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砂漠の蝶  作者: Akka
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旋風と玉座 2

廊下を早足に進み、いくつもの角を曲がって後宮の前に着くとそこには既に黒山の人だかりが出来ていた。

一際大きく靴音を鳴らすと、ざわめきと共に人並みが割れショウコの前に道が出来た。ゆっくりと一歩一歩進むごとにざわめきは小さくなり緊張と共に静寂が訪れる。

それを阻むかのように耳を澄ませば後宮の中から笑いさざめく声が聞こえてきて、ショウコは思わず眉を顰めた。

「……説明を」

取り敢えず扉の前に陣取っていた執務官に視線を向けると、一瞬の躊躇いの後に重々しく口を開いた。

「イル・レビータ様が突然こちらにお越しになり、皇帝陛下からの許可を頂いているのでこの扉を開けるように、と。私には確認する術がございません故、すぐに皇后陛下に使いをやったのですが、……それを待っては下さいませんでした」

「……。分かりました。貴方に非はありません」

一介の兵士が貴人に手を触れることなど出来ない。それが身の安全のためであるなら兎も角、その行動を阻むことなど出来ないのは当然だ。

そして勿論後宮に入ることなど出来はしない。後宮に入ることが出来るのは奥勤めの女官か、或いはそこに暮らす者。そのほかには皇帝の許可を得た場合に限られる。この兵士は出来る限りのことをやったのだから、責めることはしない。

「私は陛下がイル殿に許可を与えたと言う話は聞いていないわ。シンレット殿?ロイ?」

二人は同時に否定した。

「恐れながら陛下…僕は許可が出ているとは……」

シンレットの言葉の先は聞かずとも分かっている。

そんな許可が出ているはずが無い。レイヴスはそれほど義務を疎かにはしないし、後宮の女性を守らなければならないと一応は思っているはずだ。更に言うなら面倒ごとを嫌う人が、自ら刈り取らなければならない厄介の種を蒔くはずが無い。

そんなことは少し考えれば分かることだ。それなのに敢えてこんな暴挙に出たということはすなわち。

「……漏れたか」

ロイの呟きがすべてだった。

目的不明の皇位継承権第二位は、レイヴスの失踪を知っているのだろう。情報がどこから漏洩したのかは後々調べるとして、火急にこの状況に対処しなければならない。

中に入ることが出来るのはショウコだけだ。それを皆が分かっているのに行けと言わないのは、何かあったとしても誰一人対処に向かうことが出来ないからだ。

レイヴスが戻ってきたら絶対にこの問題を話し合おうと心に決めた。

「私が行きます。保険として扉は開けたままで、聞こえるように話をするので記録に残しておくように」

心配そうなざわめきはあったが、止める者はいなかった。






優雅さなどかなぐり捨てて、足音も高らかに声のする方へ進んでいく。速度はかろうじて歩いているといえる位だ。

広間を突っ切り中庭に出ると、ショウコは思わず低く呻いた。

美しく装飾された周囲に溶け込むように流れる水。水量まで計算された水路は見事な弧を描きながら、人工的な泉に流れ入る。それだけならばいつもと同じ光景だった。水が貴重なこの国でこんな贅沢なものをと思いつつも、一息吐くことが出来る後宮の中では少ない場所だ。

そしてこの醜態。この場所が後宮で本当に良かった。逆説的だが、ここが立ち入りを禁じられた場所で本当に良かったと今は思う。

お気に入りの場所を汚されたという個人的な恨みの加わり、自分の取るべき態度は決した。

「随分と、楽しそうですね?」

いつもなら取り繕う柔らかい声音も表情も無く、ショウコは不愉快満面で椅子に腰掛けた男を見下ろした。イル・レビータはゆっくりと顔を上げると殊更ゆっくりと首だけで振り返って軽薄な笑みを顔に浮かべた。

