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砂漠の蝶  作者: Akka
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旋風と玉座 3

「失礼します。陛下、筆頭女官殿が……」

執務室に戻って暫くすると、執務官の一人が申し訳なさそうにそう告げた。

「アオが?」

山積みにされた資料の谷間から顔を覗かせると、顔を引きつらせての肯定が返された。皇帝が失踪、ショウコの認識としては逃走、のせいでいつも以上に激務についている皇后にこれ以上の仕事は頼めないとでも思っていたのだろうか。

「通して」

ショウコはあっさりとそう告げた。

「よろしいのですか……」

「ええ」

アオが長年ショウコの側に居るのは伊達ではない。ショウコの逆鱗に触れることが何であるのかはしっかりと心得ている。そのアオがこの忙しい時に来ているのだから、それなりの事態と見るべきだ。


通されたアオはいつものお転婆娘ではなく、皇后付き筆頭女官の顔をしてやってきた。

「お忙しい中お時間をありがとうございます。

 実は先程の後宮内での乱痴気騒ぎ……もとい饗応の際に、床下水路に衣服が流れ込んでしまったようで、水路が塞がっております。後宮内の排水に一部支障が出ています」

簡潔なアオの報告に、ロイは一瞬で色をなくした。

「それ、本当に?」

「ええ。確認作業は終わっています」

どうやらそれでアオは先程ショウコの部屋に戻らなかったらしい。シンレットはアオの意外な優秀さに驚いていた。

「後宮の水路……それ、まずいよ」

「……確かに…厄介ですね」

ロイとシンレットは事態を重く見たらしい。

報告にきたアオは意外な方向に話が転がり始めたのを驚いた様子だ。

「え…後宮の排水路は三本です。他二本は問題ありませんが?」

アオの困惑した問に二人はショウコの顔を見て、説明が必要だと判断した。

「後で図面をお持ちして詳しくご説明いたしますが、先程筆頭女官殿がおっしゃったように後宮の排水路は三本あります。そのうち一本が浴室と調理場から繋がる再利用の出来ない水。残りは涼をとるためのものですからまず汚れることが想定されていませんので、表につながり掃除などに使われるか王宮の庭に繋がりそこで散水に使われます」

「つまり、一日二日なら何とかなるけど、さっさと復旧しないとまずいってこと。でも今が乾季じゃなくてよかったね。乾季だったらこんな馬鹿をした奴は吊るし上げだよ」

水が貴重なこの国では最後の一滴まで無駄にしないというのが常識だ。

すぐに事の重大さに思い至らなかったのは、ショウコの中にも後宮内の女性と同じように水が貴重品だという意識が希薄だからだろう。

「え……でも」

「何か?筆頭女官殿」

シンレットの視線にアオは一瞬怯みつつも、真っ直ぐに見返した。

「水路を修復するには一旦石造りの床を外して、専門の職人を入れなくてはなりません。後宮内の女性はどうすれば」

「緊急時です。部屋に篭ってもらうしかありませんね」

「そんな……後宮内に陛下以外の男性が立ち入るには許可が必要なのでしょう?」

「緊急時、と申し上げたはずですが?」

「ですが皇統の正統性はどうなります!」

「そこまでっ!」

どこまで行っても平行線になりそうな話をロイが大きく手を叩いて打ち切った。

「どちらの主張にも一理ある。じゃあ、どうしようか、ショウコちゃん」

そう言って促すロイの中にはもう既に答えはあるのだろう。しかし敢えてショウコに決断を委ねるのは、その顔を立てているからだ。

「……速やかに後宮内の人間を移動させて、その後に水路の復旧作業に当たります。シンレット殿、城下から職人の方をお呼びしてください。ですが決して民業を圧迫しないよう、無理な都合を押し付けることのないように。アオ、一刻内に最低限の荷物をまとめるよう後宮内に指示を。ロイ、後宮内の準備が終わったら半刻の間皇帝陛下の私用区画とそれに続く国内向けの貴人区画を封鎖して。貴人区画の空き部屋に一時的に移動させるしかないわ。すべての裁決は私の名前で行います」

「圧倒的に部屋数が足りない。どうする?」

「今回の騒ぎに加担した人間は相部屋でいいわ。そのほうが監視も楽でしょう。最低限、皇妃には一部屋ずつ確保して頂戴」

「時間を優先すると、それなりに工賃が高くつきますがそれでも?」

「結構。それに関してはあてがあるから」

必要なことだけ確認すると三人はやるべきことをやるために散った。

本当はこれでいいのかなんて分からない。じっくりと腰をすえて行う作業には自信があっても、急場を凌ぐような判断には自信がない。

王宮内の稼動に支障をきたさないよう、水路の復旧を最優先するべきだった?

