旋風と玉座
痩せぎすの身体にはさぞ大儀であろう豪奢な衣装を身に纏って、かの人物は王城に現れた。
その顔には皇帝・皇后を前にした尊敬も恐れも無く、ただ軽薄な笑いを浮かべている。
その者は暫定皇位継承権第二位、イル・レビータと名乗った。
「イル・レビータは四代前の皇帝陛下の異母兄弟であられるお方が身分を剥奪された後に中堅貴族との間に設けられた御子の子孫にあたります。その後家系は王族との姻戚関係はありません」
事務的に説明をするシンレットだが、その顔は珍しく不愉快さを隠しきれていない。
「詰まり、陛下との血の繋がりは……」
「市井の場末の酒屋の水割り程度だね」
ロイがさらりと言ってのけた例えはショウコには理解できないが、シンレットが頷いているところを見ると適当といえるのだろう。
それだけ薄い繋がりと言うことか。
ショウコは頭に年代表を思い浮かべながら、眉を顰めた。
ショウコの執務室にいるのは、ショウコとロイ、そしてシンレットだ。そこにレイヴスがいないだけで妙な取り合わせになる。全く興味を示さなかったケンは護衛官たちと訓練場に行ってしまったし、他の執務官は別室で作業中だ。
他には誰もいない部屋で、それでも三人は密談でもするかのように声を潜めて話を続ける。
シンレットはいまいち事の重大さを理解していない暢気な二人に苛立ったように、声は潜めたままで声色だけを険しくするという器用な芸当をやってみせた。
「状況を理解しておられますか?陛下!」
「状況…ねぇ」
いまいち煮え切らないショウコの後を引き継ぎ、ロイが変わりに状況を整理する。
「例の水割りの皇位継承権は、オースキュリテのレイシア様に継ぐ第二位。なんでこんな状況になったのかは簡単で、その一族が余りに無能だったから先代皇帝陛下が処分し忘れていただけ。他に血の濃い連中は粛清の名の下ばったばったと切り捨てられた」
意外と詰めが甘い人だったのか。それとも忘却するほど目立たない一族だったのか。
いずれにせよ見事な棚から牡丹餅だ。
「で、それがどうしてこの時期に王城に?」
皇位継承権者が中央にやってくるとなれば、平穏なものであるはずが無い。
「焦れたんでしょうね」
あっさりとシンレットは答えを口にした。
シンレット自身貴族の籍を持つが、一口に貴族といっても一枚岩ではない。王室の強固な安定を望む一派が、イル・レビータを発掘してきたと言うのが本当のところらしい。
「レイに子どもを望む声って、あるにはあったけどそんなに煩くなかっただろう?」
「それは…先代のことがあるからあまり強くは無かったけど。でも即位から随分経っている。そろそろ疑われるのは仕方ないといえば仕方ないだろう」
「男色とか、胤が無いとかねぇ」
直球過ぎるロイの言葉に思わず顔をしかめつつ、ショウコはさもありなんと思わざるを得ない。
先代が自分の生まれたばかりの子を殺し続けたという話は最近聞いたばかりだ。そういう環境で育ったレイヴスに子どもを設けろと急かすのは難しかったのだろう。
しかし後継者がいない皇位など不安定だ。いつ何があるか分からない以上、仮初でも後継者を立てておきたいと考える人間がいても不思議は無い。
「……ちょっと待って。弟のレイシア殿という方はどうなの?」
「あれは…誰が頭を下げてもこの国の皇位なんて引き受けませんよ」
「そう。あいつが皇帝になったら三日で国を傾ける」
そんなに無能な人間なのだろうか。
その弟は姉の伴侶のはずだ。少しばかり心配になってきた。
しかしその不安を二人は一掃して、こう言いきった。曰く、やる気が無いだけだ、と。三日で国を故意に傾けることが出来るくらいには有能だと請け負った。
ショウコが思い切り顔をしかめたのを見て、シンレットはさらりと違う方向に水を向けた。