しまりの無い顔に更にショウコの中に嫌悪感が湧き上がる。

「これはこれは……皇后陛下」

粘着質な笑みも気に食わない。卑屈でそれでいて内心では人を見下している。

そんな心の内を一切明かさない化け狸たちと丁々発止のやり取りをしている日々を省みれば、目の前の相手は何ら恐れるに足りない。さっさと片をつけてしまうが勝ちだ。

ショウコは意識してがらりと表情を変えた。目は細く、口元は慈愛の形に、僅かに首を傾げてさらりと髪を流す。

そしてそれに相手が一瞬驚いた隙を狙って、―――――全力で蹴り落とした。


派手な水柱が上がり悲鳴が響き渡る中、ショウコは一緒に倒れてしまった椅子の行方を目で追っていた。

安くは無いものだ。壊れていないと良いのだが、いずれにせよもう一度使うには徹底的に掃除をしてからだ。

「さて、目は覚めましたか?」

水面から顔をだしむせる相手を見下ろして言う。

「勝手に後宮に立ち入って、それだけでは飽き足らずにこの醜態。どうしてくれましょうか?」

ショウコは周囲に厳しい視線を投げかけた。

そこかしこに薄絹を纏った女たちが怯えている。中には女官だけではなく側妾まで混ざっているのだから救われない。流石に皇妃たちがこの馬鹿騒ぎに混ざらなかったとこが唯一の救いだろうか。

濡れた衣が張り付いてはっきりと分かる体の線は、さぞかし目の保養だったことだろう。

「どういう…心算だっ……」

どうやら水を飲んでしまったらしいイル・レビータが泉から出ようと上げた頭をショウコは若干手加減しつつも再度蹴り飛ばした。

「それはこちらの台詞です。ここは後宮。陛下以外の殿方が許可無く立ち入ることは許されておりません。その禁忌を破った罪、お覚悟ください」

そして、と続ける。

「この騒ぎに加担した者も当然罪に問います。次の月の障りがあったと医師に確認されるまでは陛下のお目にかからないように」

それは後宮に暮らす女たちにとっては何もするなということと同じだ。存在する理由が無い。

一斉に湧き上がる不満の声に、ショウコは静まれと一喝した。

「後宮にいる私たちが仕えるべきお方は陛下お一人。それを破ってまでのこの所業。本来ならば十月と十日にしたいくらいだわ」

不実は無かったと確実に言える期間を設けたかった。間違っても皇位継承権に疑問がないように。

ショウコとてイルと後宮の女たちの間に不実があったと思っているわけではない。ただ、そう疑う者は確実にいる。だからこその厳しい処置だ。

「さてイル殿?いつまで水遊びをしていらっしゃるおつもりですか。一刻も早く表にお戻りください」

「……一つだけ、いいかな?」

不満と怒りを隠しもせず、イルは長い前髪をかき上げながら言った。ぽたぽたと落ちる雫に不快そうに眉を寄せる。

初めてまともな顔をみた。

「何の権限があって、こんな真似を?」

皇位継承権第二位の自分に勝る力があるのか、とそう問うた。

後宮ここでは私が法です。そしてその法に服さずに済むのは陛下お一人。それが理由ですが、何か?」

明らかに歪んだ理屈をショウコは堂々と言い放った。


服の裾を濡らした皇后と、全身ずぶ濡れのイル・レビータを後宮の外で控えていた人間は恭しく出迎えた。

そのとき皇后の顔が晴れやかなことと対照的に、もう一人の顔がなんとも形容しがたく歪んでいたことには誰も言及しなかった。

そして記録を命じられた執務官は、そっと速記した文書を燃やしたという。






イルをたたき出したその足でショウコは後宮内の自室に戻った。

いい加減濡れた衣服が不愉快だった。

部屋付きの女官たちは皆騒ぎの後始末に出払っている。ショウコもこの後、騒ぎに加担した側妾と女官の軟禁場所を決めなければならない。とはいっても後宮は無駄に広いので、使われてない一角に押し込んでおけば良いだろう。

「……くたばれ………」

本気になった馬鹿は怖い。その意味ではショウコにとってイルは脅威だった。

物騒な独り言を漏らしつつ、ショウコは濡れた服を勢いよく脱ぎ捨てた。

水を吸った布は意外と重い。皺になるとか色が落ちるとか考えるのも面倒だ。表ではあれこれ働いていても、ショウコは女性の嗜みである裁縫や刺繍は全く出来ない。根本的に身を飾ることに興味が無いのだから仕方が無いと諦めてはいても、流石に濡れた服の手入れの仕方のわからないと言うのは問題かもしれないなとふと思った。

指先で脱いだ服をつまんでは見たが、どうすればいつもアオがやっているような形になるのか皆目見当がつかない。膝の上に乗せてあれこれ悩んだが結局分からず、下着まで濡らすという二次災害まで引き起こしただけだった。

