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砂漠の蝶  作者: Akka
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赤と紅

「ただ今、戻りました」

帰城の挨拶でみた顔が以前とは違うことを認めざるを得なかった。

一体旅の空で何を知り何を思ったのか、聞きたいようででもその口を塞いでしまいたいような。

「……あぁ。無事で何よりだ」

結局出来たことといえば、ありきたりな言葉をかけることだけだった。


自分で動かしたはずの秤が傾くのを見たくなくて、そのまま手で押さえてしまう。

しかしそうしてみたところで、事実は決して動かないということも知っている。






夜でも煌々とした明かりが灯された広間で、ショウコは周囲を見渡した。

壁一面に掛けられているのは、歴代の皇帝・皇后の肖像画だ。その中に近々自分も加わるのかと思うと不思議な気分になる。

決して褒められた行為ではない。それは十分に分かっている。

人が隠そうとしていることを、どうして暴く必要があるだろう。そのままにしておけばいいのに、どうしてこの激情を止められないのだろう。

背中を嫌な汗が伝っていく。この期に及んで、自分が怖がっていることを知った。それでも止められないと人が言うのを、愚かなことだと笑ってきたはずなのに。

端から徐々に年代を下っていく。

時の情勢や流行、国力などによって肖像画の大きさや色使いは様々だ。その中でも一際大きな肖像画の前で足を止める。

先代皇帝。評価は真っ二つに分かれる政治をしたが、それでもその功績は否定できない。どれほど否定的な学者であろうとも、公正な視線を持っていれば失策も多かったがしかしと続けざるを得ない。ショウコが顔を見たのは、10年前の華燭の儀とその後の数日間だけだ。ショウコがドーブに引きこもったあとに亡くなっているので、葬儀に参列さえしていない。漠然とした印象はあるが、それを打ち切って視線をその横に流した。


金の髪に琥珀色の瞳。

「この方が……皇太后陛下」

金の髪に琥珀の瞳。優しげな眼差しの女性だ。この方が理不尽に自分の息子を恨んでいるとは思い難い。

この国では正統派の美女といえるだろう。美醜の感覚が若干異なるショウコでも美しい人だと思う。歳を重ねているにしてもこれほどの人と王城の廊下ですれ違えば気付くだろうから、やはり皇太后は王城にはいない。会いに行くにはそれなりに面倒そうだ。

そもそも皇太后は今どこで暮らしているのか。当然記録はされているだろうから資料を紐解けばいいのだが、何故必要なのか問われたときに明確な答えを返せない。

ショウコも簡単に会えるとは思っていなかった。むしろ会いたいという気持ちに折り合いをつけるために肖像画を見に来たのだが、やはり気持ちは釈然としない。


「何をしている」


突然背後の扉が開き、若干強張った声が掛けられる。

「……陛下」

驚きはしない。ここに来ることは隠してはいなかった。

疲れを取るために今日は休めと言われていた人間が出歩いていると知れば、この人ならやってくるだろうなと思っていた。それでも仕事に穴を空けるようなことは絶対にしないから、捕まるとしたら夜のこの時間だと読んでいた。それを承知の上で、ショウコはこの場所にいる。

レイヴスは何も言わずに服の胸元をくつろげた。謁見を受けたのだろうか。衣装というのが相応しい豪華と言えば聞こえはいいが、着る人間の容姿が違えば装飾過剰な服は、自室に戻っても着ていたい服ではない。衣装を改める前に来てくれたのかと思えば、悪い気はしなかった。

それでも重さは不快らしく、装飾目的しかない上着を肩から滑らせる。

「お手伝いを」

「あぁ」

レイヴスの後ろに立ち留め金を外した上着を受け取った。手にしてみるとずしりと重い。裏布にまで綺麗な刺繍が施されたそれは、見ている分には着ている人間の容姿も相俟って美しいが、着てみれば動きにくさと重さで酷い肩こりになりそうだ。

部屋を出たところで控えている侍女に渡せばいいだろうと判断し、取り敢えずは端に設えられた長椅子の上に置く。

「私は休めと言った筈だったが?」

「ええ。執務は明日から始めます」

食い違っているのはわざとなのだから如何ともしがたい。

呆れたようなレイヴスの視線を軽くいなし、にっこりと微笑んだ。


「綺麗な方ですね」

それが誰を示しているのかレイヴスは一瞬考え、視線の先を追って頷いた。

「一国の王が執着したのだから、そうなのだろうな」

「その返事はおかしいと思いますが」

「自分の母親に、美醜も無いだろう。もっとも、あちらがどう思っているのかは分からないがな」

自嘲的な言葉に眉を顰めた。

シンレットが言っていたように、皇太后が実の息子を恨んでいるというのは本当なのかもしれない。

「愚かな女だ。感情的で、たやすく人を信じ、そして裏切られる。よく飽きもせずに繰り返すものだと、呆れたな」

「陛下?」

「そして男も愚かだった。己を過信し、また疑い、結局は抜き差しならないところまで追い詰められた。……並べてみると似合いだな?」

「陛下、あまりに皮肉が過ぎます。ご両親ではありませんか」

あまりに常と異なる態度に違和感を覚えた。レイヴスは皮肉は口にする。本当のことは隠す。人を責めるときは容赦ないが、人を貶めることはしない。

硬い靴音が室内に響く。レイヴスはゆっくりと壁に沿って歩きながら、静かに言葉を重ねていく。

「両親、祖父母、曽祖父母……呆れるほど長い。お前はこの系譜がどれほどの犠牲の上に成り立っているか考えたことがあるか?これほどまで連綿と続いたものでなければいっそ救われたであろうに」