皇統が正統であることの証明を優先して、もっと確実な隔離策を取ればよかった?

どちらも選べなかった。それは間違いだろうか。


迷いを振り払うかのように頭を振って、ショウコは部屋をでた。続き間で仕事に当たっていた執務官たちが驚いたように立ち上がる。

「陛下、どちらへ?」

「イル殿にお会いします。それほど長くは掛かりません」

「どうぞごゆっくり」

「は?」

睨むように見返すと、緊張しつつも自信に溢れた顔があった。

「伊達に筆頭執務官殿に鍛えられていませんから。お戻りになる頃には、机の上の山を綺麗にしておきますよ」

「……期待してるわ。後を頼みます」










「どういう心境の変化なわけ?」

「こんな短時間で変わるわけないでしょう」

先触れもなくイルの私室に宛がわれている部屋を訪れたショウコは、憮然とした態度の質問を傲慢に切り捨てた。

「ふ~ん。いい度胸」

「ありがとう」

ちっともありがたくはなさそうに受け流すと、ショウコは置かれた杯を口元に近づけ、顔をしかめるとそのまま戻した。冷めているだけなら我慢できる。しかしこの香りの無さは、一度冷めたものを温めなおしたとしか思えない。茶菓子も硬くなっていて、一体いつ作ったのかと聞きたい。

「じゃぁさ、こんなとこまで何しに来たの?」

指先で茶菓子をつまみながらイルは尋ねた。

それ食べるのか。

っていうか食べながら口開くな。

色々と突っ込みどころはあるが、突然の訪問に対する問はまっとうであるし周囲の取り巻き連中もようやく確信に話しがいったと耳を大きくしているので、ショウコは取り敢えず咳払いをして気持ちを静めた。

「簡単なことです。こちらにご署名を」

すっと差し出した紙は上が折りたたんであり、そのままの状態で読めるのは「上記約定に同意する」という部分だけだ。

「いいよ」

「ありがとうございま……はぁっ!?」

くるくると器用に羽筆を弄ぶイルの顔をショウコは凝視した。間抜けな声を出してしまったと後悔するのは暫く後のことである。

取り巻きの中から何人かが思わず前に出てきてひったくるように書類を受け取ると、中身を凝視した。

ショウコもその顔を眺めつつ、今回イルを担ぎ出した中心人物であろう人間たちを記憶した。

「失礼ながら皇后陛下。これには同意しかねます。なぜ我々が国庫に財産を無償提供しなければならないのですか」

「我々、ね」

相手の失言をしっかりと拾い上げる。

「いや……イル様は王城に来られたばかり…勝手を知っている者が後見人として教えて差し上げなければ」

「ご立派なお心がけです」

「しかし陛下がこのような…騙まし討ちのような真似をなさるとは、驚いてしまいますな」

「まぁ私としたことが。こちらをお渡しするのを失念していました。どうぞご覧下さい。今回のお願いはイル殿のちょっとした悪ふざけが原因で甚大な被害が出てしまったためです。以下事の次第が書いてありますので、お読みくださればご納得がいただけると思います」