「~~~っ」

急激に疲れが襲ってきてショウコはがっくりと肩を落とした。

諸悪の根源は何だ。

そんなもの決まっている。

「よくも逃亡してくれたわね……」

怒りに任せて乱暴に下着を脱ぎ捨て、乾いている部分で適当に髪を拭く。

僅かに湿り気を帯びた肌を風が直接撫でるのが気持ちよかった。


ゆっくりしているわけにはいかない。

重い腰を上げようとしたとき、続き間の扉が開けられる小さな音がした。

「……アオ?」

流石に自室とはいえ、こんなあられもない格好をしているのが見つかったらまずい。仕方なしに濡れた服に手を伸ばそうとしたところで、扉が開けられた。

「……皇后陛下?こちらにいらっしゃったのですか?!」

携えてきた酒や果物を慌てて置いたせいで少し大きな音が立った。

「貴女たちだったのね。たまには私だって自分の部屋に戻るわよ」

大袈裟なまでに驚いた顔に、ショウコは自分の立ち位置を再確認した。朝起きるなり表で仕事、日が落ちるまで下手をすれば夜中まで後宮に戻ってこない皇后など後にも先にも自分くらいだろう。

しかしだからといってここまで驚かれるとは。少し後宮で過ごす時間を増やそうと予定と習慣を組み替えることにした。

「いつも明るいうちにお戻りになられますと、私どもはもっと嬉しいのですが」

入ってきたのはショウコ付きの女官三人だった。諾々と従うだけではないのはいいことだが、時に耳が痛い。


「どうしてこちらに…あぁ、お召し変えですね?先ほどはさぞ大変でしたでしょう?」

女官たちは濡れた服を回収しつつ、すぐに着替えを用意した。多少口数は多いが優秀であることに間違いは無い。

「本当に…玉の肌とは陛下のことをいうのでしょうね」

「祖国では皆同じよ」

「いいえ。最近は一段と光り輝くようですわ。私どもも気合が入ります」

「……最近外に出ないからかしら」

言われてまじまじと腕を見ると、確かに色が抜けたようだ。ドーブにいた頃のように好き勝手に街を歩くようなことが無く、専ら室内で書類に向き合っているせいだろう。

「それだけではありませんわ。陛下の御下命のせいでしょう」

くすくす笑う女官たちにショウコは居心地の悪さを感じて身じろいだ。

御前試合のときからショウコの周囲に直接陽に当てるな外に出るときは薄絹を被れという旨の厳命が下され、未だにそれは守られている。

強い日差しには耐えられずすぐに赤くなってしまう肌はどうしようもない。

問題は単なる健康上の配慮を周囲が勘違いしていることだ。

「他のどのお方にも陛下はそんなお気遣いはなさいませんのよ?これは本当に、溺愛、というのでしょうね」

ねー、と同調するように首を傾げる様子に頭が痛くなった。

ここはきちんと誤解を解くべきなのだろうが、彼女たちは頑として受け入れないだろう。主人の寵愛が後宮での女官の立ち位置を決める。そしてそれは自身の結婚にも関わってくる問題だ。

「お肌だけではございませんわ。ご存知ですか?近隣諸国でまで黒曜石の皇后、東からの秘宝と噂されていることを」

「随分、昇格したものね」

忘らるる姫君、ではなかったのか。如実に変化した扱いに皮肉に顔が強張る。

考えを行動に移すだけでこれほど変わってしまうのは恐ろしいような気もした。

「そうですよ。今や陛下は我が国だけでなく他国からも注目を集めるお方。ですからもう少し御身を飾ることにご興味を持たれませ」

例えばもう少し胸元を見せてみるとか、と好き勝手な言葉を続ける。

「嫌。これで十分よ。体型が違うのだから、こちらの正統な衣装は着た所でみっともないだけだわ」

胸や背中や肩や挙句脚まで見せ付けるような衣装は絶対に似合わない。最初から想定している身体の比率が違うのだから。

「確かに丈は違いますが…陛下とてそれほどお胸が小さいわけでは」

「美しい比率のお体でございますのに……」

残念そうに口を尖らせる女官たちは、諦めませんわと結束して笑った。

「…………帯」

中途半端に肩に掛けたままの着物の前を合わせて、力なくそう催促するしかショウコには出来なかった。

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