レイヴスは先代皇帝と皇太后の肖像画の前で止まり、それを見上げた。

まるで当人たちと相対しているかのように、睨みつけるといったほうが正しいような険しい視線を送る。

「私が覚えている限り、母は7回懐妊した。物心着く前のことを含めれば、二桁にはなっていたかもしれないな」

視線とは裏腹に、声の調子はまったく変わらない。

その奇妙さにショウコは戸惑った。感情を殺すことが出来る人だということは知っている。しかし今は自分の中の感情を処理しきれずにいるように見えた。

「……陛下?」

「聞いたのだろう?シンレットから。だからこんな場所にいるのではないのか?」

確かにそうだ。気になって仕方が無くて、秘するところを暴きたくてここに来た。

だが、こんな風に追い詰めたかったわけではない。

「どう伝えればいいものか…悩んでいた。だが、結局は済んだこと。口にしてしまえば下らない昔語りだ。それでもお前がこの国の暗部を実際に見て、それでも私の横に立とうというのなら知る権利があると思う」

ショウコは慎重に言葉を探した。

秘するところはあっても嘘はつかないように。それだけのことなのにこんなにも難しい。

「私は……私が望み、陛下が望まれる限り御側にあります。先のことは分かりませんが、今は陛下の立つその横で同じものを見たいと思います」

レイヴスは細く息を吐くと、十分だと言って笑った。



「建国王は倒した敵の血を見続けたせいで、その瞳を赤くしたと言われている。無論跡付けの話だが、この国の王権の象徴として赤い瞳が語られるのは事実だ。しかし他家の血を取り入れていけば、次第に他の色が出てくるのは当然だ。そんなものは何の問題もないはずだった。歴代の皇帝の肖像画をみれば分かることだが、瞳の色が皇位継承に関わるわけではない。


 父は左右の瞳の色が異なった。右は赤だったが左は茶色だった。何と言うことはない、それだけの話だ。……それだけで済む話だった。私が生まれるまでは。


 父は多くの変革を行った。それによりいつしか第二の建国者と言われるようになったらしい。このあたりは私も人伝の話だが。

 そして生まれた子どもは先祖がえりのような瞳の色をしていた。血を分けた息子が王権の象徴のような外見をしていたのだから、それは父にとって己の正当性を示す最たるものだったのだろうな。


 しかしそんなものは偶然だ。そして偶然は続かない。次に生まれた子どもは赤い瞳ではなかった。

 父はその生まれて間もない、目を開いたばかりのわが子を殺した。その子は母の不貞により出来た子であり、自分の子ではない、と。そして次も、その次も……子が長じることは無かった。

 正気の沙汰ではない。父は血に取り憑かれていたのだろう。幸か不幸か、世継ぎの子どもはいた。故に誰も功績ある皇帝の狂気を止めることは無かった」


調子は静かだがどこか苦しそうにレイヴスは語った。

ショウコは何も言えなかった。レイヴスが何故苦しんでいるのかが分かるだけに、安易な慰めの言葉など掛けられない。

「私に……」

震える声を隠そうとは思わなかった。

「私に、出来ることはありますか?」

癒せるとは思えない。慰めることも出来ない。

同じ痛みを抱えていると、傷を舐めあうことを求めてはいない。

出来るだけ静かに歩み寄り、そっと肩に触れた。

レイヴスは払いのけることは無かったが、反応も無い。それが痛々しくて、ショウコは僅かに手に力を込めた。

「時に、思う。口にしても始まらないが…私が第一子でなければ、母の子どもたちは命を落とさずに済んだのではないか、と。父は、子を殺さずに済んだのではないか……母が恨むのも無理は無い」

レイヴスが僅かに自責の念を込めて呟いた言葉は、予想と僅かに異なった。

やはり、強いなと思う。

自分にはない強さが眩い。

ショウコは背中からレイヴスの身体に腕を回した。その存在を確かめるように、腕に力を込める。

「私は…こんなことを言うと残酷かも知れませんが……陛下が先代皇帝の始めの御子で嬉しく思います。そうでなければ、きっとお会いすることは無かったでしょうから。

 私は、生まれてこなければではなく、第一子で無ければと言える陛下が好きです」

気の利いた言葉なんて出てこない。

それを補うように温かさが伝わればいい。そう思った。

「弟は…レイシアは、母の執念で生き残った。結局は父が遠くへやってしまったが、それでもあれは母の慰めであったと思う。

 父はいざレイシアを送り出す段になって、私に意見を求めた。私は反対しなかった。国のことを考えれば、最良の選択だったと今でも信じている。しかし…母にはどう思われたことか」

「後悔をしておいでですか?」

返された答えは予想通りで、やはりこの人は強いと思った。


「冷えてきたな。戻るか」

すべてを聞いたわけではない。隠しているのか話す価値がないと思っているのかは分からないし、究極的にはどちらでも同じことだ。

すべてを教えてもらえると思うのは傲慢で、ここまで話を聞けばあとは調べることも容易だ。それはレイヴスとて分かっているのだから問題は無い。

「お茶を淹れますわ」

いつかレイヴスが、皇太后が好きだと言っていた。

親子だからといって必ずしも繋がりが深いとは思っていない。血の繋がりが恒久的なものでないことは、財産や地位を巡って陰日なたに争いが起こる血生臭い世界に身をおいていれば嫌でも分かってくる。

だからといって、小さな糸まで断ち切ろうとは思わない。いつ切れるとも知れないからこそ、そのままにしておいても害はないはずだ。

「……悪くない。付き合おう」

「偉そうに…否、偉いですけど。本当に陛下を見習っていいのでしょうか。シンレット殿ともう一度お話をせねばなりません」

「何の話だ」

「秘密です」


明日には忘れてしまうような会話をしながら、二人は部屋を後にした。


夜の冷たい風に混ざって、花の香りが走り抜ける。




何とか間にあいました……!

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