騙まし討ち云々については黙殺し、ショウコはにっこりと微笑みつつ再度書類をイルの前に差し出した。

「些細なものです。その指輪一つ差し出していただければ、今回のことはすべて水に流すと言っているのですから。さぁ」

意訳すれば、抗うなら徹底的に叩く、だ。

真意に気が付いた者は青くなり身振り手振りで署名を促すが、イルはとぼけたように頬を掻く。

「いいけど、条件付」

「何でしょう」

図々しいなと思いつつも、今は時間が何よりも大切だ。

「財産は納める。だからこれから工事が終わるまで一日半刻、陛下の時間をそれで買う」

「……。……。ご冗談を」

理解するまで少し時間がかかった。そして鼻で笑う。

「呑むなら二倍納めるよ。指輪二個。どう?」

頭の中で算盤を弾く。いけないと思いつつも天秤は傾いた。

「ついでにこれもつける。さぁ、返事」

大きな翠玉エメラルドの指輪が二つ、そしてついでにといって差し出された黄金の腕輪が無造作に机の上に置かれた。

ショウコは宝飾品について専門的な鑑定眼を持っているわけではない。しかし背後で後見人という名の取り巻きが蒼白の顔をしているのを見ると、それなりの品なのだろう。

これだけあればついでに色々と改修工事が出来るだろう。

「……卑怯な」

「何か言った?金は正義でしょ」

金は正義。意外と現実主義な答えにショウコは驚いた。

ぼんやりとした傀儡候補のくせに、意外と地に足のついたことを言う。

「正義は我にあり、とは言わないのね」

「何それ、言えないでしょ。でも金が絶対的な尺度であることは間違いない。だからそれで陛下の時間を買う。ただそれだけだよ」

さも当然と言わんばかりの態度にショウコは負けた。

何よりも資金。あんな馬鹿げた事の後始末に国庫を開いたと記録されれば、末代までの恥だ。

「わかりました。ですが条件付です」

そしてショウコは、宝石が修理費を下回る場合の補償、会談の時間と場所はショウコが指定することを求め、イルはあっさりと承諾した。

「では、今後の予定については追ってご連絡いたします」

踵を返しショウコは部屋を後にした。


忙しく立ち回ってればいい。

そうすれば、寂しさなんて感じずに済む。








「認めない」

「ロイ」

「変更はないよ」

「ローイ?」

「……可愛いけどね。それとこれとは別」

イルの部屋から帰ってきて、ショウコとロイはずっと押し問答を続けていた。

ロイとしては資金提供させる代わりに工事が終わるまで一日半刻の時間を買うなんて条件は絶対に認められない。そんなことが可能なら取り敢えず向こう十年の値段を知りたいくらいだ。言い値で買ってやろう。

イルもイルだが、今回はショウコの浅慮だ。見えない角度で器用に青筋を立てつつ、貼り付けた笑顔でロイはショウコに相対していた。

「何だか意地悪ね。嫌な仕事を頼んだから?」

その言葉にロイはぎょっとした。あの程度の仕事を難しく感じるような人間だと思われていたのか?的確な采配を振るってきたと自認しているだけに、山より高い自尊心が揺らいだ。


注意深くロイの表情を観察しつつ、ショウコは一見しとやかにうなだれて見せた。

実はロイに報告する前にシンレットにも報告をしていた。シンレットはよくやったあわよくばもっと毟り取って来いという一方で、ロイは十中八九苦言を呈するだろうからと秘策を授けてくれていた。

その名も、泣き落とし。

「でもね、皆とても仕事が速くなって私がするべきことが減ってきているの。だったら事務仕事は任せて、私がすべきことをするべきじゃないかしら?……ロイなら分かってくれると思っていたのに……」

最後の一言以外はすべて本音だ。シンレットが決め台詞だと言った言葉は、どうにも恥ずかしく若干喉から出てくるのを渋ったが、なんとか搾り出した。

その僅かな逡巡が独特の間合いとなったことなどロイしか知らない。

ロイが思わず口元を大きな手で塞ぎ天を仰いだことで、ショウコは効果が現れたことを知る。

絶対無理だと思っていたのに……シンレット殿はロイのことを余程熟知しているのね。こんな薄ら寒い演技が通用するとは、まさに奇跡。

「見張り…つけるからね。少なくとも10人」

「勿論」

「時間になったら容赦なく連れ戻すよ。攫ってでも」

「ええ」

「もう反故にしちゃわない?」

「それは駄目」

顔を背けて舌打をする。失敗した。

結局はショウコの望むままにするしかない。歯向かえないのだから仕方が無い。

上機嫌なショウコを見ながら、やっぱり笑っているのが一番いいと思うなんて我が事ながら随分と殊勝で気味が悪い。そんな自分にロイは嘆息した。


でも。


だからこそ。


欲しくて堪らない。




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