問題のある皇子を押し付けたとは思われたくない。
「陛下の姉上というお方は、どのようなお方でしたか?」
「素晴らしい方よ」
あっさりと言いきったショウコにシンレットは少々驚いた。手放しで褒める様子に嘘は見つからないのに、まったく具体性が無い。
「そうね……泣き伏す代わりに端然と姿勢を正し、眉を顰める代わりに微笑む方。それが全く惨めな様子ではなく自然で、ああいうようになりたいと思っていたわ」
だから、とショウコは続ける。
「レイシア殿が貴方たちの言う様な方ならば、お姉様のお側には居難いでしょうね」
少々きつめの視線を投げかけられて、水の流れは全く変わっていなかったことを悟って僅かに肩を落とした。
「早い話、レイに子どもが出来ればいいんですよ」
「それは陛下に言って頂戴。後宮には暇と美貌を持て余した女性がいるわ」
あっさりと自分を対象から除外したショウコに、二人の男は反応に困る。
子を成すことも皇后の義務だろうとやんわりと言い募ったシンレットに、ショウコは苦笑を返した。
「珍しい失言ね。それとも野心かしら?」
どこか諦めた表情に、シンレットは自分の考えが浅かったことを悟った。
ショウコはオースキュリテの内親王としての身分を放棄していない。皇位継承権もある。
必然的にショウコとレイヴスの子は二大国の支配者となりうる可能性を持っていることになる。上手くいあれば相手の国を支配できるが下手をすれば自国が支配される。政情が不安定でうまみがあるなら兎も角、仮にも和平を結んだ現在はそんな危ない橋は渡れない。
当然のように穏やかな時間が流れているから忘れがちだが、ショウコは間違いようも無く人質だ。
ほかの誰が忘れても、ショウコだけはそれを忘れず気を張っているのだろう。
「もしかして、ショウコちゃんがドーブにいたのは……」
「さぁ。先代同士がどこまで考えていたかはわからないわ。でも…お姉様が斎宮なのも、あるいはそのためなのかしら」
先々の争いの種を取り除くためにショウコをドーブに移したのだとしたら、レイシアの相手に絶対の純潔が求められる斎宮なのだとしたら、自分たちはまだまだ先人に敵わない。
三者三様のため息をつきつつ、仕切りなおすようにショウコはぱちんと手を叩いた。
「いずれにせよ、陛下がどうなさるか。それ次第よ」
「そうは問屋が卸さない、ってやつだねぇ」
はははと乾いた笑いを零すロイとは対象的に、ショウコは額にうっすらと青筋を立てた。
「……逃げた……」
空になった執務室。
不在の間の指示だけはきちんとかつ大量に残して、レイヴスは昼の執務室から姿を消した。
しかしこれは嵐の前兆に過ぎなかったのだと、数時間後にショウコは思い知ることになる。
「皇后陛下、ご裁決を!」
「内容にもよるけれど、二時間待ち」
「皇后陛下、近衛軍が動きました!」
「その先に陛下がいる可能性が高いわ!つけて!」
「陛下。イル様がお目通りをと」
「却下。丁重にかつ確実にお断りを」
「陛下。イル様が皇帝陛下にお目通りをと」
「却下!陛下は本日日頃の激務によりお疲れが出たと」
「陛下、先程の近衛軍の動きは陽動でした!」
「そんな報告はいらないわっ」
「陛下、イル様が城内に旅芸人を……」
「たたき出しなさい!」
「皇后陛下、イル様が街に出るとおっしゃって……」
「許可できるとでも!?」
閉まったと思ったら別の人間によって扉が開かれるたびに、ショウコは声を張り上げた。
常の仕事に加えて代行しなければならない分はレイヴスの仕事が回ってきているのだから、目が回る忙しさになるのは仕方が無い。それでも代行できる分はまだましで、皇帝の専制権が及ぶ事柄に関しては事態に差しさわりが無い程度に整えつつも決定的な判断はしないという面倒な処理が求められる。
