか間の抜けたイルの顔を呆然と見つめた。










イルは血筋など忘れた生活を送っていたらしい。日々の生活は家族皆で小さな商店を営んでいたが、決して楽なわけではなく贅沢は出来なかった。それを不満に思うこともなく、家族全員で肩寄せあって暮らしていた、というのが本人の弁だ。

そこに突然貴族の一派がやってきて、一家が五年は楽して暮らせるだけの金とイルの交換を申し出た。

身の安全は保障し、皇帝に子が出来ればすぐに家に帰すという。

悩みはしたし怪しみもしたが、現金の力は強大だった。

「と、いう訳らしいわ」

執務室に戻るなり始めたショウコの説明にロイは思い切り眉を寄せた。

「信じられるの?」

「多分ね。宝石の価値とかはさっぱりだし、嗜好品に拘りもない。金銭感覚が私たちとは大きく異なるの。立ち振る舞いも」

「演じてるだけ、とかは?」

「それほど賢いようには見えないのよね」

イルが王城で浮いて見えるのは奇抜な衣装やその言動のせいだと思っていたが、もともとの生活とすべてが違っていたからだと言われれば納得できる。

「でもいくら馬鹿でも後宮には入らない」

「そうね」

それに関してショウコは思うところがあったが、今ロイに言うべき話ではない。

「とりあえず、先入観なしでもう一度イル殿の氏素性を洗い出して。労働者であったことは間違いないから」

「どうしてそう確信できる?」

「痩せてはいるけど、結構しっかりした身体なの。自堕落な生活じゃああはならない」

かといってレイヴスやケンのような鍛えた結果というわけでもない。

「なんて言うのかしら。全身じゃなくて、使うところだけ鍛えたような感じ。腕とかね」

触れた肌もそれほど手入れされているようには感じなかった。常日頃あのような派手な衣装で身を飾っているような人間だとすれば不自然だ。

「どうして?」

「だから……」

「触ったの?」

そこにきてショウコはロイの顔に青筋が立っていることにようやく気が付いた。

何が逆鱗に触れたのだろう。

「ねぇショウコちゃん?」

顔は笑っているのに声は地を這うようだ。

扉はロイの後ろ。退路は絶たれた。

「いつ、どこで、どういう状況で、どんな感情の変化で、そういう流れになったのかな?」

一言一言殊更ゆっくりと、言い逃れなんかさせないという意思表示だ。

ロイは常ならば絶対にしないだろうが、両手をショウコの執務机について上体をかがめつつ顔を寄せた。

圧迫感と威圧感に思わずショウコは身を反らせる。

「ロイ?顔が怖いわよ?」

ぎこちなく笑ってみせるが、全く効果はない。

それならば、と思った矢先、しっかりと釘を刺すあたりやはりロイは抜け目ない。

「今回は、泣き落とし通用しないから。納得いくように説明してね?」

不退転の決意で尋問を始めたロイに、ショウコはどんな説明をしても納得しないのではないかと頭の片隅で思った。

「偶然、イル殿が転んで!」

「で?」

「何て言うのかしら。流れで?ほら、助け起こすじゃない」

意味なく両手を挙げてショウコは抵抗の意思がないことを示した。

しかしロイの追求は終わらない。

「誰か呼べばよかったんだよ」

「そんな…誰も来なかったし」

「呼、べ、ば、よかったでしょ?或いは放置してもいいくらいだ。死なないよ、馬鹿だから」

「冷たいでしょう。あんまりだわ」

「ショウコちゃんはあれに甘い」

「そんなことないわ。誰にだって同じことをするわよ」

だんだんと嫌になってきてショウコはぞんざいな答えを返した。

「相手が僕でも?」

「当然でしょう。ロイ、変よ?」

「10年も前から一緒にいて、あれと同じ扱いか……」

その声が湿り気を帯びていたので、ショウコは少なからず驚いた。

ロイは身体を引いてショウコを解放したので圧迫感は消えたが、その顔は逸らされていて見ることは叶わない。

考えてみれば付き合いの深さが異なるというのに、全く同じということはないかもしれない。ショウコだってロイやケンに同じことを言われたら、おそらくは受け流すにしても、万に一つは思うところがあるかもしれない。

「撤回。ロイだったらもっと心配するわ。大丈夫だと確認できるまで、側にいたいと思う」

ロイの反応はない。僅かに肩が下がっただけだ。

酷いことをしてしまったのだろうか。

思わずショウコは立ち上がるとロイの正面に回りこんで顔を覗きこんだ。

「ロイ?」

顔に影を作る髪を払おうと伸ばした手は、あっさりと捕縛された。

「言質、とったから」

底冷えがするような声ではない。

先程までの湿り気を帯びたものでもない。

ロイ本来のからかうような声音だ。

「え?」

「楽しみだな。そのときはよろしく」

嵌められた。

見事なまでに。

自分の顔が紅くなるのを感じる。

「からかったの!?」

掴まれた腕もそのままにショウコはただでさえ短い距離を詰めて問いかけた。

本当は答えなんて分かりきっている。

「まさか」

「嘘!」

力いっぱい噛み付く勢いで否定すると、ロイは苦笑して肩をすくめた。

「からかってなんかいない。全部本当だよ。

 僕はそんなに心広くないからね。束縛したいと思うし嫉妬だってする」


「お戯れは、おやめください」


ショウコが何を考えるより早く、ケンの声が割って入った。

はっとして身体を押し返すと、ロイは名残惜しげにショウコの黒い髪を撫でてから離れていく。

するりと零れ落ちる髪を押さえつつ、ショウコは強烈な違和感に襲われた。

私の髪を撫でるのは、ロイじゃなくて――――。

では誰だと言うのか。誰に許した覚えもないというのに。

ただ触られた髪がそこだけずっしりと重かった。

「ショウコ様、ご来客です」

「えぇ。わかりました」

静かなケンの声は咎めているわけではなく、ここから脱出する言い訳をくれているのだと分かっている。

扉に足を向けようとしたとき、ロイがすっと一枚の紙を差し出した。

「ついでに、これお願い。イルの宝石を国財にする認め証」

ついでに、という言葉が痛い。

ロイだってショウコに客が来ていないことくらい分かっている。

それでもショウコはこの場から逃げてロイは残るのだ。

「わかったわ」

「あと」

ひたりと見据えられた瞳を逸らす術をショウコは知らない。

少し、息が苦しくなった。

「からかってはいないから」









「貴方の性格が歪んでいることは知っていましたが、何もこんな時期でなくてもいいでしょう」

僅かに殺気をこめてケンはロイを見据えた。

今は皇帝が失踪中でショウコは多忙を通り越して忙殺されている。こんな時に余計な心労をかけなくてもいいはずだ。

「ん~。ショウコちゃんも随分変わったよね。前だったら慌てて離れるなんてことしなかった。意識してくれるのは嬉しいけど、その変化がレイのおかげって言うのは嫌だな」

「下らない感傷にショウコ様を巻き込まないで下さい。迷惑だ」

「感傷?聞き捨てならないな」

心外だとでもいうようにロイはわざとらしく驚いた顔をする。

それを見てざわりと心が波立つ。

何かを勘違いしていたのかもしれない。

一歩一歩ロイがケンに近づいてくる。靴音まで高らかな威圧感だ。

「全部、偶然だと思っていたのか?

 ショウコちゃんの旧王都行きも、シンレットの同行も。この時期にイルが来たことも?まさかそんな目出度い頭はしていないだろう」

凄絶な笑みは真実を覆い隠す。

王都に来て、多忙な日々の中で忘れていた。

笑顔も軽口もすべて仮面で、この男の本性は蛇だ。

旧王都行きが決まったときの稚拙な反論は単なる誘導。

旧王都にいっている間、ロイは何をしていた。

各派閥の貴族と強力な繋がりを作ったのは、日々の業務のためなどではない。もっともらしい理由をつけた、今回の出来事の伏線だった。


ロイはショウコを害することだけはしないと思っていた。

しかしそれは間違いだ。

ショウコを手に入れるために手段は選ばない。これまではその対象に入っていなかったというだけだ。

「貴方は、ショウコ様の敵ですか」

ならば容赦はしない。

主を守るために手段を選ばないのは、ケンとて同じことだ。

「その質問が、既に甘いよ。僕はショウコちゃんの敵じゃない。僕は僕の味方だよ」

「外道が……」

最悪だ。

飄々とロイが呟いた言葉は、動きが読めないという意味だ。あるいは、読ませないだろうか。

吐き出すように呟かれた言葉にロイは光栄だと笑う。

大股で扉に向かいつつ、思い出したように言う。

「ついでにもう一つ教えてあげるよ。

 レイが姿を隠したのは、酔狂じゃない。そうしなければならない理由があったからだ。

 さぁ、それはなんだろうね?」

挑発するようにくるりと振り返る。


袖が風に舞う。



久々の本領発揮をした人が一人。まだまだ黒いですよ。


バレンタイン小話のアンケートを実施しています。よろしければお願いします。

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