いつもは仕事中に余裕さえ見せるロイさえ、幾許必死な顔で机に向かっている。
シンレットさえ一旦自分の仕事を中断してショウコの手伝いに入っているくらいだ。何とか王城は正常に動いているが、いつまで保つかは分からない。
「……終わりが見えない」
ショウコは仕事に関しての愚痴は殆ど言わない。
しかしこればかりは悲しくなった。
悲しいのは仕事が多いせいではなく、自分の能力の程を知ったからだ。
「取り敢えず、イル殿を地下牢にでも放り込みますか」
物騒なことを言うがそれは軽口というにはあまりに表情が実を伴っている。ショウコも一瞬悪くない考えだと思ってしまった。
「イル、殿?」
「様なんてつけるような相手でもないでしょう」
シンレットの家のほうが貴族としては家格が上だが、皇位継承権第二位というのは軽くは無い。気分的には呼び捨てたいがそうもいかないので殿ということになったらしい。
否、そんなシンレットの葛藤は今はどうでもいい。取り敢えず気にするところではない。
ショウコはずるずると机の上に突っ伏した。
「ショウコちゃん?疲れた?」
「何か問題がありましたか?」
「……。陛下はいつもこれをお一人でこなしているのよね。なんて言うのかしら…敗北感?」
普段なら愚痴を言う前に手を動かせ、言い訳を考える暇があるならその間に働けが信条だが、ここ最近の疲れが今になって出てきたような気だるさだ。
しかしそれをシンレットはあっさりと切り捨てた。
「あ~、それは、うん。仕方ないですよ」
仕方ないは無いだろうと抗議の意味を込めてじとりと睨みつけると、ロイまでも横で頷いた。
「……確かに、私は経験も学識も不足しているけれど」
「そういう意味ではなく。経験不足は否めませんが、知識は十分ですよ。
ただ、皇帝陛下は我々とは思考回路が違いますから、比べようとしても無意味だという話です」
「ほら、ショウコちゃん。レイってよく話し飛ぶでしょ?」
「それが何か?」
「あれ、本人の中では全部繋がってるんだよ。僕も昔はよくわからなくて苦労したけど、説明されると納得できるよ。レイには多分、それが至極当たり前のことなんだと思う」
「つまりですね」
シンレットもついでに休憩という構えで話始める。
「我々の本棚は分野ごとに区分されて、繋がりはその分野の本と本の中では複雑だが、分野ごとの繋がりは少ない。ですが皇帝陛下の本棚は一見雑然として並びは滅茶苦茶に見えますが、本と本が分野を越えて結ばれているわけです」
そこまで言われれば、ショウコにも察しがついた。
「そう…だったら陛下にはこんなものは難解でも何でもないわね」
机の上に広がった書類を指で撫でる。
題目だけ見ても、治安・経済・文化振興・区画整理。実務は学問とは違って系統別に並んでいるわけではない。貫くのは優先順位という柱だけだ。
ショウコはそれらについて一つ一つを深く考えることは出来ても、一見して関連性を見出すことは出来ない。しかしレイヴスにはそれが出来る。それだけの違いだ。
逆に言えば、政治から軍事まであらゆることを司る皇帝という地位に就くためには、そうでなければならないのだろう。
「……。うん。諦めがついた。気を取り直して頑張ります」
誰に向かって宣言するわけでもないが、改めて書類に向き直る。そんなショウコに二人も各々仕事に戻った。
出来ないことは仕方が無い。出来ないなりに時間と手間を掛けるしかないだろう。三人いれば何とかなるかもしれない。レイヴスが戻ったらきっちり落とし前をつけてもらおうと密かに決意する。
しかしそんな気持ちを嘲笑うかのように、蒼白な顔でもたらされた報告に三人は目を見張った。
「皇后陛下!イル様が……イル様が後宮に!!」